猫、時々姫君

篠原 皐月

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第5章 長すぎる一日

7.脱走

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 シェリルとディオンの間で話が纏ってから、二人は石造りの壁の状態を丹念に調べた。すると都合良く欠けている所が何ヶ所か見つかり、そのうち線で結ぶと都合よく山型に配置できる3ヶ所の縁を、フォークでつついて穴を深くする。それからペラペラの薄い毛布を持って来て、そこに端を詰め込む様にして引っかけると、何とか壁の一部分を隠す様に不自然にぶら下がった。
 壁の一部をわざとらしく隠せた事に二人は安堵し、再度段取りを確認してその時を待っていると、階段を下りてくる足音が聞こえてきた為、無言のままディオンがシェリルを抱えた。

(さて、起動……)
 同様にシェリルも黙ったまま首輪のガラス玉に触れながら念じると、瞬く間にシェリルと、彼女を抱えているディオンの姿まで消えて、余人には見えなくなる。当然そんな事など知らない食事当番の者は、下まで下りてきて一見誰も居なくなった様にしか見えない牢の中を見て仰天し、持参したトレーを取り落とした。

「お~い、ディオンさん、メシを持って来……、何!?」
 そして慌てて鉄格子に取り付き、中を確認する。
「居ない!? どうして……、あの野郎!!」
 狼狽したその男が、ほぼ正面に見える毛布を認めると、怒気を露わにして再び階段を駆け上って行った。その様子を見たディオンが、感心した様に腕の中のシェリルに囁く。

「驚いた。本当に俺まで見えていないんだな」
「この姿を消せる術式の説明を受けた時、『姿を消しているお前が触れている人間も、お前同様姿が見えなくなるから』って死んだ父が教えてくれたの」
 シェリルはそう説明したが、ディオンは素朴な疑問を呈した。

「お父さんは、どうしてそんな術式を構築したのかな?」
「父が出かけると、当時家には子供の姉と私しか居なくて。姉も魔術師で大抵の危険は回避できるけど、襲撃されて姉が怪我をしたら私だけでは反撃できないから、これで自分と姉の身を守る様に言われたわ」
 それを聞いたディオンは一瞬考え、次いで微妙な表情になった。

「分かった様な、分からない様な……」
「え? どうして?」
「すぐ逃げる為の術式とか、治癒の術式とか、手っ取り早く攻撃の為の術式の方が良くないかな? 襲撃者が居座って家捜したり、有る物で飲み食いとかし始めたら、お姉さんが怪我したままだと拙くないかな?」
 そう問い返され、シェリルは思わず考え込む。

「……言われてみればそうかも」
「話は後だ、シェリル」
 男達の言い合う声と共に、荒々しい足音が階段から聞こえてきた為、ディオンは注意を促した。そして男達が言い争いながら姿を現す。
「いや、しかし、俺はちゃんと、ドアから離れずに居ましたぜ?」
「現に中に居なくなってるんだ! 早く鍵を開けろ!」
 先程の男が見張り役を責め立てて牢の出入り口の鍵を開けさせ、先に中に入って壁に不自然にかけられている毛布を指し示しながら吠える。

「見ろ! こんな所に堂々と、抜け穴なんか掘りやがって! 出口を調べて」
「そんなわけあるか!!」
「ぐふっ!」
 シェリルがディオンの腕から飛び降りた瞬間、彼の姿が瞬時に現れた。そしてディオンが躊躇う事無く、至近距離にいた男を問答無用で殴り倒す。

「この前は、随分好き勝手やってくれたよな? 1対1だったら誰が負けるか!!」
「ひいぃっ!!」
 一発で相手を昏倒させたディオンが振り返った瞬間、見張り役の男は腰を抜かして恐れおののいた。しかしディオンは彼から鍵束を奪って、奥に突き飛ばしただけで、牢からあっさり出て行く。と思いきや、出入り口を閉めて先程男達が開ける時に見て確認しておいた鍵をより分け、手早く施錠してしまった。

「悪いな。貰っていくぞ」
「あ、ちょっと、待て、おい!!」
 慌てて扉に飛びつき揺すっても開くはずが無く、虚しく階段を上がって行くディオンの背中を見送った。

「こら! 出しやがれ!!」
 下から怒声が響いてくるのは分かっていたが、ディオンとシェリルは聞こえないふりで階段を登り切った。そして廊下に人影が無いのを確認して、扉の向こう側へ慎重に出る。

「取り敢えず、ここまでは成功だな」
 ディオンが大きく安堵の息を吐き出すと、足元からシェリルの声がした。
「その鍵、どうするの?」
 シェリルの姿はまだ見えないままの為、声がした辺りの見当を付けて見下ろしながら答える。

「どこかに捨ててもいいが……。鍵が見つからないせいで発見が遅れて、下に置き去りにした二人が飢え死にとかは寝覚めが悪いな……」
「定期的に見回りしてるから、その心配は無用だと思うけど……、椅子の下にでも置いておかない?」
「そうするか」
 基本的に善人な二人の意見はあっさり纏まり、ディオンは椅子の下に鍵束を置いて、慎重に足を踏み出した。

「シェリル、この屋敷の構造は分かってるかな? 俺がここに連れて来られた時は、目隠しをされていたから全く分からなくて。逃げ出そうとしても、すぐに捕まったし」
 そう問われたシェリルは、申し訳無さそうに言葉を返した。

「う~ん、良くは分からないの。私も今日ここに来たばかりだし、色々歩き回っている間に方向感覚を無くしちゃって。取り敢えず、この廊下を突き当たりまで進んで、左に曲がってくれる?」
「分かった。じゃあシェリル。暫く俺に運ばれてくれ。連中に出くわしたら大変だ」
「そうね」
 屋敷の詳細が不明でも、ディオンは落胆する事無く真顔で頷いた。そして屈んで腕の中に飛び込んできたシェリルを抱き上げ、再び自分の姿を消して、廊下を進み始める。

「まあ、いざとなれば窓から庭に出て、塀を辿って行けばいずれは門に出るだろう……、っ! ひゃあっ!?」
「そうよね……、うきゃっ!!」
 小声で会話しながら曲がり角を直進しようとした二人だったが、いきなり角の陰から剣が突き出され、ディオンの喉をかすって止まった。ディオンが仰天して叫び声を上げつつ腰を抜かして廊下に座り込んだが、自分の頭上を至近距離で剣が通り抜けたシェリルも動転してディオンの腕から飛び降りる。
 それで必然的にディオンの姿が現れたが、角の向こうから現れた人物が、彼をまじまじと見下ろして、訝しげに尋ねてきた。

「何だ貴様? その髪と瞳の色に顔の火傷の痕、まさかディオン・カースド・ハリード本人か?」
「……っ、……はぁ?」
 陰から足を踏み出して現れたジェリドが、ディオンを無表情に見下ろしつつ、一応剣を引いた。それを見たディオンは、何故自分を知っているのかと驚いて目を見開き、彼の予想外の登場に、シェリルが思わず声を上げる。

「ジェリドさん! どうしてここに居るんですか!?」
 すると、ジェリドは訝しげな表情になりながら、声がした辺りに視線を向けた。

「姫? 声がしますが、まさか今、姿を消していますか?」
「はっ、はいっ! 今、見える様にしますね!」
(お、驚いた……)
 まだ変な動悸が収まらないまま、シェリルが首輪のガラス玉に触れながら術式を解除すると、その姿を認めたジェリドが、殺伐とした場には相応しくないと思われる優雅な微笑を向けた。

「いきなり所在が分からなくなって心配しました。ご無事で良かったです。お迎えに参上しました、姫」
「ど、どうも……。お騒がせしてしまったみたいで、申し訳ありません」
「驚いた……、寿命が何年か縮んだ……」
 シェリルは自身が何の連絡もしないで王宮を出た事を思い出し、冷や汗もので頭を下げ、どうやら相手が敵で無いらしいと理解できたディオンは、漸く安堵の溜め息を吐いた。
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