ねむれない蛇

佐々

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アストリア

#05

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「選べ」
 ルカは言った。
 凛太朗の前には黒い銃口がある。その引き金にかけられた指が動く時、自分は死ぬだろう。あの夜、兄が姉を殺した時のように。
「この女を殺せばお前のことは解放してやる。ついでに兄貴にも危害は加えないでやるよ。でもお前がノーと言うならお前を殺す。言っておくが楽には殺さない。長い時間お前の体を痛めつけてお前がもう殺してくれと懇願する様を撮影して兄貴に送ってやる。さあ選べ。女を殺して兄を守るか、自分が死んで兄を傷つけるか」
 凛太朗は黙り込んだ。すぐに答えの出せる問いではない。しかしルカは待ってはくれない。
「おい、やれ」
 ルカに命じられた男の一人がまたもや彼女を犯そうと開かせた脚の間に体を割り込ませる。抵抗する彼女をいとも簡単に押さえ込み、自らのベルトに手をかけている。
「やめろ!」
 彼女を襲う男にもわかるように凛太朗は英語で言った。
 あの夜、姉の体に群がっていた男たちを一人残らず殺したいと思った。姉は美しい顔と体に生前の面影を残さぬほどの傷をつけられて死んだ。透き通るほど白かった肌は打撲と痣で腫れあがり、傷ついて血を流し、色素の薄い澄んだ瞳にまで穴を開けられ、男たちの穢れた欲望を突き入れられていた。目の前で肉を抉られ、次第に泣き叫ぶ力も失っていく姉を、凛太朗は自らの涙と吐瀉物にまみれて見ていることしかできなかった。彼女を救うことも、助けを呼ぶこともできず、凛太朗はただ恐怖に震え、強烈な血のにおいに嘔吐する他なかった。ならばせめてその苦しみを断ち切ってやることが、自分にできる唯一のことなのかもしれない。
「俺がやる」
 あの日と同じ頭痛と吐き気に苛まれていた。それでも意外と冷静な声が出た。
 ルカは興奮したような笑みを浮かべ、ナイフで凛太朗の縄を切ると凛太朗に銃を握らせた。
 扱い方を教えられた銃を構え、引き金に指をかける。
「よく狙えよ。変なところに当たったら余計に彼女が苦しむからな。まぁそれはそれで一興だが……」
 凛太朗はルカを無視して引き金を引いた。何かが破裂したような音と共に両手に痺れるような衝撃が走った。弾丸は身を起こした彼女の頭の横を抜けて床にめり込んでいた。
 ルカが口笛を吹く。
「ははっ、さすがシンの弟だ。お前には才能がある。人殺しの才能がな!」
 再び、今度は彼女の頭に向けて銃を構える。彼女と目が合う。彼女は落ち着いていた。この窮地にあって尚、一瞬の隙を窺う冷静さを失っていない瞳に凛太朗は安堵した。グリップを握り直し、彼女に向けていた銃をルカに突きつける。わざとらしく首を傾げたルカを一瞥し、部屋に居る全員に向けて声を張る。
「動くな!」
 一瞬の静寂のうち、部屋にいくつもの笑い声が響いた。
「おいおい、冗談だろ? お前、本気でそんなことができると思ってるのか?」
 ルカの笑顔が目障りで凛太朗は彼の足に向けて引き金を引いた。銃声とともにルカが床に倒れる。 外さないくらい至近距離で撃ったのはいいが二度目の発砲で早くも両手の感覚がなくなっていた。耳も変だ。
「マジで撃ちやがった……」
 撃たれた脚を押さえてルカは尚も笑っていたが、部屋中の男たちは次々と銃を取り出し激昂した。
「このガキ! ぶっ殺してやる!」
 凛太朗は周囲の男たちには目もくれずルカの頭に銃口を押し付けた。
「武器を捨てろ」
 全員に伝わるよう英語で言うも、武装解除に応じる人間はいない。
「聞こえないのか? 素人でも、この距離じゃ外さないぞ」
 部屋の中が静まり返る。
「もう一度言う。全員、武器を捨てろ」
 誰も凛太郎の言葉には耳を貸さない。凛太朗の英語が通じていないわけではないだろうが、彼らは一様に凛太郎が銃を向けているこの男からの指示を待っている。彼が自身を顧みず凛太郎を殺せと命ずれば自分は死ぬだろう。だからこれは賭けだ。でも勝算がないわけではない。
「英語も話せたんだな。まったく、反則だろ」
 ルカが言った。
 凛太朗は銃と部屋の中の男たちから意識を逸らさぬよう注意した。自分は子どもだ。武器を手にしたとはいえ、西洋人の男たちとの体格差は埋められない。一瞬でも気を抜いたらすぐに殺されるだろう。
 ルカを睨むと彼は降参したように両手を上げた。
「お前ら、こいつの言うとおりにしろ」
 そして全員に向けて命じた。すぐには動かない男たちにもう一度口を開く。
「聞こえなかったのか? 全員銃を置け。こいつは本気だ」
 ようやく男たちが銃を手放した。
「蹴って遠くにやりなさい。それから頭の後ろで手を組んで、床に膝をつけ」
 そう指示したのは彼女だった。凛太朗はルカに銃を突きつけたまま彼女の縄を外させた。使用したナイフは彼女がすぐに取り上げた。立ち上がった彼女は凛太朗を睨みつけた。
「ありがとう。色々と言いたいことはあるけどとりあえず礼を言うわ」
 礼を言っている顔には見えなかったがそこに言及するよりも先に、彼女の背後でルカが懐からもう一丁の銃を取り出すのが見えた。
「後ろ!」
 凛太郎が叫ぶのと同時かそれより速く、女は振り向きざまルカの銃を蹴り飛ばし、ナイフで喉をかき切った。拾い上げたルカの銃で部屋にいる他の男たちを次々に撃っていく。
「子供は引っ込んでなさい!」
 凛太朗は襟首を掴まれ、床に倒れたテーブルの陰に押し込まれた。
「それ貸して。あと頭は低く」
 凛太郎の手にある銃を奪うように取ると、女はテーブルごしに身を隠しながら銃を撃ち始めた。向こうも先ほど凛太郎が捨てさせた銃を回収しているようだが彼らの弾丸がこちらに届くことはなかった。
 物の数分であたりは静かになった。女は残弾の無くなった銃を捨て、床から新しい銃を拾い上げ、一丁を凛太朗に投げた。
「持ってて」
 女と共に、凛太郎も立ち上がり、テーブルの陰から出た。床に転がる無数の死体を女は一つ一つ確認している。てっきり生死を確認しているのかと思ったら、何かを探しているようだった。服の上から体に触れ、上着やスラックスのポケットに手を突っ込む。やがて女が取り出したのはスマートフォンだった。そういえば凛太郎の物も男に取られてしまったから、女も外部との連絡手段を失っていたのだろう。ようやく使える物を見つけたらしい。女は番号を入力し、それを耳に押し当てる。
 相手が応答するのを待っている彼女の後ろで、何かが動いた。死体だ。いや、死体だと思っていただけで、まだ死んでいない男がいたのだ。床に倒れたまま、腕だけを持ち上げ、女に銃口を向けて引き金を引こうとしている。
 凛太郎は走って女の前に立った。先に撃ってきたのは男の方だった。幸い狙いが悪く腕をかすめただけだったが、熱と痛みで銃を取り落としそうになった。力の入らない利き手をもう一方の手で支え、凛太朗は引き金を引いた。
「やめなさい!」
 女の制止も聞かず、立て続けに何発もの弾丸を男に向けて撃ち込む。当たったものもあれば外れた弾もあった。
「やめろって言ってるのよ!」
 何度目かの発砲の後、凛太朗は女に銃を掴まれ、それを取り上げられたと思ったら左の頬を思い切り張られた。
「なぜ撃ったの? あなたに助けてもらわなくてもこれくらい自分で始末できた。どうして撃ったの?」
 すぐには答えられなかった。自分でも驚くほど息が上がっていた。両手に銃の熱が、引き金を引いた時の反動が、痺れが残っている。銃弾が人の体にめり込む時の感触まで伝わってくるような気がした。
「後悔するわよ」
 女は舌を打ち、再び電話を耳に当てた。
 男の目は開かれたままだ。しかし彼が生きていると錯覚したりはしなかった。彼は死んでいる。自分が殺したのだ。
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