藤宮美樹最凶伝説

篠原 皐月

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美樹二十歳、波乱の予感

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 美樹の社長就任パーティー当日。秀明夫妻は子供達を連れて、加積邸を訪れた。すると使用人から彼らの来訪を聞いた真論が、真っ先に屋敷の奥から走り出てくる。

「ひで! いらっしゃい!」
「ああ、真論、元気そうだな。今日は一緒にお出かけするぞ?」
 玄関で機嫌良く応じた秀明に、真論が軽く首を傾げながら尋ねる。

「まろん、かわいい?」
「勿論、真論が一番可愛いぞ?」
「うん! だっこ~!」
「分かった。ほら、来い」
「わ~い!」
 真論の黒と白のレース地をリボンで飾ったワンピースと、同じレースで作った花がついたチョーカーと左手首に付けたブレスレットは、美那と同じ有名子供服ブランドのサイズ違いで、二人が並ぶと少し年が離れた姉妹にしか見えなかった。
 そんな真論が、笑顔で秀明に抱き上げて貰っている横で、美昌が靴を揃えて脱ぎ、上がり込んで真樹に声をかける。

「真樹君。今日は僕と、お留守番していようね?」
「ま~にぃ! あしょぶ~!」
「うん、一緒に遊ぼう」
「それじゃあ出かけましょうか」
「そうだな」
 そこでパーティーに用事も興味も無い美昌を加積邸で預かり、その代わりに真論を藤宮家の車に乗せて、美樹と和真は運転手付きのリムジンに乗り込んだ。

「しかし本当に真論を、パーティー会場に連れて行く事になるとは思わなかったぞ」
 動き出した車内で、和真が思わずと言った感じで愚痴ると、隣で美樹が嫌そうに応じる。

「仕方がないでしょう? あいつが出ると知った途端、『まろんもいく!』って大泣きするんだもの。留守番させても屋敷をこっそり抜け出しかねないし、そうしたら一大事だものね。少なくとも、目の届く所に居させた方が、危険性は少ないわ」
「おいおい、セキュリティーが強固なこの屋敷から、真論がどうやって抜け出すって言うんだ?」
「真論は、私とあんたの娘なのよ?」
「……確かに、やるかもしれないな」
 模範的な優等生などとは、間違っても評されなかった自分自身の子供時代を振り返り、和真は呻くように同意し、美樹は溜め息を吐いた。懸念はどうあれ、美樹達が何事もなくパーティー会場のホテルに到着すると、そこでは一足先に出向いていた寺島と何人かの社員達が、恭しく彼女達を出迎えた。

「社長、副社長、お待ちしておりました。会長、前社長、ご苦労様です」
「準備は?」
「滞りなく。各所の最終チェックを進めております」
「そうか」
 大人達が真顔で挨拶をする傍ら、黒のスーツと蝶ネクタイに身を包んだ陸斗が、父親の背後から姿を現し、笑顔で声をかけてくる。

「よしなちゃん! まろんちゃん! ドレスがおそろいでかわいいね!」
「ありがとう。今回は、ちょっと小悪魔系で纏めてみたの。黒と白だから陸斗君の衣装ともお揃いだし、陸斗君も格好いいよ?」
「うん、ありがとう!」
(小悪魔系って言うか、小悪魔そのものだよな……。実の妹ながら、将来が怖すぎる)
 和気あいあいと笑顔で会話している年少組を、美久は微妙な顔で見下ろした。その光景に色々思うところがあったのは彼だけでは無かったらしく、寺島が若干顔を強張らせながら口を開く。

「ところで……、どうして今回のパーティーに陸斗の参加要請があって、自宅に衣装まで送りつけられたのでしょうか?」
 その非難する口調にも、美樹は全く動じなかった。

「だって今回は私の社長就任のお披露目がメインだけど、美那の財務部裏顧問のお披露目と、陸斗君の裏顧問下僕のお披露目も兼ねているもの」
「ふざけるな! 下僕のお披露目って何なんだ!?」
「単に公社の将来を担う人材の、内々の紹介ってだけじゃない。何を目くじらを立てているのよ?」
「寺島、もういい加減諦めろ。それより、例の件も大丈夫だろうな?」
 内心で同情しつつも和真が逸れた話を元に戻すと、寺島は何とか怒りを抑え込みながらいつもの口調で応じる。

「可能な限り動かせる人員を、振り分けておきました」
「それなら良い。取り敢えず全員、控え室に案内してくれ。俺は最終打ち合わせをしてくる」
「了解しました。皆様、こちらにどうぞ」
 平常心を保ちつつ、寺島が控え室に美樹達を案内していくのを見送りながら、和真は思わずひとりごちた。

「無事に終わって欲しいものだが……。何事も無かったら、奇跡かもしれないな」
 そんな気弱な事を口にした自分自身を叱咤しながら、和真は早速部下達に指示して、パーティー開催に向けての準備を進めた。
 政財界に幅広く招待状を出したそのパーティーには、招待した本人や代理の者達が続々と集まり、会場にはそうそうたる出席者が顔を揃えた。彼らが早速交流を始める中、定刻になったところで司会役の寺島が、会場全体に向かって呼びかける。

「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。これから桜査警公社の新社長就任パーティーを開催いたします。まず最初に藤宮秀明前社長から、皆様に退任の挨拶をいたします。前社長、宜しくお願いします」
 そこで拍手がわき起こる中、打ち合わせ通り秀明が進み出て、マイクスタンドの前に立った。

「前社長の藤宮秀明だ。ろくでもない縁で加積のジジイに押し付けられた役職だったが、これで漸く縁が切れて清々した。こんな腐れ組織に関わっているのは、腐れ連中しかいないからな。後は腐れ者同士、好きにやれ。俺は知らん。以上だ」
 淡々と吐き捨てて秀明がマイクから離れると、会場中が静まり返った。気まずい空気が漂い、和真達公社の関係者がパラパラと拍手する中、微妙に顔を引き攣らせた寺島が、何とか用意していた台詞を口にする。

「……前社長、ありがとうございました。続きまして加積美樹新社長が、就任の挨拶をいたします。社長、宜しくお願いします」
 その声に応じて拍手の中進み出た美樹が、先程の秀明とは真逆の、能天気な声を張り上げた。

「初めましての人も、お久しぶりの人もどうも! 社長就任とは言っても、私は少し前から実質的に公社を取り仕切っていたので、経営方針に変わりはありません。私の独断と偏見に基づいた判断で、好きな顧客には割引料金で、嫌いな顧客には割増料金で、どちらでも無い顧客には適正料金で依頼を承ります! そこの所よろしく! 以上です」
 ひたすら明るくろくでもない事を公言した美樹に、再びパラパラと拍手が起きる中、寺島は殆ど義務感だけで進行を続けた。

「…………ありがとうございました。引き続き加積和真副社長より、皆様にご挨拶いたします。副社長、宜しくお願いします」
「副社長の加積和真です。我が社は今年で、創設七十年を迎えますが……」
 寺島から(せめてあんたはまともな挨拶をしろよ!?)との無言の圧力を受けた和真は、元々そのつもりであった為、穏当で無難な挨拶をこなし、その後来賓からの祝辞や祝電の披露を終えて、歓談の時間となった。そして美樹達は勿論、出席者達が精力的に交流を始める中、美樹は旧知の人物から声をかけられた。

「やあ、美樹ちゃん、久しぶりだね」
 杖を付いた、その眼光鋭い老人を認めた美樹は、嬉々として彼に歩み寄った。

「橘さん! 本当にお久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「いやいや、寄る年波には勝てなくてね。そろそろ一線を引いて、後を譲るつもりでいるんだが……」
「どうかしましたか?」
 母である美子と同じく《加積八人衆》の一員であり、長年表裏どちらの世界にも睨みを利かせてきた彼の、珍しく物憂げな表情を見た美樹は首を傾げたが、橘は苦笑いしながら話を続けた。

「いや、大した事では無いんだが……。美樹ちゃんと比べると私の周りの人間が、どいつもこいつも小粒にしか見えなくてね。『美樹ちゃん位スケールのデカい人間を後継者にできたら、心置きなく引退できるのに』と、ついさっきも向こうで由井と話し込んでいたところなんだ」
「橘さん、それは買いかぶり過ぎですから」
 苦笑いで宥めた美樹だったが、ここで彼女と一緒に挨拶回りをしていた和真が、会話に割り込む。

「そうですね。こいつはスケールがデカいのでは無くて、存在自体が非常識なだけです。言うなれば、単に加積のジジイの同類に過ぎませんよ」
「言ってくれるじゃない。それが自分の嫁に言う台詞?」
 面白く無さそうに肘で和真を小突いた美樹を、橘は彼には似合わず、微笑ましそうに見やった。

「サポート体制も万全で、何よりだな。あの小さかった美樹ちゃんが、ここまで立派に育ったとは、本当に感慨深いよ。私が年を取る筈だ。それでは、また後で」
 そこで美樹達は彼と別れて、精力的に挨拶回りを続けていたが、少しして和真が軽く美樹の腕を引きながら囁いた。

「おうおう、久し振りに加積八人衆が揃い踏みだぞ。さすがに恐れをなして、皆が遠巻きにしているな」
 完全に面白がっている口調に美樹が視線を向けると、加積が生前関わっていた各種事業を引き継いだ男性七人と女性一人が、会場の一角に集まって談笑しているのが目に入った。

「和真。八人衆プラス、おまけ1」
 すかさず美樹がちょっとした訂正を入れると、面白くなさそうな顔で美子に付き従っている秀明を認めた和真が、遠い目をしながら応じる。

「そうだな……。前社長が自分の目の前で、会長を放置するなんてあり得ないからな」
「だけどこうしてみると、本当に全員揃うと立っているだけで周りの空気が違うって言うか、威圧感が凄いのよね。下手なチンピラなんか、手出しすらできないわよ」
 しみじみとした口調で美樹が感想を述べると、和真は「お前の存在感も半端ないがな」と言いかけて、この間半ば忘れていた重要な事を思い出した。

「そう言えばすっかり失念していたが、社長は交代したが、会長は会長のままで良いんだよな?」
「ええ。公社の非公開株の90%は、これまで通りお母さんの名義だし。私があいつから分捕ったのは、あいつが保有していた7%分の株だけよ。以前金田さんが保持していた3%は、公社を引退する時に寺島さんに譲渡されたしね」
「確かに、最後の最後のストッパーは、会長しかいない気がするな……。それじゃあ俺はちょっと、仕事の打ち合わせをしてくる」
「それなら私だけで、挨拶回りをしてるわね」
「おう、行って来い」
 そこで二人は別れ、和真はパーティーの最中にもかかわらず通常業務中の部下達からの定期報告を受けてから、再び会場内に戻った。

「お飲み物はいかがですか?」
「水割りを貰うか」
「どうぞ」
「ありがとう」
 会場に戻るなり、さり気なく近付いてきたウエイターに声をかけられた和真は、その顔に見覚えがあった為、素直に頷いた。するとグラスを渡しながら、そのウエイターが囁く。

「今のところ、会場内外に異常はありません」
「分かった。警戒を怠るなよ?」
「了解しました」
 報告を終わらせ、引き続き会場内の警戒をしながらグラスを配っているウエイターを見送った和真は、無意識に渋面になりながら、ウイスキーの代わりに麦茶が入れてあるグラスを傾けた。

(『何だか就任パーティーで、一悶着ありそうな気がするのよね』とか直前に言い出したから、急遽警備体制を増強させた上、こっちはアルコール抜きだってのに……)
 少し離れた所で知り合いと談笑している美樹を、和真は若干恨みがましく眺める。

(招待客に対して、入念なボディーチェックなんかできるわけ無いが、この場で変な事をしでかそうとする馬鹿も、そうそういるとは思えんがな)
 しかし和真は警戒を怠らず、さり気なく会場内を見回しながら再度移動を始めた。
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