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番外編 佐竹清人に関する考察~柏木真澄の場合
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その時、真澄はつい先週の出来事を、思い出していた。
※※※※
「……から、…………やめ……と…………だ」
「……ええ」
(結局、清香ちゃんとうちとの関係が明らかになってからも、清香ちゃんと一緒に家に来てくれなかったわね。……まあ、予想はしていたけど)
食事を済ませて繁華街を歩いていた真澄は、横を歩く男性の話に適当に相槌を打ちながら、半月程前の出来事を思い返していた。するといきなり腕を掴まれ、軽く引かれて立ち止まる。
「…………真澄さん」
「え? ……あの、どうかしたの?」
途端に我に返り、驚きながら自分の腕を掴んで怖いくらい真剣な顔で見詰めてくる相手を見返したが、その彼はふっと顔を緩め、苦笑の表情になった。
「やっぱり、聞いて無かったんだ」
「……ごめんなさい。何か大事な話をしていたの?」
上の空で彼の話を聞いていた自覚はあった為、真澄が素直に謝ると、相手が苦笑いしたまま静かに話を続ける。
「ああ、別れ話を。『もう付き合うのを止めないか?』って」
「……え?」
「まさか別れ話まで、聞き流されるとは思っていなかったが……」
「その……、ごめんなさい」
相手の顔に傷付いた表情を認めた真澄は、穴があったら入りたい心境で頭を下げた。すると頭の上から、穏やかな声が降ってくる。
「いいよ。何となく予想はしていたし。俺じゃやっぱり、無理って事なんだろう」
「あの……、無理って何が?」
淡々と言われた言葉に、思わず頭を上げた真澄が怪訝な顔で尋ねると、相手もちょっと意外そうな顔で首を傾げた。
「あれ? ひょっとして無自覚だったのかな?」
「何の事?」
益々意味が分からなくなった真澄だったが、その表情を見て相手は若干困った様に、言葉を選びながら話を続けた。
「どう、言えば良いかな……。真澄さん、これまで俺以外の男と付き合った事、有るよね?」
「あるけど……、それが?」
「全員、相手の方から告白してきて、短い期間で相手から別れを切り出されたんじゃないかな?」
「……その通りだけど」
「別れる時、その理由を聞いた?」
「一応。大抵は『他に好きな女性ができた』だけど。……要は、私に大して魅力が無かったって事でしょう?」
(声をかけてきて何ヶ月もしないうちにそれだなんて、よっぽど可愛げが無いのよね、私。媚びを売るタイプでも無いし……)
そんな事を考えて真澄が密かに落ち込んでいると、すこぶる冷静な声がその耳に届いた。
「いや、それは違うな。別に好きな女性ができた訳じゃない。因みに俺もそうだし」
「え? じゃあどうして……」
困惑しながら控え目に問い掛けた真澄に、相手はその顔を覗き込みながら、真顔で尋ね返した。
「真澄さん、俺に重ねて誰を見ている?」
「誰、って……」
僅かに動揺しながら真澄が口ごもると、相手は断定口調で続けた。
「多分、これまで付き合った事のある男全員、見た目とか話し方とか声とか、『誰か』に似てるって共通点があると思う。違うかな?」
「そんな事は……」
「絶対無いって、言い切れる?」
「…………」
再度問い掛けられ、確かに指摘された様に全員どこかしら清人と似た所のある人物ばかりだった事を認識した真澄は、俯いて黙り込んだ。そして一気に気まずい空気が漂ったが、相手はそれを振り払う様に、軽く笑いながら続ける。
「皆、最初は告白してOKを貰って、喜んだと思うんだ。真澄さんって高嶺の花で、声をかけるのも結構勇気が要るし」
「そんな事は……」
「だけど、自画自賛する訳じゃないけど、真澄さんが付き合っても良いって思う位だから、皆それなりに頭の回転が早くて、察しの良い連中だったんじゃないかと思う。……だから自分自身じゃなくて、自分を通して誰かを見てる、自分と誰かを常に比較してるって、分かってしまったんだ」
「康則さんもそう思ったの?」
多少驚いた様に問い掛けた真澄に、男は笑って頷いた。
「ああ。それでも良いと、最初は思ったんだけどね。今に自分自身を好きにさせてみせるって。……でも君の方からは誘って来ないし、いつでも仕事優先だし、偶に会えても上の空か無意識に誰かと比較されてるし。それが続くと、流石に『誰か』に対する闘争心も萎えるかな」
「ごめんなさい……。最低よね、私って」
自分のこれまでの行為を指摘された真澄が、全く反論出来ずにうなだれると、相手は笑って言葉を継いだ。
「良いよ。単に俺達に、真澄さんにちゃんと目を向けて貰えるだけの、魅力が無かっただけなんだから」
「でも……」
「だけど、真澄さんの心の中の誰かに負けただなんて認めたく無くて、『他に好きな女性ができた』なんて理由付けしたんだよ。恐らくね。皆、揃いも揃って、結構プライドが高い人間ばかりだったんじゃないかな? ……ひょっとしたら、誰かさんも」
「……そうね」
俯いたままそう呟いた真澄に、相手は小さな笑いを零した。
「認めてくれて良かったよ。ここまで言って否定されたら、わざわざ指摘した俺の立場が無い」
そう言って真澄に右手を差し出す。
「そういう訳で、短い期間でしたが、俺は『誰か』への敗北を認めます。別れて下さい。……ですが仕事上ではこれまで通り、友好関係を崩さないで貰えたら嬉しいです。柏木課長?」
明るく笑って言われた内容に、真澄も反射的に笑顔らしきものを返しながら手を伸ばす。
「縁が無かったのは残念ですが、仕事に関してはこちらこそ宜しくお願いします、安西課長。こちらも田積精工との取引は、潰したくありませんから」
「それは良かった。それじゃあ今日は、ここで失礼します」
「ええ」
そうして握手した手を離して最寄り駅に向かって歩き出した安西だったが、二・三歩歩いた所で、足を止めて振り返った。
「柏木さん」
「……はい」
早速、呼び名が変わった事を何となく寂しく思いながら真澄が応えると、安西は幾分躊躇してから、真顔で告げた。
「貴女の詳しい事情は知らないし、余計なお世話かもしれませんが……、周囲に遠慮とかしないで、もう少し素直になった方が良いですよ?」
その言葉が親切心から出た事は十分理解できた真澄は、嬉しそうに笑って礼を述べた。
「ご忠告、ありがとうございます。出来るかどうか分かりませんが、努力してみます」
「いえ……、それでは」
真澄の答えに満足した様な笑みを浮かべた安西は再び歩き出し、その姿が雑踏の中に消えるまで、真澄は見送っていた。そしてその姿が消えてからも微動だにせず、真澄は一人自己嫌悪に陥る。
(今まで、誰も面と向かって言ってくれなかったけど……、本当に康則さんの言った通りだったのかしら?)
「……おい、そこの彼女?」
そこで至近距離から声が掛かったが、自分の世界に入り込んでいた真澄の耳には届かなかった。
(確かに皆、別れた後も、仕事上では普通にやり取りしてくれてるけど……)
「そこで突っ立ってると、通行の邪魔なんだがな」
(私、付き合ってみたら相当がさつで可愛げが無いと思われたと思ってたんだけど……、それ以上に気が付かないうちに、相手に失礼な事をしていたのかしら?)
そこまで考えた真澄は、思わず呻き声を漏らした。
「……最低だわ」
「うん? 体つきは最高に近いと思うが?」
「え? ……きゃあぁぁっ!!」
第三者の声が割り込んだと思ったと同時に、真澄は胸とお尻を服の上から撫で下ろされ、悲鳴を上げながら反射的に一歩後退った。そして往来のど真ん中で痴漢行為を働いた人物を睨み付けようとして、その目を丸くして固まる。
「お嬢さん、どうした? おや? その顔は何だか見覚えがあるが……」
そう言って怪訝そうに腕を組んで考え込む、上下紺色のジャージを着込んで、額にヘアバンドを付けた白髪頭の老人の姿に、真澄の思考回路はほぼ停止状態に陥った。
(え? 何? 今、このおじいさんが私の身体を触ったわけ? と言うか、繁華街のど真ん中で、どうしてこの格好……。それに私もこの人に何となく見覚えが、有るような無いような……)
そこで次に割り込んできた声に、真澄の心臓が止まりそうになった。
「大刀洗会長! 何をやってるんですか、見ていましたよ! 往来のど真ん中で、痴漢行為は慎んで下さい!!」
「相変わらず固いな~、きよポンは。じゃあ老い先短い老人がこの世に悔いを残さない様に、おさわりパブにでも連れて行って貰おうか」
「どこが老い先短いんですか!? それだけ元気があれば、あと五十年はピンピンしてますよ、この妖怪変化! これ以上俺に迷惑をかけないで、寧ろポックリ逝って下さい! ……すみません、連れのエロじじいが失礼を」
「清人、君? どうしてここに?」
「え? 真澄さんこそ……」
連れが不始末を仕出かした相手に頭を下げようとして振り返った清人は、予想外の相手に固まり、真澄も同様に絶句した。しかしその横で、のほほんとした声が発せられる。
「おう、思い出したぞ。総一郎のとこのみぃちゃんだ」
「はぁ?」
緊張感の欠片も無い声に、清人と真澄が揃って顔を向けると、老人は如何にも人の良い笑顔で真澄に問い掛けた。
「最後に会ってから、二十年近く経っているからな……、覚えているかな、真澄ちゃん。私は総一郎の友人で大刀洗雄造だ。昔、家で何回か顔を合わせた事があるが、惚れ惚れする位美人の上、撫で回したい良い身体になったな~。うんうん、立派に成長して嬉しいぞ」
「爽やかな顔で、セクハラ発言は止めて下さい!」
すかさず突っ込んだ清人の声も耳に入らず、真澄は記憶の中で該当する名前を必死で漁った。
(確かに見覚え聞き覚えが……、ちょっと待って。この人にちゃんとスーツとネクタイを身に付けさせて、ふざけたヘアバンドを取って髪を整えて……。名前は……)
「大刀洗…………、って!? まさか結城化繊工会長で、経興連会長の大刀洗会長ですか!?」
思い当たった内容に、真澄が思わず相手を指差しながら絶叫したが、大刀洗はその非礼は咎めずにブツブツと不満を漏らした。
「つまらん肩書きだがな。他にも幾つかあったと思うが。……欲を言えば、昔みたいに『ゆぅじいちゃん』と可愛く呼んで欲しかったな~」
「いえ、あの……、すみません。でも、その、ですね……」
自分に痴漢行為を働いた人物が祖父の旧友であり、国内でも有数の企業の元トップ、かつ有力経済団体の現トップでもある人物だった事実に、真澄の判断力は限界に近付いた。そこで真澄の混乱に、更に拍車をかける発言が重なる。
「おい、きよりん、雄の奴は居たんだろ? 何突っ立ってんだ?」
「年寄りを放り出して行くとは……、敬老精神が欠如しとるぞ? キンキン」
「お、美人だな。雄、知り合いか? 紹介しろ」
「確かに俺も知り合いだが……、きよポンの方が良く知ってるみたいだぞ?」
「何だ、きよとんも隅に置けんな~。俺に彼女を紹介してくれ」
「あ、ずるいぞ、助の。俺が先だ」
「出来るわけ無いでしょうっ!!」
「あの……、何なんですか? 皆さん、さっきから清人君の事を、変な呼び方で呼んでいるみたいですが……」
わらわらと周囲を囲んだ老人達を認めて、真澄は盛大に顔を引き攣らせながらも、何とか質問を繰り出した。
(何なの……、ジャージに続いて現れたのが、羽織袴と、売れない演歌歌手のド派手なステージ衣装も真っ青なスーツと建築作業現場のニッカポッカ姿って……。何の仮装行列? 普通のスーツ姿の清人君の方が、異質に見えるわよ。それに全員どことなく見覚えが……)
一人、盛大に冷や汗を流している真澄に対し、周りの男達が淡々と説明を始めた。
「ああ、それは売り言葉に買い言葉で、清人の奴が『勝負に負けたら自分を好きな様に呼んで構わない』と言ったから、勝負に勝って以来こいつの事を『きよポン』と呼んでるんだ。なあ、きよポン?」
「……お願いですから止めて下さい」
静かに凄んだ清人だったが、周りは誰一人として恐れ入る者は無かった。
「何だ? 女の前だからって格好つけようとしても無駄だぞ? きよりん」
「…………」
ピクリとこめかみに青筋を浮かべた清人だったが無言を貫き、逆に真澄は好奇心に負けて口を開いた。
「あの……、因みにどんな勝負をなさったんですか?」
「あっち向いてホイじゃ! なぁ、キンキン?」
「…………」
予想外すぎる単語を聞いて唖然となった真澄の横で、清人が盛大に吠える。
「社会的地位があるにも係わらず、あんなえげつない汚い手を使って勝ちに行こうとするなんて、あなた方は恥ずかしく無いんですかっ!!」
いきなり激昂した清人に真澄は驚いたが、周りは歯牙にもかけなかった。
「生意気な若造の鼻っ柱をへし折ってやるのも、年寄りの仕事だからな。俺達を恨む前に、自分の未熟さを反省するんだな。きよとん」
「…………っ!」
(凄い……、流石だわ。清人君が勝てない相手が居るって事が、初めて分かった。一体、どんな卑怯な手を使ったのか、興味があるわ……)
呆然と歯軋りする清人を見ながら、真澄が素直な感想を頭の中で思い浮かべていると、中の一人がすかさず声をかけてきた。
「ところでお嬢さん。こんな所で一人で立ち尽くしてどうしたのかな? 声をかけてくれと言ってるようなものだと思うが」
「あ、えっと……、すみません」
反射的に頭を下げた真澄に、相手は如何にも人懐っこい笑顔を見せる。
「いや、謝らんでも良いが……。雄造ではなくても声をかけたくなるぞ? どうかな? 良いホテルを知ってるから、儂と一緒に夜明けの珈琲を」
「年寄りはさっさとくたばるか、寝て下さい! 真澄さん! こんな色ボケじじいを、まともに相手にしないで下さい!!」
さり気なく真澄の手を掴んだ老人を、血相を変えた清人が二人の間に割って入り、ベリッと音がしそうな勢いで引き剥がした。その途端、周りからブーイングが沸き起こる。
「人のナンパを邪魔するとは……」
「何とも無粋な奴だな~」
「やはり色々、躾直しが必要とみた」
「あなた方に躾られた覚えは皆無ですし、直される必要はもっとありません!」
清人が怒りながら喚いていると、真澄が横からボソッと口を挟んだ。
「どうして私をナンパしたいのか、理由をお聞きしても良いですか?」
「は?」
「どうしてそんな事を聞くんだ?」
「ナンパなんか、されまくってるだろう? お嬢さんなら」
不思議そうな顔になって面々が真澄に視線を向け、思わず清人も怒りを静めて真澄に意識を向けると、真澄は言いにくそうに口ごもった。
「だって私、そんなに魅力的じゃありませんから……。ナンパなんて滅多にされませんし。それに……、大刀洗会長に声をかけられる直前に、付き合ってた人から別れを切り出されて、別れた所なんです……」
「………………」
流石に次に続ける言葉が出ず、その場の皆が黙り込んで気まずい雰囲気に満ちると、真澄は益々落ち込んで心の中で密かに清人に八つ当たりした。
(全く、来て欲しい時に顔を出さないで、寄りによってこんな顔を合わせたく無いこんな時に、どうしてひょっこり現れるのよ、この最低男っ!)
そんな事を考えながら、だれも口を開かない為に真澄が俯いたまま話を続けた。
「……だから私、同年代の男性には好かれないタイプだと思うんです」
「あの……、真澄さん?」
躊躇いがちに清人が声をかけて来たのが分かったが、真澄は下を向いたまま敢えて無視した。
「付き合っても、恋愛向きの性格じゃ無いみたいで、すぐに別れる事になりますし」
「向き不向きじゃなくて、個別の相性の問題じゃ」
「だから、私って、年配の方々がからかって遊ぶ愛人タイプの顔なのかな、と」
「真澄さん!」
「な、何? 清人君」
そこでいきなり乱暴に両手で顔を包み込む様にして持ち上げられた為、真澄は驚いたが、それ以上に真正面に現れた清人の表情を見て、完全に怖じ気づいた。そして、唸る様な清人の声がその場に響く。
「……怒りますよ?」
「もう怒ってるみたいだけど、どうして?」
ビクビクしながらも一応理由を尋ねてみた真澄だったが、二人の様子を眺めていた面々からは、真澄の意見を肯定する声が次々と上がった。
「そうだな。怒ってるな、これは」
「いや~、怖い顔だの~」
「これは自分で言ってる程、女にはモテとらんな」
「激しく同感だ」
「五月蝿いぞクソじじいども! 怒っている半分は、てめぇらに対してだ! 四の五の言わないで引っ込んでろ!!」
「ちょっと清人君! 流石にそれは失礼過ぎるわよ! 謝りなさい!」
大刀洗会長以外の面々も、その頃には経済界の重鎮ばかりなのを思い出していた真澄は、彼らに対する暴言を吐いた清人を窘めようとしたが、清人は真顔で話を続けた。
「真澄さん。そんな弱気な事を言うなんて、真澄さんらしくありませんよ?」
真澄の顔から離した手で真澄の両手を軽く握りながら、優しく言い聞かせるその口調に、真澄は訳もなくカチンときた。
「何? 私らしく無いってどういう事? いつもの私はそんなに傍若無人って言いたいわけ?」
「そんな事は言ってません。真澄さんは十分魅力的ですから、自分にもっと自信を持って良いと言いたいだけです」
「でも……」
そこで思わず反論しかけた真澄を、清人が笑顔で制する。
「真澄さんは魅力的過ぎて、大抵の男は声もかけられないで終わるんです。そして偶に声を掛けて来るのが、変に勘違いしている馬鹿男が多いので、真澄さんが門前払いするのは当然なんですよ」
(そこまで言うなら、どうして私を口説いてくれないのよ?)
平然と告げてくる清人に真澄が密かに腹を立てていると、真澄の心の中を読んだ様に周りから茶々が入った。
「ほう? そこまで言うなら、勿論きよポンは、みぃちゃんを口説いた事が有るんだろうな?」
「……いえ、それはありませんが」
その問いに清人が一瞬たじろいでから正直に述べると、ここぞとばかりに面白がって責め立ててくる。
「何だと? それじゃあ矛盾してるだろうが」
「涼しい顔でサラッと嘘を吐く男だの~」
「お嬢さん、こういう不実な男に関わるものじゃ無いぞ? 悪い事は言わないから、きっぱり縁を切った方が」
「五月蝿い!!」
真澄の手を握ったまま苛立たしげに清人が叫ぶと、周りの者達は取り敢えず黙り込んだものの、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら二人のやり取りを観察する態勢になった。その気配を感じた清人は舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、周囲をなるべく気にしない様にして何とか平常心を取り戻しながら真澄に向き直った。
「真澄さん。確かに俺は真澄さんに言わないでいる事がありますが……、これまでに一度だって真澄さんに嘘や変なお世辞を言った事はありませんし、これからも言うつもりは無いんです」
「清人君……」
真摯な口調で訴えかけられた真澄は、どこか頼りなげな表情で清人を見返した。それを受けて、清人が更に言い募る。
「だから、偶々女性を見る目のない男の一人や二人にふられたからと言って、そんな風に落ち込まないで下さい。ましてや自分が愛人顔かもしれないだなんて、自分を卑下する様な発言は」
「違うの」
「え? 何が違うんですか?」
いきなり話を遮られた清人は当惑しながら尋ねると、真澄がぼそりと付け加えた。
「ふられたのは一人や二人じゃなくて……、今日の彼で七人目なの」
「……う……、……ぎ……ね」
真澄が言い終えた瞬間、清人が口の中で何やら呟いた。それが良く聞こえなかった為、真澄が眉を寄せて尋ねる。
「……今、何て言ったの?」
そう問い掛けられて自分が何か口に出した事が分かった清人は、常には無い狼狽ぶりを示した。
「いえ、その……、明日も晴れると良いな、とか何とか」
「清人君?」
ピクリと顔を引き攣らせて睨んだ真澄に、清人は何とか笑顔を取り繕う。
「あの……、単に、相手が見る目が無い男ばかりで災難でしたね、と」
「ふぅん?」
清人の台詞を聞いた真澄は思わせぶりに返事をしてから、未だに自分の手を握っている清人の手を見下ろした。
「清人君、自分では気が付いてないかもしれないけど、嘘を吐く時、左手の小指がピクッと上がるのよ。知っていた?」
「え? そんな癖は……」
「やっぱり嘘を言ったわね」
「…………」
真澄の陽動にまんまと引っかかり、動揺して自分の左手を見下ろしてしまった清人は、自分自身を殴り倒したい気分になった。そんな清人を、真澄が容赦なく追い詰める。
「そうなんだ……。私に対して『嘘を吐いた事は無いし、これからも有り得ない』とか何とか言った舌の根も乾かないうちに、嘘を言えるのね、清人君って」
「真澄さん、それは誤解」
「じゃあ正直に言いなさい。また適当に誤魔化しても分かるわよ? ……今度また嘘を吐いたら、どうなるか分かっているんでしょうね?」
本気で睨みつけられた清人は、深い溜め息を吐いて降参した。そして先程殆ど無意識に漏らした言葉を、真澄から視線を逸らしながらボソボソと呟く。
「その……、真澄さんの男運が悪過ぎるので、お祓いをした方が良いんじゃないかと……」
「へぇ? そんな事を言ったの」
「……すみません。口が滑りました」
盛大に顔を引き攣らせた真澄の手を離し、申し訳無さそうに清人が軽く頭を下げた。その背後で、老人達が無言で額を押さえたり、溜め息を吐きながら首を振っているのが見えたが、怒りが振り切れていた真澄にはどうでも良かった。
(男運が悪いですって? 一体、誰のせいで私がまともな恋愛が出来なくて、ふられまくってると思ってんのよ!? この諸悪の根元の、女ったらしの大馬鹿野郎が――――っ!!)
※※※
「……姉さん? どうかした? 大丈夫?」
軽く腕を掴まれつつ呼び掛けられた真澄は、意識を現実に戻して当惑した表情を弟に向けた。
「浩一? 大丈夫って……、何が?」
「何か言いかけたと思ったら、急に難しい顔で黙り込むから、どうしたのかと思ったよ」
(ああ……、そう言えば、清人君の話をしようとしてたんだっけ。でも……)
思い返していた内容を口にする事など、真澄は真っ平ご免だった。
「……今、最っ高にムカつく事を思い出してね。口に出すとお酒が不味くなりそうだから、止めておくわ」
その口調で、姉の本気の怒りモードが分かってしまった浩一は、慌ててその場を取り繕った。
「そ、そうなんだ。じゃあ無理にとは言わないから。皆も構わないよな? 清人の話題はもうこれでお終いって事で」
「了解」
「良いよ」
「じゃあ清香ちゃんの話でもするか」
「そうだよな~、やっぱり男の話をしても盛り上がりに欠けるし」
口々にそんな事を言って清香の話題で盛り上がる風を装いながら、男達は少し離れた所で手酌で酒を飲み始めた真澄の様子を窺いつつ、こそこそと意見を交わした。
「何なんだろうな、あれ?」
「清人さん、一体どんな状況下で、どんな風に真澄姉を怒らせたんだよ」
「俺達と一緒の時は、間違っても怒らせたりしないよな?」
「う~ん、清人さんについて、益々謎が深まったよな~」
結局、佐竹清人という人間は、その場に居ても居なくても、謎が謎を呼ぶ体質の人間らしいと、真澄以外のその場の面々は結論付けたのだった。
※※※※
「……から、…………やめ……と…………だ」
「……ええ」
(結局、清香ちゃんとうちとの関係が明らかになってからも、清香ちゃんと一緒に家に来てくれなかったわね。……まあ、予想はしていたけど)
食事を済ませて繁華街を歩いていた真澄は、横を歩く男性の話に適当に相槌を打ちながら、半月程前の出来事を思い返していた。するといきなり腕を掴まれ、軽く引かれて立ち止まる。
「…………真澄さん」
「え? ……あの、どうかしたの?」
途端に我に返り、驚きながら自分の腕を掴んで怖いくらい真剣な顔で見詰めてくる相手を見返したが、その彼はふっと顔を緩め、苦笑の表情になった。
「やっぱり、聞いて無かったんだ」
「……ごめんなさい。何か大事な話をしていたの?」
上の空で彼の話を聞いていた自覚はあった為、真澄が素直に謝ると、相手が苦笑いしたまま静かに話を続ける。
「ああ、別れ話を。『もう付き合うのを止めないか?』って」
「……え?」
「まさか別れ話まで、聞き流されるとは思っていなかったが……」
「その……、ごめんなさい」
相手の顔に傷付いた表情を認めた真澄は、穴があったら入りたい心境で頭を下げた。すると頭の上から、穏やかな声が降ってくる。
「いいよ。何となく予想はしていたし。俺じゃやっぱり、無理って事なんだろう」
「あの……、無理って何が?」
淡々と言われた言葉に、思わず頭を上げた真澄が怪訝な顔で尋ねると、相手もちょっと意外そうな顔で首を傾げた。
「あれ? ひょっとして無自覚だったのかな?」
「何の事?」
益々意味が分からなくなった真澄だったが、その表情を見て相手は若干困った様に、言葉を選びながら話を続けた。
「どう、言えば良いかな……。真澄さん、これまで俺以外の男と付き合った事、有るよね?」
「あるけど……、それが?」
「全員、相手の方から告白してきて、短い期間で相手から別れを切り出されたんじゃないかな?」
「……その通りだけど」
「別れる時、その理由を聞いた?」
「一応。大抵は『他に好きな女性ができた』だけど。……要は、私に大して魅力が無かったって事でしょう?」
(声をかけてきて何ヶ月もしないうちにそれだなんて、よっぽど可愛げが無いのよね、私。媚びを売るタイプでも無いし……)
そんな事を考えて真澄が密かに落ち込んでいると、すこぶる冷静な声がその耳に届いた。
「いや、それは違うな。別に好きな女性ができた訳じゃない。因みに俺もそうだし」
「え? じゃあどうして……」
困惑しながら控え目に問い掛けた真澄に、相手はその顔を覗き込みながら、真顔で尋ね返した。
「真澄さん、俺に重ねて誰を見ている?」
「誰、って……」
僅かに動揺しながら真澄が口ごもると、相手は断定口調で続けた。
「多分、これまで付き合った事のある男全員、見た目とか話し方とか声とか、『誰か』に似てるって共通点があると思う。違うかな?」
「そんな事は……」
「絶対無いって、言い切れる?」
「…………」
再度問い掛けられ、確かに指摘された様に全員どこかしら清人と似た所のある人物ばかりだった事を認識した真澄は、俯いて黙り込んだ。そして一気に気まずい空気が漂ったが、相手はそれを振り払う様に、軽く笑いながら続ける。
「皆、最初は告白してOKを貰って、喜んだと思うんだ。真澄さんって高嶺の花で、声をかけるのも結構勇気が要るし」
「そんな事は……」
「だけど、自画自賛する訳じゃないけど、真澄さんが付き合っても良いって思う位だから、皆それなりに頭の回転が早くて、察しの良い連中だったんじゃないかと思う。……だから自分自身じゃなくて、自分を通して誰かを見てる、自分と誰かを常に比較してるって、分かってしまったんだ」
「康則さんもそう思ったの?」
多少驚いた様に問い掛けた真澄に、男は笑って頷いた。
「ああ。それでも良いと、最初は思ったんだけどね。今に自分自身を好きにさせてみせるって。……でも君の方からは誘って来ないし、いつでも仕事優先だし、偶に会えても上の空か無意識に誰かと比較されてるし。それが続くと、流石に『誰か』に対する闘争心も萎えるかな」
「ごめんなさい……。最低よね、私って」
自分のこれまでの行為を指摘された真澄が、全く反論出来ずにうなだれると、相手は笑って言葉を継いだ。
「良いよ。単に俺達に、真澄さんにちゃんと目を向けて貰えるだけの、魅力が無かっただけなんだから」
「でも……」
「だけど、真澄さんの心の中の誰かに負けただなんて認めたく無くて、『他に好きな女性ができた』なんて理由付けしたんだよ。恐らくね。皆、揃いも揃って、結構プライドが高い人間ばかりだったんじゃないかな? ……ひょっとしたら、誰かさんも」
「……そうね」
俯いたままそう呟いた真澄に、相手は小さな笑いを零した。
「認めてくれて良かったよ。ここまで言って否定されたら、わざわざ指摘した俺の立場が無い」
そう言って真澄に右手を差し出す。
「そういう訳で、短い期間でしたが、俺は『誰か』への敗北を認めます。別れて下さい。……ですが仕事上ではこれまで通り、友好関係を崩さないで貰えたら嬉しいです。柏木課長?」
明るく笑って言われた内容に、真澄も反射的に笑顔らしきものを返しながら手を伸ばす。
「縁が無かったのは残念ですが、仕事に関してはこちらこそ宜しくお願いします、安西課長。こちらも田積精工との取引は、潰したくありませんから」
「それは良かった。それじゃあ今日は、ここで失礼します」
「ええ」
そうして握手した手を離して最寄り駅に向かって歩き出した安西だったが、二・三歩歩いた所で、足を止めて振り返った。
「柏木さん」
「……はい」
早速、呼び名が変わった事を何となく寂しく思いながら真澄が応えると、安西は幾分躊躇してから、真顔で告げた。
「貴女の詳しい事情は知らないし、余計なお世話かもしれませんが……、周囲に遠慮とかしないで、もう少し素直になった方が良いですよ?」
その言葉が親切心から出た事は十分理解できた真澄は、嬉しそうに笑って礼を述べた。
「ご忠告、ありがとうございます。出来るかどうか分かりませんが、努力してみます」
「いえ……、それでは」
真澄の答えに満足した様な笑みを浮かべた安西は再び歩き出し、その姿が雑踏の中に消えるまで、真澄は見送っていた。そしてその姿が消えてからも微動だにせず、真澄は一人自己嫌悪に陥る。
(今まで、誰も面と向かって言ってくれなかったけど……、本当に康則さんの言った通りだったのかしら?)
「……おい、そこの彼女?」
そこで至近距離から声が掛かったが、自分の世界に入り込んでいた真澄の耳には届かなかった。
(確かに皆、別れた後も、仕事上では普通にやり取りしてくれてるけど……)
「そこで突っ立ってると、通行の邪魔なんだがな」
(私、付き合ってみたら相当がさつで可愛げが無いと思われたと思ってたんだけど……、それ以上に気が付かないうちに、相手に失礼な事をしていたのかしら?)
そこまで考えた真澄は、思わず呻き声を漏らした。
「……最低だわ」
「うん? 体つきは最高に近いと思うが?」
「え? ……きゃあぁぁっ!!」
第三者の声が割り込んだと思ったと同時に、真澄は胸とお尻を服の上から撫で下ろされ、悲鳴を上げながら反射的に一歩後退った。そして往来のど真ん中で痴漢行為を働いた人物を睨み付けようとして、その目を丸くして固まる。
「お嬢さん、どうした? おや? その顔は何だか見覚えがあるが……」
そう言って怪訝そうに腕を組んで考え込む、上下紺色のジャージを着込んで、額にヘアバンドを付けた白髪頭の老人の姿に、真澄の思考回路はほぼ停止状態に陥った。
(え? 何? 今、このおじいさんが私の身体を触ったわけ? と言うか、繁華街のど真ん中で、どうしてこの格好……。それに私もこの人に何となく見覚えが、有るような無いような……)
そこで次に割り込んできた声に、真澄の心臓が止まりそうになった。
「大刀洗会長! 何をやってるんですか、見ていましたよ! 往来のど真ん中で、痴漢行為は慎んで下さい!!」
「相変わらず固いな~、きよポンは。じゃあ老い先短い老人がこの世に悔いを残さない様に、おさわりパブにでも連れて行って貰おうか」
「どこが老い先短いんですか!? それだけ元気があれば、あと五十年はピンピンしてますよ、この妖怪変化! これ以上俺に迷惑をかけないで、寧ろポックリ逝って下さい! ……すみません、連れのエロじじいが失礼を」
「清人、君? どうしてここに?」
「え? 真澄さんこそ……」
連れが不始末を仕出かした相手に頭を下げようとして振り返った清人は、予想外の相手に固まり、真澄も同様に絶句した。しかしその横で、のほほんとした声が発せられる。
「おう、思い出したぞ。総一郎のとこのみぃちゃんだ」
「はぁ?」
緊張感の欠片も無い声に、清人と真澄が揃って顔を向けると、老人は如何にも人の良い笑顔で真澄に問い掛けた。
「最後に会ってから、二十年近く経っているからな……、覚えているかな、真澄ちゃん。私は総一郎の友人で大刀洗雄造だ。昔、家で何回か顔を合わせた事があるが、惚れ惚れする位美人の上、撫で回したい良い身体になったな~。うんうん、立派に成長して嬉しいぞ」
「爽やかな顔で、セクハラ発言は止めて下さい!」
すかさず突っ込んだ清人の声も耳に入らず、真澄は記憶の中で該当する名前を必死で漁った。
(確かに見覚え聞き覚えが……、ちょっと待って。この人にちゃんとスーツとネクタイを身に付けさせて、ふざけたヘアバンドを取って髪を整えて……。名前は……)
「大刀洗…………、って!? まさか結城化繊工会長で、経興連会長の大刀洗会長ですか!?」
思い当たった内容に、真澄が思わず相手を指差しながら絶叫したが、大刀洗はその非礼は咎めずにブツブツと不満を漏らした。
「つまらん肩書きだがな。他にも幾つかあったと思うが。……欲を言えば、昔みたいに『ゆぅじいちゃん』と可愛く呼んで欲しかったな~」
「いえ、あの……、すみません。でも、その、ですね……」
自分に痴漢行為を働いた人物が祖父の旧友であり、国内でも有数の企業の元トップ、かつ有力経済団体の現トップでもある人物だった事実に、真澄の判断力は限界に近付いた。そこで真澄の混乱に、更に拍車をかける発言が重なる。
「おい、きよりん、雄の奴は居たんだろ? 何突っ立ってんだ?」
「年寄りを放り出して行くとは……、敬老精神が欠如しとるぞ? キンキン」
「お、美人だな。雄、知り合いか? 紹介しろ」
「確かに俺も知り合いだが……、きよポンの方が良く知ってるみたいだぞ?」
「何だ、きよとんも隅に置けんな~。俺に彼女を紹介してくれ」
「あ、ずるいぞ、助の。俺が先だ」
「出来るわけ無いでしょうっ!!」
「あの……、何なんですか? 皆さん、さっきから清人君の事を、変な呼び方で呼んでいるみたいですが……」
わらわらと周囲を囲んだ老人達を認めて、真澄は盛大に顔を引き攣らせながらも、何とか質問を繰り出した。
(何なの……、ジャージに続いて現れたのが、羽織袴と、売れない演歌歌手のド派手なステージ衣装も真っ青なスーツと建築作業現場のニッカポッカ姿って……。何の仮装行列? 普通のスーツ姿の清人君の方が、異質に見えるわよ。それに全員どことなく見覚えが……)
一人、盛大に冷や汗を流している真澄に対し、周りの男達が淡々と説明を始めた。
「ああ、それは売り言葉に買い言葉で、清人の奴が『勝負に負けたら自分を好きな様に呼んで構わない』と言ったから、勝負に勝って以来こいつの事を『きよポン』と呼んでるんだ。なあ、きよポン?」
「……お願いですから止めて下さい」
静かに凄んだ清人だったが、周りは誰一人として恐れ入る者は無かった。
「何だ? 女の前だからって格好つけようとしても無駄だぞ? きよりん」
「…………」
ピクリとこめかみに青筋を浮かべた清人だったが無言を貫き、逆に真澄は好奇心に負けて口を開いた。
「あの……、因みにどんな勝負をなさったんですか?」
「あっち向いてホイじゃ! なぁ、キンキン?」
「…………」
予想外すぎる単語を聞いて唖然となった真澄の横で、清人が盛大に吠える。
「社会的地位があるにも係わらず、あんなえげつない汚い手を使って勝ちに行こうとするなんて、あなた方は恥ずかしく無いんですかっ!!」
いきなり激昂した清人に真澄は驚いたが、周りは歯牙にもかけなかった。
「生意気な若造の鼻っ柱をへし折ってやるのも、年寄りの仕事だからな。俺達を恨む前に、自分の未熟さを反省するんだな。きよとん」
「…………っ!」
(凄い……、流石だわ。清人君が勝てない相手が居るって事が、初めて分かった。一体、どんな卑怯な手を使ったのか、興味があるわ……)
呆然と歯軋りする清人を見ながら、真澄が素直な感想を頭の中で思い浮かべていると、中の一人がすかさず声をかけてきた。
「ところでお嬢さん。こんな所で一人で立ち尽くしてどうしたのかな? 声をかけてくれと言ってるようなものだと思うが」
「あ、えっと……、すみません」
反射的に頭を下げた真澄に、相手は如何にも人懐っこい笑顔を見せる。
「いや、謝らんでも良いが……。雄造ではなくても声をかけたくなるぞ? どうかな? 良いホテルを知ってるから、儂と一緒に夜明けの珈琲を」
「年寄りはさっさとくたばるか、寝て下さい! 真澄さん! こんな色ボケじじいを、まともに相手にしないで下さい!!」
さり気なく真澄の手を掴んだ老人を、血相を変えた清人が二人の間に割って入り、ベリッと音がしそうな勢いで引き剥がした。その途端、周りからブーイングが沸き起こる。
「人のナンパを邪魔するとは……」
「何とも無粋な奴だな~」
「やはり色々、躾直しが必要とみた」
「あなた方に躾られた覚えは皆無ですし、直される必要はもっとありません!」
清人が怒りながら喚いていると、真澄が横からボソッと口を挟んだ。
「どうして私をナンパしたいのか、理由をお聞きしても良いですか?」
「は?」
「どうしてそんな事を聞くんだ?」
「ナンパなんか、されまくってるだろう? お嬢さんなら」
不思議そうな顔になって面々が真澄に視線を向け、思わず清人も怒りを静めて真澄に意識を向けると、真澄は言いにくそうに口ごもった。
「だって私、そんなに魅力的じゃありませんから……。ナンパなんて滅多にされませんし。それに……、大刀洗会長に声をかけられる直前に、付き合ってた人から別れを切り出されて、別れた所なんです……」
「………………」
流石に次に続ける言葉が出ず、その場の皆が黙り込んで気まずい雰囲気に満ちると、真澄は益々落ち込んで心の中で密かに清人に八つ当たりした。
(全く、来て欲しい時に顔を出さないで、寄りによってこんな顔を合わせたく無いこんな時に、どうしてひょっこり現れるのよ、この最低男っ!)
そんな事を考えながら、だれも口を開かない為に真澄が俯いたまま話を続けた。
「……だから私、同年代の男性には好かれないタイプだと思うんです」
「あの……、真澄さん?」
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「だから、私って、年配の方々がからかって遊ぶ愛人タイプの顔なのかな、と」
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そこでいきなり乱暴に両手で顔を包み込む様にして持ち上げられた為、真澄は驚いたが、それ以上に真正面に現れた清人の表情を見て、完全に怖じ気づいた。そして、唸る様な清人の声がその場に響く。
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「激しく同感だ」
「五月蝿いぞクソじじいども! 怒っている半分は、てめぇらに対してだ! 四の五の言わないで引っ込んでろ!!」
「ちょっと清人君! 流石にそれは失礼過ぎるわよ! 謝りなさい!」
大刀洗会長以外の面々も、その頃には経済界の重鎮ばかりなのを思い出していた真澄は、彼らに対する暴言を吐いた清人を窘めようとしたが、清人は真顔で話を続けた。
「真澄さん。そんな弱気な事を言うなんて、真澄さんらしくありませんよ?」
真澄の顔から離した手で真澄の両手を軽く握りながら、優しく言い聞かせるその口調に、真澄は訳もなくカチンときた。
「何? 私らしく無いってどういう事? いつもの私はそんなに傍若無人って言いたいわけ?」
「そんな事は言ってません。真澄さんは十分魅力的ですから、自分にもっと自信を持って良いと言いたいだけです」
「でも……」
そこで思わず反論しかけた真澄を、清人が笑顔で制する。
「真澄さんは魅力的過ぎて、大抵の男は声もかけられないで終わるんです。そして偶に声を掛けて来るのが、変に勘違いしている馬鹿男が多いので、真澄さんが門前払いするのは当然なんですよ」
(そこまで言うなら、どうして私を口説いてくれないのよ?)
平然と告げてくる清人に真澄が密かに腹を立てていると、真澄の心の中を読んだ様に周りから茶々が入った。
「ほう? そこまで言うなら、勿論きよポンは、みぃちゃんを口説いた事が有るんだろうな?」
「……いえ、それはありませんが」
その問いに清人が一瞬たじろいでから正直に述べると、ここぞとばかりに面白がって責め立ててくる。
「何だと? それじゃあ矛盾してるだろうが」
「涼しい顔でサラッと嘘を吐く男だの~」
「お嬢さん、こういう不実な男に関わるものじゃ無いぞ? 悪い事は言わないから、きっぱり縁を切った方が」
「五月蝿い!!」
真澄の手を握ったまま苛立たしげに清人が叫ぶと、周りの者達は取り敢えず黙り込んだものの、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら二人のやり取りを観察する態勢になった。その気配を感じた清人は舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、周囲をなるべく気にしない様にして何とか平常心を取り戻しながら真澄に向き直った。
「真澄さん。確かに俺は真澄さんに言わないでいる事がありますが……、これまでに一度だって真澄さんに嘘や変なお世辞を言った事はありませんし、これからも言うつもりは無いんです」
「清人君……」
真摯な口調で訴えかけられた真澄は、どこか頼りなげな表情で清人を見返した。それを受けて、清人が更に言い募る。
「だから、偶々女性を見る目のない男の一人や二人にふられたからと言って、そんな風に落ち込まないで下さい。ましてや自分が愛人顔かもしれないだなんて、自分を卑下する様な発言は」
「違うの」
「え? 何が違うんですか?」
いきなり話を遮られた清人は当惑しながら尋ねると、真澄がぼそりと付け加えた。
「ふられたのは一人や二人じゃなくて……、今日の彼で七人目なの」
「……う……、……ぎ……ね」
真澄が言い終えた瞬間、清人が口の中で何やら呟いた。それが良く聞こえなかった為、真澄が眉を寄せて尋ねる。
「……今、何て言ったの?」
そう問い掛けられて自分が何か口に出した事が分かった清人は、常には無い狼狽ぶりを示した。
「いえ、その……、明日も晴れると良いな、とか何とか」
「清人君?」
ピクリと顔を引き攣らせて睨んだ真澄に、清人は何とか笑顔を取り繕う。
「あの……、単に、相手が見る目が無い男ばかりで災難でしたね、と」
「ふぅん?」
清人の台詞を聞いた真澄は思わせぶりに返事をしてから、未だに自分の手を握っている清人の手を見下ろした。
「清人君、自分では気が付いてないかもしれないけど、嘘を吐く時、左手の小指がピクッと上がるのよ。知っていた?」
「え? そんな癖は……」
「やっぱり嘘を言ったわね」
「…………」
真澄の陽動にまんまと引っかかり、動揺して自分の左手を見下ろしてしまった清人は、自分自身を殴り倒したい気分になった。そんな清人を、真澄が容赦なく追い詰める。
「そうなんだ……。私に対して『嘘を吐いた事は無いし、これからも有り得ない』とか何とか言った舌の根も乾かないうちに、嘘を言えるのね、清人君って」
「真澄さん、それは誤解」
「じゃあ正直に言いなさい。また適当に誤魔化しても分かるわよ? ……今度また嘘を吐いたら、どうなるか分かっているんでしょうね?」
本気で睨みつけられた清人は、深い溜め息を吐いて降参した。そして先程殆ど無意識に漏らした言葉を、真澄から視線を逸らしながらボソボソと呟く。
「その……、真澄さんの男運が悪過ぎるので、お祓いをした方が良いんじゃないかと……」
「へぇ? そんな事を言ったの」
「……すみません。口が滑りました」
盛大に顔を引き攣らせた真澄の手を離し、申し訳無さそうに清人が軽く頭を下げた。その背後で、老人達が無言で額を押さえたり、溜め息を吐きながら首を振っているのが見えたが、怒りが振り切れていた真澄にはどうでも良かった。
(男運が悪いですって? 一体、誰のせいで私がまともな恋愛が出来なくて、ふられまくってると思ってんのよ!? この諸悪の根元の、女ったらしの大馬鹿野郎が――――っ!!)
※※※
「……姉さん? どうかした? 大丈夫?」
軽く腕を掴まれつつ呼び掛けられた真澄は、意識を現実に戻して当惑した表情を弟に向けた。
「浩一? 大丈夫って……、何が?」
「何か言いかけたと思ったら、急に難しい顔で黙り込むから、どうしたのかと思ったよ」
(ああ……、そう言えば、清人君の話をしようとしてたんだっけ。でも……)
思い返していた内容を口にする事など、真澄は真っ平ご免だった。
「……今、最っ高にムカつく事を思い出してね。口に出すとお酒が不味くなりそうだから、止めておくわ」
その口調で、姉の本気の怒りモードが分かってしまった浩一は、慌ててその場を取り繕った。
「そ、そうなんだ。じゃあ無理にとは言わないから。皆も構わないよな? 清人の話題はもうこれでお終いって事で」
「了解」
「良いよ」
「じゃあ清香ちゃんの話でもするか」
「そうだよな~、やっぱり男の話をしても盛り上がりに欠けるし」
口々にそんな事を言って清香の話題で盛り上がる風を装いながら、男達は少し離れた所で手酌で酒を飲み始めた真澄の様子を窺いつつ、こそこそと意見を交わした。
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「う~ん、清人さんについて、益々謎が深まったよな~」
結局、佐竹清人という人間は、その場に居ても居なくても、謎が謎を呼ぶ体質の人間らしいと、真澄以外のその場の面々は結論付けたのだった。
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