猫、時々姫君

篠原 皐月

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第5章 長すぎる一日

11.困った養い親

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「こうしちゃいられない! 王宮に急がないと!!」
「そうだったわ。行きましょう!」
 脱力して地面に横たわっていたディオンが、視界の隅に淡く光る小さな存在を認めた瞬間、勢い良く跳ね起きてシェリルを促した。対するシェリルも気を取り直し、もう姿を消す必要は無い為その術式を解除し、ディオンと並んで街道を走り始める。

「本当にこの蝶の形をした物、王宮まで案内してくれるみたいね」
「その様だな。だけど、この辺はどう見ても王都の端の方だし、中心部まではどれ位かかるんだか」
 自分達の少し前を飛んで行く蝶もどきを追って、石が敷かれた道を走り出した二人だが、当初の畑や草原しかなかった周囲に段々と家が増えてきても、どこもひっそりと窓や戸を閉ざし、人の往来も無かった。そして暫く走って息が切れたディオンが、小さな広場らしき所で立ち止まり、膝に両手を当てて息を整える。

「はぁ……、参ったな。人通りがこんなに無いとは。馬車も通らないなんて」
 如何にも困惑した呟きを口にしたディオンに、シェリルが不思議そうに尋ねる。
「暗くなってから外に出るのって初めてだけど、いつもはもう少し往来があるの?」
「この辺りはまだ庶民の生活圏だけど、魔術灯も点いているし、普通ならもう少し夜遅くまで出入りはある筈なんだが」
 そこでディオンは、ある事に気が付いた。

「そうか……、今日はお昼に陛下の即位二十周年記念式典が有ったんだよね?」
「ええ、そうだけど」
「日中、王都中の人間が王族のバルコニーからの挨拶や、パレードを中心部に見物に出かけて、仕事を休んだか早めに上がって帰宅したのかも。当然それに出向く人相手に屋台とかも、早い時間から出ていた筈だし。貴族達は舞踏会の為に王宮に集合している筈だから、他のパーティーとか観劇に出歩く奴もいないか」
 そう言って痛恨の表情をしたディオンに、シェリルがなおも不思議そうに尋ねる。
「それで、人通りが極端に少ないの?」
「ひょっとしたらね。……じゃあ、どこかの家に頼んで、馬を借りるか。もの凄く不審者扱いされそうだけど」
 ブツブツとそんな事を呟きながら、ディオンは早速周囲の家々に当たりを付け始めたが、ここでシェリルが広場を横切ろうとしている荷馬車を指差した。

「ディオン! あれを借りられないかしら?」
「そうだな。頼んでみよう」
 表情を明るくしたディオンは急いで件の荷馬車に駆け寄り、半ば強引に手綱を掴んでそれを止めた。
「すみません!」
「何だ? 若いの。ここら辺では見かけん顔だな」
 いきなり馬を止められて不審な顔をしたものの、無精髭を生やした洗いざらしの服を着た農夫らしい男は、ディオンに問いかけてきた。しかしそれには直接答えず、単刀直入に話を切り出す。

「いきなりで申し訳ありませんが、この荷馬車を私に貸して貰えませんか?」
「はぁ? 何言ってんだ? あんた」
「詳しい事情は言えませんが、大至急、王宮まで行かなくてはいけないんです」
 そう言ってディオンは真摯に頭を下げたが、相手は一顧だにしなかった。

「駄目だ駄目だ。これは明日も朝早くから、仕事に使うんだよ。馬鹿な事言ってないで、とっとと失せな」
「すみません。色々あって朝までにお返しするのは難しいかもしれませんが、明日中には人に頼んででもお返ししますし、仕事で使えなかった分の補償は、ハリード男爵家が責任を持ってお支払いしますので」
「男爵様だぁ? お貴族様が、こんな農夫相手の約束なんか守るかよ。こんなボロ馬車取り上げないで、立派な馬車でも乗ってな。ほら、行った行った! 女房が夕飯こしらえて、俺の帰りを待ってんだよ! さっさと納屋にこいつを入れないと、どやされちまう。さぁ、その手を離してくれ」
 片手で追い払う真似をしながら、男が手綱を引っ張ってディオンの手を離そうとした為、ディオンは説得を諦めた。

「……シェリル」
「仕方無いわよね」
 一応、足元に控えている同行者に同意を求めると、シェリルは溜め息を吐きながら小声で頷く。それを見たディオンは、迷わず実力行使に出た。

「すみません! お借りします!!」
「うわっ!? 何すんだ、この野郎! ……いててててっ!!」
 ディオンが力ずくで男を席から引きずり降ろすと、シェリルはなおも抵抗しようとする男の腰と肩に飛び付き、十分手加減しながら爪で顔を引っ掻いた。それでも男がたまらず座り込んで手で顔を覆っている隙に、ディオンが荷馬車に飛び乗って手綱を取り、素早く方向転換をさせてシェリルに声をかける。

「シェリル、乗って! 行くよ!」
「……あ! こら、待て!! この泥棒ーっ!!」
 シェリルが素早く荷台に飛び付き、その低い壁を乗り越えるのと同時に、ディオンは馬を走らせて逃走を始めた。慌てて男がその後を追うが、忽ち引き離される。その様子を、おそらく収穫物を入れていたと思われる、壁際に転がっていた籠によじ登り、前脚で壁を掴んで馬車の後方を眺めたシェリルは、さすがに気が咎めた。

(うっ、さすがにあのおじさんに申し訳ないわ。そうだ!!)
 そしてある事を思い付いたシェリルは、すぐさま実行に移す。

(出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ……)
 首輪の一番右のガラス玉に触れながら強く念じると、何故かシェリルの眼前に金貨が次々に現れ、それが全て道に落ちてチャリチャリチャリーンと金属製の響きを奏でた。
 さすがにその非日常的な光景にど肝を抜かれた男が足を止めて荷馬車を凝視すると、そこから何故か居る筈のない、女性の声が響いてくる。

「すみませーん! その金貨は迷惑料の先払いです! それに、馬車はちゃんと後からお返ししますのでー!!」
 何が何やら分からないまま、男は呆然と立ち竦んで荷馬車を見送り、彼の姿が見えなくなってから、シェリルは移動して運転台の方に移動した。すると何となく険しい表情のディオンに出迎えられる。

「シェリル……、さっき金貨がどうこうって叫んで無かった? 何の事?」
 その問いかけに、シェリルは素直に答えた。

「さすがに大事な商売道具を盗られたら、ショックを受けると思ったの。勿論これは後から返すけど、馬と荷馬車を一式買える位のお金が手元にあれば、怒りや不安が少しは和らぐかなって思って。咄嗟に金貨を出して、路上に落として来たんだけど」
 しかしディオンはその説明に納得するどころか、益々険しい顔付きになって問い質した。

「シェリル……、金貨を落として来たって、どうやって? そんな物、持って無かったよね?」
「えっと、首輪の一番右の、紫色のガラス玉には金貨を出す術式が封じてあって、これを渡された時父に『お金に困ったら、これで金貨を出しなさい』って言われたの。でも父が死んだ後も、姉がしっかり生活費は稼いでくれてたから、これを使う機会は無くて今の今まですっかり忘れ」
「シェリル……、それ、どうやって金貨を出してるんだ?」
 話の途中でいきなり質問されたシェリルは、怪訝な顔になって考え込む。

「え? どうやってって……。そう言えば、どうやって出してるのかしら? この術式、使った事無いし、聞いた事も無かったわ」
 そのシェリルの反応を見て、ディオンは疲れた様に溜め息を吐いてから、彼女に真顔で言い聞かせた。

「勝手に金貨を合成してるなら、明らかな通貨偽造になる。国で鋳造している通貨の、信用を揺るがしかねない重大犯罪なんだ。世間に露見したら、文句なしに即時家名抹消、官位剥奪、領地没収、下手すれば死刑の大重罪なんだけど、そこの所分かってる?」
「えぇぇっ!! 何それ? 全然聞いてないけど!?」
 途端にブンブンと千切れそうな勢いで首を振ったシェリルに、ディオンは頭痛を堪える様な表情で説明を続ける。

「だろうね……。百歩譲って、その金貨が勝手に合成された物じゃなくて、きちんと正規の手続きで鋳造された物なら、そこまでの罪にはならないけど」
「そ、そうなの? それは良かっ」
「そうなると、どこかから金貨を移動させた事になるよね? 本来の所有者の承諾無しに勝手に移動させたら、明らかに窃盗行為になると思うんだけど……」
「…………」
 冷静にディオンに指摘され、シェリルは無言でピシッと固まった。それを見たディオンは一瞬前方の蝶もどきに視線を移して進行方向を確認し、同時に気持ちを落ち着かせてから、シェリルを横目で見つつ淡々と問いを発する。

「まあ、力ずくで馬車を奪った俺が、言える筋合いの台詞じゃないけどさ。……君のお父さんって、本当にどういう人?」
 そう言われた瞬間、シェリルは涙目になってペコペコと頭を下げながら、ディオンに向かって謝罪し始めた。

「ごめんなさい! 勝手に横恋慕した挙げ句、職場放棄しちゃった変な魔術師でごめんなさい! それから、わけがわからない術式ばっかり構築しててごめんなさい! それと、思考パターンが世間一般の人のそれと、相当かけ離れていたみたいで、本当に本当にごめんなさーい!!」
 その姿に憐憫の情を覚えた事に加え、謝って貰う筋合いも無かったディオンは、穏やかな口調になって相手を宥めつつ忠告した。

「……うん、シェリル。もう良いから。さっきのは見なかった事にするよ。それと、さっきの金貨を出す術式。これからは間違っても、人前で披露するんじゃないよ? 絶対トラブルになるから」
「気を付けるわ」
 そうしてガックリとうなだれたシェリルと、意識を切り替えて険しい視線を前方に向けているディオンを乗せて、漸く市街地エリアに入り込んだ荷馬車は、蝶もどきの先導で王宮に向かってひた走って行った。
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