36 / 57
美樹十五歳、伝染する憂鬱と心の傷
しおりを挟む
実家でとんでもない騒動に遭遇し、疲労感満載で自宅マンションに戻った美恵は、「あれ? 戻るのが早くないか?」と訝しんだ夫に、洗いざらい報告した。
「そんなわけで、今日の父の古稀祝いの場は、微妙過ぎる空気でお開きになったのよ」
愚痴っぽく告げてから、話している間にすっかりぬるくなってしまったお茶を美恵が一気飲みすると、夫の康太は目を丸くして感心したように子供達に尋ねた。
「へえぇ? あのお義兄さんを、美樹ちゃんがねぇ。おっかねぇなぁ……。美樹ちゃんは、そんなに強かったのか?」
「うん、秀明伯父さんが救急車で運ばれて行くところを見たけど、ズタボロだったわ」
「僕、美樹ちゃん達と一緒に送迎の車に乗せて貰って、桜査警公社で訓練させて貰ってるから知ってるけど、無茶苦茶強いよ?」
「ほう? そうか。それは一度、手合わせしたいもんだなぁ……」
安曇と猛の説明に、冒険家という職業柄、年を取ってもそれなりに体力と格闘術を身に付けている康太が思わず本音を口にすると、忽ち美恵の雷が落ちた。
「ちょっと! 何、呑気な事を言ってるの! 何か他に、言う事は無いの!?」
「他に? そう言われてもな………。ああ、そうだ」
少しの間真面目に考え込んだ康太は、なにやら思い付いたらしく、真顔で息子に申し出た。
「猛。俺をぶちのめす時には、もう少し手加減してくれないか?」
「大丈夫。ぶちのめさないから安心して? だってお父さんから奪う物なんか何一つ無いから、そんな事をする必要が無いし」
「それは良かった」
「そうじゃないでしょうが!? あんた達、色々間違ってるわよ!!」
体力格闘馬鹿の夫と息子が、ほっこり和んでいる光景を見て美恵は再び雷を落とし、それを見た安曇は無言で肩を竦めた。
姉と同様に何とも言えない表情で帰宅し、夕飯の準備を整えた美実は、休日にも関わらず事務所に出ていた夫を出迎え、家族揃って夕飯を食べながら実家での騒動を報告した。
「……それでお義兄さんは救急車で搬送されて、そのまま入院になったのよ」
「秀明が……、美樹ちゃんに倒された……、だと?」
あまりの衝撃に淳がご飯茶碗を取り落とし、偶々ヒビでも入っていたのか、テーブルに鈍い音を立てて落ちたそれが真っ二つに割れた。そして中に入っていたご飯の一部が崩れて、テーブルに落ちたのを見た子供達が、淡々と感想を述べる。
「あ、割れた」
「ご飯、もったいないね」
「あの秀明が……、実の娘に惨敗……。もし俺が、淳実に負かされたりしたら……」
「パパ? 何?」
血の気の無い顔で娘に目を向けた淳は、不思議そうに小首を傾げて問い返してきた淳実を見てから、空いていた左手で両目を覆って涙ぐんだ。
「昔……、あいつとつるんで馬鹿やっていた頃は、あいつを憐れむ事なんて、万が一にも有り得ないと思っていたのに……」
そんな彼の耳に、子供達の無邪気なやり取りが入ってくる。
「美樹お姉ちゃんって、本当に格好良いよね~。淳実、大きくなったら、ああいう人になりたいなぁ~」
「それはなかなか大変だと思うよ?」
そこで淳は血相を変えて箸を放り出し、勢い良く両手をテーブルに付きながら立ち上がって喚いた。
「はぁ!? 何言ってるんだ! 気を確かに持つんだ、淳実! 思いとどまれ!! 俺と年が違わない男と結婚なんて、俺は絶対に許さんぞ!!」
その拍子にテーブル上のご飯茶碗が、ご飯ごと床に落ちて更に砕け、それを見た子供達は冷静にコメントし、美実は慌てて淳を宥めた。
「あ、落ちた」
「ご飯、絶望的だね」
「気を確かに持つのは淳の方でしょう!? 何錯乱してるのよ!」
同じ頃、やはり高須家の夕食の席で、美野は子供達にご飯を食べさせながら、少し困ったように夫に訴えていた。
「……それでね? 解散する時に、美子姉さんに厳命されたのよ。『美樹の挙式と披露宴参加時は、絶対に配偶者同伴で宜しく』って」
「え? どうして配偶者同伴が必須になるんだ?」
優治としては義理の姪の結婚式であれば、夫婦揃って出る事に対して抵抗は無かったが、義理の関係であれば世間的にはそこまで強制されないとは思うがと、疑問に思いながら尋ねると、美野は益々困ったように言葉を継いだ。
「だって……、お義兄さんにしてみれば、娘の結婚相手が自分と年の変わらない男性なのは、腹立たしい事この上ないでしょう? しかも娘に叩きのめされた怒りが上乗せされて、相手や親族の人達を襲撃しかねないと思わない?」
それを聞いた優治は、はっきりと顔を強張らせた。
「結婚式や披露宴で?」
「ええ。それまでは何とか抑えられていても、そこで怒りがぶり返すとか、暴発するとか」
「……そうなるとまさか、義理の叔父の俺達って、荒事回避要員なのか?」
更に顔を青ざめさせながら優治が尋ねたが、ここで美野が表情を明るくして否定してきた。
「大丈夫、安心して? 確かに谷垣さんと小早川さんと城崎さんは、騒動が起きた時にお義兄さんを取り押さえたり排除する要員だけど、あなたは招待客の避難誘導要員だって、美子姉さんが言っていたから」
「そうか……、それなら良いんだ……」
「ええ、だから安心してね?」
笑顔で声をかけた美野だったが、世間一般的なサラリーマンである彼は、乾いた笑いを漏らしながら小さく呟いていた。
「乱闘になったら、俺なんか役に立たないのは分かっているから、それはそれで助かるし、当然の配置なんだが……。最初から頭数に入っていないって、どうなんだろうな……」
「え? あの……、優治さん? 何をぶつぶつ言ってるの?」
美野が首を傾げたが、夫が何を言っていたのかを知る事は無かった。
城崎家では夕飯を食べ終え、遥がお気に入りのアニメを見始めて手がかからなくなったタイミングで、お茶を飲みながら美幸が、実家での一部始終を義行に報告した。
「……それでお義兄さんは、病院送りになったのよ。救急車に乗せられた時、何だか生気のない顔付きになっていて、もう涙無しには見られなかったわ」
美幸が順序立てて話し終えると、既に大学を卒業していたにも関わらず、武道愛好会で猛威を振るい、学内で陰で悪逆非道の限りをつくしていた秀明に、在学中散々遊ばれこき使われていた義行は、その彼の惨状を聞いて真っ青になった。
「……あの先輩が?」
「そう」
「美幸」
「嘘は言って無いから」
「ちょっと大袈裟に」
「微塵も話を盛って無いから」
「今日は」
「エイプリル・フールはとっくに過ぎているから、現実逃避は止めて頂戴」
「…………」
美幸が呆れ気味に否定を繰り返し、漸く本当の事だと理解した義行は蒼白のまま固まった。しかしここで録画を見終えたらしい遥が、彼の服を引っ張って催促する。
「パパ! あそぼー!」
「あ、ああ……。そうだな。何をして遊ぶ?」
「げこくじょー!」
「え?」
「こっち!」
聞き慣れない言葉を聞いて義行は戸惑ったが、大人しく娘に手を引かれてソファーから立ち上がり、それを回り込んで空いているスペースに移動した。
「それで、どうするんだ?」
「どーん!」
「え?」
いきなり遥が膝の辺りに体当たりをしてきたが、長身の彼はびくともせず、怪訝な顔で娘を見下ろした。すると遥が、不機嫌そうに見上げてくる。
「パパ、たおれる! はるか、たおした!」
その訴えに義行は納得し、その場で仰向けになってみた。
「ええと……、こうか?」
「うん。よっと……。えい、えい、おーっ!」
「…………」
すると遥は義行の腹の上に上がり、両足で立って拳を振り上げ、元気よく勝ち鬨を上げた。それを見て義行が無言を貫く中、美幸が呆気に取られながら尋ねる。
「遥、何それ?」
「げこくじょー! パパ、やっつけたー!」
「……楽しいの? それに誰がそんな事を教えたの?」
「うん、たのしー! おねーちゃん! パパ、もーいっかい!」
「……ああ」
「『お姉ちゃん』って誰? 美樹ちゃん? 安曇ちゃん? でも今日、誰もこんな遊びはしていなかった筈だけど……」
美幸がブツブツと自問自答している間に、上機嫌な遥に促された義行が、再び立ち上がった。
「いくよ? どーん!」
「うっ、やられたぁぁっ……」
「やっつけたー! えい、えい、おーっ!」
再び父親の腹の上に乗って、楽し気に声を上げる遥を見てから、美幸は義行に尋ねた。
「義さん、痛くないの?」
「胸や腹は、遥が乗った位ではびくともしないが……。少し、心が痛い……」
どことなく遠い目をしながらの夫の呟きに、美幸はひくっと口元を引き攣らせる。
「……遥、そろそろ止めようか」
「もーいっかい! パパー!」
「分かった、やるから。ほら、来い」
「げこくじょー! とりゃあー!」
「遥は強いなぁ……、ははは……」
「えい、えい、おーっ!」
全く止める素振りを見せない娘に、美幸はハラハラしながら声をかけた。
「遥、もうおしまいに」
「パパー! もーいっかい!」
「ああ……、どこからでも来い」
「義さん、もう止めましょうよ! 何だか表情が虚ろになってきてるし! 遥もいい加減にしなさい!」
「やーっ! げこくじょー、やるーっ!」
「遥! パパは疲れてるから!」
「やーっ!」
「遥! わがまま言わないの!」
その夜城崎家では、美幸の怒声と遥の泣き声が響き渡っていた。
※※※
明けて翌日。
夕方の時間帯、桜査警公社の副社長室に、美那がひょっこり顔を出した。
「金田さん、こんにちは!」
「おや、美那様。いらっしゃいませ」
愛想よく頷き返した金田から、美那は少し離れた席にいた寺島に向き直った。
「お父さん、こんにちは!」
「…………」
しかし彼は美那の事など丸無視で、黙々と書類作成を続ける。
「お父さん、こんにちは!」
「…………」
「寺島。挨拶を返さないか」
「……私は、美那様の父親ではありませんので」
めげずに再度声をかけても、頑なな態度を崩さない部下に、金田が呆れ気味に声をかけた。それに寺島が低い声で応じると、それを聞いた美那が、不思議そうに小首を傾げながら問いかける。
「寺島さんは、下僕のお父さんでしょう? 下僕が美那と結婚したら、寺島さんは美那のお父さんだよ?」
「あんた本当に、何してくれたんだ!? 陸斗が初めて口にした意味のある言葉が、『パパ』でもなく『ママ』でもなく、『げぼく』って、どう考えてもおかしいだろうが!?」
何故か妻と妙に仲良くなってしまった美那が、ちょくちょく家を尋ねてくるようになった挙句、生まれた息子にも顔を合わせる度に「下僕君」と笑って呼びかけている光景に不穏なものを感じていた彼は、その不安が現実の物となった時、本気で床に崩れ落ちた。妻の心海は「すぐにパパとかママとか言うわよ」と笑い、実際にそうだったのだが、その時の衝撃を忘れ去る事など不可能だった。
しかし美那は、彼のそんな心情などお構いなしに、納得したように話を続ける。
「初めて美那に会った時に、陸斗君の魂に刻み込まれちゃったんだね……。大丈夫。ちゃんと美那が、陸斗君の面倒を見るから。ねぇねがかずにぃの三十歳下だから、陸斗君が美那の六歳下でも全然おかしくないよね?」
「おかしいのは勿論だが、お前のような得体の知れない嫁なんかいらん!!」
「あ、そんな事より金田さん」
「『そんな事より』って、陸斗の人生をあっさり流すな!!」
「昨日、ねぇねがお父さんを倒して、下剋上を果たしたの」
「ほう?」
「……え?」
喚き散らす寺島を無視して美那が淡々と本題を切り出すと、金田は興味深そうな顔になり、寺島も驚いて絶句した。
「だからここの名目上の社長は、今まで通りお父さんだけど、実質的な社長はねぇねになるからね? かずにぃとの婚約も、お祖父ちゃんと叔母さん達の前で発表しちゃったし」
「そうですか。そろそろかとは思っておりましたが」
「倒したって……、社長を?」
落ち着き払って頷いた金田とは対照的に、寺島が動揺しながら問い返すと、美那は彼に向き直って頷いた。
「うん、お父さん、入院したの。ねぇねも怪我しちゃって部活が出来ないから、偶には部長らしく睨みを利かせてくるって、今日は珍しく空手部の部活に出て、こっちに来られないの」
「今の美樹様に関しての発言、何か色々間違っている気がしますが……」
「え? どこが?」
「……いえ、何でも無いです」
不思議そうに尋ねてきた美那に、寺島が深々と溜め息を吐いた。そこで美那が金田に向き直り、話を続ける。
「それでね? まだお父さんが名目上の社長だし、書類にサインとか処理をする為にここに顔を出す事があるでしょう? その時、もの凄く不機嫌な状態で来ると思うし、かずにぃと遭遇した日には血の雨が降ると思うから、他の社員さん達が近寄らないように、しっかり教えておいた方が良いと思うの」
「なるほど。それはそうですね」
「じゃあ皆に言っておいてね? 田所さんと約束してるから、これから財務部に行くの。バイバイ」
「はい。ご忠告、ありがとうございました」
そして笑顔で手を振って出て行った美那を、金田も笑って見送ってから、しみじみとした口調で呟いた。
「やれやれ。これでやっと、引退できるか……。感慨深いな」
「私としては公社と陸斗の将来に、不安しか感じません」
そんな自分とは雲泥の差の表情を見せる部下を見て、金田は再度笑いを漏らした。
「そんなわけで、今日の父の古稀祝いの場は、微妙過ぎる空気でお開きになったのよ」
愚痴っぽく告げてから、話している間にすっかりぬるくなってしまったお茶を美恵が一気飲みすると、夫の康太は目を丸くして感心したように子供達に尋ねた。
「へえぇ? あのお義兄さんを、美樹ちゃんがねぇ。おっかねぇなぁ……。美樹ちゃんは、そんなに強かったのか?」
「うん、秀明伯父さんが救急車で運ばれて行くところを見たけど、ズタボロだったわ」
「僕、美樹ちゃん達と一緒に送迎の車に乗せて貰って、桜査警公社で訓練させて貰ってるから知ってるけど、無茶苦茶強いよ?」
「ほう? そうか。それは一度、手合わせしたいもんだなぁ……」
安曇と猛の説明に、冒険家という職業柄、年を取ってもそれなりに体力と格闘術を身に付けている康太が思わず本音を口にすると、忽ち美恵の雷が落ちた。
「ちょっと! 何、呑気な事を言ってるの! 何か他に、言う事は無いの!?」
「他に? そう言われてもな………。ああ、そうだ」
少しの間真面目に考え込んだ康太は、なにやら思い付いたらしく、真顔で息子に申し出た。
「猛。俺をぶちのめす時には、もう少し手加減してくれないか?」
「大丈夫。ぶちのめさないから安心して? だってお父さんから奪う物なんか何一つ無いから、そんな事をする必要が無いし」
「それは良かった」
「そうじゃないでしょうが!? あんた達、色々間違ってるわよ!!」
体力格闘馬鹿の夫と息子が、ほっこり和んでいる光景を見て美恵は再び雷を落とし、それを見た安曇は無言で肩を竦めた。
姉と同様に何とも言えない表情で帰宅し、夕飯の準備を整えた美実は、休日にも関わらず事務所に出ていた夫を出迎え、家族揃って夕飯を食べながら実家での騒動を報告した。
「……それでお義兄さんは救急車で搬送されて、そのまま入院になったのよ」
「秀明が……、美樹ちゃんに倒された……、だと?」
あまりの衝撃に淳がご飯茶碗を取り落とし、偶々ヒビでも入っていたのか、テーブルに鈍い音を立てて落ちたそれが真っ二つに割れた。そして中に入っていたご飯の一部が崩れて、テーブルに落ちたのを見た子供達が、淡々と感想を述べる。
「あ、割れた」
「ご飯、もったいないね」
「あの秀明が……、実の娘に惨敗……。もし俺が、淳実に負かされたりしたら……」
「パパ? 何?」
血の気の無い顔で娘に目を向けた淳は、不思議そうに小首を傾げて問い返してきた淳実を見てから、空いていた左手で両目を覆って涙ぐんだ。
「昔……、あいつとつるんで馬鹿やっていた頃は、あいつを憐れむ事なんて、万が一にも有り得ないと思っていたのに……」
そんな彼の耳に、子供達の無邪気なやり取りが入ってくる。
「美樹お姉ちゃんって、本当に格好良いよね~。淳実、大きくなったら、ああいう人になりたいなぁ~」
「それはなかなか大変だと思うよ?」
そこで淳は血相を変えて箸を放り出し、勢い良く両手をテーブルに付きながら立ち上がって喚いた。
「はぁ!? 何言ってるんだ! 気を確かに持つんだ、淳実! 思いとどまれ!! 俺と年が違わない男と結婚なんて、俺は絶対に許さんぞ!!」
その拍子にテーブル上のご飯茶碗が、ご飯ごと床に落ちて更に砕け、それを見た子供達は冷静にコメントし、美実は慌てて淳を宥めた。
「あ、落ちた」
「ご飯、絶望的だね」
「気を確かに持つのは淳の方でしょう!? 何錯乱してるのよ!」
同じ頃、やはり高須家の夕食の席で、美野は子供達にご飯を食べさせながら、少し困ったように夫に訴えていた。
「……それでね? 解散する時に、美子姉さんに厳命されたのよ。『美樹の挙式と披露宴参加時は、絶対に配偶者同伴で宜しく』って」
「え? どうして配偶者同伴が必須になるんだ?」
優治としては義理の姪の結婚式であれば、夫婦揃って出る事に対して抵抗は無かったが、義理の関係であれば世間的にはそこまで強制されないとは思うがと、疑問に思いながら尋ねると、美野は益々困ったように言葉を継いだ。
「だって……、お義兄さんにしてみれば、娘の結婚相手が自分と年の変わらない男性なのは、腹立たしい事この上ないでしょう? しかも娘に叩きのめされた怒りが上乗せされて、相手や親族の人達を襲撃しかねないと思わない?」
それを聞いた優治は、はっきりと顔を強張らせた。
「結婚式や披露宴で?」
「ええ。それまでは何とか抑えられていても、そこで怒りがぶり返すとか、暴発するとか」
「……そうなるとまさか、義理の叔父の俺達って、荒事回避要員なのか?」
更に顔を青ざめさせながら優治が尋ねたが、ここで美野が表情を明るくして否定してきた。
「大丈夫、安心して? 確かに谷垣さんと小早川さんと城崎さんは、騒動が起きた時にお義兄さんを取り押さえたり排除する要員だけど、あなたは招待客の避難誘導要員だって、美子姉さんが言っていたから」
「そうか……、それなら良いんだ……」
「ええ、だから安心してね?」
笑顔で声をかけた美野だったが、世間一般的なサラリーマンである彼は、乾いた笑いを漏らしながら小さく呟いていた。
「乱闘になったら、俺なんか役に立たないのは分かっているから、それはそれで助かるし、当然の配置なんだが……。最初から頭数に入っていないって、どうなんだろうな……」
「え? あの……、優治さん? 何をぶつぶつ言ってるの?」
美野が首を傾げたが、夫が何を言っていたのかを知る事は無かった。
城崎家では夕飯を食べ終え、遥がお気に入りのアニメを見始めて手がかからなくなったタイミングで、お茶を飲みながら美幸が、実家での一部始終を義行に報告した。
「……それでお義兄さんは、病院送りになったのよ。救急車に乗せられた時、何だか生気のない顔付きになっていて、もう涙無しには見られなかったわ」
美幸が順序立てて話し終えると、既に大学を卒業していたにも関わらず、武道愛好会で猛威を振るい、学内で陰で悪逆非道の限りをつくしていた秀明に、在学中散々遊ばれこき使われていた義行は、その彼の惨状を聞いて真っ青になった。
「……あの先輩が?」
「そう」
「美幸」
「嘘は言って無いから」
「ちょっと大袈裟に」
「微塵も話を盛って無いから」
「今日は」
「エイプリル・フールはとっくに過ぎているから、現実逃避は止めて頂戴」
「…………」
美幸が呆れ気味に否定を繰り返し、漸く本当の事だと理解した義行は蒼白のまま固まった。しかしここで録画を見終えたらしい遥が、彼の服を引っ張って催促する。
「パパ! あそぼー!」
「あ、ああ……。そうだな。何をして遊ぶ?」
「げこくじょー!」
「え?」
「こっち!」
聞き慣れない言葉を聞いて義行は戸惑ったが、大人しく娘に手を引かれてソファーから立ち上がり、それを回り込んで空いているスペースに移動した。
「それで、どうするんだ?」
「どーん!」
「え?」
いきなり遥が膝の辺りに体当たりをしてきたが、長身の彼はびくともせず、怪訝な顔で娘を見下ろした。すると遥が、不機嫌そうに見上げてくる。
「パパ、たおれる! はるか、たおした!」
その訴えに義行は納得し、その場で仰向けになってみた。
「ええと……、こうか?」
「うん。よっと……。えい、えい、おーっ!」
「…………」
すると遥は義行の腹の上に上がり、両足で立って拳を振り上げ、元気よく勝ち鬨を上げた。それを見て義行が無言を貫く中、美幸が呆気に取られながら尋ねる。
「遥、何それ?」
「げこくじょー! パパ、やっつけたー!」
「……楽しいの? それに誰がそんな事を教えたの?」
「うん、たのしー! おねーちゃん! パパ、もーいっかい!」
「……ああ」
「『お姉ちゃん』って誰? 美樹ちゃん? 安曇ちゃん? でも今日、誰もこんな遊びはしていなかった筈だけど……」
美幸がブツブツと自問自答している間に、上機嫌な遥に促された義行が、再び立ち上がった。
「いくよ? どーん!」
「うっ、やられたぁぁっ……」
「やっつけたー! えい、えい、おーっ!」
再び父親の腹の上に乗って、楽し気に声を上げる遥を見てから、美幸は義行に尋ねた。
「義さん、痛くないの?」
「胸や腹は、遥が乗った位ではびくともしないが……。少し、心が痛い……」
どことなく遠い目をしながらの夫の呟きに、美幸はひくっと口元を引き攣らせる。
「……遥、そろそろ止めようか」
「もーいっかい! パパー!」
「分かった、やるから。ほら、来い」
「げこくじょー! とりゃあー!」
「遥は強いなぁ……、ははは……」
「えい、えい、おーっ!」
全く止める素振りを見せない娘に、美幸はハラハラしながら声をかけた。
「遥、もうおしまいに」
「パパー! もーいっかい!」
「ああ……、どこからでも来い」
「義さん、もう止めましょうよ! 何だか表情が虚ろになってきてるし! 遥もいい加減にしなさい!」
「やーっ! げこくじょー、やるーっ!」
「遥! パパは疲れてるから!」
「やーっ!」
「遥! わがまま言わないの!」
その夜城崎家では、美幸の怒声と遥の泣き声が響き渡っていた。
※※※
明けて翌日。
夕方の時間帯、桜査警公社の副社長室に、美那がひょっこり顔を出した。
「金田さん、こんにちは!」
「おや、美那様。いらっしゃいませ」
愛想よく頷き返した金田から、美那は少し離れた席にいた寺島に向き直った。
「お父さん、こんにちは!」
「…………」
しかし彼は美那の事など丸無視で、黙々と書類作成を続ける。
「お父さん、こんにちは!」
「…………」
「寺島。挨拶を返さないか」
「……私は、美那様の父親ではありませんので」
めげずに再度声をかけても、頑なな態度を崩さない部下に、金田が呆れ気味に声をかけた。それに寺島が低い声で応じると、それを聞いた美那が、不思議そうに小首を傾げながら問いかける。
「寺島さんは、下僕のお父さんでしょう? 下僕が美那と結婚したら、寺島さんは美那のお父さんだよ?」
「あんた本当に、何してくれたんだ!? 陸斗が初めて口にした意味のある言葉が、『パパ』でもなく『ママ』でもなく、『げぼく』って、どう考えてもおかしいだろうが!?」
何故か妻と妙に仲良くなってしまった美那が、ちょくちょく家を尋ねてくるようになった挙句、生まれた息子にも顔を合わせる度に「下僕君」と笑って呼びかけている光景に不穏なものを感じていた彼は、その不安が現実の物となった時、本気で床に崩れ落ちた。妻の心海は「すぐにパパとかママとか言うわよ」と笑い、実際にそうだったのだが、その時の衝撃を忘れ去る事など不可能だった。
しかし美那は、彼のそんな心情などお構いなしに、納得したように話を続ける。
「初めて美那に会った時に、陸斗君の魂に刻み込まれちゃったんだね……。大丈夫。ちゃんと美那が、陸斗君の面倒を見るから。ねぇねがかずにぃの三十歳下だから、陸斗君が美那の六歳下でも全然おかしくないよね?」
「おかしいのは勿論だが、お前のような得体の知れない嫁なんかいらん!!」
「あ、そんな事より金田さん」
「『そんな事より』って、陸斗の人生をあっさり流すな!!」
「昨日、ねぇねがお父さんを倒して、下剋上を果たしたの」
「ほう?」
「……え?」
喚き散らす寺島を無視して美那が淡々と本題を切り出すと、金田は興味深そうな顔になり、寺島も驚いて絶句した。
「だからここの名目上の社長は、今まで通りお父さんだけど、実質的な社長はねぇねになるからね? かずにぃとの婚約も、お祖父ちゃんと叔母さん達の前で発表しちゃったし」
「そうですか。そろそろかとは思っておりましたが」
「倒したって……、社長を?」
落ち着き払って頷いた金田とは対照的に、寺島が動揺しながら問い返すと、美那は彼に向き直って頷いた。
「うん、お父さん、入院したの。ねぇねも怪我しちゃって部活が出来ないから、偶には部長らしく睨みを利かせてくるって、今日は珍しく空手部の部活に出て、こっちに来られないの」
「今の美樹様に関しての発言、何か色々間違っている気がしますが……」
「え? どこが?」
「……いえ、何でも無いです」
不思議そうに尋ねてきた美那に、寺島が深々と溜め息を吐いた。そこで美那が金田に向き直り、話を続ける。
「それでね? まだお父さんが名目上の社長だし、書類にサインとか処理をする為にここに顔を出す事があるでしょう? その時、もの凄く不機嫌な状態で来ると思うし、かずにぃと遭遇した日には血の雨が降ると思うから、他の社員さん達が近寄らないように、しっかり教えておいた方が良いと思うの」
「なるほど。それはそうですね」
「じゃあ皆に言っておいてね? 田所さんと約束してるから、これから財務部に行くの。バイバイ」
「はい。ご忠告、ありがとうございました」
そして笑顔で手を振って出て行った美那を、金田も笑って見送ってから、しみじみとした口調で呟いた。
「やれやれ。これでやっと、引退できるか……。感慨深いな」
「私としては公社と陸斗の将来に、不安しか感じません」
そんな自分とは雲泥の差の表情を見せる部下を見て、金田は再度笑いを漏らした。
0
お気に入りに追加
148
あなたにおすすめの小説
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
半世紀の契約
篠原 皐月
恋愛
それぞれ個性的な妹達に振り回されつつ、五人姉妹の長女としての役割を自分なりに理解し、母親に代わって藤宮家を纏めている美子(よしこ)。一見、他人からは凡庸に見られがちな彼女は、自分の人生においての生きがいを、未だにはっきりと見い出せないまま日々を過ごしていたが、とある見合いの席で鼻持ちならない相手を袖にした結果、その男が彼女の家族とその後の人生に、大きく関わってくる事になる。
一見常識人でも、とてつもなく非凡な美子と、傲岸不遜で得体の知れない秀明の、二人の出会いから始まる物語です。
ルナール古書店の秘密
志波 連
キャラ文芸
両親を事故で亡くした松本聡志は、海のきれいな田舎町に住む祖母の家へとやってきた。
その事故によって顔に酷い傷痕が残ってしまった聡志に友人はいない。
それでもこの町にいるしかないと知っている聡志は、可愛がってくれる祖母を悲しませないために、毎日を懸命に生きていこうと努力していた。
そして、この町に来て五年目の夏、聡志は海の家で人生初のバイトに挑戦した。
先輩たちに無視されつつも、休むことなく頑張る聡志は、海岸への階段にある「ルナール古書店」の店主や、バイト先である「海の家」の店長らとかかわっていくうちに、自分が何ものだったのかを知ることになるのだった。
表紙は写真ACより引用しています
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
夢見る頃を過ぎても
篠原 皐月
恋愛
これまで年の離れた異母妹清香(さやか)を溺愛していた清人(きよと)だが、自分の妨害にも挫けずに食らいついた異父弟聡(さとる)と清香が付き合い始めた結果、未だ独身にも関わらず娘を取られた物悲しい父親気分を疑似体験中。そんな兄を心配した清香が清人の縁談を画策するが、実は清香の知らない所で女性の出入りが激しかった清人には、以前から密かに想い続けている一人の女性が存在していた。
突如として浮かび上がった予想外の人物の名前に、周囲の人間は激しく動揺しながらも何とか二人の仲を取り持とうとするが、長年擦れ違っていた両者の間がそう簡単に近付く筈も無く……。そして本人達も知らぬ間に、運命の歯車が静かに回り出す。
【零れた欠片が埋まる時】続編作品。どこから見ても完璧と思われる、清人の数少ない弱点とトラウマが、恋の行方と話の進行を思い切り阻害する予定です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
伊藤さんと善鬼ちゃん~最強の黒少女は何故弟子を取ったのか~
寛村シイ夫
キャラ文芸
実在の剣豪・伊藤一刀斎と弟子の小野善鬼、神子上典膳をモチーフにしたラノベ風小説。
最強の一人と称される黒ずくめの少女・伊藤さんと、その弟子で野生児のような天才拳士・善鬼ちゃん。
テーマは二人の師弟愛と、強さというものの価値観。
お互いがお互いの強さを認め合うからこその愛情と、心のすれ違い。
現実の日本から分岐した異世界日ノ本。剣術ではない拳術を至上の存在とした世界を舞台に、ハードな拳術バトル。そんなシリアスな世界を、コミカルな日常でお送りします。
【普通の文庫本小説1冊分の長さです】
ガールズバンド“ミッチェリアル”
西野歌夏
キャラ文芸
ガールズバンド“ミッチェリアル”の初のワールドツアーがこれから始まろうとしている。このバンドには秘密があった。ワールドツアー準備合宿で、事件は始まった。アイドルが世界を救う戦いが始まったのだ。
バンドメンバーの16歳のミカナは、ロシア皇帝の隠し財産の相続人となったことから嫌がらせを受ける。ミカナの母国ドイツ本国から試客”くノ一”が送り込まれる。しかし、事態は思わぬ展開へ・・・・・・
「全世界の動物諸君に告ぐ。爆買いツアーの開催だ!」
武器商人、スパイ、オタクと動物たちが繰り広げるもう一つの戦線。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる