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第2章 魔術師兼女伯爵兼公爵令嬢な日々
3.公爵家での第一歩
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自室を与えられている後宮から職場である魔術師棟に出勤する為、その間にある執務棟の一階の回廊を歩きながら、エリーシアは翌日の事を考えて重い溜め息を吐いた。
(明日の公休日は、ファルス公爵邸に出向かなきゃいけないのよね。休みなのに休みじゃ無いって、泣きそう……)
そんな時に、正面から聞き覚えのある声で挨拶をされ、慌てて顔を上げつつ挨拶を返す。
「おはよう、グラード伯爵」
「お、おはようございます! ファルス公爵」
(う……、いきなり爵位付けで呼ばないで下さいよ! 一瞬誰の事かと思ったじゃないですか。だけど公爵の事を考えてたら、本人を呼び寄せちゃったわけじゃないわよね?)
内心で激しく動揺しつつも、廊下で立ち止まってギリギリ不自然では無い笑顔を見せたエリーシアだったが、アルテスは彼女の内心などお構いなしに、淡々と用件を告げた。
「丁度良かった。後で誰かに言付けようと思っていたんだ」
「何を、でしょうか?」
幾分警戒しながら問いかけると、彼女にとって予想外の答えが返ってきた。
「君の勤務時間は把握しているから、終わり次第、西側出入り口の馬車寄せに向かいなさい。私も、それほど遅くはならない筈だ」
「え? どうしてですか?」
その意図が分から無かったエリーシアがキョトンとして尚も尋ねた途端、アルテスが怪訝な顔付きになる。
「明日は公休日だから、今夜から我が家に来るのだろう? 私は王宮には馬車で来ているから、一緒に帰るだけの話だが」
事も無げにそんな事を言われたエリーシアは、これまで以上に狼狽した。
(は!? 何それ! 聞いてないから!!)
そして慎重に、それに断りを入れる。
「あ、あの、公爵様? 私は明日、お屋敷にお伺いするつもりだったのですが……。それで泊り支度もしておりませんし」
しかしその訴えを、アルテスは一刀両断した。
「安心したまえ。家に一通り揃えてあるから、そのままの姿で来て貰って大丈夫だ。衣類に関しても、フレイアがソフィアから君の寸法等を聞いていると言っていたし、問題無いだろう。明後日の出仕時に、また一緒に馬車に乗り合わせて来れば無駄がない」
「は、はあ……、そうですね」
(そう言えばソフィアさんって、元はファルス公爵家で働いていた人だったわ。そこから情報がダダ漏れか……)
シェリル付きである侍女の前歴を思い出したエリーシアは、潔く諦めて項垂れた。そんな彼女に、アルテスが短く告げて再び移動を開始する。
「それでは夕刻に」
「はい、お世話になります」
(心の準備をする時間が、半日分減ったわけね。もうどうとでもなれだわ)
もはや抵抗する気力など無く大人しく頷いたエリーシアは、予想外に早まってしまった公爵家訪問に、気を重くしながらその日一日を過ごす事になった。
「ええと……、西側入り口の待合室って、ここよね?」
その日の仕事を終えてから、普段立ち入らない場所に出向いたエリーシアは、出入り口に隣接した馬車待ちの人間がたむろしている待合室に入り、居心地悪そうに周囲を見回した。すると窓際に立って誰かと話し込んでいたアルテスが気付き、軽く片手を上げつつ声をかけてくる。
「ここだ、エリーシア」
「あ、公爵、すみません。遅れてしまいまして」
官吏としては下っ端の自分の方が遅かった事に、エリーシアは恐縮して頭を下げたが、アルテスは鷹揚に頷いた。
「いや、言いつけておいて遅れる方が立場が無いからな。キリの良い所で仕事を終えたからだ。今来たばかりだし、気にしなくて良い。それでは準備ができた様だから行こうか」
「はい、分かりました」
(う……、何だか周りの視線が痛い。やっぱりこのローブを着たままの上、内務大臣と一緒って目立つわよね)
呼びに来た係の者に会釈したアルテスに促され、エリーシアは彼の後に付いて歩き出した。
確かに周囲からの視線は集めていたが、それは自分が想像した理由と言うよりは、いつも気難しそうな顔をしているアルテスが機嫌良さそうに見えていた為であったのだが、執務中の彼を目の当たりにした事のない彼女には、当然の事ながらそれが分からなかった。
そして二人で馬車に乗り込み、向かい合って座ったものの、特に差し迫った話題も無く沈黙が漂った為、このまま屋敷まで静かなのは耐えられないと、エリーシアが意を決して口を開いた。
「あの、公爵様?」
「『お父さん』ではないのか?」
「え?」
いきなり切り返されて戸惑った彼女に、アルテスが懇切丁寧に説明を加える。
「呼び方だ。妻から聞いたが、彼女の事は『お母さん』と呼ぶ事にしたのだろう? それならば私の呼び名は、必然的に『お父さん』になると思うが」
「言われてみれば、そうですが……」
「どうかしたのか?」
アルテスの主張を聞いたエリーシアが、それに同意するように頷いたものの、何やら難しい顔になって考え込んだ。それを見た彼が不思議そうに尋ねると、エリーシアがその理由を説明する。
「育ててくれた義父の事を、ずっと『お父さん』か『父さん』と呼んでいたので、呼称が重なるかなと思いまして」
「なるほど、それはそうだな。咄嗟に言いにくいか」
「ですから今回公爵家の養女になった事ですし、対外的にもそれよりは丁寧に『お父様』と『お母様』と呼んだ方が良いでしょうか?」
そう言って神妙にお伺いを立ててきたエリーシアに、アルテスは破顔一笑した。
「君がそう思うなら、それで良い。好きにしなさい」
「分かりました。これから宜しくお願いします、お父様」
「ああ」
互いににこやかに微笑み合ってから、エリーシアは(厳めしいだけじゃなくて、こんな風にも笑う人なんだわ)と密かに安堵しながら、ファルス公爵邸まで馬車に揺られて行った。
「お帰りなさいませ。エリーシアもいらっしゃい。待っていたのよ?」
屋敷に到着し、広い玄関で女主人たるフレイアが待ち構えていたのは当然の事ながら、その背後に使用人達が勢揃いしているのではないかと思える陣容に、エリーシアは内心怖じ気づいた。しかし気合いを振り絞って頭を下げ、非礼にならない様に挨拶をする。
「はい、ええと……、お母様、これからお世話になります」
いつの間にか自分の呼称が『お母さん』から『お母様』に変化していた事に、若干不思議そうな顔になったフレイアだったが、小さな事には拘らずに話を続けた。
「こちらこそ、これから宜しくね。それではあなたの弟になる、私達の息子を紹介するわ。こちらが長男のリスターで十四歳、そちらが次男のロイドで九歳なの。二人とも、説明していたエリーシアよ。ご挨拶なさい」
そうフレイアが促すと、先程から彼女の横でエリーシアに話しかけたくてうずうずしていたらしい黒髪の少年達は、満面の笑顔で右手を差し出しつつ挨拶してきた。
「初めまして、エリーシア姉上。リスター・フィン・ファルスです。ようこそ我が家へ。歓迎します」
「ありがとう。これから宜しくね」
リスターから受ける親愛の情が、エリーシアにも本物だと理解できた為自然に笑顔になったが、続くロイドから受けたそれは、一際上の物だった。
「ロイド・ジェナス・ファルスです! そのローブ、王宮専属魔術師の物ですよね!? すごいなあぁ、姉上は女性なのに、本当に有能なんですね!! 僕も姉上に負けずに頑張ります!」
固く手を握り締め、ぶんぶんと上下に振りながら完全に崇拝の眼差しで見上げてきたロイドに、エリーシアは若干引き気味になりながら尋ねてみる。
「その……、ロイドは魔術師になりたいの?」
「はい! 適性試験に合格して、来年から魔術師養成院に入る事になっています」
「でも姉上はそこに入らなくても、立派に王宮専属魔術師の職を務めていらっしゃるんですよね? それだけで尊敬に値します」
「そ、そう?」
(そういえば、巷にはそんな物もあったんだっけ……。そこを出てもいないのに、いきなり王宮勤務って事になったら、確かに恨み妬みを買い易いわね)
笑顔で述べる兄弟の会話を聞きながら、エリーシアは改めて自分の特別待遇を思った。そこでフレイアが、若干窘める口調で息子達に告げる。
「二人とも、いつまでホールで立ち話を続ける気なの? お父様もエリーシアも、お仕事を終えて帰って来たのだから、まず休んで頂きましょうね」
「あ、そうですね。お引き止めしてすみません」
「じゃあ夕ご飯の時に、色々話を聞かせて下さい」
「ええ、勿論よ。また後でね」
「はい、失礼します」
やはり育ちが良いらしく、二人は新しくやって来た姉に興味津々の態度は隠せないながらも、それ以上我が儘を言う事はなく、一礼して引き下がった。それにエリーシアが密かに感心していると、アルテスが妻に指示を出す。
「それでは私は夕食まで、部屋で領地から届いた報告書に目を通しているから、後の事は頼む」
「畏まりました。じゃあエリーシア、付いて来て」
「はい」
そんな風にエリーシアは、ファルス公爵邸での生活の第一歩を踏み出した。
(明日の公休日は、ファルス公爵邸に出向かなきゃいけないのよね。休みなのに休みじゃ無いって、泣きそう……)
そんな時に、正面から聞き覚えのある声で挨拶をされ、慌てて顔を上げつつ挨拶を返す。
「おはよう、グラード伯爵」
「お、おはようございます! ファルス公爵」
(う……、いきなり爵位付けで呼ばないで下さいよ! 一瞬誰の事かと思ったじゃないですか。だけど公爵の事を考えてたら、本人を呼び寄せちゃったわけじゃないわよね?)
内心で激しく動揺しつつも、廊下で立ち止まってギリギリ不自然では無い笑顔を見せたエリーシアだったが、アルテスは彼女の内心などお構いなしに、淡々と用件を告げた。
「丁度良かった。後で誰かに言付けようと思っていたんだ」
「何を、でしょうか?」
幾分警戒しながら問いかけると、彼女にとって予想外の答えが返ってきた。
「君の勤務時間は把握しているから、終わり次第、西側出入り口の馬車寄せに向かいなさい。私も、それほど遅くはならない筈だ」
「え? どうしてですか?」
その意図が分から無かったエリーシアがキョトンとして尚も尋ねた途端、アルテスが怪訝な顔付きになる。
「明日は公休日だから、今夜から我が家に来るのだろう? 私は王宮には馬車で来ているから、一緒に帰るだけの話だが」
事も無げにそんな事を言われたエリーシアは、これまで以上に狼狽した。
(は!? 何それ! 聞いてないから!!)
そして慎重に、それに断りを入れる。
「あ、あの、公爵様? 私は明日、お屋敷にお伺いするつもりだったのですが……。それで泊り支度もしておりませんし」
しかしその訴えを、アルテスは一刀両断した。
「安心したまえ。家に一通り揃えてあるから、そのままの姿で来て貰って大丈夫だ。衣類に関しても、フレイアがソフィアから君の寸法等を聞いていると言っていたし、問題無いだろう。明後日の出仕時に、また一緒に馬車に乗り合わせて来れば無駄がない」
「は、はあ……、そうですね」
(そう言えばソフィアさんって、元はファルス公爵家で働いていた人だったわ。そこから情報がダダ漏れか……)
シェリル付きである侍女の前歴を思い出したエリーシアは、潔く諦めて項垂れた。そんな彼女に、アルテスが短く告げて再び移動を開始する。
「それでは夕刻に」
「はい、お世話になります」
(心の準備をする時間が、半日分減ったわけね。もうどうとでもなれだわ)
もはや抵抗する気力など無く大人しく頷いたエリーシアは、予想外に早まってしまった公爵家訪問に、気を重くしながらその日一日を過ごす事になった。
「ええと……、西側入り口の待合室って、ここよね?」
その日の仕事を終えてから、普段立ち入らない場所に出向いたエリーシアは、出入り口に隣接した馬車待ちの人間がたむろしている待合室に入り、居心地悪そうに周囲を見回した。すると窓際に立って誰かと話し込んでいたアルテスが気付き、軽く片手を上げつつ声をかけてくる。
「ここだ、エリーシア」
「あ、公爵、すみません。遅れてしまいまして」
官吏としては下っ端の自分の方が遅かった事に、エリーシアは恐縮して頭を下げたが、アルテスは鷹揚に頷いた。
「いや、言いつけておいて遅れる方が立場が無いからな。キリの良い所で仕事を終えたからだ。今来たばかりだし、気にしなくて良い。それでは準備ができた様だから行こうか」
「はい、分かりました」
(う……、何だか周りの視線が痛い。やっぱりこのローブを着たままの上、内務大臣と一緒って目立つわよね)
呼びに来た係の者に会釈したアルテスに促され、エリーシアは彼の後に付いて歩き出した。
確かに周囲からの視線は集めていたが、それは自分が想像した理由と言うよりは、いつも気難しそうな顔をしているアルテスが機嫌良さそうに見えていた為であったのだが、執務中の彼を目の当たりにした事のない彼女には、当然の事ながらそれが分からなかった。
そして二人で馬車に乗り込み、向かい合って座ったものの、特に差し迫った話題も無く沈黙が漂った為、このまま屋敷まで静かなのは耐えられないと、エリーシアが意を決して口を開いた。
「あの、公爵様?」
「『お父さん』ではないのか?」
「え?」
いきなり切り返されて戸惑った彼女に、アルテスが懇切丁寧に説明を加える。
「呼び方だ。妻から聞いたが、彼女の事は『お母さん』と呼ぶ事にしたのだろう? それならば私の呼び名は、必然的に『お父さん』になると思うが」
「言われてみれば、そうですが……」
「どうかしたのか?」
アルテスの主張を聞いたエリーシアが、それに同意するように頷いたものの、何やら難しい顔になって考え込んだ。それを見た彼が不思議そうに尋ねると、エリーシアがその理由を説明する。
「育ててくれた義父の事を、ずっと『お父さん』か『父さん』と呼んでいたので、呼称が重なるかなと思いまして」
「なるほど、それはそうだな。咄嗟に言いにくいか」
「ですから今回公爵家の養女になった事ですし、対外的にもそれよりは丁寧に『お父様』と『お母様』と呼んだ方が良いでしょうか?」
そう言って神妙にお伺いを立ててきたエリーシアに、アルテスは破顔一笑した。
「君がそう思うなら、それで良い。好きにしなさい」
「分かりました。これから宜しくお願いします、お父様」
「ああ」
互いににこやかに微笑み合ってから、エリーシアは(厳めしいだけじゃなくて、こんな風にも笑う人なんだわ)と密かに安堵しながら、ファルス公爵邸まで馬車に揺られて行った。
「お帰りなさいませ。エリーシアもいらっしゃい。待っていたのよ?」
屋敷に到着し、広い玄関で女主人たるフレイアが待ち構えていたのは当然の事ながら、その背後に使用人達が勢揃いしているのではないかと思える陣容に、エリーシアは内心怖じ気づいた。しかし気合いを振り絞って頭を下げ、非礼にならない様に挨拶をする。
「はい、ええと……、お母様、これからお世話になります」
いつの間にか自分の呼称が『お母さん』から『お母様』に変化していた事に、若干不思議そうな顔になったフレイアだったが、小さな事には拘らずに話を続けた。
「こちらこそ、これから宜しくね。それではあなたの弟になる、私達の息子を紹介するわ。こちらが長男のリスターで十四歳、そちらが次男のロイドで九歳なの。二人とも、説明していたエリーシアよ。ご挨拶なさい」
そうフレイアが促すと、先程から彼女の横でエリーシアに話しかけたくてうずうずしていたらしい黒髪の少年達は、満面の笑顔で右手を差し出しつつ挨拶してきた。
「初めまして、エリーシア姉上。リスター・フィン・ファルスです。ようこそ我が家へ。歓迎します」
「ありがとう。これから宜しくね」
リスターから受ける親愛の情が、エリーシアにも本物だと理解できた為自然に笑顔になったが、続くロイドから受けたそれは、一際上の物だった。
「ロイド・ジェナス・ファルスです! そのローブ、王宮専属魔術師の物ですよね!? すごいなあぁ、姉上は女性なのに、本当に有能なんですね!! 僕も姉上に負けずに頑張ります!」
固く手を握り締め、ぶんぶんと上下に振りながら完全に崇拝の眼差しで見上げてきたロイドに、エリーシアは若干引き気味になりながら尋ねてみる。
「その……、ロイドは魔術師になりたいの?」
「はい! 適性試験に合格して、来年から魔術師養成院に入る事になっています」
「でも姉上はそこに入らなくても、立派に王宮専属魔術師の職を務めていらっしゃるんですよね? それだけで尊敬に値します」
「そ、そう?」
(そういえば、巷にはそんな物もあったんだっけ……。そこを出てもいないのに、いきなり王宮勤務って事になったら、確かに恨み妬みを買い易いわね)
笑顔で述べる兄弟の会話を聞きながら、エリーシアは改めて自分の特別待遇を思った。そこでフレイアが、若干窘める口調で息子達に告げる。
「二人とも、いつまでホールで立ち話を続ける気なの? お父様もエリーシアも、お仕事を終えて帰って来たのだから、まず休んで頂きましょうね」
「あ、そうですね。お引き止めしてすみません」
「じゃあ夕ご飯の時に、色々話を聞かせて下さい」
「ええ、勿論よ。また後でね」
「はい、失礼します」
やはり育ちが良いらしく、二人は新しくやって来た姉に興味津々の態度は隠せないながらも、それ以上我が儘を言う事はなく、一礼して引き下がった。それにエリーシアが密かに感心していると、アルテスが妻に指示を出す。
「それでは私は夕食まで、部屋で領地から届いた報告書に目を通しているから、後の事は頼む」
「畏まりました。じゃあエリーシア、付いて来て」
「はい」
そんな風にエリーシアは、ファルス公爵邸での生活の第一歩を踏み出した。
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