ねむれない蛇

佐々

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美しい思い出

#10

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 先ほどユーリが言っていた、真はユーリに甘いという話は本当らしい。
 凛太朗とユーリを迎えに来た真は、ユーリの姿を見るなり足早に近づいてきて、痣になりつつある彼の顔を見て眉をひそめた。
「頬が腫れてる。殴られたんですか?」
「上手く避けたし、少しかすっただけだよ。ね、リン」
 同意を求められて一瞬躊躇した。彼は思い切り顔面にパンチを食らっていた。
「リン、お前がついていながら」
「待った待った! 彼が来てくれたからこの程度で済んだんだよ。もっと褒めてあげなきゃ」
 その場はユーリがとりなしてくれたので、凜太朗は無駄に怒られずにすんだ。
 帰りは迎えにきた真の車に乗った。ユーリは自分の車で帰るのかと思ったが、彼は当たり前のように後部座席に座っていた。後で誰かが車を回収に来るのかもしれない。
「リンを先に送ってあげて」
 真が車を出すとユーリが言った。
「俺は大丈夫です」
 ユーリがどこに帰るのかはわからないが、凜太朗の泊まっているカンドレーヴァの屋敷とはかなり距離があるのではないだろうか。
「いいから。先に降りなさい」
 ミラー越しに微笑まれ、凛太朗は首肯した。ユーリは自分を気遣ってくれているのかと思ったが、きっとそれ以上に、真と二人で話すべきことがあるのだろう。その内容はおそらく、自分に関することだ。


 凜太朗が車を降りるとユーリはすぐに口を開いた。
「今日は悪かったね」
 全く悪びれる様子のない口調だった。
「ええ、本当に……毎回、肝を冷やされます」
「その割にあんまり怒ってないね」
「怒ってますよ。あなたはもう少し、フィオーレのボスとしての自覚をもって下さい」
「手厳しいなあ。俺ってそんなに頼りない?」
「違います。あなたのことはボスとしても、人としても尊敬しています。あなたに何かあったらと思うと、俺は……」
 言いよどむ真に、ユーリは微笑んだ。
「前から思ってたけど、君は俺を買い被り過ぎだよ」
 そんなことはない。真は今まで幾度も彼に救われた。自分とそう歳の変わらないはずのこの童顔のドンを、真は尊敬してやまない。
「よし、謝罪も済んだところで……」
「これでチャラにはならないですからね?」
「えーもういいじゃん。謝ったじゃん」
「開き直らないでください! まったく……一人で出かけたい所があるなら、一言くらい相談して下さい」
「どうせ駄目って言うじゃん」
「当たり前でしょう。フィオーレのボスが単独でふらふらするなんて……でも、どうしてもという場合はなるべく考慮しますから、今回みたいなのはこれで最後にして下さい。本当に、心臓に悪いんですよ」
 額を押さえて小さく息を吐く。
「そんなんじゃ付け込まれるよ? 君はただでさえ最愛の弟という弱みがあるんだから、これ以上抱え込まないほうがいい」
 真が返答に迷っていると、ユーリは続けた。
「君が弟を俺に会わせたがらない理由がわかったよ」
 今までとは違う冷たい口調に、真は背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。
「消して会わせたくなかったわけでは……改めてきちんと挨拶に伺おうと思っていました」
「彼を次のパーティーで使うつもりなんだってね」
 そんなことまでユーリの耳に入っているのか。柳田か? 柳田が口を滑らせたのか? 余計なことを。
「現場の采配は君に任せているから口を挟むつもりはない、が、俺はもっと根本的なことをきいておきたい」
 ミラー越しにじっと見つめられ、思わず目を逸らしてしまう。普段の穏やかな表情からは想像もできない眼光の鋭さに、鼓動が早まる。
「弟をこちら側に引き込むつもりなのか?」
 はやる胸にハンドルを誤らぬよう、真は両手に力を込めた。
「はい。彼が俺の弟である限り、これから先も危険に晒されるのは明らかです。俺はあいつが、自分の身を守れるようにしてやりたいんです」
 ユーリは薄く笑みを浮かべた。
「違うよ。俺がききたいのはそんな話じゃない。彼を引き入れることによってフィオーレにどんな利益があるのか、君は俺に弟の有用性を示すべきじゃないのか?」
 彼の主張は最もだ。ユーリは優しく尊敬できるボスだが慈善家ではない。
 真は頭をフル回転させて凛太朗のアピールポイントを考えた。面接を受けている気分だ。真がフィオーレに入った時はこんな試験はなかった。あの頃はただ生きるのに必死で、ユーリも真が何も言わずとも一緒に仕事をすることを認めてくれていた。
 凛太朗とは状況が違いすぎる。真の弟だからといって二つ返事で了承してもらえるほど、この組織は甘くはない。だからこそ、この場所なら、ユーリになら凛太朗を預けられると思ったのだ。
「今日、あなたに怪我を負わせたことを除けば、あいつはそれなりに働いたと思います」
「ああ。それは俺も評価している。即席で訓練した割にいい動きだった。相手が素人同然だったこともあるけどね」
 やはり付け焼き刃の訓練はばれているか。
「もともと身体能力は高い方なので、体力と筋力さえつけばまだ伸び代はあります。銃の扱いはまだ慣れませんが、素質はあります」
「君の弟らしいね」
 意地の悪いことを言うと思った。彼は真と凛太朗に血の繋がりがないことを知っているはずなのに。
「潜在能力は認めるよ。彼は優秀なようだ。しかしまだまだ君には及ばない。君と彼との決定的な違いはなんだ?」
「経験……ですか?」
「それもある。君が彼と同じ歳の頃にはもう大抵の仕事は経験していたはずだ。初めて俺と会った時の君は、今のリンより幼かった。それから長い年月を経て、今の君は申し分ない働きをしてくれるまでに成長した。彼のことは今後の動きを見てから改めて評価したいところだが、初仕事の内容は少し荷が重すぎないか?」
「もちろん、リン一人に護衛を任せるような真似はしません。彼女の周囲には十分な人員を配置するつもりです。彼女もリンを気に入っているようですから、適役かと思いました」
「なるほど。確かに柳田の姪が彼に好意を寄せているのは好都合だ。その点では、彼は使えるかもしれないね」
 つまり、それ以外では全く役不足ということか。手厳しいが仕方ないだろう。経験が不足しているのは事実だ。今はどんな形であれ、彼を認めてもらう機会を一つでも多く作っていくしかない。
「で、ここからは仕事抜きの話なんだけど」
 ユーリは穏やかな口調で言った。
「なんでしょう」
 ユーリがこの前置きを使う時は決まって痛いところを突いてくるときだ。また何か説教されるのではないかと真は身構えた。
「俺や君はさ、ほとんど選択肢なんてなかったと思う。俺は気づいたらフィオーレのボスだったし、初めて会った時、君は俺を殺そうとしていた」
「そんな事もありましたね……」
 あまり思い出したくない記憶だ。
「君がどうかはわからないけど、俺はこうしなければ生きられないと思う瞬間がたくさんあった。目の前で両親と兄弟を殺されたとき、その相手の気まぐれで養子として引き取られたとき、その家の息子たちとナイフ一本で戦わされたとき。フィオーレを継いでからも色々あったけど、俺の人生が決まったのはやっぱり子供の頃だと思う」
 順序立てて理性的に話してくれるのはきっとそれだけ真剣に考えてくれているからだろう。真は口を挟まず彼の話の核心を待った。
「後悔してるわけじゃない。むしろ俺は、生きるためにどんな手段でも使える人間でよかったと思う。でもそれが正しいことなのかはわからない。これ以外の生き方しかなかったからね。君の弟はおそらくこのまま君の言う通りに動くことができるだろう。適応力が高いのは良いことだと思うけど、ただ、一度俺たちと同じ場所にきてしまったら、もう戻ることは不可能だ。そういう意味で、彼はとても危ういよ。君は本当にそれでいいの?」
 責められているわけでないことはわかる。ユーリは心底から凛太朗を、そして真を案じてくれている。
「あなたのそういうところが、俺はたまらなく好きです」
 本心だった。途方も無いくらい大きな力をもっているのに、自分のような一幹部のことを、その家族のことまで、先々を考えて気持ちを伝えてくれている。
「なんでそんなに完璧なんですか?」
「さっきも言ったけど、買いかぶりすぎだよ」
「いえ、本当のことです。あなたは優しい。気が遠くなるくらいに。でもね、俺はあなたみたいに出来た人間じゃないんですよ」
 そろそろ煙草が吸いたいと思ったが、さすがにユーリを送っている最中なので我慢した。
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