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番外編 とある指令についての会話
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「ここのお料理、本当に美味しいです。流石真澄さん、情報通ですね」
「ありがとう。お値段も手頃だし、なかなかでしょう?」
真澄の平日休みに合わせて、清人から休みを貰った恭子は、待ち合わせた店で向かい合って座り、そんな会話をしながらランチを楽しんでいた。しかしふと気になっていた事を思い出し、真顔で真澄に尋ねた。
「……そう言えば、真澄さん。清香ちゃんから聞きましたが、バレンタインにチョコを二つ作ったそうですね」
「ええ、それが?」
手の動きを止めないまま真澄が平然と応じると、恭子が慎重に口を開く。
「一つは先生が食べているのを、実際にこの目で見たんですけど……」
「あら、素直に食べていたのね。ひょっとしたら、捨てたかもしれないと思っていたわ」
素直に驚きの表情を見せた真澄に、恭子は思わず手の動きを止めて呟いた。
「それは無いでしょう……」
「後が怖いから?」
「……まあ、そういう事にしておきましょうか」
疲れた様に溜め息を吐いた恭子を、真澄は不思議そうに見やった。
「何なの?」
「いえ、別に……」
そこで恭子は何とか気を取り直し、質問を続けた。
「それより……、もう一つのチョコがどんな人に渡ったのか、清香ちゃんが随分気にしていましたよ?」
「どうしてあのチョコを渡した相手の事が、そんなに気になるのかしら?」
怪訝そうに首を傾げた真澄に、恭子が笑いながら説明を加えた。
「多分、真澄さんが『チョコを作るのも渡すのも初めて』とか言ったので、清香ちゃんは今回渡した相手が、真澄さんの超本命かと考えたんじゃないですか?」
「え?」
「それで、もしその相手と結婚したりしたら、今までみたいに気安く付き合って貰えなくなるかも、とか思って寂しくなっているみたいですね」
「……ああ、なるほど。そう言う事ね。納得できたわ」
意外な話を聞いたとでもいう様に、一瞬戸惑いを見せてから真澄が小さく頷いた。そこに恭子が、追及の言葉を重ねる。
「それで? 本当の所はどうなんです?」
その問いかけに、真澄は少々悪戯っぽく笑いながら、詳細を語った。
「これは、まだ当分清香ちゃんには、内緒にしておいて欲しいんだけど……、清人君の他に聡君にもあげたのよ」
「聡さんに、ですか?」
「そんなに意外かしら?」
予想外の内容に、恭子が先程の真澄以上に戸惑った表情を見せると、真澄は苦笑を深めた。
「意外と言うか……、真澄さんが無駄な事を好んでするとは思えませんし、どんな理由で渡したのかと」
「あら、単に若いツバメが欲しかったから、と言うのが理由じゃ駄目かしら?」
「それなら、そういう事にしておきます。清香ちゃんが二重の意味でショックを受けそうなので、ここだけの秘密という事で」
そう言ってあっさりと食事を再開した恭子を見て、真澄は堪えきれずに吹き出した。
「お願いだから、そんなに簡単に納得しないで。聡君には彼の職場に、堂々と私の名前入りで送りつけたの」
それを聞いた恭子は再び手の動きを止め、考え込む素振りを見せてから、何やら納得した様に頷いた。
「……はあ、なるほど。先生の代わりに、単なる嫌がらせをしただけですか。その代償に、聡君は無事に、清香ちゃんのチョコを味わう事ができたと」
それを聞いた真澄が、思わずしみじみと呟く。
「本当に、恭子さんは頭の回転が早くて、話をするのが楽だし楽しいわ。他所から使えない部下を押し付けられるより、恭子さんが欲しいわね」
「ありがとうございます。……誉めて頂いたついでに、一つお願いして良いですか?」
「なあに?」
「ちょっと真澄さんを、口説いてみても良いでしょうか?」
にこやかに言われた内容を聞いて真澄は呆気に取られたが、すぐに顔付きを険しくして、恭子に問い質した。
「彼、今度はあなたにどんな無茶振りをしたの?」
その台詞に、今度は恭子が感嘆の溜め息を漏らす。
「流石ですね……。これだけのやり取りで、先生から私が何か言われたのが分かるなんて」
「分かるわよっ! これまでのあれこれを聞いていれば! 全くあの鬼畜野郎がっ!」
憤懣やるかたない様子の真澄を、恭子は苦笑いしながら宥める。
「そこまで言わなくても……、色々な意味でもう慣れましたし」
「友人として忠告するけど、慣れちゃ駄目よっ!」
「手遅れですね……。ですが流石に今回の指示は、正直持て余していまして」
うんざりとした表情を浮かべた恭子に、真澄は顔を顰めながら尋ねた。
「一体、何て言われたの?」
「『その気の無い女を、口説く人間の心理が良く分からないから、一つ試してみてレポートに纏めてくれ』だそうです」
それを聞いた真澄は、眉を寄せて何とも言い難い顔をしながら問い返した。
「自分で女を口説けば良いだけの話じゃないの?」
「私もそう言ったんですが、『大抵の女は、何をしなくても向こうから寄って来るし、口説くとすぐ落ちるから、そういう立場になった事は無い』と堂々と言い切られました」
それを聞いた真澄が、如何にも憎々しげに吐き捨てる。
「……見下げ果てた、最低野郎ね」
「それ位は口にしても、罰は当たらないですよね。本当に……、今回は危険手当も出ないのに、面倒臭い事を……」
ブツブツと文句を言う恭子を眺めて幾らか気持ちが落ち着いた真澄は、話を元に戻した。
「それで? どうして私を口説きたいのか、説明してくれないかしら?」
「男性を口説けと言われたら幾らでもできますけど、女性を口説いた事なんて皆無ですから、勝手が分からなくて……。ですから周りにいる女性の中で、なるべく格好良くて思わず口説きたくなる女性を対象にすれば、少しでもやりやすいかなと思ったんです」
真面目な顔でそう言われた真澄は、怒りも忘れて思わず笑ってしまった。
「誉めてくれてありがとう。だけどちょっと方向性が間違っていない?」
「そうですか?」
「確かに、その気の無い相手を落とす事は難しいわ。それに私、同性愛者でも無いし」
「それはそうですよね」
素直に頷く恭子に、真澄が言い聞かせる。
「清人君は特に『女を口説く女の心理をレポートに纏めろ』と言ったわけでは無いでしょう? 自分がそういう立場になった事がないからと、言った訳だから」
「はあ、まあ……、言われてみれば確かに」
「それなら、その気の無い女を口説く、男の心理を纏めれば充分じゃない」
自信満々に屁理屈を捻り出した真澄だったが、恭子は納得した様に頷いた。
「……なるほど、それはそうかも。流石真澄さんです」
「と言うことで、今度一緒に、ホストクラブに行くわよ!」
「え? あの、真澄さん? どうしてホストクラブ云々の話に……」
いきなり飛んだ話に、流石に恭子が戸惑いの声を上げたが、真澄は平然と胸を張った。
「だって、女を口説き慣れてる男がわんさか居るのよ? 観察対象には事欠かないじゃない」
「はあ……」
まだ生返事をしている恭子に、真澄が真顔で尋ねる。
「恭子さんは、ホストクラブに興味はある?」
「いえ、全く。行った事もありませんし、何が楽しいんだろうと思っていましたから」
「私もよ。だからウキウキと喜んで行く訳じゃない、そういう客に対しては、相手だって相当色々なアプローチをしてくると思うわ。条件はバッチリじゃない」
「良く分かりました。でも……」
未だに逡巡している恭子に向かって、真澄は安心させる様に財布の中からブラックカードを取り出して見せながら、笑顔を振りまいた。
「ああ、費用の事は心配しないで。私が全額持つわ。後学の為に、一度は行ってみたいと思ってたし」
「良いんですか?」
「構わないわよ。そうだ、ついでに清香ちゃんも誘おうかしら? 楽しくなりそうね。高校時代の友人に詳しい人が居るから、今度お勧めの店を教えて貰わなくちゃ」
早速携帯を取り出して話題に上った友人とやらの連絡先を確認し始めた真澄を見て、恭子は思わず遠い目をしてしまった。
(随分喜んで行く雰囲気なんだけど……。それにこれを聞いたら、先生はどう反応するかしら?)
絶対一悶着ありそうな予感に、恭子は笑いを噛み殺しながら食事を再開した。
その翌朝、恭子が仕事場である佐竹邸に、預かっている合鍵でいつも通り上がり込むと、リビングには清人の他に清香も顔を揃えていた。
「おはようございます、先生。あら、清香ちゃんは春休みに入ったのね」
「おはようございます」
「こんにちは、恭子さん。試験の結果も上々で、心置きなく春休みを満喫しています」
笑顔で挨拶を返してきた清香に、恭子もコートを脱ぎながら笑顔で声をかけた。
「良かったわね。……ところで清香ちゃん、今度一緒にホストクラブに行かない?」
「はあ!?」
「ホストクラブ? どうしてですか?」
驚いた声を上げた清人が、読んでいた新聞をバサッと乱暴に閉じて顔を向け、清香が不思議そうに問い返すと、恭子はにこやかに言ってのけた。
「今度、真澄さんと一緒に行く事になって。どうせだから清香ちゃんも一緒にどうかなって」
「行く行く、どんな所か一度行ってみたかったの! ねえ、お兄ちゃん。真澄さんと恭子さんが一緒だから、行っても良いでしょう?」
誘われた途端、嬉しそうに清人に了承を求めた清香だったが、清人は苦虫を噛み潰した様な表情で即座に却下した。
「駄目だ」
「えぇ~、どうして!?」
途端に不満そうな声を上げる清香に、清人が舌打ちしながら脅しをかける。
「……あいつに教えるぞ?」
「聡さんに? 聡さんはそんな横暴な事は言わないわよ。笑って『行っておいで』位言ってくれると思うけど?」
平然と《傍目には結構理解のある彼氏》の自慢をした妹に、清人は怒鳴りつつ、怒りの矛先を話を出した恭子に向けた。
「とにかく駄目だ! 川島さん、一体どうしてそういう話になったんですか!?」
「この前、私が指示を受けた内容について困っている話をしたら、真澄さんが『その気の無い女も口説き捲ってる男が、一杯居る所に行けば良いだろう』と」
平然とそう述べた恭子に、人は歯軋りでもしたい様な顔付きになり、殆ど呻く様に言葉を継いだ。
「……俺は、あなたに頼んだんですが?」
「女が女をと言う限定ではなく、自分が理解出来ない事をさせるんだから、男が女を口説くパターンのレポートで良い筈だと真澄さんに言われて納得したので」
「ねえ、お兄ちゃん、恭子さんに何を頼んだの? ホストクラブの取材?」
そこで話の筋が良く分からない清香が、怪訝な顔で口を挟んできた為、清人は諦めて話を終わらせる事にした。
「何でもない。……分かりました、そのレポートはもう良いです」
「じゃあレポート抜きで、真澄さんと二人で行ってきます。保護者の許可が出ないと流石に連れて行けないわね。ごめんなさいね、清香ちゃん」
「えぇ~! 私も行きたい~!」
恭子がすまなそうに謝罪の言葉を述べた途端、ごね始めた清香に、思わず清人は怒りをぶつけつつ、納得いかない様子で恭子に尋ねた。
「うるさい、清香! これ以上ごねると本気で怒るぞ? 川島さん……、レポート抜きで、どうして行く必要があるんですか?」
「それが……、真澄さんがホストクラブに詳しい友達に良いお店を紹介して貰ったそうで、行くのを凄く楽しみにしているんですよ。支払いも全部自分が持つから、心配要らないからと言っていて」
そう言って肩を竦めてみせた恭子に、今度ははっきりと清人は舌打ちして毒吐いた。
「……全く、何を考えているんだ、あの人はっ!! とにかく中止です。彼女には俺から言います。分かりましたね?」
「はい、了解しました」
そうして早速真澄に連絡を取る為に、携帯電話を取り上げた清人を見ながら、清香と恭子は囁き合った。
「一体何なの?」
「ちょっと……、まあ、色々あって」
「もしもし、真澄さんですか? 清人ですが、川島さんから聞きましたが、何なんですか?」
苦笑する恭子の視線の先で、清人が電話の向こうと押し問答を始める。
「……は? そちらこそ、ふざけた事を言わないで下さい! 大体あなたって人は、昔から後先考えないで突っ走るわ、周囲の迷惑は考えないわで、どれだけ俺が迷惑を被っていると……」
延々と文句を言い合っている様なやり取りを聞きながら、清香は眉を寄せながら恭子に尋ねた。
「……ねえ、真澄さんは、今仕事中じゃないのかな?」
「偶々、手が空いていたんじゃないかしら? そうでなければ、あんな言いがかりに近い電話、まともに受けないと思うし」
「そうだよね。客観的に見て、今はお兄ちゃんの方が迷惑だと思う」
真顔でそう漏らした清香に、(それがそうでもないと思うんだけどね)などと思いながら、恭子は密かに笑いを堪えていた。
「ありがとう。お値段も手頃だし、なかなかでしょう?」
真澄の平日休みに合わせて、清人から休みを貰った恭子は、待ち合わせた店で向かい合って座り、そんな会話をしながらランチを楽しんでいた。しかしふと気になっていた事を思い出し、真顔で真澄に尋ねた。
「……そう言えば、真澄さん。清香ちゃんから聞きましたが、バレンタインにチョコを二つ作ったそうですね」
「ええ、それが?」
手の動きを止めないまま真澄が平然と応じると、恭子が慎重に口を開く。
「一つは先生が食べているのを、実際にこの目で見たんですけど……」
「あら、素直に食べていたのね。ひょっとしたら、捨てたかもしれないと思っていたわ」
素直に驚きの表情を見せた真澄に、恭子は思わず手の動きを止めて呟いた。
「それは無いでしょう……」
「後が怖いから?」
「……まあ、そういう事にしておきましょうか」
疲れた様に溜め息を吐いた恭子を、真澄は不思議そうに見やった。
「何なの?」
「いえ、別に……」
そこで恭子は何とか気を取り直し、質問を続けた。
「それより……、もう一つのチョコがどんな人に渡ったのか、清香ちゃんが随分気にしていましたよ?」
「どうしてあのチョコを渡した相手の事が、そんなに気になるのかしら?」
怪訝そうに首を傾げた真澄に、恭子が笑いながら説明を加えた。
「多分、真澄さんが『チョコを作るのも渡すのも初めて』とか言ったので、清香ちゃんは今回渡した相手が、真澄さんの超本命かと考えたんじゃないですか?」
「え?」
「それで、もしその相手と結婚したりしたら、今までみたいに気安く付き合って貰えなくなるかも、とか思って寂しくなっているみたいですね」
「……ああ、なるほど。そう言う事ね。納得できたわ」
意外な話を聞いたとでもいう様に、一瞬戸惑いを見せてから真澄が小さく頷いた。そこに恭子が、追及の言葉を重ねる。
「それで? 本当の所はどうなんです?」
その問いかけに、真澄は少々悪戯っぽく笑いながら、詳細を語った。
「これは、まだ当分清香ちゃんには、内緒にしておいて欲しいんだけど……、清人君の他に聡君にもあげたのよ」
「聡さんに、ですか?」
「そんなに意外かしら?」
予想外の内容に、恭子が先程の真澄以上に戸惑った表情を見せると、真澄は苦笑を深めた。
「意外と言うか……、真澄さんが無駄な事を好んでするとは思えませんし、どんな理由で渡したのかと」
「あら、単に若いツバメが欲しかったから、と言うのが理由じゃ駄目かしら?」
「それなら、そういう事にしておきます。清香ちゃんが二重の意味でショックを受けそうなので、ここだけの秘密という事で」
そう言ってあっさりと食事を再開した恭子を見て、真澄は堪えきれずに吹き出した。
「お願いだから、そんなに簡単に納得しないで。聡君には彼の職場に、堂々と私の名前入りで送りつけたの」
それを聞いた恭子は再び手の動きを止め、考え込む素振りを見せてから、何やら納得した様に頷いた。
「……はあ、なるほど。先生の代わりに、単なる嫌がらせをしただけですか。その代償に、聡君は無事に、清香ちゃんのチョコを味わう事ができたと」
それを聞いた真澄が、思わずしみじみと呟く。
「本当に、恭子さんは頭の回転が早くて、話をするのが楽だし楽しいわ。他所から使えない部下を押し付けられるより、恭子さんが欲しいわね」
「ありがとうございます。……誉めて頂いたついでに、一つお願いして良いですか?」
「なあに?」
「ちょっと真澄さんを、口説いてみても良いでしょうか?」
にこやかに言われた内容を聞いて真澄は呆気に取られたが、すぐに顔付きを険しくして、恭子に問い質した。
「彼、今度はあなたにどんな無茶振りをしたの?」
その台詞に、今度は恭子が感嘆の溜め息を漏らす。
「流石ですね……。これだけのやり取りで、先生から私が何か言われたのが分かるなんて」
「分かるわよっ! これまでのあれこれを聞いていれば! 全くあの鬼畜野郎がっ!」
憤懣やるかたない様子の真澄を、恭子は苦笑いしながら宥める。
「そこまで言わなくても……、色々な意味でもう慣れましたし」
「友人として忠告するけど、慣れちゃ駄目よっ!」
「手遅れですね……。ですが流石に今回の指示は、正直持て余していまして」
うんざりとした表情を浮かべた恭子に、真澄は顔を顰めながら尋ねた。
「一体、何て言われたの?」
「『その気の無い女を、口説く人間の心理が良く分からないから、一つ試してみてレポートに纏めてくれ』だそうです」
それを聞いた真澄は、眉を寄せて何とも言い難い顔をしながら問い返した。
「自分で女を口説けば良いだけの話じゃないの?」
「私もそう言ったんですが、『大抵の女は、何をしなくても向こうから寄って来るし、口説くとすぐ落ちるから、そういう立場になった事は無い』と堂々と言い切られました」
それを聞いた真澄が、如何にも憎々しげに吐き捨てる。
「……見下げ果てた、最低野郎ね」
「それ位は口にしても、罰は当たらないですよね。本当に……、今回は危険手当も出ないのに、面倒臭い事を……」
ブツブツと文句を言う恭子を眺めて幾らか気持ちが落ち着いた真澄は、話を元に戻した。
「それで? どうして私を口説きたいのか、説明してくれないかしら?」
「男性を口説けと言われたら幾らでもできますけど、女性を口説いた事なんて皆無ですから、勝手が分からなくて……。ですから周りにいる女性の中で、なるべく格好良くて思わず口説きたくなる女性を対象にすれば、少しでもやりやすいかなと思ったんです」
真面目な顔でそう言われた真澄は、怒りも忘れて思わず笑ってしまった。
「誉めてくれてありがとう。だけどちょっと方向性が間違っていない?」
「そうですか?」
「確かに、その気の無い相手を落とす事は難しいわ。それに私、同性愛者でも無いし」
「それはそうですよね」
素直に頷く恭子に、真澄が言い聞かせる。
「清人君は特に『女を口説く女の心理をレポートに纏めろ』と言ったわけでは無いでしょう? 自分がそういう立場になった事がないからと、言った訳だから」
「はあ、まあ……、言われてみれば確かに」
「それなら、その気の無い女を口説く、男の心理を纏めれば充分じゃない」
自信満々に屁理屈を捻り出した真澄だったが、恭子は納得した様に頷いた。
「……なるほど、それはそうかも。流石真澄さんです」
「と言うことで、今度一緒に、ホストクラブに行くわよ!」
「え? あの、真澄さん? どうしてホストクラブ云々の話に……」
いきなり飛んだ話に、流石に恭子が戸惑いの声を上げたが、真澄は平然と胸を張った。
「だって、女を口説き慣れてる男がわんさか居るのよ? 観察対象には事欠かないじゃない」
「はあ……」
まだ生返事をしている恭子に、真澄が真顔で尋ねる。
「恭子さんは、ホストクラブに興味はある?」
「いえ、全く。行った事もありませんし、何が楽しいんだろうと思っていましたから」
「私もよ。だからウキウキと喜んで行く訳じゃない、そういう客に対しては、相手だって相当色々なアプローチをしてくると思うわ。条件はバッチリじゃない」
「良く分かりました。でも……」
未だに逡巡している恭子に向かって、真澄は安心させる様に財布の中からブラックカードを取り出して見せながら、笑顔を振りまいた。
「ああ、費用の事は心配しないで。私が全額持つわ。後学の為に、一度は行ってみたいと思ってたし」
「良いんですか?」
「構わないわよ。そうだ、ついでに清香ちゃんも誘おうかしら? 楽しくなりそうね。高校時代の友人に詳しい人が居るから、今度お勧めの店を教えて貰わなくちゃ」
早速携帯を取り出して話題に上った友人とやらの連絡先を確認し始めた真澄を見て、恭子は思わず遠い目をしてしまった。
(随分喜んで行く雰囲気なんだけど……。それにこれを聞いたら、先生はどう反応するかしら?)
絶対一悶着ありそうな予感に、恭子は笑いを噛み殺しながら食事を再開した。
その翌朝、恭子が仕事場である佐竹邸に、預かっている合鍵でいつも通り上がり込むと、リビングには清人の他に清香も顔を揃えていた。
「おはようございます、先生。あら、清香ちゃんは春休みに入ったのね」
「おはようございます」
「こんにちは、恭子さん。試験の結果も上々で、心置きなく春休みを満喫しています」
笑顔で挨拶を返してきた清香に、恭子もコートを脱ぎながら笑顔で声をかけた。
「良かったわね。……ところで清香ちゃん、今度一緒にホストクラブに行かない?」
「はあ!?」
「ホストクラブ? どうしてですか?」
驚いた声を上げた清人が、読んでいた新聞をバサッと乱暴に閉じて顔を向け、清香が不思議そうに問い返すと、恭子はにこやかに言ってのけた。
「今度、真澄さんと一緒に行く事になって。どうせだから清香ちゃんも一緒にどうかなって」
「行く行く、どんな所か一度行ってみたかったの! ねえ、お兄ちゃん。真澄さんと恭子さんが一緒だから、行っても良いでしょう?」
誘われた途端、嬉しそうに清人に了承を求めた清香だったが、清人は苦虫を噛み潰した様な表情で即座に却下した。
「駄目だ」
「えぇ~、どうして!?」
途端に不満そうな声を上げる清香に、清人が舌打ちしながら脅しをかける。
「……あいつに教えるぞ?」
「聡さんに? 聡さんはそんな横暴な事は言わないわよ。笑って『行っておいで』位言ってくれると思うけど?」
平然と《傍目には結構理解のある彼氏》の自慢をした妹に、清人は怒鳴りつつ、怒りの矛先を話を出した恭子に向けた。
「とにかく駄目だ! 川島さん、一体どうしてそういう話になったんですか!?」
「この前、私が指示を受けた内容について困っている話をしたら、真澄さんが『その気の無い女も口説き捲ってる男が、一杯居る所に行けば良いだろう』と」
平然とそう述べた恭子に、人は歯軋りでもしたい様な顔付きになり、殆ど呻く様に言葉を継いだ。
「……俺は、あなたに頼んだんですが?」
「女が女をと言う限定ではなく、自分が理解出来ない事をさせるんだから、男が女を口説くパターンのレポートで良い筈だと真澄さんに言われて納得したので」
「ねえ、お兄ちゃん、恭子さんに何を頼んだの? ホストクラブの取材?」
そこで話の筋が良く分からない清香が、怪訝な顔で口を挟んできた為、清人は諦めて話を終わらせる事にした。
「何でもない。……分かりました、そのレポートはもう良いです」
「じゃあレポート抜きで、真澄さんと二人で行ってきます。保護者の許可が出ないと流石に連れて行けないわね。ごめんなさいね、清香ちゃん」
「えぇ~! 私も行きたい~!」
恭子がすまなそうに謝罪の言葉を述べた途端、ごね始めた清香に、思わず清人は怒りをぶつけつつ、納得いかない様子で恭子に尋ねた。
「うるさい、清香! これ以上ごねると本気で怒るぞ? 川島さん……、レポート抜きで、どうして行く必要があるんですか?」
「それが……、真澄さんがホストクラブに詳しい友達に良いお店を紹介して貰ったそうで、行くのを凄く楽しみにしているんですよ。支払いも全部自分が持つから、心配要らないからと言っていて」
そう言って肩を竦めてみせた恭子に、今度ははっきりと清人は舌打ちして毒吐いた。
「……全く、何を考えているんだ、あの人はっ!! とにかく中止です。彼女には俺から言います。分かりましたね?」
「はい、了解しました」
そうして早速真澄に連絡を取る為に、携帯電話を取り上げた清人を見ながら、清香と恭子は囁き合った。
「一体何なの?」
「ちょっと……、まあ、色々あって」
「もしもし、真澄さんですか? 清人ですが、川島さんから聞きましたが、何なんですか?」
苦笑する恭子の視線の先で、清人が電話の向こうと押し問答を始める。
「……は? そちらこそ、ふざけた事を言わないで下さい! 大体あなたって人は、昔から後先考えないで突っ走るわ、周囲の迷惑は考えないわで、どれだけ俺が迷惑を被っていると……」
延々と文句を言い合っている様なやり取りを聞きながら、清香は眉を寄せながら恭子に尋ねた。
「……ねえ、真澄さんは、今仕事中じゃないのかな?」
「偶々、手が空いていたんじゃないかしら? そうでなければ、あんな言いがかりに近い電話、まともに受けないと思うし」
「そうだよね。客観的に見て、今はお兄ちゃんの方が迷惑だと思う」
真顔でそう漏らした清香に、(それがそうでもないと思うんだけどね)などと思いながら、恭子は密かに笑いを堪えていた。
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