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第1話「付喪神」其の七

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「ただいまー。って誰もいないか」

そう一人ごちて、荷物を玄関に降ろす。
G県T市。僕の実家だ。

納車から数週間が過ぎ、5月に入っていた。通学には雨の日以外はセローを使い、だいぶ運転にも慣れてきた。今年のゴールデンウィークはゼミのフィールドワークを兼ねて実家に帰る予定を立てた。猪口さんも誘ったが、彼も実家に戻るとのことなので残念ながら一人でセローに乗って帰ってきたのだ。

さて、今回の帰省の目的は、実家でのんびりするのもあるのだが、あくまでフィールドワークがメインだ。T市から北東へ約70キロ、大滝山が目的地だ。

この大滝山は、現在も活動する活火山で、古くから山岳信仰の聖地として全国的に良く知られている。まさに研究の対象としてぴったりの場所なのである。標高は3000メートルを超え、冬になれば真っ白に冠雪したその雄大な姿が実家からも見えた。幼い頃から見てきたその山は僕の好きな場所の一つだった。

「とりあえず今日はゆっくり休むかぁ。大滝山へ行くのは明日だな」

仕事から親が帰ってくるのを待ち、久しぶりに家族と夕飯を食べ、湯船で手足を伸ばして疲れを取ったところで昼間の疲れが出てきた。
夜9時、早めにベッドに潜り込んで就寝することにした。



ピピッピピッピピッピピッピピッ…

「うーんぅ」

我ながら悩ましい声を出して目覚ましを止める。
朝6時。夜明けはとっくに迎えており、鳥のさえずり声が聞こえる。
ベッドから起き上がり、顔を洗う。昨夜は早く就寝し、よく眠れたため、頭がすっきりしている。
朝食をとり、着替える。

そして7時。

「おはよう!せろう。今日もよろしく」

愛車に挨拶して自宅を出発する。セローが納車されてから今日までに、僕は愛車を「せろう」と呼ぶようになっていた。ちゃんとした名前を付けるつもりだったが、いい名前が思いつかず仮の名前として車種名から「せろう」と呼ぶようになり、いつの間にかそれが僕の中で定着してしまっていた。

国道をひたすら北上し、そして途中から県道へ入る。そのまま大滝山方面へ走ると、次第に山道になってくる。
山の斜面には沢山の石碑と神社が林立するようになり、ここが山岳信仰の聖地なんだと気付かせてくれる。そういったものを時折写真に撮っては走るを繰り返し、自宅を出て3時間後、7合目の登山口駐車場に到着した。

駐車場には既に多くの車やバスが停まっており、ハイカーや白装束の参拝者で賑わっている。彼らはここから徒歩で山頂へ向かうのだ。山頂には神社があるのだが、ここの駐車場から300メートルほど歩いたところにも遥拝所がある。
遥拝所とは、山の神様を拝む祭壇や儀式を行える東屋が設置された簡易的な施設のことだ。今日はそこに向かうことにして、セローにチェーンロックをかけているときだった。

急に暗くなった気がして、顔を上げた。

暗くはなってはいないが、周りが真っ白だ。いつのまにか霧がたちこめている。
山の天気は変わりやすい。
ガスが出てきたか・・・。だが午後ならともかく、まだ午前10時を過ぎたくらいだ。立ち上がり、ゆっくり周りを観察するが、数メートル先も見通せないほどの濃霧だ。
それに何かがおかしい。
何か…。
そうだ、やけに静かだ。さっきまであれほどいた登山者の声がまるで聞こえない。あたかも皆消えてしまったかのようだ。しばらく様子を見てみる。周りが静かで、見通しが悪いのは変わらない。だが、不思議なことに遥拝所に向かう登山道に沿ってのみ霧が晴れている。さながらモーゼの十戒のようだ。他の登山者も先に行ったのだろう。僕もこの道に沿って行ってみる事にした。

霧の中を歩くこと、15分。遥拝所にたどり着いた。屋根のある休憩スペースに、大きな石碑が3つ。そして石碑のとなりには、また大きな石像が三体。三体とも衣冠束帯の格好をしている。

「あ…」

その石像の前には、一人の白装束のおじいさんが座っていた。頭は禿げているが、とても長い、真っ白な髭をたくわえ、これまた真っ白な長い眉毛を生やしている。まるで仙人だ。そう、彼の後ろの石像みたいな…。なんかそっくりだな。


「こんにちは」

「おぅ、珍しいのー、登山かね」

おじいさんが話しかけてくる。とても柔らかい声で、その顔はにこにこしている。思わずこちらも笑みがこぼれてしまう。

「いえ、登山ではなくて・・・大学の論文の資料写真撮りにきたんです」

「そうかそうか、にいちゃんは大学生か。この山はどうだぁー、きれいだろ?」

「そうですね、まぁ今は霧で何も見えないですが・・・」

「まぁそう慌てるな。すぐ晴れる。ところでにいちゃん、水、持っとるかの?」

「え?ああ、はい」

リュックの中に入れていたペットボトルを手渡す。おじいさんはそれをゴクゴクと飲むと、

「すまんが、何か口に入れるものも持っとらんかね」

「食べ物ですか?ええと・・・、ああ、飴ちゃんなら」

「おお!甘いものはずいぶんとひさしぶりじゃあ。すまんな、こんな年寄りに水と飴を恵んでくれてな」

「いえいえ、どうせリュックに入れっぱなしですし」

「お礼にな、にいちゃんにいいもん見せてあげようかの。にいちゃんの後ろにいる大きなのがな、にいちゃんに会いたがっているでな、ちょっと力を貸してやろうかの」

「後ろ? ──何もないですけど…」

「まぁ、焦るな。どうも本人も『かたち』になるのは久方ぶりみたいだからのぅ」

「えっと…」

「年寄りからの礼じゃ、受け取ってくれ」

相変わらずにこにこしておじいさんはそう言った。その瞬間、二人の間に一陣の風と霧の塊が過ぎ、思わず目をつむり腕で頭を覆う。

「あれ…?」

いない。今の今までいたおじいさんがいない。
なにかあったのかな?探そうと思ったときだ。

「行っちまったな。まぁあれは人間じゃない。探しても無駄だ」

後ろで声がした。
慌てて振り向く。そこにいたのは―――

角。
獣毛。
鋭い眼光。

一人の獣人だった。

「よう」

獣人が声を掛けてくる。
一体いつからそこにいたのか。

「今お前さんと話していたのは人間じゃない。山神だ」

    
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