有能侍女、暗躍す

篠原 皐月

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第1章 降って湧いた災難

5.波乱の休暇初日

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 ソフィアの休暇初日。彼女は律儀に仕えているシェリルに休暇に入る事を告げて挨拶をしてから、王宮内に与えられている宿舎に戻り、下働きの様な服装に着替えて王宮の裏門から城壁の外へと出た。そして周囲の様子に気を配りながら王都内を歩き、特に後を付けられている気配が無いのを確認しながら、商店が軒を連ねる通りに入った。
 傍目には貴族の屋敷で働いている者が、店を覗きながら買い物をしている風情を装いながら、ソフィアは目的の場所に到達する。結構な幅がある広いスペースに、所狭しと様々な種類の野菜や果物が並べられている店内へと足を踏み入れ彼女は、そこを取り仕切っている女性に声をかけた。

「お久しぶりです、エマさん」
「お待ちしておりました、お嬢さん。さあ、奥へどうぞ」
 以前からの顔見知りの彼女に小声で挨拶すると、彼女も心得た様に笑顔で建物の奥へと促す。それに従ってソフィアは勝手知ったる建物の中を通り抜けて、中庭に出た。
 そこの反対側の建物の中には、売り物の根菜等が詰められた木箱や樽が整然と並んでおり、今からその中のごく一部を配達するかの様に、幾つかの箱と蓋の開いた樽を乗せた荷馬車が、中庭の中央に停めてあるのを見て、ソフィアは我知らず愚痴を零した。

「万が一にも、侍女での格好での出入りを見られたら拙いのは分かってるけど、毎度の事ながら面倒だわ」
 その呟きに、背後から同情する様な声がかけられる。
「本当にご苦労様ですな、お嬢さん」
 それにソフィアは慌てて振り返り、弁解しつつ頭を下げた。

「こちらは自業自得ですから。アストさん、今回もお世話になります」
「気にしないで下さい。じゃあそろそろ行きましょうか」
「はい、お願いします」
 頷いたソフィアは躊躇う事無く荷馬車に乗り込み、空の樽にその身体を滑り込ませた。そして先程の男が申し訳程度にその樽に蓋をしてから、その馬車に乗り込んで馬を操り、倉庫代わりの建物を通り抜けて街路へと出る。
 ファルス公爵邸に仕えていた時期、侍女の格好のまま実家に戻った時、偶々知り合いと鉢合わせして侍女として働いている事がばれそうになったものの、何とか誤魔化せた事件があって以来、ソフィアは実家に戻る時にも最新の注意を払い、その姿を人目に晒さない様にしていた。そして今回も出入りの八百屋に頼んで、密かにステイド子爵邸内に自分を運び込んで貰ったのだが、この判断が後で災いとなる事など、今の時点では彼女が知る由も無かった。


 時は少し遡り、同日の朝。
 王宮の魔術師棟の一室で、エリーシアの姿替え術式の実験台になったサイラスは、見事にその身体を暗褐色のつやつやした毛並みと、深い青色の瞳を持つ猫に変身させられた。

「……完璧だな」
 直前まで自分が来ていた服の中から這い出たサイラスが、手足を動かしてみながら感嘆の呟きを漏らすと、得意満面のエリーシアが上から見下ろしてくる。

「当たり前でしょう? あ、外に出る前に、歩き方とか走り方を少し練習しておいた方が良いわよ? シェリルの話だと、二本足と四本足では相当勝手が違うそうだから」
「ご忠告、どうも」
 ここは先達に倣うべきかと判断したサイラスは少し室内を歩いてみたが、やはり猫の歩き方としては不自然な動きになり、彼は真顔で考え込んだ。それとは裏腹に、この間面白半分に見学していた同僚達はエリーシアに拍手喝采を送っていたが、彼らを束ねる立場のクラウスとガルストは、明らかにエリーシアの趣味が暴走した末の代物を目の当たりにして、何とも言えない表情になる。

「それから、出血大サービス。これを付けておいた方が良いわよ?」
「何だ? その首輪」
 どこからか取り出した首輪を見て、反射的にサイラスが顔を顰めたが、エリーシアはもったいぶって言葉を継いだ。

「父さんがシェリルに付けさせた首輪のアレンジなの。その姿のままでも喋れるから魔術は行使できるけど、猫が人の言葉を喋っていたら、周囲の人に不審がられるでしょうが」
「まあ、確かにそうだな」
「この首輪の真ん中の紅いガラス玉に触れて『起動』と念じると、自動的にあんたの言葉が猫の泣き声になる魔術がかけられているから。無意識にその姿で人語を喋らない様にする予防措置よ。人間の言葉を話したくなった場合は『解除』と念じれば良いわ」
 そう言いながらエリーシアが床に膝を付き、自身の首にそれを付けたのを確認したサイラスは、早速試してみる事にした。

「なるほどな。そうなると…………。なぉお~ん」
「うん、我ながら完璧!」
 言われた通り中央のガラス玉を手で探り当てたサイラスが念じると、その後に発した言葉は、猫の鳴き声になって室内に響いた。それを見た同僚達は「おぉ、すげぇ!」などと感嘆の声を上げ、エリーシアは上機嫌なまま説明を続けた。

「それで、猫の言葉しか喋れない時は、咄嗟に呪文が唱えられないでしょう? だから予想外の危険を回避できるような、防御魔法も付けてあるの。それが右側の黄色のガラス玉に術式が封じてあるから、試してみて?」
(右側だな? やってみるか)
 素直に右前脚を首の右側に当てたサイラスは、再び『起動』と念じてみた。するとエリーシアが尋ねてくる。

「サイラス、起動してみた?」
「にゅににゃ~」
「それじゃあ……、ほらっ!!」
「ふぎゃ!?」
 にこやかに声をかけてきたかと思ったら、エリーシアが気合の入った掛け声と共に、傍の机に乗せてあったかなりの重さと大きさのペーパーウエイトを自分めがけて勢い良く投げつけてきた為、サイラスは悲鳴を上げた。しかしそれはサイラスの身体に到達する寸前で、何かに阻まれた様に弾かれて、床にゴトリと落ちる。

「うん、自分の腕前に惚れ惚れするわ」
「みぎゃっ!! ふぐぁっ!! にぎゃぁ~っ!!」
「…………」
 ドヤ顔のエリーシアの前で、寿命が縮んだサイラスが全身毛を逆立てて怒りの形相で抗議するのを見て、同僚達はさすがに彼に同情し、それ以上冷やかす言葉を口にする事はなかった。エリーシアもやり過ぎたと思ったのか、再び屈んでサイラスに謝罪する。

「ごめん、ちょっとふざけ過ぎたわ。でもこれで、防御具合はわかったでしょう? でも人間の身体とは違うんだから、十分注意してよ? それに防御の程度は、本当に最小限なんですからね? まかり間違って誰かに連続攻撃とかされたら、保証の限りじゃないわ。その場合は全力で逃げるか、人語を話せる様にして魔術で対抗するのよ?」
「ぐにゅうぅ~」
 一応真面目に謝ってくれた事が分かったサイラスは、何とか怒りを抑え込みながら唸った。そんな彼に、エリーシアが真顔で説明を続ける。

「それから非常事態の時に使う様に、その姿替え術式を解除する術式を、左側の緑色のガラス玉に封じてあるの。もしもの時に起動して。それが発動した時は、その首輪の長さが五倍に伸長する魔術も付随させてあるから、人の姿に戻っても、万が一にも首が締まる危険性はないから」
「……それはそれは。いたせりつくせりでどうも」
 その用意周到さに半ば呆れながら、中央のガラス玉を触って人間の言葉を喋れるようにしたサイラスは、疲れた声で一応礼を述べた。するとエリーシアが、注意事項を付け加える。

「だけど、いったん解除したら、当然猫の姿に戻れないから、その場合は自己責任でね」
「分かった」
「それじゃあ、邪魔はしないから、ここで少し歩いたり走ったりする練習をしていってね」
 そこでエリーシアは鷹揚に頷き、見物人の同僚達を促して部屋から出て行った。それからサイラスは早速練習を始めたが、室内にただ一人残された為、無様に転んだり自分の足に躓いて転がったりするのを同僚達に目の当たりにされる事は無く、エリーシアのさり気ない心遣いに感謝した。
 そして昼前には四本足歩行をものにしたサイラスは、王宮魔術師の待機部屋に顔を出し、暫く留守にする事を改めて詫びつつ挨拶をしてから、猫そのものの走り方で王宮内を駆け抜けて行った。
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