猫、時々姫君

篠原 皐月

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第5章 長すぎる一日

2.予想外の遭遇

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「みぎゃっ! にゅわっ! ふにゃ~っ!」
(ああぁ、身体が軽い! 思いっきり走るのも久し振りだから、風が気持ち良いわ! 最高!)
 刈り込まれた低木の間を走り抜け、噴水をぐるりと回りながら、シェリルは興奮のあまり奇妙な鳴き声を上げまくっていたが、王宮に使える人間達は忙しさで庭園に注意を払うものは少なく、時折警備に立っている近衛兵が(何だ? 今の変な声は)と首を傾げる程度だった。 
 そして気に入っている花壇にシェリルが足を踏み入れると、微かな心地よい香りを感じると同時に、色鮮やかな色彩の中でひらひらと舞う自分と同じ色彩を見つける。

「にゃうっ!」
(あ! 蝶さん、待って~!)
 興奮しっぱなしのシェリルは、黒地の羽に僅かに蒼い模様が入っている蝶に目が釘付けになり、何も考えずにその後を追った。優雅に飛ぶその蝶は、意図してはいなかったであろうが少しの間シェリルと付かず離れずの距離を保ちつつ移動し、やがてシェリルが飛び上がっても届かない高さまで舞い上がって飛び去って行った。そして仮想鬼ごっこの相手が居なくなった事で、シェリルは苦笑いしながら休憩する。 

「はふぅ~」
(残念、振り切られちゃったな~、って、ここどこ?)
 地面に腰を下ろして周囲を見回したシェリルだったが、戸惑ったのは僅かな間で、すぐに目印となる物を発見した。そして木の影で方角を確認しつつ、大体の現在位置を割り出す。

(ええと、あそこの尖塔が、今、東南の方向に見えているって事は、後宮の北側をぐるっと回って西側に出て、本宮の北側と離宮の間まで来ちゃったわけか。ここまで来た事は無かったわね。いつの間にか、結構離れた所にまで来ちゃったな。もう少し後宮に近い所まで戻ろうかしら?)
 初めての場所であり、周囲に人影も無い事から一瞬不安になったシェリルだったが、すぐにその不安を打ち消した。

(まあ、いいか。帰り方は分かってるし。ここで少しのんびりしていこう)
 そして目の前に広がっている、良く手入れされた芝生の上に寝転がる。
(うわぁ~、フカフカの芝生に、ポカポカのお日様。最高に幸せだわ~)
 そんな事を考えながらシェリルは手足を伸ばし、芝生の上を文字通り横にゴロゴロ転がった。ひとしきりそれをやってから、うつ伏せになって動きを止め、気持ち良さからうつらうつらし始める。

(なんだか段々眠くなってきた……。駄目よ、熟睡して寝坊なんかしたら、リリスとソフィアさんが困るんだから。……でも、ちょっとだけね)
 そうしてシェリルは本格的に眠りかけたが、男が言い争う声が聞こえてきて眠気が覚めた。

「……だから離せと言っているだろうが!」
「いいや、離さん! 今日こそディオンに会わせて貰うぞ!」
「ハリード男爵、お止め下さい!」
(え? ディオンって……、まさか、あのディオンの事じゃ無いでしょうね!?)
 寝ぼけながら会話を聞き流していたシェリルだったが、聞き覚えのある名前が出て来た為、慌てて目を開けて立ち上がった。そして茂みの下に潜り込んでこっそり建物の方を窺うと、庭園に面した回廊で二人の男が言い争っているのが目に入る。どうやら離宮の方からやって来た、お供を連れたライトナー伯爵を、本宮の方からやって来たハリード男爵が発見して掴みかかったらしく、お供らしき男性が伯爵の腕を掴んだ男爵の手を引き剥がそうとしている状況の様だった。

「滅多な事を口にするな! ここは離宮じゃない。いつ、誰が通りかかるか分からないんだぞ!」
「そうだな。貴様やラミレス公爵は困るだろうな」
「この貧乏男爵が……」
(あれは、男爵と伯爵? 随分怖い顔をして、何を揉めてるのかしら?)
 夜会で顔を見ていた為、目の前の者達が誰かは分かったものの、一応手を組んでいると思われる二人がこんな所で何を揉めているのかと不思議に思ったが、続くやり取りでシェリルにも事情が飲み込めた。

「大体、お前の息子には三日前に会わせて、話をさせてやったばかりだろうが!」
「魔導鏡越しにな。この三ヶ月の間、直に顔を見ていないんだが?」
「それ位我慢しろ! 大事の前なんだ」
「……本当に、息子は生きているのか?」
「何?」
 自分の腕から手を離し、急に押し殺した声で確認を入れてきた男爵に、伯爵は戸惑った顔になった。しかしそれには構わず、男爵は唸る様に話を続ける。
「実は貴様らにとっくに殺されいて、誰かが息子なりすまして、私達夫婦を騙しているんじゃないのか?」
「何を馬鹿な事を」
 そう言って一笑に付そうとした伯爵だったが、男爵は目を細めて尚も凄んだ。

「腕の良い魔術師なら、魔導鏡の映像などどうにでも細工できそうだしな」
「いい加減にしろ。勘ぐるのもそれ位にしたらどうだ? 俺達が、そんな人殺しも躊躇わない極悪非道な人間に見えるとでも言いたいのか?」
 伯爵は本気で腹を立てた様に見えたが、夜会の時に見せた気弱そうな印象をかなぐり捨てた様な男爵は、更に顔付きを険しくして話を続けた。
「妻が心労で、今朝から寝込んでいる」
「フィオーネ殿が?」
「息子が血まみれで倒れて、呻いている夢を見たそうで、『もうディオンは殺されて、人知れず埋められているんだわ!』と錯乱して手がつけられなくなってな」
 どうやら伯爵と男爵は家族ぐるみの付き合いがあったらしく、旧知の男爵夫人の様子を聞かされたライトナー伯爵は、居心地悪そうにその夫たる男爵から視線を逸らした。

「……それは大変だろうが、それを何とか宥めるのが、夫たる貴様の役目だろうが。少しは俺達を信用しろ」
「信用だと? 人の息子を拐かした挙げ句、人質に取って脅す様な人間が信じられるか! そっちこそふざけるのもいい加減にしろ!!」
(大変! やっぱりハリード男爵は、本物の息子さんを人質に取られて、協力する様に脅迫されていたんだわ! 話からすると、もう三ヶ月も直に会っていないみたいだけど)
 再び激昂した男爵が伯爵に詰め寄るのを見ながら、シェリルは驚きつつも納得した。そうこうしているうちに、あまり騒ぎにはしたくなかったらしい伯爵が妥協する。

「全く……。分かった。これ以上喚くな! 今から息子に直に会わせてやる。それなら文句は無いだろう。付いて来い」
 そう言い捨てて再び離宮方面に戻り始めた伯爵を、男爵が慌てて追いかけた。そしてシェリルも会話が聞こえる距離を保ちつつ、姿を見られない様に注意しながら茂みを抜け出して後を付ける。
「本当か? どこまで行くつもりだ? 日が落ちる前に戻れない所なら、屋敷に連絡を入れておかないと妻が心配する」
「行き先は言えん。だが王都の中に居るから、大して時間を要さずに戻って来れる」
「王都の中!? そんな近くに居たのか? 公爵か貴様の屋敷か!?」
 男爵は本気で驚いた様に見えたが、それはシェリルも同様だった。

(嘘!? 王妃様やレオンに探索結果を少し聞いたけど、ラミレス公爵やライトナー伯爵所有の王都内の屋敷には、怪しい感じはなかったって言ってたのに!)
 すると伯爵が含み笑いをしながら、否定してくる。

「いや、他の協力者の屋敷だ。言っておくが、馬車に乗ったら目隠しをして貰うぞ。ラミレス公爵にも無断で連れて行くから、それ位は妥協しろ」
「分かった」
「それから、言うまでも無いが、息子の顔を見せたら、今夜はしっかり役目を果たして貰うぞ? 変な真似をしたら、すぐに部下に指示を出せる程度に、近くに居るんだからな」
「……ああ」
 凄んで念を押してきた伯爵に、男爵は不本意そうに頷いた。そして二人がどこかに向かって連れ立って歩き始めた為、シェリルは密かに慌てる。

(大変! あの二人を見失わない様にしなくちゃ! それにあの様子だと、本物のディオンが解放されたら、ハリード男爵は本当の事を証言してくれるわよね?)
 そんな事を期待しつつ後を付けていると、離宮の裏玄関らしき場所に辿り着いた。そして誰の物か分からない馬車が、広く開けた場所に三台待機していた。その中の一台に、伯爵が真っ直ぐ歩み寄る。

「出かける間際で良かったぞ。急いで馬車を準備する手間が省けた。早く乗れ」
「ああ」
「……おい、行き先変更だ」
 男爵が乗った事を確認した伯爵は、御者席に待機していた男に近付き、何事かを囁いた。何を言っているのか聞き取れなかったが、ここでシェリルは重大な事に気が付く。

(どうしよう……、後宮から離れているから当然と言えば当然だけど、私の事情を知ってる侍女や兵士さん達と、全然すれ違わなかった)
 キョロキョロと周囲を見回すも、自分を助けてくれる人間など皆無である事を確認して、シェリルは激しく狼狽した。

(ここに人はたくさん居るけど、急に猫が喋り出したら大騒ぎになるし、第一伯爵達に気付かれるわ。でも後宮まで戻ったら馬車を見失っちゃうし、かと言って術式がないと人の姿に戻れないし、どうしよう……)
 そうこうしているうちに伯爵はすぐ座席に収まり、ドアを閉めてすぐに馬車が走り出してしまった。

(ええい! こうなったら!)
 そして勢い良く走り出したシェリルは、まだ助走段階だった馬車がぐるりと広場を回って方向転換している間に門の方向に生い茂っている大木まで到達し、無我夢中でそれを駆け上がった。そして通路側に張り出した太い枝を先端の方に進み、これ以上は無理という場所で待機する。

(早く来て! 折れちゃうから!!)
 その必死の思いが天に通じたか、シェリルの乗った枝がしなって折れる前に伯爵の馬車がその真下を通過し、彼女はタイミング良くその屋根に音も無く降り立った。そして振り落とされない様に屋根に爪を立て、腹這いになって石畳の振動に耐える。

(リリス、ソフィアさん、本当にごめんなさい! 一緒にカレンさんに謝るから! というか、全面的に私が悪いから、私だけ謝るから! もう暫くの間猫にならなくても我慢するから、今日だけ王宮を抜けさせて貰います!! なるべく早く、戻って来る様にするから!!)
 シェリルの心の叫びが誰にも届く事が無いまま、彼女を乗せた馬車は堂々と王宮の門をくぐり抜けて行った。
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