猫、時々姫君

篠原 皐月

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第6章 姫、時々黒猫

4.猛獣と猛獣遣い

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「姫、お寛ぎのところ申し訳ありませんが、少しお邪魔しても宜しいですか?」
「どうぞ。構いませんよ?」
「失礼します」
 丁重に断りを入れてから自分の隣に腰掛けたジェリドを見上げて、シェリルはしみじみとした口調で告げた。

「ジェリドさんは相変わらず、言葉遣いが丁寧ですね。一々畏まらなくても良いですよ?」
 そう言われたジェリドは、ちょっと苦笑いしてから、微妙に呼称と口調を変える。

「言われてみれば婚約者同士だし、あまり遠慮し過ぎるのも良くないな。それでは今後、姫の事はシェリルと呼ぶから、シェリルも私の事はジェリドさんでは無くジェリドと呼んで貰えるかな?」
「ええ、分かったわ。ジェリド」
(正直に言えば、年上の人を呼び捨てにするのは抵抗があるけど……)
 そう思いながらも、シェリルは自分自身を納得させた。それと同時に、ある事実も思い出す。

(でも……、騙し討ち的に詠唱契約石を使っても、ジェリドさん的にはこれまでは遠慮してたって事よね? 遠慮しなくなったらどうなるのかしら?)
 なんとなく怖い考えになりそうで、シェリルが思わず首を振って頭の中からその考えを消し去ろうとしていると、その様子を見たジェリドが、不思議そうに尋ねてきた。

「シェリル、何か気になる事でも?」
 そこで、話題を変える必要性を感じたシェリルは、この間気になっていた事を口にしてみた。
「あ、ええと……、私達の婚約が正式に決まったとはエリーから聞いたんですけど、ジェリドは私のどこが良いの? きちんと聞いていなかったけど、未だに猫気分が抜け切らない、貴族のお姫様としての知識も教養も無い、中途半端な王女ですよ?」
 シェリルにしてみれば真っ当な主張だったのだが、ジェリドは笑いを堪える様な表情になった。

「まともな人間なら、好き好んで自分と婚約なんかしないと?」
「ええ……、はっきり言えばそうだけど」
「私はまともな人間では無いから」
 にっこり笑いながらの断言っぷりに、シェリルは思わずその場に突っ伏したくなった。
(いきなりコメントに困る事を言わないで欲しい……)
「……と言うのは、冗談にしても」
(今の、冗談だったんですか…)
 益々自分の婚約者の人間性が分からなくなってきたシェリルだったが、そんな彼女に向かってジェリドが急に真顔になり、真剣に訴えかけてきた。

「シェリル、私は昔から、世の中が退屈でつまらなくて、仕方がなかったんだ」
「つまらない? まだじっくり見た事は無いけど、王都には面白い場所や面白い事が一杯だって、リリスが言っていたけど……」
 怪訝な顔になったシェリルに、ジェリドが若干考え込みながら言い直す。

「そうじゃなくて……、人生そのものがつまらないとしか思えない、と言えば分かり易い?」
「人生?」
 本気で首を捻ったシェリルに、ジェリドが淡々とその理由を説明する。

「ああ。生家は押しも押されぬ上級貴族だし、見てくれの良い容姿に生まれついたし、学問も必要な事は比較的あっさり修得できたし、周りから妬まれて襲撃されても、余裕で撃退できるだけの技量も得られたし。それで人生とかについて、小さい頃からあまり悩む事が無かったんだ」
「はぁ……」
(真顔で言ってるところがどうも……。ジェリドってひょっとして、他の人から見たら、相当嫌な人なのかしら?)
 思わずシェリルまで真剣に考え込んでしまうと、ジェリドの話は、いきなり予想していなかった方向に流れた。

「だから、君を見た時は、かなりの衝撃だったんだ」
「え? 猫人間がそんなに衝撃だった?」
 微妙にショックを受けながらシェリルが応じると、それを察したらしいジェリドが、軽く手を振りながら苦笑気味に宥める。

「違うから。いや、確かにそれも少しは有ったけど、シェリルを見に行く度、君がいつも笑って楽しそうに過ごしていたのが、とても不思議だったんだ。どうして笑っているんだろうと、今まで何に対しても大して悩んだ事の無かった私が、真剣に悩んだよ」
「……笑っていたら駄目ですか?」
 益々当惑した表情でシェリルが問いかけてきた為、ジェリドはその詳細について説明を始めた。

「自分が猫では無く、ちゃんと人間だと認識しているのに、ろくに本来の人の姿になれない状況なんて、普通の人間ならそれだけで凄いストレスだと思うんだ。通常なら世を儚んで自暴自棄になったり、周囲を恨んで性格が歪んだりするものだと思うんだが」
「……そんなものかしら?」
 いまいちピンと来なかったシェリルが曖昧に問い返したが、ジェリドは力強く断言した。

「そんなものだよ。だけどシェリルは、猫のままでも自分の人生を悲観する事無く、ありのままを受け入れて、明るくまっすぐに成長しただろう? これは多分に君を育てたアーデン殿とエリーシア殿の、性格や考え方による影響が大きいとは思うが、それにもまして君の精神が頑強である事の証だと思う」
「……どうもありがとう」
 そこで曖昧に頷いて礼を述べた彼女に、ジェリドが念を押してきた。

「言っておくけど、これは『神経が図太い』とかの話とは違うから」
「……はぁ」
(何か、考えが悉く読まれている気がする。人生経験の違いかしら?)
 軽く溜め息を吐いたシェリルを見下ろしながら、ジェリドの話は更に続いた。

「だからそんな君は、私が尊敬する数少ない人間の1人なんだ。君の笑顔は、何でも人任せにして怠惰な人生を送っている、苦労知らずな貴族の令嬢の媚びを含んだそれより、数倍の価値がある。他の誰が何と言おうと、私はそう思っているよ?」
「ありがとう」
「だからその笑顔を守る為に、私の人生を捧げても良いんじゃないかと思ってね。まあ、君と出会うまでは、大して生きがいの無い人生だったし。あまりつまらなくて、いっその事謀反でもしてみたら波乱万丈の人生が過ごせるかもとか、時折真剣に考えていた位だったから」
「ええと……」
(何か今、サラッと凄い事を言われた様な……)
 シェリルが戸惑いながら頭の中を整理しようとした所で、ジェリドが満面の笑みで告げた。

「そういうわけだから、君の心身を一生守るから、死ぬまで私に付き合って欲しい。どうやら私は他人に言わせると、並みの人間には手に余る、複雑怪奇な人間らしいんだ。大事にするよ? シェリル。勿論、猫だって構わないし」
(それって……、要するに私、他の人が尻込みする危険人物を、押し付けられたって事なのかしら?)
 愛想良く言葉を繰り出したジェリドに、シェリルは唖然としてから小さく噴き出した。そして楽しそうに言葉を返す。

「言わせて貰えば、『猫だって構わない』なんて断言できるジェリドの方が、遥かに精神が頑強だと思うけど?」
「それなら益々、似合いの夫婦になれると思わない?」
「でもエリーが『猫になりたがってるうちは、結婚なんて無理よね』って言ってたけど」
「『猫相手に結婚したい』とエリーシア殿に申し出たら不審者扱い決定だと思って、今まで何年もこっそり様子を伺ってたんだから、この後何年かかかっても大した事は無いさ。……そうだ。この際退屈しのぎに、私が猫になる術式を彼女に構築して貰って、時々猫になってシェリルと一緒にのんびりしてみようか?」
 それを聞いたシェリルは、泡を食って力一杯否定した。

「ちょっと待って! そんなの駄目だから!」
「傷付くな……、どうしてそんなに嫌がるのか、理由を聞いても良い?」
「だって! そんな事をしたら、世間に猛獣を放す様な気がするんだもの!! ジェリドだったら猫を通り越して、大型獣になりそう!!」
そこでわざとらしく傷ついた表情になっていたジェリドは、盛大に笑い出してしまった。

「酷いな。未来の夫を、猛獣扱いだなんて」
「でも! さっきディオンが逃げ出したのって、絶対ジェリドが何かしたからよね!?」
「何もしていないよ? 軽く睨み付けただけで」
「どんな顔で睨んだんですか!!」
 そんなやり取りをしてから、ジェリドは何とか笑いを抑え、シェリルに向けて両手を伸ばした。

「ところでシェリル。そろそろ歴史の勉強の時間じゃなかったのかな? 部屋まで送って行くよ?」
「確かにそろそろ時間だけど……、どうしてジェリドが私の予定を知っているのか、聞いても良い?」
「う~ん、何となく?」
 含み笑いで応じたジェリドに、シェリルは最早苦笑いしかできなかった。そして(まあ、いいか)と思いつつ、素直に彼の腕の中に収まる。
 そして立ち上がった彼に慎重に運ばれながら、シェリルはもう一度尋ねてみた。

「あの……、本当にもう少し、時々猫になっていても良いですか?」
「勿論。猫のままでも、これまで君が見ていなかった世界を、沢山見せてあげる事はできるからね」
 そう事もなげに語ったジェリドの腕の中から、シェリルが無言で空を見上げると、頭上には澄み渡った青空が広がっており、これからの自分の無限の可能性を体現した様なその景色に、彼女は自然に顔を緩めて見入ったのだった。

(完)
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