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第一章

4:綺麗な花には牙がある

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 フェンリルを倒した後、アタシたちは駆けつけた兵士たちによってあるお屋敷に保護された。
 このお屋敷の上に立っている旗や、兵士たちが身に着けているマントの紋章を見れば、ここがどこだかわかる。

 ここは敵国だ。

 正確には【神星シュタリア帝国】、アタシたちの住む【モルドルーデン王国】とは長くにらみ合いを続けている国になる。
 その国のお偉いさんのお屋敷へ、どうしてアタシたちが丁重に保護されたかというと……。
 
「まずは救援に応じて下さり感謝する。ラウントリー辺境伯」

 フィロメニアのおかげだった。
 これを政治的手腕といえばいいのか。それとも悪役令嬢的暗躍といえばいいのか。正直迷う。

 どうやらフィロメニアはこんな繋がりをかねてから作っていたらしい。

 豪奢な作りの応接間で、テーブルを挟んだソファには男装の美女が座っていた。
 元はボリュームのありそうな赤髪を後ろでひとつにまとめ、化粧っけはないがはっきりとした端麗な顔立ちをしている。
 着ている服の肩幅や腕回りは見ただけでも男性用のものとわかるのだが、着崩れている様子はない。それは彼女自身の恵まれた体格と鍛え上げられた肉体の証なんだろう。

 この人は戦士なんだろうな。
 
「国境沿いの森の中で彷徨う哀れな娘らを放っておくことはできないたちでね。まぁ、魔装兵一騎と兵士二名を失うとは思わなかったが。そうでしょう。シスター・アイナ」
「ええ。しかし、この縁は双方の国にとって良い結果をもたらすものだと思っていますよ」

 ラウントリー辺境伯の隣に座る女性が、にこやかに微笑む。
 こっちは白を基調とした修道服を着た白い髪、白い瞳を持つ小柄な女性だった。

 この人は人間じゃない。

 その体の全てが雪のように白いというのは、【賢人ギアード】の特徴だった。
 人よりも長い寿命、人よりも優れた頭脳を持つ、神に近いと言われる種族だ。

「兵らが犠牲になったのは私の責任だ。辺境伯。神殿のやり方を甘く見ていた」

 そんな二人を前に物怖じしない声音で、しかし、頭を垂れてフィロメニアは謝罪した。

「違うぞ。どちらも違う。我が軍の損耗は指揮官である私の責任だ。それに君は可能性が低いとしても、奴らが過激な方法を取ってくると予想していた。君は愚かだが馬鹿ではない。だから、私を頼ったんだ。どうだね?」
「否定はしない。だが同時に、この結果は予想できなかった。……誰にも」

 そう言ってフィロメニアが後ろに立つアタシへ振り返る。
 その場の視線が全てアタシへと集まって、思わず声にならない声を出してしまった。
 
「んぇ……?」

 そんなアタシが面白かったのか、「ふふっ」とシスターに笑われる。
 急に関心を向けないでほしい。主の小難しい話は基本、シャットアウトするのがアタシ流の処世術なんだから。

「同感だ。とても信じられないが、報告とも矛盾はない。なによりこいつがその証拠というのが、中々そそられるじゃあないか……!」

 辺境伯が取り出したのは布に巻かれた一本の牙だった。
 アタシはそれに見覚えがある。

「世にも珍しい、形を保ったままの霊獣フェンリルの牙だ。美しい。実際の獣の牙はこんなに綺麗じゃあない。肉を食らわず、魔力で体を維持する霊獣だからこその白さだ」

 アタシがその辺に投げ捨てたものを回収したんだろう。
 牙を手に取って眺める辺境伯の言葉は芸術品を論評するかのようだったが、その目は険しいものだった。
 まるでおぞましいものを見るようなその視線が、牙越しにアタシを見たような気がして、咄嗟に顔を背ける。

「では、お話して頂けますね? フィロメニア様」
「ああ」

 シスターに言われ、フィロメニアはわずかに姿勢を崩した。
 
 助けてもらった以上は、説明する義理はある。
 アタシはこの人たちをどれくらい信用していいのかは知らないけれど、ある程度は説明する義理があるんだろう。

「君も座りたまえ」

 辺境伯がアタシに向けて声をかけてきた。
 けれど使用人の身分で彼女たちと同じ席に座ることはできない。

 アタシはこの五年間ですっかりメイドとしての立ち振る舞いが身についてしまっていた。
 
 ここは丁重に断ろう。
 アタシはそのために頭を下げようとして――しかし、辺境伯の鋭い視線が飛んでくるのがわかった。
 
「フェンリルを殺せる君に立っていられると落ち着かないと言っているんだ。それに君の口からも話を聞きたいな」

 なるほど。そう言われれば確かにそうかも……。
 
 この人は根っからの戦士だなぁ、とアタシは自分の母親と似た部分を感じつつ、渋々とソファに腰かけるのだった。
 

 ◇   ◇   ◇


 そこからはフィロメニアが事の顛末を辺境伯たちに話した。

 霊獣召喚の儀式でアタシが霊獣になってしまったこと。
 その結果を見て、神殿の神官たちがアタシを連れていこうとしたこと。
 フィロメニアはそれが許せず、魔法を使い、馬を奪って神殿から逃げ出し、ここへ向かったこと。

 アタシの記憶はセファーの手を取ったところで途切れているが、その間にフィロメニアはたった1人で頑張っていたらしい。
 メイドとしては不甲斐ないけど、純粋にアタシを助けてくれたことが嬉しかった。

「以前より君から伝えられていたように、神殿というのは相当胡散臭い組織のようだね」
「ああ。しかも侯爵家が後ろ盾になっているのが厄介だ」
 
 辺境伯の言葉に、フィロメニアは深く頷く。

 神殿とは王国で言うと国教の総本山ともいうべき組織だ。
 この世界では属性を表す四柱の神を崇めている。
 それは王国も帝国も一緒なのだけれど、なぜか宗派の違いのような壁が存在していた。

 目の前にシスターという役職の女性がいるのもその違いによるものだ。
 
「それで、君らはこれからどうしたい? 私とて屋敷に招いた客人を無下に扱うことはない。できる限りの力になるつもりだ」

 辺境伯はここからが本題だとでもいうように、前のめりに座り直す。
 それはアタシも大いに気になる話だ。

 もしフィロメニアが学園へ通わなかったとして、その時点で彼女の死は回避できるのだろうか。
 それならばそれが一番良い選択肢と言えるのだが、そうでなかった場合は最悪とも言える。

 なぜなら、アタシは乙女ゲーの舞台となる学園内での未来しか知らない。
 せっかく転生して持ち込めた知識を生かすことができないのだ。
 
 アタシは平静を装いながらも頭の中では右往左往していた。
 だって、乙女ゲーの物語が始まる前に、自分が霊獣になるなんて考えてもいなかったんだもの。

 学園でどうすべきかは色々と考えていたつもりだけれど、この場合はどう動けばいいのか全く見当がつかない。
 
 そんな中、隣に座るフィロメニアが静かに口を開いた。
 
「王国に戻る。私は学園に通わねばならない」

 その言葉に辺境伯が片眉を上げる。
 
「学園というのは命をかけてまで通うほど大事な場所かね?」
「いいや。だが学園内は中立だ。王都にあり、敵対派閥の貴族の子らも通う。そして、神殿の新たな動きは学園にあると調べはついている。ならばここは命惜しさに避けるよりも、渦中にいるべき絶好の機会だ」
 
 どうやらフィロメニアは政略的な利点と神殿に対する懸念を理由に学園へ通うつもりらしい。
 
 たしか、乙女ゲーの物語にも神殿は深く関わっていた。
 なにせヒロインの魔法の才能を見出し、学園へ通う許可を出したのは神殿なのだから。
 
 辺境伯は口元に手を当てて考えてから、間をおいて口を開く。
 
「……賭けだな。私なら王国と君の実家へ書簡を送り、神殿に殺されかけたと報告する。こんな証拠もあるわけなのだからね」

 彼女は指先でフェンリルの牙を叩いた。
 だが、間髪入れずにフィロメニアが反論する。
 
「神殿に加担する貴族は多い。言い訳などどうにでもできる。なにより私たちは――クラエスを殺した。戦端が開かれていることになる」
「後手に回るかね。仕掛けてきたのは神殿の方だろうに」
「だとしても、王国内で神殿を支持する敵対派閥と内乱をしている余裕はない」

 そんな王国の弱みを見せるようなことを言っていいのだろうか、と思ったが、フィロメニアの顔は飄々としたものだ。
 
「仮にその際、帝国がラウィーリア公爵家を主軸とする側につくとしても、ですか?」

 そう発言したのは、シスター・アイナだった。
 口を開く前に彼女の白い瞳孔が光ったように見えたのは気のせいだろうか。
 
「シスター。口約束をアテにして戦争を始めることも問題だが、もっと大きな問題がある」

 敵国からの密約の提案に、フィロメニアは声を低くする。
 
「戦争は知略を尽くし、政略を巡らせ、対話の果てに起こってしまうものだ。我ら貴族がその先頭に立とうとも、戦火に巻き込まれる民の犠牲はゼロにはならない」
 
 ……これが齢十五の少女から発せられる言葉なのだから驚きだなぁ、と思う。
 けれど、これこそがフィロメニアだ。
 アタシが十年間、見続けた悪役令嬢の考えなのだ。
 
 どうだ。アタシの主はすごいだろう、と自分のことでもないのにドヤ顔したくなる。
 
 辺境伯を見るとソファに背中をもたれて、ため息をつくところだった。
 
「……王国にも良い教育を施された若者がいるものだ。いいだろう。話を合わせてやろうじゃあないか」

 辺境伯が立ち上がる。シスターも目を閉じて頷いたところを見ると、話はついたのだろう。
 
「フェンリルを殺したのはあくまで私の軍。そして、君たちはただ森の中で彷徨っていたところを保護され、丁重に王国の実家へ送還される。それでいいかね?」
「対価は?」
「こいつで十分だろう」
 
 フィロメニアの問いに、辺境伯はテーブルに置かれた牙を見るのだった。





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