猫、時々姫君

篠原 皐月

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第1章 黒猫の秘密

4.術式解除

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 クラウスから、翌朝再度連絡があり、指定された時間にその場所に向かうと、そこに立派な馬車が護衛の騎士を四人引き連れて現れていた。その仰々しさにエリーシアは呆れ、シェリルはすっかり萎縮してしまったが、エリーシアがそんなシェリルを宥めつつ抱き上げて恐れ気も無く乗り込むと、その馬車が静かに動き出す。
 窓から見える景色を眺めながら言葉少なに話しているうちに、大きな門を抜け、建物の様子が様変わりしていくのを認めたエリーシアは、動き出した時と同様静かに止まった事で、目的地に到着した事を悟った。

「到着したようね」
「……エリー?」
「大丈夫よ。いざとなったら逃げれば良いだけの話なんだから。ここに来るまでにどんな結界が張ってあるかは、粗方分かったし。シェリル、一応用心の為に、猫の姿の間は喋らないでいて」
「分かったわ」
 腕の中で不安そうに見上げてくるシェリルに、エリーシアはすこぶる冷静に指示を出した。それを受けてシェリルは自身の首輪に半ば埋め込まれている五つのガラス玉のうち、中央の緑色の物に前足で触れる。そして見た目全く変わらないシェリルを抱えたエリーシアは、扉を開けてくれた御者に礼を述べながら、地面に降り立った。

「お嬢様、到着しました」
「ありがとうございました」
 すると待ち構えていたらしい数人の中から見覚えのある人物が飛び出し、勢い良く迫って来る。

「お待ちしておりました、姉上!」
「また出たわね、この変態王子!」
 条件反射的にエリーシアは左手でシェリルを抱えたまま、右手を術式を稼動させる為に不穏な動きをさせ始めた。それを見て王宮専属魔術師の制服らしい、襟元に王国の紋章が刺繍してある裾の長い紫色のローブを身に纏ったクラウスが人垣の前列から慌てて駆け出し、二人の間に割って入る。

「エリー、待った! 殿下もここはひとまず下がって下さい!」
「いや、しかしだな」
「話は後です! さあエリー、こっちだ」
「はい」
 必死の形相で王太子を叱りつけたクラウスは、そのままの勢いでエリーシアの手を取り、ずんずんと目の前の建物に向かって歩き始めた。どうやら馬車は王宮魔術師の執務棟玄関の真ん前に停められたらしく、開け放たれていたドアから入って奥へと進んだが、先程自分達の前に現れた集団がそのままゾロゾロと後ろに付いて来ているのを認め、エリーシアは無意識に眉を寄せる。

「……何で距離を取って付いて来てるんですか、あの人」
「彼は正真正銘、その猫の弟君でね」
「そうなると、シェリルが王女様と言ってる様に聞こえるんですが?」
「王女様なんだよ。信じて貰えないとは思うけど。その証拠と言うか……、証明する為に君達に来て貰ったんだ。その後で詳しい事情説明をするよ」
「…………」
 ここで思わず一人と一匹が自分に向けてきたそれはそれは懐疑的な視線に、クラウスは思わず溜め息を吐いた。

「そこまであからさまに、怪しむ目つきをしないで貰るかな、エリーシア。さすがに傷付くよ」
「そう言われても……」
「みゃ~う?」
 憮然として呟いたエリーシアだったが、腕の中からシェリルが呼び掛けてきた事で、目下の最重要課題を思い出した。

「それでクラウスおじさん。取り敢えず王宮で何をしろと?」
「昔、王女にかけられた魔法の解放術式は判明しているんだ。だからこれから、その子でそれを試す」
「なるほど。それで無事人の姿に戻ったら、シェリルはおじさん達が主張する王女様だと、証明される事になるんですね?」
「そうだ。エリー、協力してくれ」
 合点がいったエリーシアは、その申し出に素直に頷いた。

「私も解放術式が存在しているなら、是非とも試してみたいです。王女様云々はどうでも良いですが、該当する術式だったら嬉しいですし」
「多分、大丈夫だと思うよ?」
「うにゃ?」
「取り敢えず現物を見てみましょう」
 苦笑しながら頷くクラウスと、期待と不安が交錯しているらしいシェリルを交互に見ながら、エリーシアは導かれるまま奥へと進んでいった。そして幾つもの角を曲がり、階段を上りつつ感想を述べる。

「ここがおじさまの職場ですか? さすがに広いですね」
「一応王宮所属だしね。さあ、この奥だ」
 そう言いながらクラウスが押し開けた重厚な扉の向こうには、吹き抜けの広い空間が広がっており、壁際には魔術用の道具や蔵書を保管する棚が整然と並んではいたものの、中央部には何も無かった。その室内に入りながらクラウスが口の中で小声で呪文を唱えると、その何も無かった床面から何本も滲み出た細い光が、凄い勢いで床面を走り、瞬く間に何重にもなった円形と、その隙間を埋める様に幾何学模様と古代文字がびっしりと描かれた術式が現れる。
 殆ど同一の物をこれまで何度も目にしていたエリーシアは、その完成度を見て思わず目を見張った。

「これは……」
「エリー、君の目から見てこれはどうかな?」
 その問いかけにエリーシアは直接答えず、右手を中空に伸ばしつつ簡潔に呪文を唱える。

「リーディ・ラン・ジスレクト・ユルツ」
 すると彼女の指先から、先程の床から放出された光と同様の物が何本も噴き出し、それが床の上で完成している術式に上書きする様に軌跡を描いた。しかし慣れた者が良く見ると、上書きされた方は所々欠損している場所が有り、それを確認したエリーシアが如何にも悔しそうに小さく歯軋りする。

「ここまでは作っていました。本当にあと一歩だったわ」
 そう呟いたエリーシアが指を鳴らして上の術式を消し去ると、クラウスが心底感心した様に彼女に声をかけた。

「凄いな。かけた術者や構築成分が分かっているならともかく、こんな複雑極まりない代物を、全く白紙の状態からあそこまで構築できるなんて……」
「半分以上は父さんが構築した物です」
 エリーシアは端的に事実を述べたが、クラウスは力強く言葉を継いだ。

「土台がそれにしても、アーデンは五年も前に亡くなっているし、精密に上書きしていったのは君だろう? 前々から思っていたんだが、この機会に是非とも君を王宮専属魔術師として招聘したいな」
「堅苦しいのは御免なんですが」
「今回のこれで、そうも言っていられなくなってね」
 そこでいつの間にか背後に控えていた集団の中から、「うおっほん」と如何にも催促する様な咳払いが聞こえて来た為、クラウスはここに彼女達を連れて来た本来の目的を思い出した。

「取り敢えず勧誘はまた日を改めてだな。エリー、早速この術式をこの子で試してみないか?」
「はい。やってみましょう」
 魔術師として目の前の術式を見て興奮する気持ちを何とか抑えながら、エリーシアは屈み込んで腕に抱えていたシェリルを慎重に床に下ろした。

「シェリル、首輪を外すわ」
「な~ぅ」
 床に座って大人しく顔を上げたシェリルの首から、後ろの結び目を解いて革製の首輪を取ったエリーシアは、変わらず床に淡く光っている術式を指差しながら指示を出した。

「じゃあシェリル、あそこの術式の中央に座って」
「みゃ~ぅ」
 一声小さく鳴いて指し示された方向に大人しく歩いて行ったシェリルは、僅かに躊躇う素振りを見せながら淡く光る術式に足を踏み入れ、無言でその中央で足を揃えて座った。それを確認したエリーシアが、緊張感を漲らせた表情でクラウスを振り返る。

「おじさん、詠唱呪文は何でしょうか?」
「通常の術式解放呪文だ」
「それなら分かりますので、私自身で試してみても良いですか? シェリルの事に関して、なるべく他人任せにはしたくは無いんです」
 真剣な顔で申し出たエリーシアに、クラウスは当然といった風情で頷く。 

「たった一人の家族の君としては、当然の要求だな。ここは任せるよ。もし不測の事態が発生しても、私達が全面的にフォローするから安心してくれ」
「ありがとうございます」
 素直に礼を述べたエリーシアは、この場にクラウスの他にも同様に王宮専属魔術師の正装を纏った男性が三人、部屋の隅に佇んでいるのを確認し、彼らに軽く会釈した。クラウスとの会話は聞こえないまでも、何を話していたかは察したらしい相手から、会釈が返って来たのを視界に収めてから、エリーシアはシェリルに向き直って優しく声をかける。

「心配要らないから、おとなしくしててね?」
「みにゅ~」
 そこ声にシェリルがこくりと頷いたのを見てから、エリーシアは足元の術式に向けて両手を伸ばし、それを発動させるための呪文を唱え始めた。

「デラ・スーリム・ファイリス」
 するとエリーシアが言葉を紡ぎ出したと同時に、床に浮かび上がっている軌跡の光量が徐々に増してくる。

「……ル・ガゥ・ノルド!」
 そしてエリーシアが全て唱え終わった瞬間、室内に目が眩むほどの光が一気に発生し、術式の周りから外に向かって物凄い突風が湧き起こった。

「きゃあぁぁっ!!」
「うわっ! エリー、大丈夫か!?」
 咄嗟に背後に吹き飛ばされそうになったエリーシアを、すぐ背後にいたクラウスが捕まえて何とか支え、部屋の中に喧騒が満ちる。

「魔術師長!」
「大丈夫ですか!?」
「心配要らない! それより猫は!?」
「シェリル!!」
 クラウスに支えて貰いながら、エリーシアは光源の中心を目を眇めて確認しようとしたが、とても叶わなかった。しかし唐突に突風が止み、それと同時にあっさりと光が消えうせると、先程まで術式が浮かび上がっていた場所に、これまで合月の夜にしかなる事ができなかった人の姿になったシェリルが、長い癖の無い黒髪を纏わり付かせた全裸の姿で放心した様に座り込んでいるのを確認する。
 それを確認した瞬間、エリーシアはクラウスの腕の中から飛び出して義妹の元に駆け寄った。

「良かった! 大成功よ、シェリル!! 合月の夜じゃなくても、人の姿に戻れたわ! 勿論、もう猫の姿に戻る事も無いわよ!?」
 勢い良く抱き付いて歓喜の叫びを上げたエリーシアに、シェリルがまだ幾分信じられない表情をしながら問い返す。

「……本当に?」
「本当よ! 良かったぁぁっ!! 父さんが生きてたら、どんなに喜んだかっ……」
 それから感極まった様に、抱き付いたままグスグスと泣き始めたエリーシアに、自身も涙ぐみながらシェリルが礼を述べる。

「エリー、ありがとう。今まで見捨てないで、ずっと面倒を見てくれて」
「何馬鹿な事言ってるのよ、二人っきりの家族じゃない! ……ああ、そうだ。クラウスおじさんにお礼を言わないと。おじさん、この度はどうもありがとうございました」
 思い出した様にシェリルから体を離したエリーシアは、慌てて背後を振り返って頭を下げつつ礼を述べた。

「いや、大した事はしていないよ。取り敢えず姫様に服を来て貰って良いかな? 私達は部屋を出ているから、着替えが終わったらドアから出て来てくれ。場所を変えて詳しい事情説明をするから」
 予め用意されていたらしく、女性用衣類一式らしき物をクラウスが差し出してきた為、エリーシアは漸くシェリルを裸のまま人目に晒す訳にいかない事に気が付いた。そして慌てて周囲を見渡すと、同様の理由からか先程まで経過を見守っていた者達はエリーシア達三人を残していつの間にか室内から姿を消しており、恐らくはクラウスの配慮だろうと感謝する。

「そうですね。すみません。着替えまでは考え付きませんでした。お借りします」
「姫様用に準備した物だから、返さなくて良いよ。じゃあドアの外で待っているから」
 鷹揚に頷いたクラウスは、エリーシアの陰に隠れたシェリルにも小さく会釈してからドアに向かって歩き出した。そしてドアが閉められて二人きりになってから、エリーシアが安堵した様に一つ溜め息を吐いて義妹を促した。
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