有能侍女、暗躍す

篠原 皐月

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第4章 何事も程々に

7.勤勉な彼女

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 そんなハプニングがあったものの夜会は無事終了し、大広間から抜け出したシェリルは、隣接する部屋で控えていたソフィアと無事合流した。

「お待たせ、ソフィア」
「お疲れ様でした、シェリル様」
 恭しく頭を下げたソフィアを従えて、シェリルは後宮の自室に向かって歩き始めたが、少しして周囲に人目が無いのを確認してから、ソフィアが小さく礼を述べた。

「ご協力、ありがとうございます。今回は面倒な事をお願いして、申し訳ありませんでした」
「ううん、別に大した事では無いから気にしないで。あのルーバンス公爵が憮然として黙り込むのを見た時は、笑い出しそうになって大変だったわ。でもこれで何とか、貴族間でルセリアとルーナは別人って言う認識はできたみたいよ?」
「それは良かったです」
 そこで安堵の笑みを見せたソフィアに、シェリルは幾分心配そうに問いかけた。

「でも、ルーバンス公爵が、ルーナがルセリアだって訴えないかしら?」
「そのご心配は不要かと」
「どうして?」
 不思議そうに尋ねたシェリルに、ソフィアが小さく笑って説明を加える。

「ルーバンス公爵は謂われのない罪で追及されるのを防ぐ為、王宮に所定の手続きを踏んで死亡届けを出しています。それを取り消すとなると、それ自体が嘘の届け出をした罪になります」
「あ、そう言えばそうだったわ」
「それに、どうすればルーナがルセリアだと証明できるでしょうか? 彼女はこれまで殆ど社交界に出ていませんでしたし、恐らく絵姿を含む私物は全て、このひと月の間に公爵家が廃棄してしまっているでしょう」
 そう言って意地悪く笑ったソフィアに、シェリルは感心した様に頷いた。

「なるほどね」
「そういう訳で、今後ルーバンス公爵家がステイド子爵家に難癖を付けたり働きかける事は、金輪際不可能なわけです」
 ソフィアがそう話を纏めると、シェリルはしみじみと感想を述べた。

「本当に抜かりないわね。凄いわ、ソフィア。今日の夜会も事前に教えて貰っていたブラン織りのドレスと、クラウダーの新作の絵画と、ロマーレ国から最近入ってきた新種のミンティアの花の話題で、周りから浮かなくて済んだし。本当にソフィアのおかげよ?」
 主から感謝の言葉と眼差しを向けられて、ソフィアは何でも無い事の様に微笑んでみせた。

「これ位、どうって事ありませんわ。これも私の仕事のうちですので。私がお側に居る限り、シェリル様に恥はかかせませんので安心して下さい」
「ありがとう、ソフィア。頼りにしてるわ。結婚してモンテラード公爵家に入っても、付いて来てくれたら嬉しいけど……。元々ソフィアはファルス公爵家から派遣されている形だし、難しいわよね?」
 少し残念そうに言われて、ソフィアも一瞬困った顔付きになったが、すぐに微笑みながらシェリルを宥めた。

「そこの所は、公爵様と国王陛下にご相談しなければ、何とも言えませんが……。姫様が王宮におられる間は、全力でサポートする事をお約束致します」
「ええ、ありがとう。頼りにしているわ」
 それからは他愛も無い話をしながら二人で廊下を進んで行ったが、ソフィアは先程のやり取りを頭の中で反芻した。

(そうね……、確かにあの裏表の有り過ぎる奴が、私を姫様付きの侍女としてモンテラード公爵家に迎え入れるとは思えないし。それに万が一そうなったら、デルスとしての活動を止めなければいけないから、私としてもそれはちょっとね……)
 そこまで考えたソフィアは、あくまでも前向きに考えてみる事にした。

(だけど、姫様の降嫁を遅らせれば遅らせただけ、姫様のお世話ができるわけだし……)
 そこで更に、自分に都合の良い状況を作り出す方策について考え始める。

(陛下は本音ではまだまだシェリル様を手放す気は無さそうだし……、姫様を気に入っている王妃様を介せば、容易に説得できるわよね? 軍関係は近衛総司令官が女官長の旦那様でリリスの父親なんだから、二人から働きかけて貰ってと。……うん、何とかなりそうだわ)
「……ふふっ」
 そして思わず漏れた笑いを耳にしたシェリルが、不思議そうに尋ねてくる。

「ソフィア、どうかしたの? 黙り込んだと思ったら、急に楽しそうに笑って」
 それにソフィアは、微笑みながら謝罪した。
「失礼致しました、姫様。少々、楽しい事を思い付きまして」
「そうなの? どんな事」
「姫様にお話する程の事では……。それよりお疲れになりましたでしょう? 早く戻って休みましょう」
「ええ、そうね」
 そして二人は気分良く後宮に引き上げ、ソフィアは早速翌日から裏工作に奔走した。
 それから十日後。早くもソフィアの水面下の活動が、実を結ぶ事となった。

「サイラス! サイラスは居るか!?」
 昼下がりにドアを蹴破る勢いで、王宮専属魔術師の詰め所に押しかけたジェリドは、広い室内に足を踏み入れるなり、声を張り上げた。その鬼気迫る剣幕に、居合わせた魔術師達が思わず腰を浮かせる。

「モンテラード司令官?」
「何事ですか? サイラスならそこに」
 動揺する周囲を無視し、サイラスを発見したジェリドは、一直線に彼に突進し、思わず逃げ腰になった彼の胸倉を掴み上げて脅しつけた。

「貴様! さっさとあの腹黒女をモノにして、王宮から引きずり出せ! でないと国境の砦に飛ばしてやるぞ!!」
「はぁ!? いきなり何を言い出すんですか?」
「ちょっと、モンテラード司令官? 何でサイラスが飛ばされる事になるんですか?」
 なにやらソフィアの事を言われたとは分かったものの、その理由がさっぱり見当が付かなかったサイラスと、同じく困惑したエリーシアが尋ねると、ジェリドは怒気を露わにしながら語り始めた。

「王太子のレオンが、来月から半年間の予定で隣国グレーナダンへの遊学が決まった」
「それが?」
「お付き武官として、俺が指名された」
「それはそれは……」
「……あらまあ」
 そこまで聞いて、そうなるとこれまで延び延びになっていたシェリルの降嫁予定が、更に遅れる事になったのだろうと理解できたサイラスとエリーシアは、何とも言えない顔を見合わせた。そして苛立たしげなジェリドの悪態が続く。

「『必要最小限の人員でも、王太子を確実に警護できる人材。しかも異国で気を緩めかねない王太子を諫め、場合によっては強硬措置を取れるのは、近衛軍第四軍司令官であり、私の甥でもあるそなたしかおらん』などと如何にも尤もらしい事をほざきやがって! あのヌケサク親父がっ!!」
「もしも~し? 今あなたが貶したのは、この国の国王陛下だと思うんですけど~?」
「王太子とあんたの今後の予定は分かったが、それがどうして俺が吊し上げられる事になるんだよ!?」
 二人はそれぞれ違う方向からの正論を述べたが、ジェリドはそれを一刀両断した。

「あの女が裏から手を回して陛下を丸め込んで、わざわざ俺を国外に出して、またシェリル姫の降嫁の時期を遅らせようと画策したからに決まっているだろうが!!」
 それを聞いた二人は、瞬時に納得した。

「……ああ、そういう事か」
「あんた達、微妙に仲悪いものね。シェリルの前ではいつも二人で、気持ちが悪い位にこにこしているけど」
「どっちも腹黒だからな」
「同族嫌悪って奴よね」
「うるさい。それよりあの女を何とかしろ」
「ちょっ……、そんなに激しく揺さぶるな!」
 そして更にサイラスを脅しにかかったジェリドに、エリーシアは何気なく尋ねてみた。

「ジェリドさん。因みにソフィアさんがサイラスと結婚して王宮勤めを辞める事になったら、サイラスを飛ばす話は無しになるわけ?」
「ああ、一人で飛ばすのは止めて、二人一緒に飛ばしてやる」
 そんな事を素っ気なく言われて、流石にサイラスが腹を立てた。

「どっちにしても飛ばすの前提かよ!? ふざけんな!! 自分で何とかしやがれ!」
 そして呪文を唱えてジェリドを弾き飛ばすと、魔術師としてもそれなりの力量を持つジェリドが、衝撃を受け止めつつ壁の手前で踏みとどまり、迷わず腰に下げていた剣を鞘から抜き去った。

「この事態はそもそもお前が不甲斐なくて、惚れた女に好き勝手させてるからだろうが!」
「その女にしてやられてる男の、負け惜しみにしか聞こえないぞ!」
「ちょっとサイラス! こんな所で暴れないで!」
「モンテラード司令官! ここで剣を抜かないで下さい! 魔術発動も禁止ですよ!」
 そして忽ち一触即発の事態に陥った魔術師棟は、その日、一部が崩壊するという不幸に見舞われた。


「あら? 今のって……」
 同じ頃、後宮の自室でソフィアに刺繍を習っていたシェリルは、微かな振動と聞き慣れない衝撃音を感じて、ふと顔を上げた。
「ねぇ、ソフィア。今何か遠くの方から、変な音がしなかった?」
 しかしその問いかけに、ソフィアは平然と応じる。

「確かに何か、変な音がしましたが、大事ではないでしょう。何かあったら後宮にも知らせがくるでしょうし」
「それもそうね」
 それで懸念を払拭したシェリルに、ソフィアは彼女の手元を指差しながら、笑顔で促した。

「それより、レオン様の遊学に同行するジェリド様の出立までに間に合う様に、そのハンカチの刺繍を仕上げてしまいましょう」
「そうね。喜んでくれるかしら?」
 幾分自信無さ気にそんな事を言ってきたシェリルに、ソフィアは満面の笑みで力強く断言した。

「勿論ですとも! 姫様がジェリド殿の道中の無事を祈って、一針一針心を込めて刺しているのですから。きっと号泣して、喜んで下さる事確実ですわ!」
「そんな……、ソフィア、大げさすぎるわよ」
 照れて赤面しながらちくちくと針を動かし続けるシェリルと、彼女を優しく見守るソフィアを先程から壁際で観察していたリリスは、思わず遠い目をしてしまった。

(モンテラード司令官が泣くとしたら、確かに半分は姫様への感謝の気持ちにでしょうけど、半分はソフィアさんにしてやられた事に対する悔し涙だと思う……)

 そんな些末な軋轢があったとしても、エルマース国はその日も概ね平和だった。
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