猫、時々姫君

篠原 皐月

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第5章 長すぎる一日

9.二人の《常識》

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 屋敷中の人間を総動員してディオンを捜索していたらしく、廊下を歩き出してすぐにジェリドは発見された。そして服装がバラバラで統率も取れていない感じの男達が、この場に似つかわしくない彼の派手な出で立ちを見て、不愉快そうに顔を歪める。

「うん? 何だ、お前」
「忍び込むには向いていない、随分派手な格好だが……」
「あのガキを逃がしたのは貴様か!?」
「さあ……、どうだろうな?」
 シェリルとディオンの姿は周囲には見えていない為、この場に居るのは抜身の剣を無造作に持ちながら、薄笑いを浮かべているジェリドだけだと思った連中は、早速しびれを切らして実力行使に出た。

「ふざけんなよ!?」
「構わねぇからやっちまえ!」
「そうだ! あいつが隠れている場所を聞き出すのは、叩きのめしてからでも十分だ!」
「ラルク・ジュート・ユン・ハゥバール・ビスタ……」
 忽ち殺気立った男達の背後で、荒事には向かなさそうなひょろっとした体格の男が、何やら呟き始める。ジェリドの後ろでそれを耳にしたディオンは、シェリルを抱えたまま小声で焦った様に囁いた。

「拙い! あの男、魔術師だ。この至近距離から攻撃する気か? ジェリドさんを無傷で捕える気が無いな?」
「え? 本当!?」
「ラ・エス・バゥ・ガレ・シズ!」
 シェリルが動揺して問い返したその時、素早く剣を構えたジェリドが左から右斜め上に勢い良く振り上げながら一気に呪文らしき言葉を叫ぶと、それと同時に剣の軌跡が明るい光線となって真っ直ぐに伸び、前方に飛んで行った。そしてそれは鞭の様にしなりながらジェリドを攻撃しようとした全員に到達し、飛んで行ったそのままの勢いで連中を背後の壁に叩き付ける。

「あ? ぐわぁぁっ!」
「そんな!? どわっ!」
「ぐぇぇぇっ!!」
「え?」
「あの……」
 勢い良く男達が吹っ飛んで行き、全員が気絶したり呻きながら廊下に蹲ったのを見て、シェリルとディオンは呆気に取られたが、そんな二人を振り返ったジェリドが事もなげに告げた。

「さあ、行って下さい。この突き当たりを左に曲がると、裏庭に面した窓がある通路に出ますので、窓から出て庭を回り込んで、門に向かえば良い筈です」
「分かりました」
「後はお願いします」
 ジェリドの荒技に驚愕したものの、取り敢えず逃げ出すのが先だと思い直したディオンは、素直に彼の指示に従ってシェリルを抱えつつ、自分達の背後に伸びていた廊下を駆け出した。そして説明を受けた通り庭が見える窓が見えた為、注意してそこから裏庭へと出て姿が見えなくなっているのを幸い、塀に向かって一直線に進む。その間も先程ジェリドが用意してくれた蝶もどきは付かず離れず少し先を進んでおり、二人はそれ程不安を感じてはいなかった。
 そこで背後の屋敷から派手な爆発音が数回響いてきた為、ディオンは思わず足を止めて振り返った。その眼前で屋敷から火柱が激しく噴き上がり、よくよく耳を澄ませれば複数の人間の悲鳴や怒声も微かに聞き取れる非日常的な光景を認めて、呆然としながら腕の中のシェリルに問いかける。

「……ねぇ、シェリル。君の婚約者ってどういう人?」
「いきなり『どういう人?』と聞かれても……」
 さすがに一応婚約者らしき人物の事を(出会って間も無いので、殆ど知りません)などとは言い難かったシェリルが口ごもると、ディオンが再確認するように言葉を継いだ。

「あの人、近衛軍の司令官だって言ってたけど、魔術師としての腕前も相当だよね? かなりの威力、しかも調整の難しそうな攻撃魔法を、あんなに詠唱呪文を短縮して操れるなんて」
「魔術師としての能力が高い程、術式や呪文を省略・短縮させて魔法を発動させる事ができるのは知っているけど、そんなに凄いの? ジェリドさんより父や姉の方が、もうちょっと短縮していた様な気がするんだけど。術式発動時の動きも少ないと思うし」
 アーデンやエリーシアが未知の物を解析したり、新しい術式を構築する時に長々と呪文を唱える場合は別として、既に習得済みの術式を構築するのに時間をかけたりしているのを見た事が皆無だったシェリルは、いまいちピンとこないままディオンに尋ね返した。すると彼の表情は見えないながらも、声に疲労感を漂わせながら独り言の様に呟く。

「火をつけるとかのごくごく簡単な魔法なら、一通り修練した事のある人ならあれ位の詠唱で可能だと思うけど……。あれ位威力と速さがある攻撃魔法を繰り出せるとなると、相当凄い事だと思う。そうか……、ここは王都。能力の高い人間がゴロゴロしている上、シェリルはかなり上位の貴族だから、そんな人は見慣れているんだよな? うちの様など田舎の感覚を基本にしたら駄目か……。というか比較の対象にしたら駄目だろう」
 そう言って「あははは」と乾いた虚ろな笑い声を漏らしたディオンに、先程から自分達の周りを蝶もどきがグルグル飛び回っているのに気が付いていたシェリルは、控え目に促してみた。

「あの、ディオン? そろそろ行かない?」
 その問いかけで瞬時に我に返ったディオンは短く謝罪して周囲を見回したが、そこで異常を感じた。
「そうだった。無駄話している場合じゃなかったな。ごめん、急ごう。門の場所は……。うん?」
「なっ、何、あれ!?」
 ディオンの視線に釣られて、シェリルも何気なく屋敷の方に目を向けたが、屋敷から噴き上がっている炎の中から、何か大きな塊が次々に四方八方に飛び出したのを見て仰天した。最悪な事に、その中の一つが放物線を描きながら、シェリル達目指して勢い良く飛んで来る。

「うわぁぁぁっ!!」
「ディオン!?」
 咄嗟に避けられる速さではないそれに、ディオンは下手に動く事を諦め、迷わずシェリルを庇う様にしっかり腕の中に抱え込んでその場に蹲った。そして起こりうる衝撃に備えたが一向にそれは無く、代わりに自分のすぐ横の地面に着地したらしい衝撃を感じる。そして恐る恐る上半身を起こしてそちらに顔を向けると、自分達目指して飛んで来たと思われる角柱状の物が、不自然な角度で地面に斜めに突き刺さっているのを認めた。

「何だこれ? しかもどうしてこんなに、軌道が曲がったんだ?」
「ねぇ、ディオン。これ、魔法で飛んで来たのよね?」
「だろうね。自然に飛び上がる筈は無いし、人の力で飛ばせる筈はないし」
「私の首輪の紅いガラス玉には、魔法による影響を無力化する術式が封じてあるの。だからこれが飛んできたのを魔法による攻撃だと判断して、自動で効果が発動して跳ね返したんじゃないかしら?」
 シェリルがそんな推論を述べると、ディオンは微妙な顔で問いを発した。

「因みに、自然な落石とかに遭遇した場合は?」
「無反応かと……」
「やっぱり、なんか中途半端っぽいよな。その首輪の術式」
 ディオンがしみじみとした口調でそう感想を述べた時、シェリルが驚いた様に叫んだ。
「ディオン、大変! この中に人が居るわ!!」
「はぁ!?」
 自分の腕の中から飛び出たシェリルが焦った声を上げた為、ディオンは慌てて薄闇の中、その角柱状の中に意識を向けた。すると確かに中年のくたびれきった服を着た男が一人、手に短剣を握ったまま透明な柱の中で目を見開いたまま身動きしていないのが目に入る。
 思わず呆然としながら、ディオンはその透明な柱状の物に触れつつ観察を始めたが、こんな物など見た事も聞いた事もなかったシェリルは激しく狼狽した。

「何? この人、死んじゃってるの? どうしたの?」
透明な柱の前でうろうろしながらパニックを起こしかけたシェリルだったが、慎重にそれを観察していたディオンは、何とか平常心を取り戻して彼女に声をかけた。
「……落ち着いて、シェリル。多分この人は死んでいない。ギリギリまで体温を下げられて、仮死状態になっていると思う」
「えぇ? どう言う事!?」
 目を丸くして問い返したシェリルに、ディオンはどう説明して良いものか迷う様な表情になってから、慎重に語り出した。

「その……、うちの領地がある地方は、山奥のど田舎なんだ。だから当然、海辺で獲れる魚介類を口に入れる事は普通なら難しいんだが、獲ってすぐに冷凍魔法で凍らせれば、腐らせずに領地までの運搬が可能だ」
「はぁ……」
 いきなり始まった地元の食事情話に、シェリルは(どうして今、こんな話を?)と内心で怪訝に思ったが、黙って話の続きを待った。

「だけど完全に凍らせると、解凍した時に旨味が水分と一緒に抜けたり、どうしても身が硬くなったりパサついたりしてね。本当に新鮮な状態で調理する為に、単純な冷凍魔法より複雑な術式を必要とする仮死冷却魔法を使う事もあるんだ」
「仮死冷却魔法?」
「ああ。それで周囲と隔絶した状態で運んで、目的地に着いてから術式を解除すると、魚は仮死状態から回復して、元気に水の中で泳ぎ始めるんだ。そしていけすの中から取って、いつでも新鮮な魚が食べられるってわけ」
「それで?」
「……頼む。察してくれ」
 キョトンとして首を傾げつつ、更なる説明を求めたシェリルに、ディオンは片手で顔を覆って項垂れた。そして今聞いた話を頭の中で整理したシェリルが、問題の角柱を再度凝視しながら、恐る恐る確認を入れる。

「ええと……、まさかこれが、その『仮死冷却魔法』とか?」
「俺は本職の魔術師じゃないから、細かい所は不明だけど、現物は何度も見たし触れた事もあるから、その系統の術式を感じ取れるんだ」
 あっさり肯定されて、シェリルは最大の疑問と懸念を口にした。
「あの……、でも、それって、人に使っても大丈夫なの?」
「人に応用したのを見たのは、初めてだな~。ひょっとしたら近衛軍って、捕虜の確保とかにこういう荒業を使用するのが、日常茶飯事なのかな~」
 半ばやけっぱちに、明後日の方向を向きながら現実逃避気味の事を述べたディオンを見て、シェリルはすこぶる真面目に声をかけた。

「ディオン」
「何?」
「これ……、見なかった事にしない?」
 それは極めて後ろ向き、かつディオン以上に現実逃避的な台詞だったが、彼は一も二も無くそれに同意した。
「全くもって同意見だ。先を急ごう」
 そうして一人と一匹は、淡く光る蝶もどきの先導で、屋敷内外の喧騒をよそに、まっすぐ塀まで駆け寄った。
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