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第一章
13:トライアングルを鳴らして
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『ひとつ聞いてもいいかい? 我が君』
「なに?」
パーティ会場から帰り道で、セファーが問いかけてくる。
『我々の目的はあくまで君の主人の死を回避することなんだろう?』
『そう言ったでしょ』
するとセファーは燐光をまき散らしながらアタシの目の前に飛んできた。
『なら、なぜあのヒロインを王太子と恋仲にさせる手伝いをしたんだい?』
ああ、なんだそんなことか、とアタシはこめかみを掻く。
単純な話だ。アタシはあんな風に落ち込んでいるシャノンを見過ごすなんてできない。
例の乙女ゲーをやっていたアタシからすれば、あの子は最初に自分を投影した女の子で、そして幸せになるべき存在だと今でも思ってる。
だから手を差し伸べた。
……。
いや、つまり、その……。
『えっと……』
『思考が漏れているよ。それに汗もすごいねぇ。体温は正常なようだが』
『う、うん……』
『もしかして君――』
やめてほしい。思考だけとはいえ、言葉にすればするほど汗が止まらなくなる。
『――何も考えていなかったわけかい』
気がつけばアタシはさっきのシャノンと同じベンチに、同じような姿勢で座っていた。
『いやはや、本当に愚かだねぇ! やってしまったねぇ!』
だはは、と人の膝の上で腹を抱えて大爆笑している小さな神様を見下ろしつつ、アタシはため息をつく。
べ、別に何も考えていなかったわけじゃない……。
あのイベントはどの攻略対象ルートでも共通であり、序盤も序盤。
パーティに参加したからってクレイヴも「俺はこの子と結婚するぞ!」とはならないはずなのだ。
……たぶん。
『思考を垂れ流すのはともかく、無言で頭を抱えて体を揺らすのはやめたまえ。この暗がりじゃ怪異の類にしか見えないよ』
『すみません。なんか自己満足というかカッコつけたかったというか、そんな気持ちがあったのは事実です……』
『悩んだあげくに懺悔かい? そういうのは人格者気取りの聖職者にすべき行為だねぇ』
アタシが何度目かのため息と共に肩を落とすと、人の太ももで優雅に寝そべっているセファーが欠伸をした。
『とにかく無計画だったことは理解したよ。――それに、我は君の行為が目的に反しているとも思っていない』
『えっ』
『確かに君がしたことは王太子が婚約を破棄することを後押しするものだ。だがヒロインがパーティに参加するのは自然なことなんだろう? 逆に参加しない方が不自然とも考えられる。なら君は不確定要素を排除した。それでいいじゃないか』
そう言われて、アタシは「そうかも……」と口に漏らす。
ベンチの背もたれに体重を預けて空を見るアタシに、セファーはさらに言葉を続けた。
『前にも言ったがうだうだと考えるのはやめたまえ。君は考えるよりも直感で動いた方が良い。理由が欲しいかい? ならこれまで自分の心に従って生きてきた結果が今であり、我との遭遇だからさ。そこに悔いはあるかい?』
答えはノーだ。
もちろんこの世界での時間は楽しいことばかりじゃなかった。
騎士家の娘としての鍛錬はスパルタ教育過ぎて家出しようかと思うほど厳しかった。
それでも両親を亡くしたときはとても悲しかった。
メイド長の教育が厳しすぎて泣きそうになったこともある。
けれど、後悔したことはない。
最推しのフィロメニアと同じ世界で過ごせることは幸せで、この学園へ一緒に来られたことは純粋にアタシの幸せだ。
そしてセファーという相棒と、霊獣としての力も手に入れた。
その「今」が、アタシが生きたいように生きた結果なら最上と言ってもいい。
『わかったようだね。ならば我が君。己が道を真っ直ぐに生きたまえ』
どこか母性を感じさせる優しい表情でそう言い残し、セファーは燐光を散らして姿を消すのだった。
◇ ◇ ◇
「ウィナ。お前の部屋を用意した。今日からはそこで寝ろ」
「は?」
次の日、これまで通りフィロメニアを迎えに行き、学生鞄を置いたアタシに突拍子もない言葉が投げつけられた。
「部屋って使用人用の宿舎のこと? なんで?」
「本来なら最初からそうすべきだっただろう。文句があるのか」
アタシの質問にやや棘のある答えが返ってくる。
大多数の人間なら公爵令嬢に凄まれた時点ですごすごと引き下がるだろうけど、構わず問い詰めた。
「そうしたら夜にフィロメニアが一人になっちゃうじゃん!」
「私は子供ではない」
知ってるわ! 問題はそこじゃない。
「なんかあったらどうすんの!?」
「私は一人でも問題ない!」
そうでしょーね。
幼い頃からフィロメニアは何をやらせても上手くできた。
自分の身を弁えて人を使うことを知っているが、自らで動くこともまた熱心であり怠けることはない。
その上でアタシが彼女の後ろに控えている。それがアタシたちの関係だったはずだ。
「けど、今は一緒に居た方が――」
「黙れっ!」
突然の怒号にアタシは口を噤む。
勢いに気圧されたわけではない。ここでアタシまで怒鳴り散せばヒートアップしてしまうのを知っていたからだ。
アタシはあえて姿勢を正し、真っ直ぐにフィロメニアを見据える。
彼女に次の言葉を吐き出させるために。
するとしばらくして、ベッドに腰をかけたフィロメニアが力なく口を開いた。
「……お前はあの平民の娘の世話でもしていろ。私には成すべきことがある」
「は……? なんでそこでシャノンが出てくんの? 意味わかんない」
「わからないだろうな。お前には、何も」
アタシの頭の中で何かがキレた音がする。
その言葉はあまりにも無責任だったからだ。
アタシはこの広い世界で――そして前世の世界でも、フィロメニアを一番わかっているのは自分だという自信がある。
そして自分の唯一の理解者としてアタシをそばに置いたのは、フィロメニア自身だ。
限りある人生の時間、それを互いに預けた長さは誰よりも長い。
そのことをアタシたちはわかっているはずだというのに。
「なにその言い方……。超ムカツくんだけど」
「話は以上だ」
「そう言って終わらせられると思ってんの?」
アタシは自分の握りしめた拳から鈍い音が鳴るのを聞いた。
部屋の中の空気が一瞬にしてアタシの気配に満ちる。
だが、それを冷たい氷のような別の殺気が押し戻した。
「ああ。邪魔だ。出てゆけ」
いつの間にかに立ち上がっていたフィロメニアの碧眼が淡く光る。
魔法を使う兆候だ。
第三者から見れば殺し合いの一歩手前に見えるだろう。
まさに一触即発。
けれど、アタシは握っていた拳を開いて強烈な寒波のような殺気の中に進み出た。
「いい加減に……!」
御付きとは常に後ろを歩く存在じゃない。時には前に行き、主の過ちを正さなきゃいけない。
だからアタシだって努力をした。
両親のコネで雇用された孤児と蔑まれても、常人の倍以上の仕事をこなして見返した。
フィロメニアお気に入りのお人形などと揶揄されても、この身の振る舞いを完璧以上の美しいものに磨き上げて納得させた。
すべてはフィロメニアのそばにいるため。
だからこそ、ときにはぶつかり合わなければならない。
けれどその頬を張ろうとして振り上げた手を、アタシは止めざるを得なかった。
「どうした? いつもの通り私の頬を張ってみろ。それがお前だっただろう?」
言われて、アタシは歯を食いしばる。
今のアタシが頬を張ってしまったら、フィロメニアは大怪我をするかもしれない。
アタシは簡単に霊獣を殺せてしまう化け物だ。
この力は主に向けることのできるものじゃない。
やり場のない悔しさに振り上げた手が震える。
アタシはメイドという立場を放棄して、こみ上げる思いを叫んだ。
「なに……!? 『だった』ってなに!? ずっと一緒でしょ!? なにも変わらないでしょ!? アタシたちは!」
「そうさ。何も……何も変わらないさ! 出ていけ! もう話すことはない!」
気がつけば、お互いが放っていた殺気は霧散していた。
さっきまでの空気が嘘のように――稚拙で、そして困惑が混じったものになる。
アタシなら理解してあげらる。アタシしか理解してあげられない。
そう思っていたはずのフィロメニアの心が、今はわからない。
この話の一番いい終わらせ方が思いつかない。
「わかったわよ! 勝手にしなさい!」
だからアタシは脇目も振らずに扉から出た。
邪魔だと言われたからじゃない。時間を置いた方がいいと思ったからでもない。
そんなのはただの言い訳で、アタシはその場から逃げたい一心だった。
◇ ◇ ◇
使用人宿舎の談話室はこの時間、人が少ない。
生徒全員が放課後すぐに部屋に戻るわけではないし、戻ればすぐに遊びに出かけたり、茶会を楽しむ生徒も多いからだろう。
フィロメニアの部屋から飛び出してきて、ふらふらと宿舎にきたアタシへ声をかけてきたのはリーナだった。
アタシが珍しく宿舎に来たから不思議に思ったらしい。
そして、誰から見ても焦点の定まらない、死んだ魚のような目をしていたからとアタシにお茶をいれてくれた。
「えっ、喧嘩?」
アタシの零した愚痴に、リーナが目を見開いて驚く。
うん、と気だるげに相槌を打つと、ティーカップを置いて不思議そうに尋ねてきた。
「……そういうのってよくあるのかしら?」
「年一くらいかな……」
「主と喧嘩できる使用人っていうのも凄いわねぇ。お家からの信頼が厚い証拠よ」
「半分はウチの親の作った信頼かなーなんて思う。メイド長とかアタシにだけ滅茶苦茶厳しかったし」
一挙手一投足に至るまで厳しい教育を施してきたメイド長の顔を思い出しつつ、アタシはため息をつく。
「それで、喧嘩したらいつもどうやって仲直りするの?」
そう問われて、アタシは過去を思い浮かべた。
お互いに髪を引っ張り合い、ど突き合い、どっちかが疲れて冷静になるか、メイド長に怒鳴られて終わるか。
最後は二人で割れた茶器やひっくり返った調度品を静かに片づけて、それでいつも通りに戻る。
よく考えたらとんでもないことしてるな……。
主人に暴力を働くメイドと公言するのも憚られて、アタシはちょっと表現を変えることにした。
「いや~……だいたいはこう……体で話し合うというか」
「えっ!?」
ん? なんかおかしなことを言っただろうか。
リーナは口に手を当てて顔を紅潮させている。
アタシはそれを笑いをこらえているのかと思い、肩を落とした。
「真面目に聞いてよリーナちゃん」
「き、聞いてるわ。普通はその……女の子同士でしないじゃない?」
リーナの言葉にアタシは首をかしげる。
「……ん? そうかな? まぁ、たしかに貴族だとそういう友達は珍しいのかな」
「平民でもそんな大らかじゃないと思うわよ!?」
アタシが言うと、リーナは素っ頓狂な声を上げて立ち上がった。
その勢いに思わずアタシはのけぞる。
「な、なに興奮してんの……?」
「あ、いえ、ごめんなさい。……けれど、よほどお互いを大切に思ってなければ成立しないことだと思うわ。うん」
こくんこくんと自分に言い聞かせるように頷くリーナを訝しみつつも、アタシは話を続けた。
「でも今回はなんていうか……フィロメニアが急に意固地になっちゃって。ぶっちゃけやっちゃった方が手っ取り早いんだけど、それもできなくなっちゃったんだよね。色々あって」
「て、手っ取り早い!? ヤっちゃったほうが!?」
「ちょっ……いちいち立ち上がんないでよ」
お願いだから周囲の目を引くようなことをしないでほしい。
再び仰天したリーナを引っ張って座らせると、彼女は呆然とした様子で宙を見上げる。
「これが最近の若者……! 私ももう歳なのかな……」
「アタシが愚痴吐く会だったのになんでアンタが落ち込んでんの……?」
そんな年寄りでもないだろうに。
急激なテンションの上がり下がりを見せたリーナは自嘲気味な笑みでソファにもたれかかった。
なんか勘違いされているような気がするけれど、リーナの言うことには一理ある。
フィロメニアとの関係は互いを大切に思っているからこそのものだ。
それはちょっとやそっとのことでは崩れない。
たとえフィロメニアが拒もうとも、アタシは彼女を諦めるつもりはない。
向こうも心の底では同じだと信じて立ち向かうしかないのだ。
「ま、アタシがここでヘソ曲げてても仕方がないか。乙女心はそう簡単じゃないわよね」
「あらあら? ふふ、まるで貴公子ね」
「相手は公爵家のご令嬢だもん。ガードが鉄壁なのは当たり前。突破し甲斐があるわ」
アタシは背伸びをして体をほぐす。
そろそろ人も増えてきたのでお茶会はおしまいだ。
公爵家と王家の使用人が話していれば、聞き耳を立てる輩なんて山ほどいるだろう。
「殿下にも婚約者様が奪われそうってお伝えしておこうかしら」
「妙な三角関係を形成するのやめて!」
優しい目つきでとんでもないことを言い出すリーナに、今度はアタシが声を上げる番だった。
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「なに?」
パーティ会場から帰り道で、セファーが問いかけてくる。
『我々の目的はあくまで君の主人の死を回避することなんだろう?』
『そう言ったでしょ』
するとセファーは燐光をまき散らしながらアタシの目の前に飛んできた。
『なら、なぜあのヒロインを王太子と恋仲にさせる手伝いをしたんだい?』
ああ、なんだそんなことか、とアタシはこめかみを掻く。
単純な話だ。アタシはあんな風に落ち込んでいるシャノンを見過ごすなんてできない。
例の乙女ゲーをやっていたアタシからすれば、あの子は最初に自分を投影した女の子で、そして幸せになるべき存在だと今でも思ってる。
だから手を差し伸べた。
……。
いや、つまり、その……。
『えっと……』
『思考が漏れているよ。それに汗もすごいねぇ。体温は正常なようだが』
『う、うん……』
『もしかして君――』
やめてほしい。思考だけとはいえ、言葉にすればするほど汗が止まらなくなる。
『――何も考えていなかったわけかい』
気がつけばアタシはさっきのシャノンと同じベンチに、同じような姿勢で座っていた。
『いやはや、本当に愚かだねぇ! やってしまったねぇ!』
だはは、と人の膝の上で腹を抱えて大爆笑している小さな神様を見下ろしつつ、アタシはため息をつく。
べ、別に何も考えていなかったわけじゃない……。
あのイベントはどの攻略対象ルートでも共通であり、序盤も序盤。
パーティに参加したからってクレイヴも「俺はこの子と結婚するぞ!」とはならないはずなのだ。
……たぶん。
『思考を垂れ流すのはともかく、無言で頭を抱えて体を揺らすのはやめたまえ。この暗がりじゃ怪異の類にしか見えないよ』
『すみません。なんか自己満足というかカッコつけたかったというか、そんな気持ちがあったのは事実です……』
『悩んだあげくに懺悔かい? そういうのは人格者気取りの聖職者にすべき行為だねぇ』
アタシが何度目かのため息と共に肩を落とすと、人の太ももで優雅に寝そべっているセファーが欠伸をした。
『とにかく無計画だったことは理解したよ。――それに、我は君の行為が目的に反しているとも思っていない』
『えっ』
『確かに君がしたことは王太子が婚約を破棄することを後押しするものだ。だがヒロインがパーティに参加するのは自然なことなんだろう? 逆に参加しない方が不自然とも考えられる。なら君は不確定要素を排除した。それでいいじゃないか』
そう言われて、アタシは「そうかも……」と口に漏らす。
ベンチの背もたれに体重を預けて空を見るアタシに、セファーはさらに言葉を続けた。
『前にも言ったがうだうだと考えるのはやめたまえ。君は考えるよりも直感で動いた方が良い。理由が欲しいかい? ならこれまで自分の心に従って生きてきた結果が今であり、我との遭遇だからさ。そこに悔いはあるかい?』
答えはノーだ。
もちろんこの世界での時間は楽しいことばかりじゃなかった。
騎士家の娘としての鍛錬はスパルタ教育過ぎて家出しようかと思うほど厳しかった。
それでも両親を亡くしたときはとても悲しかった。
メイド長の教育が厳しすぎて泣きそうになったこともある。
けれど、後悔したことはない。
最推しのフィロメニアと同じ世界で過ごせることは幸せで、この学園へ一緒に来られたことは純粋にアタシの幸せだ。
そしてセファーという相棒と、霊獣としての力も手に入れた。
その「今」が、アタシが生きたいように生きた結果なら最上と言ってもいい。
『わかったようだね。ならば我が君。己が道を真っ直ぐに生きたまえ』
どこか母性を感じさせる優しい表情でそう言い残し、セファーは燐光を散らして姿を消すのだった。
◇ ◇ ◇
「ウィナ。お前の部屋を用意した。今日からはそこで寝ろ」
「は?」
次の日、これまで通りフィロメニアを迎えに行き、学生鞄を置いたアタシに突拍子もない言葉が投げつけられた。
「部屋って使用人用の宿舎のこと? なんで?」
「本来なら最初からそうすべきだっただろう。文句があるのか」
アタシの質問にやや棘のある答えが返ってくる。
大多数の人間なら公爵令嬢に凄まれた時点ですごすごと引き下がるだろうけど、構わず問い詰めた。
「そうしたら夜にフィロメニアが一人になっちゃうじゃん!」
「私は子供ではない」
知ってるわ! 問題はそこじゃない。
「なんかあったらどうすんの!?」
「私は一人でも問題ない!」
そうでしょーね。
幼い頃からフィロメニアは何をやらせても上手くできた。
自分の身を弁えて人を使うことを知っているが、自らで動くこともまた熱心であり怠けることはない。
その上でアタシが彼女の後ろに控えている。それがアタシたちの関係だったはずだ。
「けど、今は一緒に居た方が――」
「黙れっ!」
突然の怒号にアタシは口を噤む。
勢いに気圧されたわけではない。ここでアタシまで怒鳴り散せばヒートアップしてしまうのを知っていたからだ。
アタシはあえて姿勢を正し、真っ直ぐにフィロメニアを見据える。
彼女に次の言葉を吐き出させるために。
するとしばらくして、ベッドに腰をかけたフィロメニアが力なく口を開いた。
「……お前はあの平民の娘の世話でもしていろ。私には成すべきことがある」
「は……? なんでそこでシャノンが出てくんの? 意味わかんない」
「わからないだろうな。お前には、何も」
アタシの頭の中で何かがキレた音がする。
その言葉はあまりにも無責任だったからだ。
アタシはこの広い世界で――そして前世の世界でも、フィロメニアを一番わかっているのは自分だという自信がある。
そして自分の唯一の理解者としてアタシをそばに置いたのは、フィロメニア自身だ。
限りある人生の時間、それを互いに預けた長さは誰よりも長い。
そのことをアタシたちはわかっているはずだというのに。
「なにその言い方……。超ムカツくんだけど」
「話は以上だ」
「そう言って終わらせられると思ってんの?」
アタシは自分の握りしめた拳から鈍い音が鳴るのを聞いた。
部屋の中の空気が一瞬にしてアタシの気配に満ちる。
だが、それを冷たい氷のような別の殺気が押し戻した。
「ああ。邪魔だ。出てゆけ」
いつの間にかに立ち上がっていたフィロメニアの碧眼が淡く光る。
魔法を使う兆候だ。
第三者から見れば殺し合いの一歩手前に見えるだろう。
まさに一触即発。
けれど、アタシは握っていた拳を開いて強烈な寒波のような殺気の中に進み出た。
「いい加減に……!」
御付きとは常に後ろを歩く存在じゃない。時には前に行き、主の過ちを正さなきゃいけない。
だからアタシだって努力をした。
両親のコネで雇用された孤児と蔑まれても、常人の倍以上の仕事をこなして見返した。
フィロメニアお気に入りのお人形などと揶揄されても、この身の振る舞いを完璧以上の美しいものに磨き上げて納得させた。
すべてはフィロメニアのそばにいるため。
だからこそ、ときにはぶつかり合わなければならない。
けれどその頬を張ろうとして振り上げた手を、アタシは止めざるを得なかった。
「どうした? いつもの通り私の頬を張ってみろ。それがお前だっただろう?」
言われて、アタシは歯を食いしばる。
今のアタシが頬を張ってしまったら、フィロメニアは大怪我をするかもしれない。
アタシは簡単に霊獣を殺せてしまう化け物だ。
この力は主に向けることのできるものじゃない。
やり場のない悔しさに振り上げた手が震える。
アタシはメイドという立場を放棄して、こみ上げる思いを叫んだ。
「なに……!? 『だった』ってなに!? ずっと一緒でしょ!? なにも変わらないでしょ!? アタシたちは!」
「そうさ。何も……何も変わらないさ! 出ていけ! もう話すことはない!」
気がつけば、お互いが放っていた殺気は霧散していた。
さっきまでの空気が嘘のように――稚拙で、そして困惑が混じったものになる。
アタシなら理解してあげらる。アタシしか理解してあげられない。
そう思っていたはずのフィロメニアの心が、今はわからない。
この話の一番いい終わらせ方が思いつかない。
「わかったわよ! 勝手にしなさい!」
だからアタシは脇目も振らずに扉から出た。
邪魔だと言われたからじゃない。時間を置いた方がいいと思ったからでもない。
そんなのはただの言い訳で、アタシはその場から逃げたい一心だった。
◇ ◇ ◇
使用人宿舎の談話室はこの時間、人が少ない。
生徒全員が放課後すぐに部屋に戻るわけではないし、戻ればすぐに遊びに出かけたり、茶会を楽しむ生徒も多いからだろう。
フィロメニアの部屋から飛び出してきて、ふらふらと宿舎にきたアタシへ声をかけてきたのはリーナだった。
アタシが珍しく宿舎に来たから不思議に思ったらしい。
そして、誰から見ても焦点の定まらない、死んだ魚のような目をしていたからとアタシにお茶をいれてくれた。
「えっ、喧嘩?」
アタシの零した愚痴に、リーナが目を見開いて驚く。
うん、と気だるげに相槌を打つと、ティーカップを置いて不思議そうに尋ねてきた。
「……そういうのってよくあるのかしら?」
「年一くらいかな……」
「主と喧嘩できる使用人っていうのも凄いわねぇ。お家からの信頼が厚い証拠よ」
「半分はウチの親の作った信頼かなーなんて思う。メイド長とかアタシにだけ滅茶苦茶厳しかったし」
一挙手一投足に至るまで厳しい教育を施してきたメイド長の顔を思い出しつつ、アタシはため息をつく。
「それで、喧嘩したらいつもどうやって仲直りするの?」
そう問われて、アタシは過去を思い浮かべた。
お互いに髪を引っ張り合い、ど突き合い、どっちかが疲れて冷静になるか、メイド長に怒鳴られて終わるか。
最後は二人で割れた茶器やひっくり返った調度品を静かに片づけて、それでいつも通りに戻る。
よく考えたらとんでもないことしてるな……。
主人に暴力を働くメイドと公言するのも憚られて、アタシはちょっと表現を変えることにした。
「いや~……だいたいはこう……体で話し合うというか」
「えっ!?」
ん? なんかおかしなことを言っただろうか。
リーナは口に手を当てて顔を紅潮させている。
アタシはそれを笑いをこらえているのかと思い、肩を落とした。
「真面目に聞いてよリーナちゃん」
「き、聞いてるわ。普通はその……女の子同士でしないじゃない?」
リーナの言葉にアタシは首をかしげる。
「……ん? そうかな? まぁ、たしかに貴族だとそういう友達は珍しいのかな」
「平民でもそんな大らかじゃないと思うわよ!?」
アタシが言うと、リーナは素っ頓狂な声を上げて立ち上がった。
その勢いに思わずアタシはのけぞる。
「な、なに興奮してんの……?」
「あ、いえ、ごめんなさい。……けれど、よほどお互いを大切に思ってなければ成立しないことだと思うわ。うん」
こくんこくんと自分に言い聞かせるように頷くリーナを訝しみつつも、アタシは話を続けた。
「でも今回はなんていうか……フィロメニアが急に意固地になっちゃって。ぶっちゃけやっちゃった方が手っ取り早いんだけど、それもできなくなっちゃったんだよね。色々あって」
「て、手っ取り早い!? ヤっちゃったほうが!?」
「ちょっ……いちいち立ち上がんないでよ」
お願いだから周囲の目を引くようなことをしないでほしい。
再び仰天したリーナを引っ張って座らせると、彼女は呆然とした様子で宙を見上げる。
「これが最近の若者……! 私ももう歳なのかな……」
「アタシが愚痴吐く会だったのになんでアンタが落ち込んでんの……?」
そんな年寄りでもないだろうに。
急激なテンションの上がり下がりを見せたリーナは自嘲気味な笑みでソファにもたれかかった。
なんか勘違いされているような気がするけれど、リーナの言うことには一理ある。
フィロメニアとの関係は互いを大切に思っているからこそのものだ。
それはちょっとやそっとのことでは崩れない。
たとえフィロメニアが拒もうとも、アタシは彼女を諦めるつもりはない。
向こうも心の底では同じだと信じて立ち向かうしかないのだ。
「ま、アタシがここでヘソ曲げてても仕方がないか。乙女心はそう簡単じゃないわよね」
「あらあら? ふふ、まるで貴公子ね」
「相手は公爵家のご令嬢だもん。ガードが鉄壁なのは当たり前。突破し甲斐があるわ」
アタシは背伸びをして体をほぐす。
そろそろ人も増えてきたのでお茶会はおしまいだ。
公爵家と王家の使用人が話していれば、聞き耳を立てる輩なんて山ほどいるだろう。
「殿下にも婚約者様が奪われそうってお伝えしておこうかしら」
「妙な三角関係を形成するのやめて!」
優しい目つきでとんでもないことを言い出すリーナに、今度はアタシが声を上げる番だった。
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