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第二章
22.【慟哭⑤】
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「みぎてはちょきで~♪ ひだりてもちょきで~♪ かーにーさーん♪ かーにーさーん♪」
メインルームの一画で、アドニシアのハキハキとした歌声が響く。
人差し指と中指を両手で立てて甲殻類の模倣をする彼女前には、4人の子供たちが座っていた。
たどたどしく母親と同じポーズをとって共に歌う姿に、イーリスは頬を緩ませる。
その後ろには同じくアドニシアの真似をしている【コーネリアス】たちがいた。
こちらには子供たちとは違ったたどたどしさがある。指はビシっと立て、歌声も棒読みだ。左右に体を揺らして楽しさを表現しているアドニシアとは対照的に、本物のカニが列をなしているかのような滑らかさのない機械的な動きだ。
それも仕方がない、とイーリスは思う。まだ【コーネリアス】の結成から1週間――彼女たちもある意味では生後1週間だ。
保育をするために作られたわけでもない彼女たちが、それを習得するにはまだまだ時間がかかる。
皆、変わることを始めたとはいえ、結果が出るのはこれからだ。
それは自分も同じで、イーリスは座っている椅子をくるりと回転させてコンソールに向き直る。
そして、そこに手を当ててシステムに接続する。
ここではクレイドル内のほぼ全ての情報にアクセス可能だ。この部屋にある補助CPUの力も借りれば、イーリスはクレイドルの外にもその知覚域を広げることができた。
広大な船内にある物資や施設にアクセスし、それが何なのか、使用できる状態なのか、回収できるものなのかを調査する。そして、ロックがかかっていればハッキングをかけ解除し、【ポーターズ】を派遣して回収させる。
効率よく物資を収集するには、この方法が最も有効だった。
並行して、ポーターズにマッピングとシステムの掌握をさせておけばクレイドルの領域――つまりアドニシアが管理者として権限を行使できる範囲を広げることができる。
船内には保管状態のオートマトンも少なくなく、領域を広げたとしても同時に人員が増えれば管理も問題ない。
そうしてクレイドルを発展させることが、ゆくゆくの未来の支えになるのだ。
そこで早速、【ポーターズ】から非音声での通知が入る。
どうやら予定通り食糧を発見したらしい。
帰投ルートを指示して、回収を指示すると――別の【ポーターズ】から通知が入った。
今度は音声での通信の要請だ。
通信を許可すると、ノイズ混じりの声が電脳に直接響く。
『イーリス様、外部の人間と接触致しました。2名です。非武装であることを確認しています』
「そう。いつも通り刺激しないように追い返して」
『いえ、それが……』
通信の向こう側で言い淀む気配。彼女の名前は【アヤメ】だ。比較的、性能が高いので単独で探索させていた個体だ。
接触した人間と会話をしているのだろうと察し、言葉を待つ。
『イーリス様』
「聞いてるわ」
もう一度名前を呼ばれて、イーリスは続きを促した。こうした人間臭い会話の仕方は【アヤメ】の個性でもある。
非音声の通信と比べて情報伝達の効率が落ちるものの、向こう側の感情的な状況が読みやすい利点もあった。
『保護を求めています。自分たちは教会から来たと言っています』
「え? 保護?」
思わずイーリスは聞き返す。
『はい。こちらが襲撃を受けたことも知っているようです。両名とも元はエンジニアらしく、プロジェクトが再開したのであれば協力をしたいとも言っています』
「タイミング的にあやしいわね」
『同感です。拒否しますか?』
まず、教会という組織について、イーリスは良い評価を持っていない。
それは、ひと月前に保護したレインとジャスパーが逃げおおせてきた組織だからだ。彼らは神への信仰を試される厳しい生活環境に嫌気が差し、教会から離れたと聞いている。その際、不道徳な者として追われる身となっていた。
教えに背く人間に対し、攻撃性の持った組織であることは確実だ。
だが、【アヤメ】に接触した2名が、その種の人間であるとは限らない。
イーリスは額に手を当てて考える。
以前のクレイドルであれば即座に切り捨てただろう。だが、状況が変わってきていた。
イーリスとしては一度、レインとジャスパーを保護してしまった時点で矛盾する行為はしたくない。同時に、保護を求める人間が加速度的に増えてしまっては対応できないのも事実だ。
イーリスはしばらく額に手を当てて考え、やがて一つの決断をする。
「……近くにいる【ラムネ】を向かわせるわ。しばらく待ってもらうように言って、そのまま監視。危険を感じたら武器の使用も認めます」
『了解致しました』
イーリスはコンソールから手を離して、席を立った。
そして、手遊びを続けていたアドニシアに近づいて声をかける。
「みぎてはパーで~♪ ひだりてもパーで~♪ ……なんだっけこれ? はくしゅ? 拍手しよっか! ぱちぱちー!」
「あなた、ごめんなさい。少しいい?」
「んぇ?」
ごまかした結果、謎の喝采に包まれるアドニシアが顔を上げた。
――イーリスは、レインとジャスパーを保護していることをアドニシアに伝えていない。
オートマトンにあるまじき独断だと、自身でも思う。それを今まで隠していたことも、主人を裏切る行為であるとの認識もしている。
だが、クレイドルプロジェクトの進行に、いずれは人間という要素が必要であると感じていた。だからこそ、イーリスは自分の独断を許していた。
それもここまでだ。
ここからは管理者であるアドニシアに打ち明け、その判断を仰ぐ必要がある。彼女の考え次第では、イーリスは罰を受けることも覚悟していた。
手をお腹の前で合わせ、真っ直ぐにアドニシアを見つめて言う。
「隠していたことがあるの」
アドニシアは拍手の手を止めた状態で、不思議そうに首を傾げるのだった。
◇ ◇ ◇
「そっか。いいよ~。受け入れよ」
別室で寄りかかる形のベンチに腰を下ろしたアドニシアは、そう言った。
難しい顔ひとつせず、それが当たり前かのような軽い調子で返答され、イーリスは困惑する。
「い、いいの?」
温厚な主人とはいえ、不信感のひとつは抱かれると思っていたのだ。それが了承の意だけに終わった。保護に関しても即断されれば戸惑いもする。
「この間の襲ってきた人たちとは無関係なんだよね? もう保護しちゃった人も、待たせてる人も」
「レインとジャスパーに関しては断言できるわ。保護中の行動も問題はなかった。けれど、今、願い出てきてる2人はわからないわ……」
「そりゃそっか。――でもいいよ。子供たちに危険が及ばないように、注意してね」
言い終えて、アドニシアはニコっと笑った。
保護するという決定に、異議はない。けれど、自分の独断に関して軽い言及だけで済まされたことが、イーリスは落ち着かない。
イーリスはその気持ちをどうすればいいのかわからず、ふらふらと視線を落としたままアドニシアに近づく。
そして、その服を掴んで、引っ張った。何も求めているか、自分でもわからない。
コツン、と衝撃を感じた。見れば、アドニシアは微笑んだまま額同士をくっつけている。
「イーリスがそうしたほうがいいって思ったんでしょ?」
「そう。けど私、あなたに隠し事してて……」
消え入るような声で言うと、アドニシアに頭を掴まれた。そうしてグリグリと額を押し付けられ、しばらく互いの吐息を感じる距離で触れ合う。
「イーリス、今、怒られたいんでしょ~?」
「怒られたい?」
「そういう顔してる」
そうか、とイーリスはハッとした。
自分は怒られたかったのだ。自分の行動の後ろめたさを打ち消すために、彼女の気を引きたかったのだ。自分のために悩んでくれる存在を、そこに確認したかったのだ。
なんというエゴだろう。
イーリスは己を恥じて体を離そうとしたが、アドニシアに頭を掴まれたままだ。
抵抗してみると、額どころか顔をこすりつけられて、さらに激しくじゃれつかれる。
「むぐっ。あ、あなた、離して……」
「こら~、勝手なことして~! 許さないぞ~!」
そう笑いながら顔をめちゃくちゃにされ、イーリスは途中から抵抗を諦めた。
ムキになって突き飛ばしなどしてしまったら、それこそ嫌われてしまう。
しばらくそうしていて、やがてぎゅっと抱きしめた形で止まる。
彼女の赤い髪の香りが愛おしい。この香りが自分は好きだ。
深く息を吸い込むと、胸が暖かいものに満たされるのがわかった。
イーリスはため息をついて、自嘲気味に声を漏らす。
「わたしもティアのこと、子供だなんて言えないわね」
「イーリスたちが甘えてくれないと、私が甘えられないよ」
いつも彼女は理由をくれる。理屈で動く自分に言い訳を与えてくれるのだ。
その度にイーリスの心は和らいで、次に進むことができる。
いつまでもアドニシアをここに拘束するわけにはいかない。自分にもなさなければならない仕事がある。
しかし、髪を撫でるその手が止まるまで、イーリスはもう少しこのままでいたいと願うのだった。
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メインルームの一画で、アドニシアのハキハキとした歌声が響く。
人差し指と中指を両手で立てて甲殻類の模倣をする彼女前には、4人の子供たちが座っていた。
たどたどしく母親と同じポーズをとって共に歌う姿に、イーリスは頬を緩ませる。
その後ろには同じくアドニシアの真似をしている【コーネリアス】たちがいた。
こちらには子供たちとは違ったたどたどしさがある。指はビシっと立て、歌声も棒読みだ。左右に体を揺らして楽しさを表現しているアドニシアとは対照的に、本物のカニが列をなしているかのような滑らかさのない機械的な動きだ。
それも仕方がない、とイーリスは思う。まだ【コーネリアス】の結成から1週間――彼女たちもある意味では生後1週間だ。
保育をするために作られたわけでもない彼女たちが、それを習得するにはまだまだ時間がかかる。
皆、変わることを始めたとはいえ、結果が出るのはこれからだ。
それは自分も同じで、イーリスは座っている椅子をくるりと回転させてコンソールに向き直る。
そして、そこに手を当ててシステムに接続する。
ここではクレイドル内のほぼ全ての情報にアクセス可能だ。この部屋にある補助CPUの力も借りれば、イーリスはクレイドルの外にもその知覚域を広げることができた。
広大な船内にある物資や施設にアクセスし、それが何なのか、使用できる状態なのか、回収できるものなのかを調査する。そして、ロックがかかっていればハッキングをかけ解除し、【ポーターズ】を派遣して回収させる。
効率よく物資を収集するには、この方法が最も有効だった。
並行して、ポーターズにマッピングとシステムの掌握をさせておけばクレイドルの領域――つまりアドニシアが管理者として権限を行使できる範囲を広げることができる。
船内には保管状態のオートマトンも少なくなく、領域を広げたとしても同時に人員が増えれば管理も問題ない。
そうしてクレイドルを発展させることが、ゆくゆくの未来の支えになるのだ。
そこで早速、【ポーターズ】から非音声での通知が入る。
どうやら予定通り食糧を発見したらしい。
帰投ルートを指示して、回収を指示すると――別の【ポーターズ】から通知が入った。
今度は音声での通信の要請だ。
通信を許可すると、ノイズ混じりの声が電脳に直接響く。
『イーリス様、外部の人間と接触致しました。2名です。非武装であることを確認しています』
「そう。いつも通り刺激しないように追い返して」
『いえ、それが……』
通信の向こう側で言い淀む気配。彼女の名前は【アヤメ】だ。比較的、性能が高いので単独で探索させていた個体だ。
接触した人間と会話をしているのだろうと察し、言葉を待つ。
『イーリス様』
「聞いてるわ」
もう一度名前を呼ばれて、イーリスは続きを促した。こうした人間臭い会話の仕方は【アヤメ】の個性でもある。
非音声の通信と比べて情報伝達の効率が落ちるものの、向こう側の感情的な状況が読みやすい利点もあった。
『保護を求めています。自分たちは教会から来たと言っています』
「え? 保護?」
思わずイーリスは聞き返す。
『はい。こちらが襲撃を受けたことも知っているようです。両名とも元はエンジニアらしく、プロジェクトが再開したのであれば協力をしたいとも言っています』
「タイミング的にあやしいわね」
『同感です。拒否しますか?』
まず、教会という組織について、イーリスは良い評価を持っていない。
それは、ひと月前に保護したレインとジャスパーが逃げおおせてきた組織だからだ。彼らは神への信仰を試される厳しい生活環境に嫌気が差し、教会から離れたと聞いている。その際、不道徳な者として追われる身となっていた。
教えに背く人間に対し、攻撃性の持った組織であることは確実だ。
だが、【アヤメ】に接触した2名が、その種の人間であるとは限らない。
イーリスは額に手を当てて考える。
以前のクレイドルであれば即座に切り捨てただろう。だが、状況が変わってきていた。
イーリスとしては一度、レインとジャスパーを保護してしまった時点で矛盾する行為はしたくない。同時に、保護を求める人間が加速度的に増えてしまっては対応できないのも事実だ。
イーリスはしばらく額に手を当てて考え、やがて一つの決断をする。
「……近くにいる【ラムネ】を向かわせるわ。しばらく待ってもらうように言って、そのまま監視。危険を感じたら武器の使用も認めます」
『了解致しました』
イーリスはコンソールから手を離して、席を立った。
そして、手遊びを続けていたアドニシアに近づいて声をかける。
「みぎてはパーで~♪ ひだりてもパーで~♪ ……なんだっけこれ? はくしゅ? 拍手しよっか! ぱちぱちー!」
「あなた、ごめんなさい。少しいい?」
「んぇ?」
ごまかした結果、謎の喝采に包まれるアドニシアが顔を上げた。
――イーリスは、レインとジャスパーを保護していることをアドニシアに伝えていない。
オートマトンにあるまじき独断だと、自身でも思う。それを今まで隠していたことも、主人を裏切る行為であるとの認識もしている。
だが、クレイドルプロジェクトの進行に、いずれは人間という要素が必要であると感じていた。だからこそ、イーリスは自分の独断を許していた。
それもここまでだ。
ここからは管理者であるアドニシアに打ち明け、その判断を仰ぐ必要がある。彼女の考え次第では、イーリスは罰を受けることも覚悟していた。
手をお腹の前で合わせ、真っ直ぐにアドニシアを見つめて言う。
「隠していたことがあるの」
アドニシアは拍手の手を止めた状態で、不思議そうに首を傾げるのだった。
◇ ◇ ◇
「そっか。いいよ~。受け入れよ」
別室で寄りかかる形のベンチに腰を下ろしたアドニシアは、そう言った。
難しい顔ひとつせず、それが当たり前かのような軽い調子で返答され、イーリスは困惑する。
「い、いいの?」
温厚な主人とはいえ、不信感のひとつは抱かれると思っていたのだ。それが了承の意だけに終わった。保護に関しても即断されれば戸惑いもする。
「この間の襲ってきた人たちとは無関係なんだよね? もう保護しちゃった人も、待たせてる人も」
「レインとジャスパーに関しては断言できるわ。保護中の行動も問題はなかった。けれど、今、願い出てきてる2人はわからないわ……」
「そりゃそっか。――でもいいよ。子供たちに危険が及ばないように、注意してね」
言い終えて、アドニシアはニコっと笑った。
保護するという決定に、異議はない。けれど、自分の独断に関して軽い言及だけで済まされたことが、イーリスは落ち着かない。
イーリスはその気持ちをどうすればいいのかわからず、ふらふらと視線を落としたままアドニシアに近づく。
そして、その服を掴んで、引っ張った。何も求めているか、自分でもわからない。
コツン、と衝撃を感じた。見れば、アドニシアは微笑んだまま額同士をくっつけている。
「イーリスがそうしたほうがいいって思ったんでしょ?」
「そう。けど私、あなたに隠し事してて……」
消え入るような声で言うと、アドニシアに頭を掴まれた。そうしてグリグリと額を押し付けられ、しばらく互いの吐息を感じる距離で触れ合う。
「イーリス、今、怒られたいんでしょ~?」
「怒られたい?」
「そういう顔してる」
そうか、とイーリスはハッとした。
自分は怒られたかったのだ。自分の行動の後ろめたさを打ち消すために、彼女の気を引きたかったのだ。自分のために悩んでくれる存在を、そこに確認したかったのだ。
なんというエゴだろう。
イーリスは己を恥じて体を離そうとしたが、アドニシアに頭を掴まれたままだ。
抵抗してみると、額どころか顔をこすりつけられて、さらに激しくじゃれつかれる。
「むぐっ。あ、あなた、離して……」
「こら~、勝手なことして~! 許さないぞ~!」
そう笑いながら顔をめちゃくちゃにされ、イーリスは途中から抵抗を諦めた。
ムキになって突き飛ばしなどしてしまったら、それこそ嫌われてしまう。
しばらくそうしていて、やがてぎゅっと抱きしめた形で止まる。
彼女の赤い髪の香りが愛おしい。この香りが自分は好きだ。
深く息を吸い込むと、胸が暖かいものに満たされるのがわかった。
イーリスはため息をついて、自嘲気味に声を漏らす。
「わたしもティアのこと、子供だなんて言えないわね」
「イーリスたちが甘えてくれないと、私が甘えられないよ」
いつも彼女は理由をくれる。理屈で動く自分に言い訳を与えてくれるのだ。
その度にイーリスの心は和らいで、次に進むことができる。
いつまでもアドニシアをここに拘束するわけにはいかない。自分にもなさなければならない仕事がある。
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