猫、時々姫君

篠原 皐月

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第2章 悲喜こもごも王宮ライフ

6.不可解な関係

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 やはり後宮には序列があるらしく、王妃の次は側妃という事で、その日シェリルは、レイナから招待を受けていた。

「あの……、リリスさん?」
「リリスと呼び捨てで、結構ですよ?」
「どうして抱っこされて、移動しないといけないんでしょうか?」
 リリスの腕の中にすっぽりと納まった状態でシェリルがそう尋ねると、さも当然と言わんばかりの答えが返ってくる。

「今の姫様は、シェリル姫とエリーシアさんの飼い猫ですから。今日はそれをお借りしたレイナ様の所に、私がお届けに行く設定ですので。廊下を一人で勝手に歩いたら、不審がられますよ?」
「あの、でも……、王妃様の所に出向く時は、カレンさんの後に付いて歩いて行ったんですけど……」
 控え目に言ってみたシェリルだったが、リリスの歩みは止まらなかった。

「それは私が抱っこしたいからです! 昔から猫、飼いたかったんですよね~」
(リリスって……、ある意味自由人なのね。侍女としてやっていけるのかしら?)
 自分が動くぬいぐるみか置物扱いされている気がして思わず溜め息を吐いたシェリルだったが、目指す部屋の前に到着する前には、何とか気を取り直した。

「まあまあ、王妃様やレオンから話は聞いていましたが、噂通り可愛らしい事。お会いできて光栄です、シェリル姫。どうぞお座りになって?」
「ありがとうございます。失礼します」
(王妃様とは、また系統の違った美人……。生気溢れると言うか、赤に近い濃い金髪だからかしら? レオンの顔立ちは、間違い無くレイナ様系統よね)
 出向いた部屋の女主人であるレイナは、にこやかに椅子を勧め、シェリルは遠慮なくそのクッションに飛び乗った。そして向かい合って座った相手の顔をまじまじと眺めていると、笑いを堪える様な声がかけられる。

「私の顔に、何か付いていますか?」
「いえ、そうでは無くて……、不躾な質問をしても構いませんか?」
「ええ、構いませんよ? どうぞ、仰ってみて下さい」
 にこやかに促され、シェリルは自分でも相当失礼かもしれないと思いつつ、後宮にやって来てからずっと感じていた疑問について尋ねてみた。

「その……、レオンはミレーヌ様と仲が良いみたいですし、レイナ様も親しくしていらっしゃる様ですが……」
「ええ、そうですね。それが何か?」
「普通、王妃様と側妃様の関係って、あまり仲が良くないものでは無いんでしょうか?」
「一般的にはそうかもしれませんけど、私と王妃様の間では、至って良好だと思いますよ?」
「どうしてですか?」
 その率直な物言いに、レイナは丸い琥珀色の目を見返しつつ、幾分困った様に首を傾げた。

「どうしてと言われても……、そうねぇ……、強いて言えば格の違い、かしら?」
「『格』ですか?」
「シェリル姫にも分かり易く言うと……。ああ、そうだわ。例えば目の前に美味しそうなご飯が有ったとして、至近距離に別の猫が居たら、奪い合いの喧嘩になるでしょう?」
「はぁ……」
 本心を言えば(どうしていきなりご飯の話?)と思ったものの、シェリルは大人しく頷いた。それを見て、レイナが話を続ける。

「でも、暴れ馬の足元にお皿が有ったり、目をつついてくる鷲がお皿の前に陣取っていたら、それらと喧嘩してお皿のご馳走を取ろうと思うかしら?」
 その情景を頭の中に思い浮かべたシェリルは、盛大に首を振った。

「全っ然思いません。食べたくても命を捨てるつもりは無いです」
「つまり、そういう事よ。私、王妃様と張り合う気は毛頭無いの。勿論、向こうが格上と言う事よ?」
「……何となく分かりました」
(何となくすっきりしないけど、分かった事にしておこう……)
 そんな風に自分自身を納得させていると、新たな声がして侍女に先導された十歳前後の少年がレイナの元にやって来た。そして彼女の簡単な紹介によって、その子供が自分の下の弟であると分かる。そして名前を母親から呼ばれたその子は、興味津々でシェリルに向かって足を踏み出した。

「初めまして! カイル・シーガス・エルマインです! あなたがシェリル姉上ですね? 宜しくお願いします!」
 子供らしく元気一杯な自己紹介をして頭を下げたカイルを、シェリルは微笑ましく思いながら自身も頭を下げた。

「はい、そうです。シェリル・グラード・エルマインです。初めまして、カイル殿下。猫の姿で失礼します」
「うわぁ、本当に猫だ。真っ黒で艶々で、綺麗だなぁ」
「えっと……、あの?」
 自己紹介が終わったと思ったら、期待に満ち溢れた目でにじり寄ってきたカイルに、嫌な予感を覚えたシェリルは、多少怖じ気づいた。すると予想通りと言うか何と言うか、カイルが喜色満面で尋ねてくる。

「姉上、抱っこさせて貰って良いですか!?」
 そんな唐突な申し出も、リリスにここまで抱き上げられて来て、色々諦めていたシェリルは、淡々と了承した。

「ええ……、どうぞ、お好きなだけ」
「なでなでしても良いですか!?」
「構いませんよ?」
「お菓子を「あ~ん」ってしたら、食べてくれますか!?」
「……頂きます」
「やったーーっ!!」
「うきゃあぁぁぁっ!!」
 喜んで我を忘れたらしく、カイルがいきなり自分の身体を両手で掴み上げて盛大に振り回した為、シェリルは本気で悲鳴を上げた。それを見て流石に周りの大人も慌てる。

「カイル! お止めなさい!」
「シェリル様、大丈夫ですか!?」
「殿下! 幾らなんでもシェリル様に失礼です!!」
 一際鋭い声で叱り付けた年配の女性は、カイルの乳母か教育係といった立場の人間だったらしく、カイルはビクリと反応してシェリルを椅子に戻してから彼女を振り返った。

「ユリアナ、どうして? 姉上は抱き上げても構わないって言ってくれたよ?」
「それは振り回していると言うんです! 大体本人の了承も無く、いきなり抱き上げたら驚かれるに決まっています!! 第一、姫様は一時的に猫の姿になっておいでですが、れっきとした人間なんですよ? 何ですか『あ~ん』と言うのは!!」
「だって……」
 盛大に叱りつけられて項垂れたカイルが気の毒になり、シェリルはまだ視界が回っている感覚を覚えながらも、頭を上げてユリアナと呼ばれた女性に向かって声をかけた。

「あの、私は構いませんので。殿下の気が済むまで、お付き合いしますから」
「そう言われましても……」
 渋い顔をしたユリアナだったが、シェリルは重ねて申し出る。

「今日はご挨拶と親睦を深めに来た訳ですから。殿下が喜んでくれたら、私も嬉しいです。対外的に不都合があるなら申し訳ありませんが、口外しないで頂けると助かります」
「ユリアナ、姫もそう仰っている事だし、今日だけは大目に見てあげて?」
 そこでレイナが取り成す様に口を挟んで来た為、ユリアナは不承不承頷いた。

「姫様とレイナ様がそこまで仰るなら……。分かりました。殿下、今日だけ特別ですよ?」
「う~ん、分かったよ」
 物凄く残念そうな顔になったカイルだったが、元々物分りは良い子供だったらしく、それ以上ごねたりはせず、三人でお茶を楽しむ事になった。
 先程言った様に、カイルが小さくした焼き菓子を口に運んで貰ってシェリルが食べていると、カイルは至極満足そうに笑い、その微笑ましい光景にレイナやリリスは勿論、先程苦言を呈したユリアナも苦笑しながら二人を見守った。そうして和やかに時を過ごしていたが、冷まして貰ったお茶をシェリルが舐めていると、カイルが思いついた様に言い出す。

「姉上、今度僕に、姉上に似合う首輪をプレゼントさせて下さい!」
 その申し出に、シェリルは恐縮しながら首を振った。
「申し訳ありませんが、これは特別なんです。死んだ義父から貰った物で、猫の姿のまま会話ができる術式が封じてありますし」
「そうか。それなら仕方が無いな。じゃあ何が良いかな……。鼠のおもちゃとか猫じゃらしとかはどうですか?」
 真剣にそんな事を言い出したカイルに、シェリルは(如何にも子供らしいわ)と笑い出したくなりながら答えた。

「鼠は嫌いなんです。見つけると逃げ回ってましたし」
「え? そうなんですか?」
「だって噛まれたら痛そうじゃないですか」
「そうか……、これが『先入観は危険だ』って事なんですね? 前に先生に言われた事が、良く分かりました!」
「お役に立てて嬉しいです」
 うんうんと頷きながら納得しているカイルと見て、シェリルだけでなくその場全員が必死に笑いを堪えていると、何やら気になった事を思い出したらしく、カイルが真顔で申し出た。

「でも姉上? 僕の方が年下なんですから、僕に丁寧な言葉遣いをしなくて良いですよ? ミリア姉様なんて、すごく横柄な言い方をするんだから」
「でもやっぱり王子様ですから。ぞんざいな口のきき方なんてできません」
 気分は今でも一庶民ならぬ一匹というのが本音であるシェリルはそう訴えたが、カイルもそうそう簡単には引かなかった。

「姉上は真面目だなぁ……。あ、でも名前位はちゃんと呼んで欲しいです。殿下とか王子様とかじゃなくて。駄目ですか?」
「う~ん、駄目と言うか、やっぱり抵抗があると言いますか……」
「どうしても駄目ですか?」
 縋る様な眼差しで見つめられたシェリルは、レオンにも同様の事を言われていたのを思い出し、腹を括った。

「分かりました。レオンにも名前で呼んで欲しいと言われていましたし、これからあなたの事はカイルと呼ぶように努力します。それで良いですか?」
「はい! これからずっと仲良くして下さいね、姉上!」
「こちらこそ宜しく、カイル」
 そこでカイルがシェリルの片足を持ち上げ、軽く振って握手をしつつ笑顔を交わし合った。

 それからひとしきりカイルと遊んだシェリルは、名残惜しげな弟に見送られ、リリスに運ばれて自室に帰って来た。そして夕食の手配にリリスが立ち去り、一人で居間に入ると、魔術師棟から戻って来ていたエリーシアが含み笑いで首尾を尋ねてくる。

「お帰りなさい。どうだった? レイナ様と弟君との初対面は?」
「レイナ様はミレーヌ様とはまた違った意味で大らかな方だったわ。カイル殿下には、無事《猫の姉上》で認識されたみたい。可愛かったな。また来て下さいって。一杯遊んできちゃった」
 どことなくその動きに疲労感を漂わせているシェリルに、エリーシアは明るく笑った。

「流石に子どもな分、考え方が柔軟ね~。あるがままを受け入れたか。まあ、次はそういかないと思うけど」
「次って?」
「ついさっきカレンさんが来て、『明日は王女様のお部屋に、お茶の時間に招かれていますがどう致しましょうか』と言われたの。連日だけど、どうする?」
 幾分心配そうにエリーシアが尋ねたが、シェリルはちょっと考えただけで冷静に言葉を返した。

「拒否する理由もないし、行くわよ? ただ……、明日も猫の姿のままで良いのよね?」
「ええ、それは構わないと仰っていたけど……。どうする? 明日は私も一緒に行く?」
 一応言ってみたエリーシアだったが、それは力強い言葉で断られた。

「ううん、一人で行くわ。エリーはお仕事を覚えるのに忙しいでしょ? 取って食われる訳じゃないし、大丈夫よ」
「確かに、王宮で猫の丸焼きを食べる習慣は、無いみたいだけどね」
「もう! 真面目な顔で笑えない冗談言わないでよ、エリー」
 少し茶化してみたら真面目な顔で怒ってきた義妹に、エリーシアは笑いを堪えながら謝った、そして密かに考えを巡らせる。

(結構我儘お嬢様だって噂が聞こえてるんだけどね、そのお姫様。まあ、一度真正面からぶつかってみるべきよね。もし万が一、シェリルに怪我でもさせる様な不届きなお姫様なら、私が根性を入れ直してあげれば良いだけの話だし)
「……寧ろ、何かあった方が楽しいかも」
 頭の中で考えていたつもりが、いつの間にか口に出してしまっていたらしく、シェリルが怪訝な顔で尋ねてきた。

「エリー? 何か言った?」
「ううん? 何でもないわ。それよりそろそろ食事の時間だから人の姿に変えるから、首輪を外すわよ?」
「お願い」
 そうしてシェリルは人懐っこい弟とたっぷり遊んだその夜、ベットに横たわるなり深い眠りに落ちてしまった。
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