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第二章
34.【邂逅⑤】
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クレイドルの領域外の廊下は、基本的に薄暗い。
場所によっては赤い非常灯が点灯している場合もあるが、基本的に足元を照らすだけの小さなフットライトが生きているだけだ。
教会からクレイドルへ徒歩で戻るには、そんな廊下を歩いて6時間ほどかかる。途中、階層を上下したり角を曲がったりするものの、大きすぎる艦内での移動は基本的に直線ばかりだ。
すると当然、移動中は暇を持て余す。
「おねーさん、ベローナっていうのなの?」
後ろをとてとてとついてくるテミスが、こちらの顔を覗き上げた。
教会のオートマトンとはいえ、今はまだ邪険に扱う理由はない。
ベローナは緩やかに口角を引き上げながら頷く。
「ええ。そうですわ、テミス。これからよろしくお願い致しますわね」
「よろしくなの!」
素直で微笑ましい女の子――それが、今のところのテミスの表情や言動から受け取れる印象だ。
しかし、ベローナはこのオートマトンを完全には信用していない。
自分たちと同じ上位モデルのオートマトンは、見掛けの印象など容易に偽装できる。
人間ならばそれを『演技』や『猫かぶり』と表現するかもしれないが、それは正しくない。
元より感情を持って生まれた人間とは違い、上位モデルの感情は後付けだ。
心の動きと自らの行動を、完全に離隔することができる。
今も可愛らしい笑顔を向けてくる彼女のその内側に、どんな存在が隠れているかはわからないのだ。
先ほど顔を合わせた大司教のような思慮深さを持っているかもしれないし、案外ティアと同じように外見年齢と大差のない性格かもしれない。
故にテミスがどんな存在だったとしても、ベローナは驚かない。
敵であれば破壊する。ただそれだけだ。
ベローナはポケットから取り出した手のひら大のケースを開けて、その中の粉末を筆でさっと目元に乗せる。
すると、テミスが不思議そうな顔をして訊いてきた。
「なにしてるのなの?」
「お化粧直しですわ。テミスはお化粧をしたことは?」
「ないなの!」
たしかに、あの教会に化粧道具などあるとは思えない。なによりオートマトンが化粧をするという文化すら存在しないだろう。
ベローナは手元のケースをパチンと閉じる。
「では、クレイドルに着いたらあなたのお姉様に教えてもらうといいですわ」
念のためにテミスをボディチェックしたときに、ベローナはすでに決めていた。
クレイドルには彼女を監視するにうってこいの人材がいる。
テミスはその言葉の意味をはかりかねたように、首を捻った。
「テミスのお姉様?」
「行けばわかりますわ」
可愛らしい仕草に、ベローナはつい子供たちへ向けるような笑顔を作る。
着いたあとのお楽しみ――などではない。
いまだここは教会の領域内だ。
必要以上の言葉を口にすることは、リスクへと繋がる。
ベローナは自分の歩幅に合わせるテミスの小刻みな足音を聞きながら、クレイドルへの道を進むのだった。
◇ ◇ ◇
――ベローナが教会に行ってきたと思ったら、なんかちっこいのを連れて帰ってきた。
他人が見れば、きっと今の自分は頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。
ベローナの話ではこの紫頭のオートマトン――テミスも上位モデルらしい。
クレイドルの中で一番背の低いティアよりも、数センチほど背が低い。
いまいち信用できないが、下位モデルよりかは柔軟な行動はできるだろう。
つまり労働力兼人質の譲渡だ。
ティアは仕方なく手を差し出して、自己紹介をしてみる。
「識別番号N-SW0268/j、個体名称【ティア】だぞ。よろしく頼むぞ」
「……」
すると、テミスはぽかんと口を開けて、こちらの顔を見つめるばかりだ。
「……? なんか反応うっすいんだぞ」
「あら? 借りてきた猫のようですわね」
「その表現は正しいのかしら……」
傍で見ているイーリスが呆れたように言う。
どちらかというとフリーズしているような様子だが、猫も環境が変わるとフリーズするのかもしれない。
ティアは猫という生き物に触れたことがない上、もう絶滅してしまったのでそれを確かめる術はないのだが。
そんなどうでもいい考えに耽っていると、テミスがフリーズから復帰した。
見る間に彼女の目の輝きが増していき――。
「お姉ちゃん!?」
「はぁぁぁぁだぞ!?」
――姉認定された。
「お姉ちゃん!? お姉ちゃんなのなの!? テミスにお姉ちゃんがいたなんて、テミスとっても嬉しいの! 」
「なんだぞコイツ! 急に家族とか運命の人とか言って、無理やり距離を詰めてくる厄介なタイプのメンヘラなのかー!?」
まくし立てるようにベラベラと喋りながら、テミスがじゃれついてくる。
会って数分で姉と呼ばれたあげく、濃厚なボディコミュニケーションに応じる義理はティアにはない。
なんとか体を引き剝がそうとするが、相手との出力が拮抗しているせいで中々脱出することができなかった。
「イーリス! 見てないでなんとかするんだぞ!」
遠慮なくテミスの顔を押しのけながら、ティアはイーリスに助けを求める。
「嫌よ。その子、たぶんあなたと同等のフレームよ。怪我したくないもの」
頼る相手を間違えたようだ。手を貸すどころか、後退りして距離を取る始末である。
素っ気ない態度のイーリスからベローナへと顔を向けると、生暖かい表情が返ってきた。
ふふふ、と含みのある笑いで何かをもったいつけたあと、口を開く。
「ティア。その子の識別番号はN-SW0269/j――個体名称【テミス】、あなたにとっても姉妹機に当たる個体ですわ」
「な、なんだってだぞー!?」
落ち着いた表情で説明するベローナは、明らかにこの状況を面白がっていた。
前々から思ってはいたが、やはりこの軍用オートマトンは腹黒である。
部下も真っ黒な衣装なのは、きっとアドニシアがそのことを見抜いていたからだろう。
たぶん。きっとそうだ。……いや、普通に戦闘用の制服が黒いからかもしれない。
「きゃはは! テミスはお姉ちゃんと一緒にいれて嬉しいなの! 来てよかったのなのなの!」
テミスはティアに抱き着きながら、飛び跳ねるように喜んでいる。
もはや抵抗するのも面倒になってきて、頬擦りされながらもティアは抗議した。
「こんな語尾がおかしいやつ、あちきの姉妹なわけがないんだぞ!?」
その言葉に、イーリスが「えっ」と声を上げる。そして、心の底から不思議そうな顔で首を捻った。
「それ、あなたが言う……? あなたも中々のもんじゃない」
「むがー! イーリスの機嫌がまだ直ってないんだぞ!」
「ティア、今のはたぶん誰でも言うと思いますわ。イーリスが言わなかったらわたくしが言っているところでしたもの」
イーリスの冷たい対応は機嫌の悪さによるものだと思っていたが、違うらしい。
それではただ自分がズレてるってことになるんだぞ……! とティアは内心焦る。
「む、むぐぐ……!」
しかし、何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこない。
そのとき――。
「違うのなの! お姉ちゃんとテミスの語尾は可愛いなの! なのね? お姉ちゃん!」
テミスがティアの首に腕を巻き付けたまま、庇うように言った。
お? と思いつつ、ティアはその意見に乗る。
「そ、そうだぞ。中々可愛いもんなんだぞ!」
「そうなのなの! テミスはお姉ちゃんとおんなじで嬉しいなの!」
そう言われて、イーリスは短くため息をついて、それ以上の追及をやめた。
テミスがティアの味方をしてくれたので、これで1対2。たとえベローナが加わったとしても対等だ。
この状況に、ティアは自分の考えを改める。
――意外と……いい子なんだぞ!?
ティアはテミスの肩を掴んで、含めるように言った。
「よし。テミス。お前はティアの妹なんだぞ。クレイドルの先輩でもある、あちきの言うことをしっかり聞くんだぞ!」
「はーい! お姉ちゃん!」
完璧だ。どうやら思いがけず有能な部下を手に入れてしまったのかもしれない。
先ほどまでじゃれつかれていたときの拒否感も吹き飛んで、ティアは目の前の同型オートマトンを『妹』と定義づけることにした。
「では、テミスをティアの統制下に加えるということでよろしいですわね?」
「それでいいわ。けれど、まだ子供たちのいる区画には入らないように。隔壁の操作権限も与えないから、基本的に区画外で活動させること。ティアはしっかりとこの子を監督するのよ」
ベローナの確認に、イーリスが補足する。
「わかったぞ!」
「わかったなの!」
その指示に、ティアとテミスは似通った声を重ねて応じた。
自分との共通点を認識し始めて、ティアは急激にこの『妹』を気に入り始めていた。
「じゃあさっそく警備範囲の確認をするんだぞ! ついてくるんだぞテミス!」
「はーい!」
自分が1段階成長したように感じて、テンションが上がる。
ティアはテミスを従えて、嬉々として廊下を走りだすのだった。
場所によっては赤い非常灯が点灯している場合もあるが、基本的に足元を照らすだけの小さなフットライトが生きているだけだ。
教会からクレイドルへ徒歩で戻るには、そんな廊下を歩いて6時間ほどかかる。途中、階層を上下したり角を曲がったりするものの、大きすぎる艦内での移動は基本的に直線ばかりだ。
すると当然、移動中は暇を持て余す。
「おねーさん、ベローナっていうのなの?」
後ろをとてとてとついてくるテミスが、こちらの顔を覗き上げた。
教会のオートマトンとはいえ、今はまだ邪険に扱う理由はない。
ベローナは緩やかに口角を引き上げながら頷く。
「ええ。そうですわ、テミス。これからよろしくお願い致しますわね」
「よろしくなの!」
素直で微笑ましい女の子――それが、今のところのテミスの表情や言動から受け取れる印象だ。
しかし、ベローナはこのオートマトンを完全には信用していない。
自分たちと同じ上位モデルのオートマトンは、見掛けの印象など容易に偽装できる。
人間ならばそれを『演技』や『猫かぶり』と表現するかもしれないが、それは正しくない。
元より感情を持って生まれた人間とは違い、上位モデルの感情は後付けだ。
心の動きと自らの行動を、完全に離隔することができる。
今も可愛らしい笑顔を向けてくる彼女のその内側に、どんな存在が隠れているかはわからないのだ。
先ほど顔を合わせた大司教のような思慮深さを持っているかもしれないし、案外ティアと同じように外見年齢と大差のない性格かもしれない。
故にテミスがどんな存在だったとしても、ベローナは驚かない。
敵であれば破壊する。ただそれだけだ。
ベローナはポケットから取り出した手のひら大のケースを開けて、その中の粉末を筆でさっと目元に乗せる。
すると、テミスが不思議そうな顔をして訊いてきた。
「なにしてるのなの?」
「お化粧直しですわ。テミスはお化粧をしたことは?」
「ないなの!」
たしかに、あの教会に化粧道具などあるとは思えない。なによりオートマトンが化粧をするという文化すら存在しないだろう。
ベローナは手元のケースをパチンと閉じる。
「では、クレイドルに着いたらあなたのお姉様に教えてもらうといいですわ」
念のためにテミスをボディチェックしたときに、ベローナはすでに決めていた。
クレイドルには彼女を監視するにうってこいの人材がいる。
テミスはその言葉の意味をはかりかねたように、首を捻った。
「テミスのお姉様?」
「行けばわかりますわ」
可愛らしい仕草に、ベローナはつい子供たちへ向けるような笑顔を作る。
着いたあとのお楽しみ――などではない。
いまだここは教会の領域内だ。
必要以上の言葉を口にすることは、リスクへと繋がる。
ベローナは自分の歩幅に合わせるテミスの小刻みな足音を聞きながら、クレイドルへの道を進むのだった。
◇ ◇ ◇
――ベローナが教会に行ってきたと思ったら、なんかちっこいのを連れて帰ってきた。
他人が見れば、きっと今の自分は頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。
ベローナの話ではこの紫頭のオートマトン――テミスも上位モデルらしい。
クレイドルの中で一番背の低いティアよりも、数センチほど背が低い。
いまいち信用できないが、下位モデルよりかは柔軟な行動はできるだろう。
つまり労働力兼人質の譲渡だ。
ティアは仕方なく手を差し出して、自己紹介をしてみる。
「識別番号N-SW0268/j、個体名称【ティア】だぞ。よろしく頼むぞ」
「……」
すると、テミスはぽかんと口を開けて、こちらの顔を見つめるばかりだ。
「……? なんか反応うっすいんだぞ」
「あら? 借りてきた猫のようですわね」
「その表現は正しいのかしら……」
傍で見ているイーリスが呆れたように言う。
どちらかというとフリーズしているような様子だが、猫も環境が変わるとフリーズするのかもしれない。
ティアは猫という生き物に触れたことがない上、もう絶滅してしまったのでそれを確かめる術はないのだが。
そんなどうでもいい考えに耽っていると、テミスがフリーズから復帰した。
見る間に彼女の目の輝きが増していき――。
「お姉ちゃん!?」
「はぁぁぁぁだぞ!?」
――姉認定された。
「お姉ちゃん!? お姉ちゃんなのなの!? テミスにお姉ちゃんがいたなんて、テミスとっても嬉しいの! 」
「なんだぞコイツ! 急に家族とか運命の人とか言って、無理やり距離を詰めてくる厄介なタイプのメンヘラなのかー!?」
まくし立てるようにベラベラと喋りながら、テミスがじゃれついてくる。
会って数分で姉と呼ばれたあげく、濃厚なボディコミュニケーションに応じる義理はティアにはない。
なんとか体を引き剝がそうとするが、相手との出力が拮抗しているせいで中々脱出することができなかった。
「イーリス! 見てないでなんとかするんだぞ!」
遠慮なくテミスの顔を押しのけながら、ティアはイーリスに助けを求める。
「嫌よ。その子、たぶんあなたと同等のフレームよ。怪我したくないもの」
頼る相手を間違えたようだ。手を貸すどころか、後退りして距離を取る始末である。
素っ気ない態度のイーリスからベローナへと顔を向けると、生暖かい表情が返ってきた。
ふふふ、と含みのある笑いで何かをもったいつけたあと、口を開く。
「ティア。その子の識別番号はN-SW0269/j――個体名称【テミス】、あなたにとっても姉妹機に当たる個体ですわ」
「な、なんだってだぞー!?」
落ち着いた表情で説明するベローナは、明らかにこの状況を面白がっていた。
前々から思ってはいたが、やはりこの軍用オートマトンは腹黒である。
部下も真っ黒な衣装なのは、きっとアドニシアがそのことを見抜いていたからだろう。
たぶん。きっとそうだ。……いや、普通に戦闘用の制服が黒いからかもしれない。
「きゃはは! テミスはお姉ちゃんと一緒にいれて嬉しいなの! 来てよかったのなのなの!」
テミスはティアに抱き着きながら、飛び跳ねるように喜んでいる。
もはや抵抗するのも面倒になってきて、頬擦りされながらもティアは抗議した。
「こんな語尾がおかしいやつ、あちきの姉妹なわけがないんだぞ!?」
その言葉に、イーリスが「えっ」と声を上げる。そして、心の底から不思議そうな顔で首を捻った。
「それ、あなたが言う……? あなたも中々のもんじゃない」
「むがー! イーリスの機嫌がまだ直ってないんだぞ!」
「ティア、今のはたぶん誰でも言うと思いますわ。イーリスが言わなかったらわたくしが言っているところでしたもの」
イーリスの冷たい対応は機嫌の悪さによるものだと思っていたが、違うらしい。
それではただ自分がズレてるってことになるんだぞ……! とティアは内心焦る。
「む、むぐぐ……!」
しかし、何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこない。
そのとき――。
「違うのなの! お姉ちゃんとテミスの語尾は可愛いなの! なのね? お姉ちゃん!」
テミスがティアの首に腕を巻き付けたまま、庇うように言った。
お? と思いつつ、ティアはその意見に乗る。
「そ、そうだぞ。中々可愛いもんなんだぞ!」
「そうなのなの! テミスはお姉ちゃんとおんなじで嬉しいなの!」
そう言われて、イーリスは短くため息をついて、それ以上の追及をやめた。
テミスがティアの味方をしてくれたので、これで1対2。たとえベローナが加わったとしても対等だ。
この状況に、ティアは自分の考えを改める。
――意外と……いい子なんだぞ!?
ティアはテミスの肩を掴んで、含めるように言った。
「よし。テミス。お前はティアの妹なんだぞ。クレイドルの先輩でもある、あちきの言うことをしっかり聞くんだぞ!」
「はーい! お姉ちゃん!」
完璧だ。どうやら思いがけず有能な部下を手に入れてしまったのかもしれない。
先ほどまでじゃれつかれていたときの拒否感も吹き飛んで、ティアは目の前の同型オートマトンを『妹』と定義づけることにした。
「では、テミスをティアの統制下に加えるということでよろしいですわね?」
「それでいいわ。けれど、まだ子供たちのいる区画には入らないように。隔壁の操作権限も与えないから、基本的に区画外で活動させること。ティアはしっかりとこの子を監督するのよ」
ベローナの確認に、イーリスが補足する。
「わかったぞ!」
「わかったなの!」
その指示に、ティアとテミスは似通った声を重ねて応じた。
自分との共通点を認識し始めて、ティアは急激にこの『妹』を気に入り始めていた。
「じゃあさっそく警備範囲の確認をするんだぞ! ついてくるんだぞテミス!」
「はーい!」
自分が1段階成長したように感じて、テンションが上がる。
ティアはテミスを従えて、嬉々として廊下を走りだすのだった。
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