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第1章

第4話 とろけるような口づけ

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 一番騎を駆るゴーレム隊の隊長――ガヴィーノ・ヴァン・オリオールは、衝撃に打ち付けた頭を振ってなんとか意識を保つ。
 額にはぬるりとした生暖かい感触がするが、構ってはいられない。
 
 目前には角を生やした闘牛のような魔獣が迫っていたからだ。
 ゴーレムの左腕はもう使い物にならない。
 夜の暗さに不意を突かれ、反射的に盾で受け止めたものの、腕は衝撃に耐えられなかった。
 
 なんとか右手に持った剣を杖代わりに立ち上がろうとするが、現状の膝立ちの姿勢を保つことも困難な状態だ。
 
 そうして、もがく一番騎に気づいた魔獣が、こちらに頭を向ける。
 鋼鉄の塊で出来たゴーレムを吹き飛ばす突撃だ。それをもう一度食らえば、いくら装甲に守られているとはいえ、潰れることは必至だろう。
 
 ――これまでか。
 
 ガヴィーノは剣を真っ直ぐに構えて待ち受ける。
 ただで死ぬわけにはいかない。せめて一太刀。いや、かすり傷の一つでもつけられればそれでいい。
 魔獣が硬い工房の床を蹴り砕いて突っ込んでくる。
 そうして、ガヴィーノが死を覚悟した、その時。
 
『えいっ』
 
 気の抜けるような声と共に、魔獣の横っ面に美しい脚線美が突き刺さった。
 歯か何かが砕ける音がして、魔獣は雄たけびを上げて横倒れになる。
 
 気づけば、ガヴィーノの乗る一番騎の傍らに立つ影があった。
 
「まさか……【ペルラネラ】!?」
 
 そこにあったのはスカートのような装甲を翻した巨大な美少女だった。
 先日、発掘されたばかりで工房の奥に立っているだけだったドール。
 
 まだ騎士が決まっていないはずのそれが、魔獣を蹴り飛ばしたのだ。
 
「誰が乗っている!?」
 
 ガヴィーノは自分の死の危機すら忘れて、拡声器を通してそう叫ぶのだった。


 ◇   ◇   ◇
 
 
「あ~……これは答えない方が良いですわね」

 そうでしょうね!?
 俺は【情報解析アナザイザー】で認識できる騎体の情報を読み解くのに必死で、のほほんと言うセレスに答えることができない。
 
 すると彼女は「ううーん」と唸り、こちらに顔を向けてくる。
 
「それよりも、今私は殴りかかろうと思ったのですが、なぜ蹴りになったのでしょう?」
「調整もなにもしていないからだ! 【ペルラネラ】がお前の思考を正しく読み取っていない! ぶっつけ本番で戦えるわけないだろ!?」
「まぁまぁ、落ち着いてください。ちょっと慣れればきっと……あら? あらあら?」
「うおっ!? お、おいいぃぃぃ!」
 
 セレスがなにやら適当にレバーやフットペダルを動かすと、それに追従して【ペルラネラ】の四肢が動く。
 だが、傍目から見れば奇怪な踊りを踊っているようで、しかも危うく転倒しそうになる始末だ。
 それを見た一番騎の騎士からも、『な、なにをやっているんだ……?』などと困惑の声が聞こえてくる。

 慣れとかそんなんじゃない!

 そもそも土の中から発掘しただけの古代兵器を、いきなり使うというのが無茶苦茶なのだ。
 俺は頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、【情報解析】で把握できる最低限の調整を行う。
 
「ふふっ、だいたいわかりましたわ。――うっ?」
「ぐあっ!?」
 
 キーを指で叩いていた俺は、急に頭の中に流れ込んできた何かに声を上げた。
 それはセレスも同じらしく、手で頭を抑えている。
 
 これは――衝動?

 目の前の敵に対して、どう殺せばいいのか。どう敵を攻撃し、どう敵を躱せばいいのか。
 戦闘本能ともいうべき冷たい思考が俺の頭にじわりと浸透してきていた。
 
「これは、お前の思考……【天武】の祝福か!?」
「そのようですわ。こんなにも多くの情報を日常的に受けとめているなんて、さすがですわね。グレン」
 
 どうやらセレスには俺の思考が流れ込んでいるらしい。
 彼女はシートに座ったまま首を回すと、一つ息を吐く。
 そして、俺とセレスは左手に握ったレバーを押した。
 
「んなっ!?」
 
 今のは俺の意志じゃない!
 自分とは違う、別の思考に引っ張られるように動く体に、俺は驚愕の声を上げる。
 
 これはセレスと心が一体化しているのせいか……!
 
 見た目とは裏腹に機敏に動く騎体の慣性に耐えながら、俺は他人に心を侵食されるような感覚に嫌悪感を抱いた。
 だが構わず【ペルラネラ】は横倒しになった魔獣の角を引っ掴む。
 
「ここでは戦いにくいですわね」
 
 そして、その細腕からは想像もできない力で、【ペルラネラ】は魔獣を工房の外へと放り投げた。
 派手な音を立てて地面を削りながら、魔獣の巨体が転がる。
 
 ――武器はないか。素手で殺すなら首の骨か、心臓か、それとも目を狙うか。
 
 セレスの冷徹な思考に耐えながら、俺はコンソールを叩いて各部の武装を確認した。
 武器は……ある! ドレスの袖に隠された刺突用の細剣。【バイタルディテクター】と称されたそれを、俺は確認する。
 
「いいものがあるではないですか! ですが……!」
 
 それだけで、セレスは理解したのだろう。
 工房の外へと飛び出した【ペルラネラ】は、放り投げから立ち直った魔獣に掴みかかった。
 左右に伸びた角を両手で掴むと、魔獣が雄たけびを上げる。
 
「ふっ……!」
「ぐぅ……!」
 
 セレスの思考に引っ張られて押すレバーが重い。騎体からのフィードバックがあるのだろう。だが、セレスと俺は歯を食いしばって耐える。
 すると、魔獣の巨体が持ちあげられた。バタつかせた四肢が装甲に当たるが、セレスは気にも留めない。
 そして、裂帛の気合と共に騎体を躍動させた。
 
「「でやぁぁぁッ!」」
 
 バキャリ、と何重もの骨が折れる音がして、魔獣の首が天地逆にヘシ曲がる。
 
 ……牛の首は太い筋肉に覆われていて、そう簡単に折れるものじゃない。人間が牛と対峙して素手では勝てないように、人は道具なしでは獣には勝てない。
 だが、ドールはそれを覆す。腕力だけで同サイズの獣の首をへし折った【ペルラネラ】の性能に俺が驚愕していると、頭に高揚した感情が流れ込んできた。
 
「ふっ……ふふっ……。あははははっ!」
 
 セレスが笑っている。
 魔獣とはいえ、一つの命を奪ったことに、この女は快楽を覚えていた。
 俺はその様子に呆気にとられる。
 
 何が面白いんだ……? なんで死ぬかもしれない状況だったのにそんなに楽しそうなんだ……?
 
 そう考えると、前部席に座っていたセレスは振り返ってこちらに上がってきた。
 至上の喜びを感じているかのような彼女の笑みを見て、俺は身構える。そして――。
 
「……んんっ!?」
 
 ――唇を塞がれた。
 
 舌を絡ませる、とろけるような口づけ。柔らかい唇と、甘い舌、そして彼女自身の香りに、俺は一瞬、脳を焼かれるような感覚を味わった。
 だが、我に返って俺はセレスを押し返す。
 
「なにをしやがる……!?」
「ふふふっ、楽しい! 楽しいでしょう? グレン」
「楽しいわけあるかぁ! 今のキスはなんだ!?」
「見つけた! やっと見つけたんですもの。だから印をつけておかなければ、私の居場所を……!」
 
 言っている意味が――わかってしまう。心を共有した彼女の思考を、俺は理解できる。
 これまで疎まれてきた彼女の唯一、輝ける場所。抑えられない衝動を解放できる戦場。そして、運命を共にした一人の人間。それが俺だ。
 
 ――絶対に離さない。絶対に私のものにする。
 
 セレスの口が三日月のように歪んで、だがなお美しいその顔に、俺は恐怖を覚えた。
 だが、その後ろ、【ペルラネラ】の視界の中で、土煙が上がる。
 
『うおおぉぉぉ!』
 
 それは四番騎だった。
 先ほどのものよりかは一回り小さい牛の魔獣を相手に、剣と盾でなんとか渡り合っている。
 
「もう一匹いたのか!?」
「あぁ……いいところでしたのに!」
 
 名残惜しそうなセリフを吐きながらも、セレスは喜びの感情で席に戻った。
 わからない。この女の思考は理解できても、その性根までは俺の【情報解析】は教えてくれない。
 だがきっと、もう一度命の奪い合いに身を投じられることが嬉しいのだろう。
 
 もはやセレスの動かす通りに身を任せて、俺たちは【ペルラネラ】を四番騎と魔獣の間に割り込ませる。
 
 そして、その首に喉輪をかけた。
 
 素材不明の硬質な指が魔獣の気管を締め上げ、苦悶の鳴き声が上がる。
 そのまま片腕で魔獣の上体を持ち上げると、右腕の【バイタルディテクター】が起動する。
 
「狙うなら――!」
「――ここですわね!」
 
 言葉を交わさずとも、俺たちの狙いは決まっていた。
 俺の【情報解析アナライザー】で判明している急所――心臓だ。
 その位置は分厚い皮膚や筋肉を透けるように見えていた。
 
「「でああぁぁッ!」」
 
 俺たちは溜めた右手でそこを狙う。
 
 【ペルラネラ】の拳が魔獣の胸に当たると同時に、【バイタルディテクター】が猛烈な速度で射出された。
 固い金属音と肉を裂く水しぶきのような音。
 
 魔獣はビクンとその体を震わせた。
 
 やがて力なく四肢をぶら下げ、喉輪を外された体は地面に落ちる。
 
 一撃……ゴーレムが複数で討伐すべき魔獣を、ただ一撃で仕留めるドールの力に、俺は震える。
 だが同時に、それは歓喜の震えだったのかもしれない。
 
 俺自身ではない。セレスの――命を奪った感触に喜び、愉悦を感じる異常な感性。
 仕方ないとはいえ、一時とはいえ、俺はとんでもない相手と運命を共にしてしまった。
 
 本来ならば眠っていたはずの暴竜を覚醒させてしまったのかもしれない。
 俺は震える手をレバーから引き剥がす。
 
「ふふふっ、あははははは――ッ!」
 
 そして、騎乗席の中ではいつまでもセレスの笑い声が響くのだった。
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