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第1章 エリーシアの素性

3.女官長の指摘

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「恐れながら王妃様、私にも一つ、報告させて頂きたい事がございます」
 ここまで沈黙を貫いていた彼女がいきなり口を挟んで来た事に、ミレーヌは少々驚きながらも、話の先を促した。

「何ですか? カレン」
「先日、シェリル姫に刺繍の手ほどきをした時の事ですが、姫が『初めてで下手過ぎたら恥ずかしいから、一緒に刺して欲しい』とエリーシア殿にお願いして、二人で刺繍をして頂く事になったのです」
「そうだったのですか。それで?」
 話を聞いたエリーシアが、明らかに動揺した顔付きになったのを横目で見ながら、カレンは戻って来たシェリル付きの侍女に声をかける。

「ソフィア」
「はい、こちらです。女官長」
 奥の部屋から何かを取って来たらしいソフィアを手招きしたカレンは、その手から何枚かの白いハンカチを受け取ると、その中の一枚をミレーヌの前のテーブル上に広げて見せた。

「こちらが姫の作品です」
「えぇぇぇっ!? カレンさん! そんな物、ミレーヌ様に見せないで下さい! お願いですから!!」
 羞恥のあまりシェリルが真っ赤になりながら懇願したが時既に遅く、それはしっかり他の者達の視界に入った。
「……これは何の図案でしょうか?」
 ハンカチの隅に縫い取られていた物を見てミレーヌが僅かに眉を寄せて考え込み、困惑した表情で問いを発した為、シェリルは肩を落として項垂れた。それを申し訳なさそうに横目で見ながら、カレンが説明を加える。

「刺し始める前に、姫に『せっかくですからできた物をどなたかに差し上げては?』と提案いたしましたら、『それなら上手にできたら、ジェリドにあげるわ』と仰ったので、モンテラード公爵家の家紋をモチーフにしてみたのです」
「なるほど……、これはバラの花と剣なのですね。分かりました」
 自分自身を納得させる様に頷いたミレーヌから視線を移し、シェリルは当然の如く自分の隣の席を確保していた婚約者に謝った。

「ごめんなさい、ジェリド。家紋をこんなグシャグシャにしてしまって。バラが結構難しくて」
 心底申し訳なさそうに告げたシェリルだったが、対するジェリドは事も無げに笑い飛ばした。

「いや、シェリルが気に病む事ではないし、迷わず私用に我が家の家紋を選んでくれて嬉しいよ。悪いのはこの派手派手しい家紋だから、綺麗さっぱり青葉の一枚にでも変えよう。そうしたらシェリルも刺繍しやすいだろう?」
「い、いえ……、あの、そこまでして貰わなくても良いんだけど……」
「遠慮しないで良い。本当にシェリルは慎み深いな」
「え、遠慮なんか、これっぽっちもしてないから! お願いだから、そんな事で家紋を変えないで!」
 動揺し、悲鳴じみた叫びを上げた異母姉を眺めたレオンは、その隣のジェリドを半眼で見やった。

(シェリルが刺繍し易いように、家紋も変えるのか……。こいつならやりかねない)
 能力はともかく、性格的に色々と問題のある従兄兼近衛軍指令官を見ながら頭を抱えていると、カレンが取り敢えずシェリルが落ち着いたのを見て話を再開させた。

「それで話は戻りますが、エリーシア殿に刺して貰ったのがこちらです。図案をどうするか迷っていたので、旨くできたらミレーヌ様に差し上げる様に勧めて、エルマイン王家の家紋を教えました」
 そう言いながらカレンが目の前に広げた物を一目見て、ミレーヌはお世辞抜きで感嘆の声を上げた。

「まあ、素敵。天馬と盾がきちんと描かれているわ。エリーシアは刺繍が得意だったのね。完成したら是非下さいね?」
「いえ……、得意と言うか得意でないと言うか……」
 美しい刺繍であったにも係わらず、エリーシアは微妙に視線を逸らしながら言葉を濁した。それを見たミレーヌ達は怪訝な顔をしたが、カレンが淡々とその理由を説明する。

「王妃様、それは完成しております。ですが私の一存で、ミレーヌ様に差し上げるのは控えさせました」
「まあ、どうして?」
「こちらをご覧下さい」
 そうして先程のハンカチの横に、再び同じ大きさと材質のハンカチが広げられたが、そこに縫い取られている物を見て、ミレーヌは再び困惑した表情になった。

「これにも刺繍がしてありますが……、何の図案ですか?」
「牛、と林檎……、ですか?」
 隣から覗き込んだレオンが、何やら潰れている模様から推察できる図案を、かなり自信無さ気に口にした途端、エリーシアの顔が盛大に引き攣った。顔を上げた瞬間それをばっちり見てしまったレオンが僅かにたじろいだが、そんな微妙な空気の中、カレンが淡々と説明を続ける。

「これは先程と同じ様に、王家の家紋です。更に申し上げれば、これもエリーシア殿が刺した物です」
 その衝撃的な説明に、レオンは訳が分からないといった顔付きになった。
「はあ? そんなわけないだろう? さっきのと違い過ぎるぞ?」
「そうすると下手な方が初めて刺繍した物で、練習した後に刺した物がこちらの綺麗な方なのですか?」
 取り敢えずミレーヌが考えられる可能性を口にしてみたが、カレンは厳しい顔付きのまま説明を続けた。

「いいえ。魔術で針を動かして刺した物が完璧な方で、直に手で刺して貰ってできあがった物が、何とも言い難い代物の方でございます」
「…………」
 カレンがそう説明した途端、何とも言い難い沈黙が室内を支配した。そしていたたまれなくなったエリーシアが、弁解を試みる。
「あのですね、取り敢えず文句なしの出来栄えになっているので、問題ないんじゃないでしょうか?」
 そんなエリーシアを見て深い溜め息を吐いてから、カレンはしみじみとした口調で語った。

「先日、この刺繍を見た時……。森の中で自給自足の生活をしていたのなら、貴族の女性としての嗜みの一つである刺繍など心得が無くて当然と、自分を納得させましたが。シェリル姫が誤解されていた通り、日常生活全般で手抜きをされていたとなれば話は違います。即刻、その生活態度を改めるべきかと心得ます」
 それを聞いたエリーシアは、さすがに慌てて否定しようとした。

「女官長、ちょっと待って下さい! 私は決して手抜きとかをしていたわけじゃ」
「適当な言い方が思い浮かびませんが、必要以上に労力を使わずに過ごすのは、精神的に堕落しかねないかと。勿論女性にとって重労働な事については、魔術を行使しても良いとは思いますが」
「その意見に、全面的に賛成です。自らの手を使って掃除した後の爽快感が分からないとは、気の毒な事ですね」
 自分の訴えを半ば無視して主張を続けたカレンに、サイラスが真顔で相槌を打った為、エリーシアは思わず声を荒げた。

「あのね! 私だって汚れている所が綺麗になったら嬉しいわよ!」
 そしてその紛糾しかけた議論に終止符を打ったのは、やはりミレーヌだった。

「カレンの話は分かりました。とにかくエリーシアには、必要以上に魔術を行使せず、きちんと自らの手で物事を処理する事と、女性としての一般教養を身に付ける事が必要の様ですね。王宮専属魔術師として招聘されて、まずは仕事を覚える事が第一と思っておりましたがそろそろ慣れた頃でしょうし、今言った事を考えてみましょう」
 もはや既定事項となりかけている内容について、エリーシアは控え目に反論を試みた。

「あの、ミレーヌ様? その、私は魔術師として働いているわけで、そんな貴族様みたいな教養や立ち居振る舞いは必要ないかと」
 しかしその訴えは、ミレーヌの面白がっている様な笑顔に跳ね返される。

「あら、エリーシア。あなたはれっきとした伯爵位と領地を保持している貴族なのよ? この前の偽ラウール殿下擁立事件の際、解決に多大な功績があったからと、陛下から賜ったのを忘れたのかしら?」
「……すっかり忘れていました」
 指摘されて漸くその事実を思い出したエリーシアは、痛恨の表情になって項垂れた。そして周囲から視線を集める中、ブツブツと独り言を漏らす。

「でもあれは、一応この前の働きに対する報奨の形にはなっているけど、実際は魔法で猫の姿になったシェリルを拾って育てた死んだ父さんの恩に報いる為に代わりに受けてくれって、半ば強引に押し付けられたんだけど……。失敗したわ。あの時、断固として受け取りを拒否していれば……」
 心底後悔している口調と表情で呻く彼女を見て、(往生際の悪い。諦めろ、エリーシア)とレオンは半ば呆れつつ溜め息を吐いた。その隣で、ミレーヌが苦笑いの表情になりながら話を進める。

「それではサイラス殿」
「はい、何でしょうか、王妃様」
「エリーシアには改めて色々ご教授して貰う方を探す事にして、普段の仕事中は女性として問題のある様な振る舞いや言動があった場合、遠慮なくその場で指摘してあげて下さい。クラウス殿を通して、他の魔術師の方々にも周知徹底して貰う事にします」
 エリーシアにしてみれば冗談では無かったが、彼女が何か言う前にサイラスが力強く頷きながら請け負った。

「心得ました。勤務中の事については、我々にお任せ下さい」
「何よ、偉そうに」
 思わず悪態が口をついて出たエリーシアだったが、ミレーヌが僅かに視線を鋭くして言い聞かせた。

「エリーシア、忠告は素直に受け入れましょうね? 自分に非がある事は、分かっているのでしょう?」
「……畏まりました。日々、注意致します」
 不満はあったものの、自分の行いがあまり誉められたものでは無い事は理解していたエリーシアは、ミレーヌ相手に口答えする事もできず、渋々頷いてその場をやり過ごす事になった。
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