ねむれない蛇

佐々

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美しい思い出

#07

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 男に連れられてラウンジに入る。案内されたのは奥まった場所のソファ席だった。
「ここは俺の奢りだから、好きなものを頼んでおいて。ちょっと知り合いに挨拶してくるから」
 男はそう言い置いてどこかへ行ってしまった。
 凜太朗はメニューを見ずにコーヒーを頼んだ。繭にはケーキをすすめた。
「私、家族が居ないんです」
 注文が揃うと、繭は唐突に話し始めた。
「幼い頃、父が人を殺して刑務所に入りました。家には毎日嫌がらせの電話や手紙が届いて、母は心を病んで自殺しました。私は遠い親戚の家に引き取られることになりましたが、そこでも噂が広がって、ずっと嫌がらせを受けていました。私だけが標的になるなら仕方ないと思ったんです。父が罪を犯したのは事実ですから。でも、決して裕福ではないのに私を引き取ってくれた親戚にまで迷惑がかかるのは耐えられなかった。それで、高校を卒業したら地元を出て、東京で一人暮らしを始めたんです。大学には奨学金と、母の残してくれたお金で通っています」
 内容とは裏腹に、穏やかな表情で繭は続ける。
「えっと、お兄さんは、どこの出身ですか?」
「凛太朗だよ」
「え?」
「俺の名前。乃木凛太朗。出身は東京」
「私は田舎にいたので、東京に出てきて、人の多さと他人への関心のなさに驚きました。私の父が犯罪者であることを知る人は誰もいない。そんな私に関わっただけで嫌がらせを受ける人もいない。そのことに、数年ぶりに心の底から安堵しました」
「煙草吸っていい?」
「ええ、どうぞ」
「続きは?」
「え?」
「俺は君の身の上話を聞くために来たわけじゃない。なんであんな女を頑なに友人だと言い張るのか、それが知りたいだけだ」
 少し強い口調で言ったのに、繭は微笑んだ。
「ああ、それは、やっぱり平和な日常なんて長くは続かないんですよね。ある日、大学のゼミで、一人の学生が私の父の事件をネットで知って、その娘が私だと気づいたようなんです。ネットには私の名前や昔の写真も載っていましたから。それで……」
「言いふらされてまた嫌がらせされたのか?」
「いえ……周りに知られたくなかったら言うことを聞けと、乱暴されそうになりました」
「は、最悪だな」
 凜太朗は吐き捨てるように言った。
「呼び出された研究室で襲われそうになっているところを、美玲が助けてくれたんです」
「あの女が?」
「ええ。もうすごい剣幕で相手の男の子を怒って、彼を追い出してくれました。結果的に彼は大学も辞めました。彼女の家は大学に多額の寄付をしてましたから、きっと手を回してくれたんだと思います」
「ならなぜ君をあんな危険な目にあわせた? 大事な友達ならそんなことしないだろ」
「後で聞いたんですけどね、彼女、私を脅していた男のことが大嫌いだったようなんです。会話どころかゼミの度に顔を見るのも嫌だったらしくて、私のことはただのきっかけに過ぎなかったんですよ」
「やっぱり、全部自分の都合じゃないか。あの女は君を友達だなんて思ってない。都合のいい連れか、引き立て役くらいにしか思ってないよ」
「分かってます。でもそれでもいいんです」
「なんでだよ! 君は利用されてるだけなんだぞ!」
 腹が立った。あんな目にあわされたのに、美玲を庇おうとする繭が理解できなかった。
「あの日、美玲が研究室からあの男を追い出してくれた後、事情を聞かれて私、彼女に正直に話したんです。助けてもらったんだから、そうするべきだと思って。もともと華やかなタイプの美玲とは仲も良くなかったし、彼女に軽蔑されても平気だと思って。でも、美玲は言ってくれたんです」

「父親が人殺しだからってなんであんたがそんなに卑屈になるの? あんたと父親は別の人間なんだから堂々としてればいいじゃん。うじうじしてる奴みると苛々するからやめてくれる?」

「私、ずっと誰かにそう言って欲しかったんだも思います。自分で自分に言い聞かせることもできるけど、それは許されない気がしたから。でもあの日、美玲は私を許してくれた。私にはその言葉だけで十分でした」
「馬鹿だな。あいつは君のことなんてこれっぽっちも考えてない。その言葉だって君を想っての言葉じゃない」
「知ってます。彼女は自分に正直だから、単に自分が気に食わないからそう言っただけなんでしょうね。でもそれでもいいんです。だってそれって本音だからでしょう? 優しい嘘より、心から出た言葉の方が、私には大切なんです」
「お人好しだな。そんなんじゃ付け込まれるぞ」
 繭は苦笑した。
「利用されてるのはわかってますよ。あの日から美玲には振り回されっぱなしで、色んな所に連れ出されるし、ダサい奴とは歩きたくないとか言って、高い服を着せられるし。苦手なメイクまで」
「でも自分より君が目立つのは気にくわない」
「そうなんです。可愛いですよね」
 凜太朗はため息をついた。
「君は大人すぎる」
「ええ、色んなことを経験しましたから……凛太朗さんもそうでしょう?」
 どうしてそんなことをと思った時、男が戻ってきた。
「お待たせ。あれ、リンはケーキ食べないの?」
「なんで俺の名前……」
「あ、いや、君たちが話してるのが聞こえたからさ」
 明らかに誤魔化されている。
「ここはタルトが美味しいんだよね。君ももう一つ食べる?」
 男にきかれ、繭は首を振った。
「いえ、一つで十分です」
「そう? 俺は三つくらいいけるんだけどなぁ」
 そう言いながらも男が注文したのはコーヒーだけだった。
「いい加減話してくれませんか? あなたは何者なんです?」
 凜太朗は男に向けて言った。
「えーそれ聞いちゃう?」
 男の細い手首に高価そうな時計が嵌められている。
「一つ言えるのは、俺は君のお兄さんをよく知ってる」
 ということは、柳田のようにアインツの関係者か? それとも……。
「この間は危なかったね、リン」
 微笑んだ男の言葉で、凜太朗は確信した。
「あなたは、フィオーレの……」
 言いかけた時、繭がラウンジの入り口にいる美玲に気づいた。柳田も一緒だ。
「私、行きますね。お二人とも、今日は本当にありがとうございました」
 立ち上がって頭を下げる繭の腕をつかむ。
「待て、俺も行く」
「凛太朗さん!」
 慌てた様子の繭を無視して席を立つと、男に止められた。
「俺が行くよ。アインツには恩を売っておきたい」
 そう言った男の瞳が先ほどまでとは人が変わったように鋭くなるのを、凛太朗は見逃さなかった。
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