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第二章

30.【邂逅①】

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 クレイドルが掌握している区画の境界線、目には見えない国境ともいえるそこに、1人の女性が立っている。
 ベローナはその女性の頭部に向けて、軍用の電磁投射式のハンドガンを構えていた。
 
 引き金を引けば、たとえヘクスでの電磁シールドを展開しても防ぎ切れる保証はない。
 しかし、女性はその銃口を向けられたまま、平然と言葉を口にする。
 
「貴女のことはかねてから聞き及んでいます。ベローナ。クレイドルの守護者よ。私は教会より使者として参りました」

 丁寧な口調のその裏に、傲慢で独善的な考えが見据えて、ベローナは鼻を鳴らした。
 
「その芝居がかったセリフはなんですの? 産業革命前あたりから冷凍睡眠されていらっしゃったのかしら。先にお伝えさせて頂きますが、ご主人様の許可なくそれ以上近づくと、あなたの頭をフッ飛ばし差し上げなくてはなりませんの。どうぞそこでお話なさって?」

「……教会を束ねる司教の皆様が、クレイドルの管理者へお会いしたいとのことです」

 ベローナの挑発にも、女性は乗ってこない。使者というだけあって、淡々と伝えるべきことを伝えることに徹しているのだろう。
 
 この女性はただのスピーカーだ。
 ここで何かを判断するような権限を持ってはいない。
 
 そう判断して、ベローナは対話を続ける。
 
「あら、構いませんわ。いつ、その方々はこちらに来て頂けるんですの?」
「申し訳ございません。司教の皆様はご高齢のため、ここまでの移動は難しく……。教会の礼拝堂まで私がご案内致します」
 
 そうだろう。今までも受け入れた教徒たちからもヴィンセント神父とやらからの、「協力したい」「いつか話をしたい」という抽象的なメッセージしか受け取っていない。
 司教の名が出たということは、ここにきてやっと教会としての意志を出してきたというわけだ。
 
 おいそれと姿を現すような連中ではないことは予想がついている。
 
「残念ですわ。ご主人様はクレイドルの領域外にはお出かけになりませんの。どうしてもと仰るのなら、わたくしが代理で参りますわ」
「司教の皆様は管理者との直接の面会を希望しております」

 以前より決定していた言葉を返すも、女性の答えは相容れないものだった。
 
 とはいえ、こちらも譲歩する気はない。
 どんなに厳重な護衛をつけたとしても、アドニシアをクレイドルの外へ出すわけにはいかない。
 その方針は決して揺るがないものだ。
 
「2つに1つですわ。わたくしを通すか、諦めるか。ああ……もう1つ案が浮かびましたわ。貴方がたの区画の管理権限をご主人様に譲渡頂ければ、クレイドルの外ではなくなりませんわね。いかがですの?」

 間があった。

 クレイドルとしてはどちらでも良い。自分が単身、教会に向かって、そこで対話をすること自体には前向きだ。
 たとえそれが罠で、自分の身に何かがあったとしても、残った【ストリクス】が教会を攻撃する。
 
 むしろ、ベローナは内心、それを望んでいる節があった。
 
 最初から教会に期待などしていない。
 サイモンとの件もあり、下手に守りに回って戦力を減耗させられるよりも、一気にカタを付けてヘクス原体を奪ってしまう方が得策だとも考えていた。
 
 女性が、恭しく腰を追って一歩下がる。
 
「……出直すとしましょう。明日、また同じ時間にここへ参ります」
「ええ。一応、わたくしもおめかしをしてお待ちしておりますわ」

 やはりこうなった。
 こんな場所でとんとん拍子で話が進むなどありえない。
 3か月もかけてこちらに教徒を送り込んでおいて、それをこの場でぶち壊しにするようなことはしないだろう。
 
 女性は踵を返して元の廊下を歩き去る。
 
「――人形風情が」

 去り際に女性が呟いた一言を、ベローナはしっかりと耳にしていた。
 視覚から始まり、聴覚、嗅覚、味覚、動体センサーに多次元変動波まで、あらゆる知覚で人間を上回るベローナが、多少離れた程度の小声を聞き逃すはずがない。
 
 その言葉に、ベローナは逆に安心するのだ。

 それが彼女たちの本音であると、確信できたのだから。
 

 ◇   ◇   ◇


 アドニシアをクレイドルの外へは出さない。
 それは体制を変更した際に決めたことであり、先ほどの使者とやらに伝えたことはクレイドルの方針となんら相違しない。

 とは言ったものの、実のところは「出さない」のではなく、「出せない」のだ。
 彼女は嘔吐したその日の昼前――レインたちとの会話のあと、自室に籠もって出てこなくなってしまった。
 
 原因は十中八九、精神的なものだろう。
 
 何人かの教徒が、青い顔で廊下を走るアドニシアを目撃している。
 直前まで会話をしていたレインたちも不審な点を感じたらしいが、その会話から原因は読み取れない。
 だが、そのときに彼女の中で何かが起こったことは確実だ。
 
 メインルームへの帰り際、受け入れた教徒の1人にベローナは声を掛けられる。
 
「ベローナ様! 聖女様はどうなされたのですか? もう何日もお顔を拝見できていないのですが……」

 熱心そうに手を合わせたまま尋ねられて、ベローナは目を細めた。
 オートマトンである自分にすら「様」をつけて、姿勢を低くしているところを見ると、自分もその信仰とやらの一部に含まれていることが読み取れたからだ。
 
 だが、それを邪険に扱うのも彼らの心を傷つけることになる。
 
「聖女、というのは正確でありませんわね。ご主人様はそういった宗教的地位を認めておりません。――……ご主人様は子供たちへの対応に追われ、お疲れのなのですわ。むしろ、今まで精力的に動いていた分、反動が来ているのかもしれませんわね」
「そ、そうなのですか。いつも陽の光のような聖――アドニシア様が急にいらっしゃらなくなって、不安に思う者もおりまして……皆にそう伝えておきます」

 やんわりと訂正してみたが、彼の固く握った手が解けることはない。
 アドニシアの行動は幸か不幸か、彼らの信仰心を揺さぶるものがあったようだ。

 彼らの声に妥協することなく耳を傾け、子供たちの様子を伝え、何かあれば相談を持ち掛ける姿をベローナは幾度も見ている。
 その様子は、劣悪な環境にあった彼らの目には慈悲深いものとして映り、己を必要な存在と認めてくれる拠り所として強く印象づけられたのだろう。
 
 彼らの中には【聖女】という呼び名に反対する者もいるが、その理由もまばらだ。
 
 レインの言う通り、本人が認めていないのだから、そのように身分を表す呼称を他人が押し付けるべきではないという意見と、司教たちが認めていないにも関わらず【聖女】という呼び名を使うべきではないという意見。

 似ているようで、その本質はまったく違う。

 前者はアドニシアの尊厳を守るためで、後者は教会の尊厳を保つためだ。

 表立って問題は起きていないものの、このクレイドル内でも宗教的な対立の火種が燻っている。
 それをベローナを始めとした管理する側だけでなく、レインなどクレイドルで生活するうちに俯瞰的な視点を持てるようになった人々までもが危惧していた。
 
 人の考えとはそう簡単には変えられない。無理に変えようとすれば、必ず内に秘めた獣性が顔を覗かせる。

 だから、ベローナはこの場ではにこやかに返事を返した。
 
「お願い致しますわ」
「はい……。聖女様のご回復を心から祈っております」

 そう言って、教徒は廊下を引き返す。

 ――祈り、ですの。

 教徒の言葉を頭の中で反芻しながら、ベローナは1つの事実を思い返した。

 彼らがクレイドルで生活し始めて、当然ながら消費されるエネルギーは増える一方だ。
 イーリスが当初目算していた消費量をすでに上回っている。

 だが、このクレイドルは現在も生活水準を落とすことなく運営を続けられている。
 それは単純な理由だ。

 メインルームで今も煌々と光を放つヘクス原体――それが生み出すエネルギーが、消費エネルギーを超える勢いで増大し続けている。
 理由はわからない。

 ここ3か月の変化といえば、様々なことが起こっているからだ。

 人口の増加、信仰という考えを持つ人間の加入、クレイドルの領域の拡大、サイモンとの戦闘により発生した一時的なエネルギー消費、それと――管理者であるアドニシアの変化か。
 
 ヘクス原体は不明な点が多い。それを解決する前に、人類は滅びてしまったから。
 だが同時に、これまでに上げた全ての要因が関連している可能性もある。

 人間とヘクス原体は、そもそも結びついて生まれてくるからだ。
 
 あれが単純なエネルギー源でないということ自体は、今はもうこの世にいない全ての科学者が予測していたことだろう。
 
 人によってヘクスが生まれたのではない。
 ヘクスによって人が生まれたわけではない。

 ニワトリと卵の因果性の話と似たような話を論ずるデータを、ベローナは目にしたことがある。
 
 結局、それは事実という形で、論ずるまでもなく決着をつけられていたはずだ。
 ヘクスは当然、マザーコアに起因するものだが、ヘクス自体はマザーコアから生み出されるものではない。
 
 つまり、ヘクスと人間はどちらが先などではなく、共に生まれたのだ。
 それがその時代になって可視化されただけのこと。
 
 我々が空気という存在を認識するまで、長い時間をかけてきたことと同じように。
 
 人類が滅亡したこの世界になって、初めてわかることもあるのかもしれない。
 けれど、しょせん自分たちは利用するだけの存在だ。
 
 いつかそれを読み解くのは、子供たちの時代か、それともその先にあるかもしれない果てしない未来の時代か。
 
 ベローナはそんな風にことを考えつつ、メインルームへと戻るのだった。
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