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第二章

43:その手を握って

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 学園のテラスで起きた騒動。
 それを遠くから見る二つの影があった。

 学園に勤務するスタッフとして潜り込んだ神殿の神官だ。

 望遠鏡を覗く、片方の男は感極まったように呟く。
 
「あの光、あの姿。やはり【フェネクス】に違いない……!」

 男に任された任務はあの子爵家の娘の動向の監視だ。
 だが同時に、それによって平民出身の娘の行動にも注視せよ、との命もあった。

 あのディアナという娘が公爵家のメイドに勝てる見込みがないことは神殿も想定内だろう。
 だが、まさかあの場で平民の娘の命が危険に晒され、その霊獣が姿を現したことは予想していなかった。
 
「では、あの娘が!?」

 もう片方の女は驚いたように顔を上げる。
 それも当然だ。

 あの霊獣――フェネクスを召喚した者の登場はおよそ百年振りであり、長い神殿の歴史の中でもたった一人しか召喚を成したことはない特別な存在だ。

 それは神殿の【巫女】たる者の証。
 他者の魔力に干渉し、命さえ吹き込むという伝説の霊獣。

 それを平民出身のあの娘が成すとは。

 これまでは確かな形を確認できなかったが、主人の命の危機に際してやっと真の姿を現したということか。
 
「ああ、間違いない。私が確認した。すぐに大神官様にそうお伝えしろ!」
「はい!」
 
 言うと、女は魔法を発動して素早く駆けていく。
 男は女を見送って、口端が自然に吊り上がるのを自覚した。
 
 これから動くのは歴史だ。

 もしあの娘がこれから巫女としての才を開花させ、フェネクスの力を引き出せたのならば――。
 モルドルーデン王国において、それ以上に強力な存在はない。

 例の腹パンメイドなど、いくらエリート級三体を相手に勝っていたとしても、しょせんは単体の戦力だ。

 フェネクスは違う。

 全ての者に平等に力を与える――それこそ国家の戦力差をひっくり返すほどの力を持った霊獣だ。

 マリエッタは功を焦って失敗したようだが愚かな女だ。
 最初から学園などに入学させず、神殿に閉じ込めておけばよかったものを。
 大神官様のお言葉さえあれば、今すぐにでもあの娘を神殿に引き込むことができる。

 それは恐らく自分の仕事になるだろう。
 
 男は自らの功績に思いを馳せつつ、静かにその場を立ち去るのだった。

 
 ◇   ◇   ◇

 
「うっ……」

 ディアナは直前まで見ていた光から一転して、暗闇の中で目を覚ます。
 すると、刺すような頭痛に、強烈な脱力感、そして得も言われぬ喪失感が襲ってきて、このまま闇の中にいたいと思った。
 
「ディアナ……?」

 そうしていると、名前を呼ばれる。
 その声に仕方なく瞼を開けると、そこは医務室で、そばには栗色の髪の女子生徒が座っていた。

「シャノン……」
「よかった、目が覚めて……! 本当によかった……!」

 彼女はすぐにディアナの手を取り、涙を流して喜ぶ。
 だがディアナはその枯れ木のように細く、青白い自分の手を見て、歯を食いしばった。

 これが力の代償。
 
 マリエッタは体に負担をかけないように、などと気遣うようなことを言っていたが、授かった力そのものが自分を蝕んでいることにディアナは気づいていた。

 こうなるまでしたというのに、あのメイドには勝てなかった。
 命を削って殺そうとしたのに、あのフィロメニアを殺せなかった。

 それを阻んだのはシャノンでもある。

 身を挺してフィロメニアを庇い、あの眩い光はフェンリルを遠ざけた。

 そんなことをするのなら。
 そんな危険を冒すくらいなら。

 なぜ――。

「なぜ……?」
「え?」
「なぜ、殺してくださらなかったの……?」

 全てをあのメイドに任せておけば、自分は死んでいただろう。
 それはシャノンを刺してしまったときに明白だった。

 あの無機質な殺気を背に、ディアナは死を覚悟した。
 だが、それでもいいと思った。

 この国の貴族の子供たちが集う学園。
 表面では美しく着飾り、仲睦まじく勉学や鍛錬に精を出す。けれど裏では汚い手で金を稼ぎ、時には血の匂いのする派閥争いを行うのが彼らだ。

 そんな学園には、自分の首がポトリと落ちるのがふさわしい。

 短い間だったといえ、共に勉学に励んだ自分が、学友の手で殺される。
 
 ここはそんな場所だとシャノンに伝えられるだけでいい。
 
 そして、その友人が血で手を汚すことに迷いはない狂人だと知るといい。
 貴女のような眩しいほどに真っ直ぐな気持ちを持つ人間のいていい場所ではないと教えられる。
 
 そう、ディアナは思った。

 けれど結果はこれだ。

「フェンリル……」
 
 ディアナは寝たままで自らの霊獣の名を口にする。
 だが、予想通り、これまで共にいたはずの霊獣は姿を見せない。
 
 目が覚めたときにはわかっていた。

 心の中に宿るフェンリルの気配が消えてしまっていることに。

「わたくしはもう、霊獣にさえ見放されてしまったんですのね……」
「ディアナ……」

 シャノンが手をぎゅっと握ってくる。
 その手の暖かさを感じながら、ディアナは視線を天井に逃がした。

「わたくしは……貴女を利用していただけなのですわ。シャノン」

 そう言うと、シャノンが息を飲む気配がする。

「わたくしは最初から貴女の力が目当てだった。それに、貴女に見せてあげたかった。あのメイドの残忍な心根を。そうすれば貴女はあのメイドから離れる。わたくしはあのメイドから少しでも何かを奪いたかったんですの。でも――」
 
 ディアナは目頭が熱くなり、涙があふれるのがわかった。

「貴女のせいですべてが台無し。お姉さまの敵討ちも、何かを奪うこともできず、わたくしはまた失っただけ……!」

 暖かいシャノンの手を力いっぱい握る。
 だが、自分にはもう握手程度の力でしか握れない。
 
「だから、せめて殺して……! もうわたくしは、失うのは嫌なんですの……!」

 ディアナは泣いた。
 不甲斐ない自分に、無慈悲なこの世界に。

 そこに凛とした声が響く。

「ごめんなさい。ディアナ」

 涙を拭いて、シャノンを顔を見ると、彼女は目を赤く腫らしながらも強い視線をこちらに送ってきていた。

「すべて私の我儘なんです。庇ったのも、ディアナを殺さないようウィナちゃんに頼んだのも全部、私のためなんです。私は簡単に誰かが死んじゃったり、誰かを死なせたり……。そんな風に友達になってほしくなかったんです!」
「わたくしは貴女を利用しただけ、友達なんかじゃありませんわ!」
「だとしても!」

 シャノンは椅子から立ち上がって勢いよく顔を近づけてくる。

「私はディアナに助けられたから……! 私はあなたを友達だと思っているから……!」

 そのピンク色の瞳は、真っ直ぐで自分には眩しすぎる。
 ディアナはそんな彼女の目を直視しかねて、顔を背けた。

「わたくしにはもう何もありませんのよ……?」
「私がいます!」
「きっとまた虐められますわ」
「私は大丈夫です!」
「わたくしはこんなに醜い姿になってしまいましたわ」
「きっと治ります! 私が治してみせます!」

 何を言っても、シャノンは折れない。
 なんて愚かな、とディアナは唇を噛む。

 出会った当初はこんな強情な性格だとは思っていなかった。
 
 気弱で、頼りなさげで、けれど立ち止まることを知らない。
 そんなシャノンのことをディアナは一緒にいるうち、自然に受け入れてしまっていたのかもしれない。
 
「まったく……酷い友達ですわ」

 震える声で言いながら、ディアナはシャノンの手をずっと握るのだった。

 
 ◇   ◇   ◇


 再び眠りについたディアナに毛布をかけて、シャノンは医務室を出る。
 すると、外で待っていたフィロメニアと視線が合った。

 シャノンはどこか気まずい雰囲気に、つい目線を逸らしてしまう。
 
「礼を言う」

 すると、短くはっきりとした口調でフィロメニアが言う。

 え? とシャノンが彼女の顔を見ると、フィロメニアは目を伏せた。

「ウィナはディアナを殺したくはなかったようだ。それをさせたのはお前だ。シャノン」

 初めて名前を呼ばれた気がする。
 これまでは相手にされていなかった自分が、初めて対等に会話をしている気がした。

「い、いえ、あれはウィナちゃんが――」
「だが、その選択をさせたのはお前だ。ウィナは私に忠実だが、同時に私の命令をも簡単に無視して動く。それほどあれにとってお前は大事な友人だったということだろうよ」
 
 シャノンは返答に困る。
 
 この人のことがシャノンは苦手だ。
 いつも偉そうで、でも正しくて、何かを見通している。
 
 こうしてお礼を言われる理由も、シャノンにはいまいちピンと来ていなかった。
 
 そして、フィロメニアから手が出される。
 
「お前を我が友人として認めよう」

 それは握手を求める手だった。
 対等な関係であると認める行動だった。

 シャノンはそれに対し、少し戸惑いつつも、自分の思いを勇気を出して言う。
 対等な関係ならば、受け入れてくれるだろう。

「自分勝手な人、ですね」
「不満か」

 問われて、シャノンは首を横に振った。

「いいえ、私自身もそうなんだって……思うから」
 
 フィロメニアの手をシャノンは取る。
 握られた手から伝わる、迷いのない確かな思い。

 シャノンには羨ましいほどの自信だ。

 だからシャノンは思うのだ。
 この人と友人となるならば、自分も我を突き通さなくてはならないと。
 
「じゃあ、こう呼ばせてもらいます」
「む?」
「――フィロメニアちゃん」

 失礼に当たるだろうが、シャノンは曲げるつもりはない。
 友達というのは対等で、そう呼ぶのに遠慮なんていらないと思うから。
 
「――ふっ……くっくっく!」
 
 すると、フィロメニアは口に手を当てて笑い出した。

 その様子を見て、なにか恥ずかしいことをしてしまったかと、シャノンは自分の顔が熱くなるのがわかる。

「わ、笑わないでください」
「ふふ……。いや、馬鹿にしているのではない。すまないな。そんな呼ばれ方をこれまでされたことがなくて、新鮮でな。フィロメニアちゃん、か」

 笑いながらも、その胸の奥の気持ちはシャノンにはわからない。
 本当に面白くて笑っているのかもしれないし、その裏で別のことを考えているのかもしれない。

 やっぱりこの人は怖いな、とシャノンは思った。

 そして、フィロメニアはひとしきり笑った後に言う。
 
「いいだろう。場所も立場も関係なく、私を遠慮なくそう呼ぶがいい。それがお前の友人としての呼称ならば、私は受け入れよう」
「はい! そうさせてもらいます!」

 この人はもしかしたら自分とは正反対な人なのかもしれない。
 もしかしたら本当の意味でわかりあえることなどないのかもしれない。
 
 そんな思いを巡らせつつも、シャノンは彼女と手を取り合えたことを誇らしく思うのだった。





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