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第二章

29.【慟哭⑫】

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「アドニシア様、おはようございます」
「おはようございまーす!」
「ああ、アドニシア様! 朝早くから来てくださって……。おはようございます」
「おはようございます!」

 私が部屋に入ると、すでに活動を始めていた人々から挨拶をされる。
 
 受け入れを始めてから3か月の間に、教会から来た人たちはなぜか私のことを「様」付けで呼ぶようになっていた。
 元々はそんな呼び方されていなかったと思うのだが、触れ合ううちに彼らの中でそう私を呼称する風潮が広まっていたのだ。
 
 きっと教会での慣例とかがあるのかもしれない。

「アドニシア、おはよう。……なんだか調子悪そうよ?」
「え、そうかなぁ。気のせいですよ~、レインさん」

 この部屋ではレインさんたちも、あとから来た人々と生活している。
 懸念していた彼女たちへの排斥行為も今のところは起こっていない。
 そういったことを行わない人選を慎重に見定め、最終的にレインさん自身の意見を持って部屋を同じにした結果だ。

「そうだよレイン。今日も【聖女様】はお美しいじゃないか」

 部屋の奥から、冗談めかした口調でジャスパーさんが声をかけてきた。
 その言葉にレインさんは顔をしかめる。

「ちょっとジャスパー。その呼び方やめなさいよ」
「奥さんの前で他の女性を褒めるの、良くないですよ」

「ははは、朝から総スカンを食らってしまった」
 
 2人でその発言を咎めると、彼は顔に手を当てて半笑いで気まずそうな表情をした。
 
 最近では、私への「様」付けの他に【聖女様】と呼ぶ人たちもいる。
 どうやら私がこうして毎日、保護した人々に声をかけているところを見て献身の心を感じた、とかそんな理由で言い始めたらしい。
 
 誰が発端かはわからないが、正直あまり嬉しくない。
 私は他人から崇められたくてやっているわけじゃないし、勝手に宗教的な役割を押し付けられているようで気味が悪いのだ。
 
 それは教会を嫌っているジャスパーさんだってわかっているだろうに。

「ごめんなさい、アドニシア……。あれは教会への当てつけなのよ」
「当てつけ? なんでですか?」

 私が首を傾げると、レインさんはため息をついて教えてくれる。
 
「【聖女様】ってもちろん聖人のような女性のことを指すけれど、神様の啓示を受けた女性って意味もあるの」
「そんな電波受信してないですよ?」
「わかってるわ。そうじゃなくて……今の教会でそれと同じ立ち位置にいるのは司教たちだから、彼らの存在意義を否定したいのよ。こっちにも【聖女様】がいるんだぞって」
「あぁ~……」

 なるほど。ジャスパーさんのあれは、信仰から来るものではなくて、教会への敵意から来るものだったわけか。
 
 けれど、私を【聖女様】って呼ぶ人の大半は司教の存在意義うんぬんは考えていなさそうだった。
 どちらかというとクレイドルの中での信仰の対象として私を選んで、あとから耳当たりのいい呼び名だからと言い始めたように感じた。
 
 ジャスパーさん的には、司教たちに都合の悪そうな呼び名が勝手に流布されているのだから、便乗したくなる気持ちもわかる。

「彼的にはちょっとした冗談だから、許してあげて」
「気にしてませんよ~」

 私が笑顔を返すと、レインさんは申し訳なさそうに顔を歪めた。
 そして、何かを思い出したようにはっとする。
 
「あ、そういえばこの間、撮ったスナップショットの画像はあるかしら? ウィーラーが印刷機を修理したみたいだから、ちょっと使ってみたくて」

 それなら知っている。私も一昨日、さっそく子供たちの写真をプリントしてみたから。

 画像や動画などはデータでの受け渡しが基本で、専用の機械を使えばホログラム表示だってできるこの未来。
 けれど、書類や写真などの需要が全くないわけじゃなかった。

 きっとレインさんも同じように写真を飾りたいのだろう。
 
「いいですよ~。えっと――……」

 私は電脳端末に保存してある画像を探そうとして、息を止めた。
 画像一覧を端末ウィンドウに表示させた瞬間、強烈な違和感を感じたからだ。

 明らかにおかしい。はっきりと見たわけでもないのに、その中の1枚でも表示してはいけないと直感する。
 
「どうしたの?」
「あ、あはは、ちょっとデータ、消しちゃったみたいで。め、メインルームには保存してあると思うから、今度渡しますね!」
「え、ええ。それは構わないけれど……アドニシア?」

 不思議そうに顔を覗き込んでくるレインさんを誤魔化して、私はこめかみに当てていた指の震えを必死で抑えた。
 
「失礼します!」

 呆気にとられるレインさんの顔から視線を引きはがして、私は部屋の外へと急ぐ。
 廊下では何人かの教徒さんとすれ違ったが、挨拶をする余裕はない。
 
 一緒にいたはずの【コーネリアス】たちも置いてけぼりにし、私は自分の部屋へと逃げるように駆け込んだ。

 ドアも内側からロックして、暗いままの部屋でベッドに座り込む。
 その頃には震えは指だけでなく全身に回っていて、私は自分の体を必死で抱きしめた。

 怖い。けれど、確かめなければこの恐怖はいつまでも収まらないだろう。
 
 私は意を決して電脳端末を起動する。
 
 普段から私は、画像や動画などのデータは保存以外に手を加えたりはしない。
 編集したり、何かを書き込んだりという機能もあるらしいが、使い方を知らないのだ。

 だから、私の頭に入り込めでもしなければ、ことなどありえない。

 私は、画像を開いた。先日、レインたちを撮った写真の1枚。

「ひっ……!?」
 
 思わず私は短い悲鳴を上げる。
 
 そこにあったのは――穴だ。

 写っている全員の顔の部分だけが、ぽっかりと抜けている。黒塗りでもデータの破損でもなく、そこだけ情報が存在しないかのように、空白となっていた。

 他の写真も同様だ。
 受け入れた人々を撮った写真は1つ残らず顔を消されている。
 
「なに、これ。なにぃ……これぇ……!?」

 他の画像を次々と見ても、例外なのはオートマトンと子供たちの顔だけだ。
 しかし、1枚だけ大人の女性の顔が残っている画像を見つけて、私は電脳端末の操作を止めた。

 そこに写っているのは、子供たちに囲まれる赤い髪の女の人だった。
 彼女の顔は消されずに、わざとらしい笑みを子供に向けているのがわかる。けれど――。

「こんな人、いたっけ……?」

 私は動揺していた。

 教会から受け入れた人たちは子供たちに会うことはできない。
 そう決めたはずなのに、この人はなぜここにいるんだろう?

 それに、やけに子供たちも懐いている。
 初めて会ったオートマトンには必ず距離を取る性格のコーディですら、膝の上に座って楽しそうにしていた。

「え、だれ? え?」

 そんな人がいるなら、私が知らないはずない。
 
 この写真なに……?
 この人は誰……?
 どうしてこの人の顔は大丈夫なの……?

 恐怖と疑問が苦痛へと変わり、私の胸を突き刺してくる。
 私は痛みに耐えるように、両手で顔を覆って体を丸めた。

 そこで、気づいた。

 手のひらに乗る自分の髪――それは血のように真っ赤で、人ではないのが一目でわかる。
 それを触る細い指――白い皮膚の下に血管が見えなくて、まるでお人形のようだ。
 無意識に手を当てた胸――子供たちを抱いたときとは違い、そこに湿っぽい暖かさはなく、生物らしい内臓の動きは感じられない。
 
 これが、私。
 自分を人間だと言いながら動き回る、機械で出来た人の形をしたもの。

 そうだ。
 
 
 
 この写真に写っている女の人は私だった。
 
 【私】ってこんな顔をしてたんだ。
 【私】ってどんな顔をしてたんだろう?
 【私】ってこういう人だったんだ。
 【私】ってどういう人だったんだろう?

 人? 人……。人! ヒト? ヒト……。ヒト! ひとだった? ひとじゃなかった? ひとかもしれない……。ひとじゃないかもしれない……。わたしはひと! ひとだった! ほんとうにそんなひといた? ほんとうはいないんじゃない? 【ワタシ】ってなに? ワタシはあどにしあ。あどにしあなんてひとここにはいない。いない。いない。いなかった。そのまえも。いまも。どこにも。そんなひといない。いない。いたい。いないいない。いたいないいたい――――――。

 ――――――。

 ――――。

 ――。

 ――取り返せ。

 僕のヘクスを、取り返せ。
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