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第1話「付喪神」其の二

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カリカリカリ。ペンで書く音。
パラパラパラ、パタン。ページをめくり、本を閉じる音。
ゴホン。小さな咳払いの音。

全ての音が遠慮するような控えめなボリューム。
午後四時を過ぎた大学の図書館は、気だるい空気と静けさに満ちていた。

その空気に合わせるように、向かいの席に座る男が小さめの声で話しかける。

「なぁ、シンさん。ホンマにそのテーマでやるん?面白いとは思うけどさー、後で英訳するんよ?ムズすぎやない?」

そう話しかけてきたのは赤いスエットパーカーに短髪、ちょっと肌黒で大柄の男、猪口昭人(いのくち あきひと)。容姿がいかにも柔道部員といった感じだ。

同じゼミでペアを組み、一緒にレポート作成をしている。彼とは不思議と初めて会った時から馬が合い、僕のことをシンさんと呼んでくる。まぁ、僕も明るく朗らかな性格の彼のことは嫌いではなく、一緒にいると自然体になれるような彼の存在はありがたい。

ちなみに彼の言うシンさんとは、僕の名前、新城直弘(しんじょう なおひろ)の苗字からきている。

「まあ、それは最初から分かっていたことだし。大体、比較文化学で、ありきたりのテーマのレポートだったら、先生の印象も薄くなるし評価もそこそこになるってもんよ。あ、そこの本。そう。それと、その本も。付箋貼ってるページ、コピーしてきてくれる?あとでお金渡すで」

「はいよはいよ、好きなだけ使ってくださいよー」

そう言って猪口さんは席を立ち、図書館の入り口のほうへ消えていった。




2000年。20世紀最後の年。そろそろ桜も見ごろを迎える4月の半ば。大学生になって3度目の春。3回生になってゼミに所属することになり、僕は好奇心から比較文化学のゼミに入った。そこで猪口さんと出会い、最初のレポートの課題が言い渡されたのだった。

今取り組んでいるのは「日本の民間伝承と山岳信仰について」のレポートだ。

テーマを決めるには制約があった。教授がこれまで受け持ってきた中で、前例が無いテーマであること。教授が留学生の日本文化史の授業もしているため、その授業でも使うために、レポートは英訳をすること。

最初に提示されたこの面倒くさい制約のため、ゼミの中で各々ペアを組み、作成することになったのだ。
ペアのパートナーには自然な流れで猪口さんとなった。

テーマとして僕が最初に思い浮かんだのは山岳信仰だ。僕の出身の県には山岳信仰で有名な山があるのを思い出したからだ。教授に聞いたところ、今まで誰もそのテーマで取り組んだことが無く、面白いとのことで、テーマは決まった。

猪口さんが柔道部の活動で忙しいこともあり、僕が資料集めと草案作り、猪口さんがコピーを取り、で、二人で作業分担することになり、今に至る。

「はいよー、コピー」

程なくして猪口さんが戻ってきた。コピーを受け取り、必要な部分にマーカーで印をしていく。ずっと資料を読んでいたからか、目が疲れてショボつく。

「コピー代いくらだった?」

眼鏡を取り、目薬をしながら彼に問う。僕は近眼で眼鏡が離せない。眼鏡が無いと、目の前の彼の顔でさえ、ボカシの画像処理がされた証言映像のように見えてしまう。

「いや、いいよ。やってもらってるし。それよりもシンさん、今日バイトのシフト入ってるんやなかったっけ?」

「うん、もう行こう思ってたとこ。猪口さんは?部活」

「俺ももう行くとこ。一緒に出よか」

二人して図書館を出る。僕のことをシンさんと呼ぶ彼に対し、僕は彼のことを「猪口さん」と読んでいる。これは彼の大きな体格によるところが大きい。とても同い年とは思えない。

「ところでシンさん、バイクの免許どんな感じよ?」

「まぁ、ぼちぼちやな。毎日教習所行けるってわけじゃないし。あとひと月くらいかな」

「そうなん。免許取れたらどっか行こか」

「そうやな」

「じゃあここで。バイトがんばってな。また明日ー」

「ういーっす」

彼と別れ、僕はバイト先へと向かった。
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