有能侍女、暗躍す

篠原 皐月

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第3章 起死回生一発逆転

13.最たる茶番

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 祭壇の間に、主賓として一番最後に入ったシェリルは、新郎側の席の最前列に座っているソフィアを見つけて、(あ、ソフィアだわ)と反射的に笑顔で手を振ろうとした。しかしここで、彼女をエスコートしているジェリドが彼女の視界を遮りつつ、「どうぞお座り下さい」と前方に一つだけ置かれている豪奢な椅子を勧めてきた為に、我に返る。

(そうだわ、危ない危ない。あそこにいるのは私の侍女のソフィアじゃなくて、ステイド子爵家令嬢のエルセフィーナなんだから、私とは接点は無いのよ。知らないふり知らないふり)
 心の中で自分に必死に言い聞かせているらしいシェリルの様子を見て、ジェリドは笑いを堪えながら、彼女の椅子の斜め後ろに立った。そこで祭壇の前に歩み出て来た神官長が、厳かに式の開始を宣言する。

「それではこれよりステイド子爵家嫡男であるイーダリス・マイル・ステイドと、ルーバンス公爵家令嬢であるルセリア・エスタ・ルーバンスの挙式を執り行う。両者共、こちらへ」
 その神官長の呼びかけに応じて、この部屋の前方左右の扉の向こうで待機していた新郎新婦が、神官の先導でゆっくりと進み、祭壇の前で向き合う。それを眺めながら、ソフィアがしみじみと呟いた。

「イーダの就職先が、近衛軍で良かったわ。結婚式も王宮から支給されている第一級礼装で事足りるなんて、なんて経済的なのかしら」
「姉さん……、仮にも弟の結婚式なのに、もっと他の感想は無いの?」
 さすがに隣に座っているネリアが呆れて窘めたが、ソフィアは微塵も動じずに、堂々と言い返した。

「当たり前でしょう? この挙式に関わる費用だって、茶番に終わらせるにしても、ルーバンス公爵家と折半で支払わなければならないのよ? しかもあいつら、持参金は出さないくせに、『急な事なので挙式費用は全額そちら持ちで』とか、臆面も無く言ってきやがって。本当に、冗談じゃないわ」
「姉さん、気持ちは分かるけど声を抑えて。まさか本当に、こっちが全額負担する事になったの?」
「そんな事、するわけないでしょ? 『それならロイ殿との結婚の時は、公爵家が全額負担して頂けますね? 良かったです。公爵家とお近づきになりたいという親戚やお友達がたくさんいて、式にはどなたを呼ぼうかと頭を悩ませておりましたの。公爵家がそういった寛大な事を言って言って頂けるなら、私達の時には遠慮なく際限なく招待客を呼べますわ』と言ってやったら、すぐに『折半で』と言って来たわよ」
「話に聞いてはいたけど……、本当に底が浅くて、どうしようもない人達なのね」
 深々とネリアが溜め息を吐き、その隣でケネルが呆れた表情を隠そうともせずに神父側の席に視線を向けているのを横目で見ながら、ソフィアは微塵も動ぜずに、事の成り行きを注視していた。

「それでは愛と契約を司る女神、レノーラの名において、新たに手を携えて人生を共に歩む二人に、祝福の言葉を授ける」
 それからは出席者の眠気を誘う、神官長の“ありがたいお話”や“結婚に関する女神の訓話”などが暫く続き、ソフィアは久々に己の忍耐力を試される事になったが、漸く事態はクライマックスに向けてゆっくりと動き出した。

「それではお二方、レノーラ神に対して婚姻の宣誓を」
 穏やかな笑顔で神官長が促してきた為、イーダリスは笑顔で祭壇に向かって足を一歩踏み出してから、口を開いた。

「はい、それでは」
 しかし彼の言葉を、ルセリアの金切り声が遮る。
「冗談じゃないわよっ!! どうして私が、こんな貧相な男と結婚しなくちゃいけないわけ!?」
「え?」
「あ、あの……、ルセリア嬢?」
 いきなりの暴言に居合わせた出席者達は勿論、神官長も愕然とした顔付きになったが、他の者より若干早く我に返ったらしいロナルドが、新婦側の最前列で立ち上がり、大声で彼女を叱りつけた。

「こんな所で何を言い出すんだ、ルセリア!! すぐにイーダリス殿に謝罪しろ!!」
 しかしルセリアはそれを聞いて恐れ入るどころか、振り返って父親を睨み付けながら、更なる暴言を放った。

「だってそうでしょう? お父様もお継母様も、いつも『貴族と言うのは伯爵以上の家柄の者を言うんだ。子爵、男爵など物の数に入るか! 金を出す平民の方がまだマシだ』と言っているではありませんか!!」
 その台詞に、所謂下級貴族ばかりの新郎側参列者の席から、一斉に冷たい視線を向けられたロナルドは、さすがに焦って弁解しようとした。

「いっ、いつ私がそんな事を言った!」
「いつですって? それこそ毎日の様に、仰っておられたじゃありませんか! それに『我が家の婚姻相手は、勿論伯爵家以上だ』と常々お話していて、現に殆どのお姉様達が伯爵家以上の家に嫁いでいらっしゃるのに、どうして私だけこんな領地も稼ぎもろくにない、貧相な人と結婚しなければいけないの!? 酷いわ! あんまりよ!!」
「何て事を! 今すぐ、イーダリス殿に謝罪なさい!」
 サーラも激怒してその場に立ち上がったが、ルセリアの毒舌は止まらなかった。

「本当に、冗談じゃないわ! 私の母親が大した家の出じゃ無いから、嫁ぎ先も格下で構わないわけ? 今回の式に第一王女様がいらしたのも、私の式には氏素性のしれない人間から生まれた、王女とも言えない王女が出るには相応しいとか何とか、王女殿下に対して不敬極まりない事を、お継母様が控室で言っておられましたしね!!」
 ルセリアがそう叫んだ瞬間、サーラが絶句して固まり、出席者の殆どの視線がシェリルに集まった。それで緊張した彼女は顔を強張らせた様に演技し、ジェリドは遠慮なく無言のまま、今にも剣を抜きそうな気配を醸し出す。それを横目で見たロナルドは、蒼白になって娘に走り寄った。

「ルセリア黙れ! もうそれ以上、一言も喋るな!!」
 その悲鳴じみた叫びを聞きながら、ネリアは再び姉に囁いた。

「あの結婚相手の方、結構演技派だったのね」
「この先の人生がかかっているんだもの。気合の入り方が違うわよ。ここまで迫真の演技ができるとは予想外だったけど、嬉しい誤算だわ」
 姉妹が囁き合いながらルセリアに視線を送っていると、彼女は掴みかかってきた父親の手を振り払うと同時に、素早くドレスの中から小さな薬瓶を取り出し、蓋を開けながら喚いた。

「ええ、お望みとならば、これ以上喋りませんわ! こんな子爵風情と結婚する位なら、死んだ方がマシよ!!」
 そう叫ぶやいなや、ルセリアが手の中の瓶の中身を煽った為、ロナルドは狼狽してそれを止めようとした。

「なっ、何だと!? 何をする気だ、ルセリア!」
 しかし既に中身を飲み落としたルセリアは「これでご満足でしょう? お父様」と呟いた次の瞬間、よろめいて床に両膝を付いて蹲る。

「……く、はっ」
 そして胸の当たりをかきむしる動作をしたかと思ったら、次の瞬間無言で前のめりに倒れて、動かなくなってしまった。

「え? あ、あの……、ルセリア嬢?」
 目の前で繰り広げられた非常識極まりない光景に、神官長は呆然としながら床に座り込んでルセリアに声をかけたが、彼女が全く反応しない為、その顔を青ざめさせて周囲の神官達に呼びかけた。

「ま、まさか、これは毒……? だ、誰か医者を! 大至急、医者を呼びなさい!」
「はいっ!」
「今、呼びに行って来ます!」
 静まり返った先程までとは一転して、神官が走り回り、出席者が浮足立って室内が騒然となった所で、これ以上は無いと言う位自然に、シェリルは座ったまま気を失ってみせた。

「何てこと……、結婚式で、こんな事が起こるなんて……」
「シェリル、しっかり! 私が付いているから、気を確かに持つんだ!」
 そしてわざと大声で叫んで自分達に注意を向けさせたジェリドは、意識が無いふりをしている彼女が、椅子からずり落ちて怪我をしない様に、慎重にその身体を抱え上げて床に寝せてから、勢い良く立ち上がって背後を振り返った。

「ルーバンス公爵!! 先程のシェリル殿下に対する暴言の数々、許しがたい! どう弁明するつもりだ! 事と次第によっては、この場で叩き切るぞ!!」
 スラリと抜いた剣を眼前に突き付けられての糾弾に、ロナルド以下公爵家の面々は、揃って真っ青になった。

「そ、そんな!! 私は何も! ルセリアが勝手に口走っただけで!」
「そうですわ! 私達は常日頃、王家の方々に敬意を払っておりますもの!!」
「本当か? それなら何故、殿下がご臨席されている場で、この女が当てつけがましく自殺を図ったりするのか、答えて貰おうか!?」
「そっ、そんな事を申されましても!」
 進退極まった感のロナルドが喘いだところで、神官に連れられて医師がやって来た。

「医師をお連れしました!」
「どなたかが倒れられたと聞きましたが、患者はどこですか?」
「そちらの祭壇の前の花嫁です」
「何ですと? それは一大事!」
 血相を変えて医師がルセリアに駆け寄ったが、彼女を仰向けにして色々反応を見ていた彼は、すぐに難しい顔付きになる。それを見た神官長が、恐る恐る彼に声をかけてみた。

「……医師殿、彼女の容体はどうでしょうか?」
 その問いに、彼は首を振った。
「誠に残念ながら、既にお亡くなりになっておられます」
 それを聞いたジェリドが、益々凄みの増した視線でロナルドを見据える。

「ルーバンス公爵。王女殿下に他人が自殺する光景を見せるとは、よほど命が惜しく無いらしいな……」
「ひいっ! ち、誓って、そんなつもりはっ!!」
 明らかに殺気を放ち始めたジェリドに、恐れおののきながらロナルドは弁解したが、ここで急に真顔になったジェリドは、床に座り込んだままの医師に問いを発した。

「ところで医師殿。その女が使った薬物は、一体何だか分かるか?」
 すると、ルセリアの手元に転がっていた薬瓶を観察していた医師は、途方に暮れた表情で答えた。

「それが……、こんな短時間で命を落とす毒劇物、しかも無味無臭となると、全く見当が付きません。出血や皮膚の変色も全く無いとなると、これまでエルマース国内で出回っている薬物では無い可能性すら出てきます。勿論、私が知らない薬物という可能性もありますが、これは何をおいても、王宮に届け出るべき事案かと……」
「分かった。それは私が責任を持って処理しよう」
 生真面目にその医師が述べた事に頷き返したジェリドは、再び鋭い目をロナルドに向けた。

「ルーバンス公爵。貴様、先だって他国と通じただけでは飽き足らず、怪しげな薬物の密輸にまで手を染めたのではあるまいな?」
「そ、そんな! 言いがかりは止して頂きたい!」
 全く見に覚えの無い容疑をかけられて、ロナルドは激しく動揺した。しかしそんな彼を見て、ジェリドが冷徹に言い放つ。

「弁解は結構。この不始末は直ちに王宮の両陛下にご報告した上で、その女の死因を特定する処置を取る。その上で万が一不審な薬物が出てきたら、公爵家の存続も危ういと考えた方が良かろうな。それでは失礼する」
 反論など一切受け付けず、ジェリドは素早く剣を鞘に納めると、気絶しているふりをしたままのシェリルを再び慎重に抱え上げて、悠々とその場を後にした。
 すると、あまりの事態に、この間呆然とジェリド達のやり取りを見守っていた出席者達の中から、ソフィアが憤怒の形相で立ち上がりながら、新婦側の席に向かって非難の叫びを上げた。
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