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美樹十五歳、藤宮家兄弟姉妹の既定路線
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「お祖父ちゃんの実家の倉田家は、代々政治家の家系で、本来公典ひいお祖父ちゃんの跡継ぎは、お祖父ちゃんだったんでしょう? お祖母ちゃんと結婚して藤宮家に入っちゃったから、和典大叔父さんが跡を継いだけど」
大真面目に美久が言い出した内容を聞いて、昌典がしかめっ面で応じた。
「まあ確かに、当時色々、ゴタゴタしたがな」
「それで和典大叔父さんの話では、ひいお祖父ちゃんが結婚した直後のお父さんに、『お前と美子の子供を一人、倉田に寄越せ』と言ったとか」
「それは私も、秀明さんから聞いたわ」
今度は美子が息子の話に頷く中、美久が冷静に話を続ける。
「それでひいお祖父さんが死ぬ時、『美子の子供で政治家として見所のある者を、お前の次かその次の、倉田家の後継者にしろ』って遺言したそうだよ」
「本当に事ある毎に、和典の奴は『本来なら兄貴が親父の後継者だったから』と鬱陶しい」
「実際、倉田の家に行く度に、姉さん共々勧誘されていたけど、姉さんは政治には全然興味がないし、首相官邸は結構好みだし、じゃあ僕が首相になろうかと思って」
そう話を締めくくった美久だったが、この間おとなしく会話の行方を見守っていた外野から、疑問の声が上がった。
「ちょっと待って、美久君。どうして倉田家に養子に入る云々の話から、首相になる話になるの?」
「だって美恵叔母さん、どうせやるならトップを目指すべきだろ? 日本の政治家のトップは、総理大臣だから」
「ええと、目標を高く持つのは良い事だと思うけど……」
「そういう訳だから、僕は将来、和典大叔父さんの孫の麗と結婚して、大叔父さんの地盤を貰う予定だから」
「でも和典叔父さんの後継者は幸典さんで、今現在叔父さんの秘書として勉強中じゃないの?」
ここで唖然とした美恵に代わり、美幸が口を挟んだが、美久は彼女に向き直って笑顔で解説した。
「幸典さんは、お兄さんの俊典さんが後継者として修行中、女性関係で失敗して倉田家から出されちゃったよね? 言わば棚ぼたの幸典さんは『自分が政治家に向かないのは、自分が一番良く分かっている。美久君に地盤を渡すまでの中継ぎとしてなら何とか頑張れるから、倉田家と麗の事を宜しく頼むよ』って、涙ながらに僕の手を取って頼んできた」
「…………」
父方の従兄弟の性格を良く知っていた美幸達が、さもありなんと物言いたげな顔を見合わせる中、美久が肩を竦めながら話を続けた。
「大叔父さん達も『父との約束が果たせる』って大喜びだけど、当の本人だけが不満みたいでね」
「あら、麗ちゃんが? どうして?」
思わず美野が口を挟むと、彼は笑いを堪える口調で説明した。
「彼女から『この裏表激しい、薄汚い泥棒猫が! あんたなんか力ずくででも、倉田家から排除してやるわ!』とか、面と向かって言われたんだ。まあ、ああいう気の強いタイプは、割と好みだし。適当にからかって楽しみながら、外堀から埋めていこうかと。あ……、でも現時点で、もう堀は外も内も全部埋まってるか」
それを聞いた妹達は、一斉に美子に顔を向けた。
「なんか……、いつかどこかで、見たり聞いたりしたようなシチュエーション」
「麗ちゃん……。何かもう、色々駄目っぽいわ」
「美久君、さすがお義兄さんの息子ね」
「…………」
長姉夫婦の結婚するまでのあれこれを思い返した妹達は、揃って微妙な顔付きになり、美子は無言で顔を引き攣らせた。しかし美久は、母や叔母達の様子を微塵も気にせず、話を続ける。
「そういう訳だから、お祖父ちゃん。悪いけど、旭日食品の事は美昌に任せたから。美那も桜査警公社の財務部に入って、資金運用を手がけるそうだし」
「はぁ? 資金運用?」
ここで昌典が戸惑った声を上げたが、美那がにこにこしながらとんでもない事を言い出した。
「うん。あのね? 今、金田さんに、脱税の仕方とか、迂回献金の仕方とか、マネーロンダリングの仕方とかを教えて貰ってるの。だから大きくなって、もっとお金を動かせるようになったら、にぃににこっそり、一杯お金をあげるからね?」
「ちょっと待て! 今何やら不穏な単語ばかり、聞こえてきたんだが!?」
「それよりもまず、金田さんって誰!?」
忽ち祖父と叔母達から悲鳴じみた声が上がったが、美久の事も無げな声が続いた。
「頼りにしてるよ。本当に美那は、頼もしい金庫番だよね。ちなみに今、どれ位お小遣いを持ってるのかな?」
「えっと……、金田さんから貰った分で、買って売って撒いて釣り上げてを繰り返して、十億ちょっとかな? 安曇お姉ちゃんがお店を出すまでに、もっと裏のお金を溜めておくね?」
「ありがとう。出店資金、宜しく! 絶対、損はさせないから!」
「うん、初期投資をケチったら駄目だよね」
何やら今度は従姉妹同士で不穏な会話を交わし始めた為、美恵が慌てて会話に割り込んだ。
「安曇、あんた出店って何の事!?」
「私二十歳過ぎたら、銀座でクラブを経営して、政財界に人脈を作って美樹ちゃんと美久君に情報提供する代わりに、開店費用と当座の運転資金を、全額出して貰う事になってるのよね」
「はいぃ?」
度肝を抜かれる事を娘にサラリと言われた美恵は絶句したが、ここで美久が思い出したように美実に向き直った。
「あ、美実叔母さん。淳志は将来、僕が代議士になった暁には、僕の秘書として働いて貰う事になってるんだ。取り敢えず面倒見るから、心配しないで」
「はい!?」
話が飛んできた美実が声を裏返す中、淳志が淡々と言い出す。
「僕、自分は表に出るより、裏方の方が向いていると思うんだよね」
「淳志。『裏方』と言うより、『裏で糸を引く方』だろ?」
「そうとも言う」
「言っておくけど、僕を操るのは無理だからね?」
「分かってるさ。僕が操るのは、美久の周りの人間」
「それなら良い」
「ところで美久。一応僕の方が年上なんだけど、そのタメ口と上から目線、どうにかならない?」
「上下関係は現年齢に関係無く、ちゃんとしておくべきだろう?」
「それも一理あるか」
そんな事を言い合って、「あははは」と呑気に笑っている美久と淳志を見て、叔母達は戦慄した。
「……何だか、ちょっと寒気が」
「一見、微笑ましい光景に見えなくも無いのに、何故……」
「さすが、お義兄さんと小早川さんの息子」
そこで広間に、甲高い声が響く。
「おじいちゃん!」
「お、おう、美昌。どうした?」
呆然としている間に、目の前に立っていた美昌に気が付いた昌典は、慌てて孫に声をかけた。すると彼が、満面の笑顔で言い出す。
「あのね? まさね? きょくじつしょくひんで、せかいせーふくするんだ!」
「はぁ?」
「美昌? 世界征服ってどうして? 旭日食品は飲料水及び食料品やその原材料、加工品の国内販売及び、輸出入会社なのよ? 確かに日本国内の同業他社の中では、旭日グループは最大規模だけど」
面と向かって言われた昌典は勿論、彼の隣に座っている美子も不思議そうに問い返したが、美昌は仁王立ちのまま堂々と宣言した。
「みずとしょくりょーをせーするものは、せかいをせーす!」
「…………」
声高らかに美昌がそう叫んだ瞬間、室内が静まり返った。そのまま数秒経過してから、美久が無言で彼に近寄り、彼の両肩に自分の両手を置きながら、真顔で告げる。
「美昌……。今の今まで気が付かなかったが、お前はとんでもない大物だったんだな。日本国内を手中にした位で得意になるなんて……。お前と比べたら、僕は何て小さな男なんだ……」
「美久。あなたはまだ、日本を手に入れて無いわよ?」
思わず突っ込みを入れた美子だったが、横から美那もうんうんと頷きながら会話に加わった。
「凄いね、美昌。確かにお金が山ほどあっても、水と食料が買えなかったら、死んじゃうものね。全世界の水と食料の生産地と流通経路をがっちり押さえて、好きなように生産調整と価格操作ができれば、お金なんて幾らでもガバガバ稼げるよね」
「美那。もの凄く非人道的な台詞を、笑顔でサラッと口にするのは止めなさい」
再び美子が窘めたが、子供達は全く聞いていなかった。
「お祖父ちゃん。今見た通り、藤宮家と旭日食品の事は、美昌に任せておけば大丈夫だから」
「うん、これで安心! にぃにと美那、好きな事を好きなだけできるよね!」
そこで完全に悪乗りした安曇が、他の皆に向かって拳を振り上げながら雄叫びを上げる。
「よぉぉ――っし、こうなったら皆で、世界征服するぞ――っ!」
「おぉぅ――っ!」
「うきゃ――っ!」
「凄いね~。世界征服したら、何する?」
「おかしでディズニーランドつくる!」
「それは良いね~」
「あははははっ!」
もう大盛り上がりの子供達とは裏腹に、昌典は文字通り頭を抱えて呻いた。
「俺の……、俺の古稀祝いは、どこに行った……」
「可愛くて頼もしい孫ばかりで、安心できたじゃない?」
「どこがだ!?」
慰めてきた美子に、昌典は勢い良く顔を上げて噛みついたが、彼女は父に大真面目に言い聞かせた。
「だって、夢は多少大きな方が良いわよ。小さな頃から小さく纏まってると、大物になんかなれないと思うわ」
「俺には夢じゃなくて、既定路線を語っているようにしか聞こえないんだが?」
「確かに美樹の結婚話は、既定路線だけどね……」
「美久と美那と美昌もそうじゃないのか!?」
「さあ……」
それ以上父に反論できず、美子が視線を逸らして黙り込んだところで、襖を開けて美樹が姿を現した。
「ただいま」
「あら、美樹。もう終わったの? 秀明さんは?」
頬が腫れ上がり、袖の付け根が裂けている状態の美樹を見て、室内にいた大人達が粗方の事情を察し、彼女はその想像を裏打ちする内容を口にした。
「庭に転がってるわ。右腕と脚をやったら仕事に差し支えると思ったから、攻撃はちゃんと左腕と体幹部だけにしたから。それに酷くても骨が折れたか、ヒビが入った程度よ。内臓の損傷も無い筈だしね」
「折れたかヒビって……」
「お義兄さん……」
その報告を聞いた義妹達は青ざめ、美子は思わず盛大な溜め息を吐いた。
「……そこまで気遣いをしてくれるなら、どうせなら無傷で済ませて欲しかったわ」
「冗談でしょ? こっちだって左肩を脱臼したし、打撲も全身に五ヶ所以上食らってんのよ? 捻挫もしてるし、これ以上手加減したら、こっちがやられるわ」
憮然としながら美樹が肩を竦めたのを見て、安曇が自分のスマホを取り出しながら美久に告げる。
「美久君。美樹ちゃんは休日診療所に行くから、タクシーを手配して。私、秀明伯父さん用の救急車を呼ぶわ」
「了解。姉さん、保険証とお財布を持って、出掛ける準備をしておいて」
「分かったわ」
子供達が淡々と処理していくのを見て、美子は再度溜め息を吐いてから腰を上げた。
「私は、ちょっと秀明さんの様子を見てくるわ。美久、ここをお願いね」
「分かった。行ってらっしゃい」
「私もちょっと、お義兄さんの様子を……」
「あ、私も行くわ」
美子の後に妹達が慌てて続き、玄関から屋敷を回り込んで庭へと向かった。
「あなた、大丈夫? 意識はあるわよね?」
妹達が少し離れた物陰から見守る中、美子は地面に両手両足を投げ出して仰向けに転がっていた夫に歩み寄り、静かに声をかけた。すると秀明はゆっくりと閉じていた目を開き、美子を見上げる。
「……美子」
「何? どうかしたの? どこか痛む?」
美子が彼の傍らにしゃがみ込みながら尋ねると、秀明は乾いた笑いを漏らしながら、自嘲気味に彼女に告げた。
「どうやら俺は……、娘の育て方を間違えたらしい。ははっ……、俺の人生最大の失敗だと、認めざるを得ないな……」
「誰がどう育てても、美樹はああなったと思うわ。あまり気にしないで」
そこで秀明は真剣そのものの顔を美子に向け、右手を伸ばして彼女の手を掴みながら言い出した。
「美子……、俺は考えたんだ」
「何を?」
「もう一人、子供を作ろう。そして今度は、素直で可愛くて優しい娘を育てるんだ」
どうやら夫が本気で言っているらしいと察した美子は、呆れ顔で小さく溜め息を吐いた。
「真顔で、何を馬鹿な事を言い出すの」
「大丈夫だ。美子は四十代だが初産では無いし、まだまだ産める。美昌も手がかからなくなってきたし」
「あのね、私が問題にしているのは、年齢の事では無いのよ」
「それなら、何が問題だ?」
不思議そうに問い返した秀明に向かって、美子は極めて冷静に指摘した。
「私とあなたの子供なのよ? どう考えても、『素直で可愛くて優しい』だけの子供が生まれるわけないじゃない。寧ろそんな子供が産まれたら、遺伝子操作を疑うわ」
「…………」
「それともあなた、私に浮気をして、他の男の人の子供を産めとでも言うつもり?」
「…………もう良い」
顔から綺麗に表情が抜け落ちた秀明が、掴んでいた美子の手を離し、そのまま身体を捻って地面にうつ伏せになった。それを見た美子が、呆れと怒りが混在した声を上げる。
「あ、ちょっと! 何拗ねて、うつ伏せになってるのよ! そんな事をしたら、怪我をしている左腕や肋骨が痛むんじゃないの? やせ我慢もいい加減にしなさい! もう本当に、馬鹿じゃないの!? ほら、仰向けになりなさいったら!」
頑強に抵抗している秀明に組み付き、叱りつけながら身体をひっくり返そうと奮闘している美子の様子を物陰から見ていた彼女の妹達は、全員涙目になりながら、秀明に憐憫の視線を送った。
「姉さんが義兄さんに、とどめを刺したわね……」
「うん、あれは傷口に塩を擦り込むどころか、確実にえぐったわ」
「お義兄さんが気の毒過ぎて、涙が止まらない……」
「時の流れって、残酷ね……。将来遥が、義さんを叩きのめしたらどうしよう……」
そうこうしているうちに安曇が呼んだ救急車が到着し、秀明を搬送していくそれを見送った後、なし崩し的に昌典の古稀祝いはお開きとなった。
大真面目に美久が言い出した内容を聞いて、昌典がしかめっ面で応じた。
「まあ確かに、当時色々、ゴタゴタしたがな」
「それで和典大叔父さんの話では、ひいお祖父ちゃんが結婚した直後のお父さんに、『お前と美子の子供を一人、倉田に寄越せ』と言ったとか」
「それは私も、秀明さんから聞いたわ」
今度は美子が息子の話に頷く中、美久が冷静に話を続ける。
「それでひいお祖父さんが死ぬ時、『美子の子供で政治家として見所のある者を、お前の次かその次の、倉田家の後継者にしろ』って遺言したそうだよ」
「本当に事ある毎に、和典の奴は『本来なら兄貴が親父の後継者だったから』と鬱陶しい」
「実際、倉田の家に行く度に、姉さん共々勧誘されていたけど、姉さんは政治には全然興味がないし、首相官邸は結構好みだし、じゃあ僕が首相になろうかと思って」
そう話を締めくくった美久だったが、この間おとなしく会話の行方を見守っていた外野から、疑問の声が上がった。
「ちょっと待って、美久君。どうして倉田家に養子に入る云々の話から、首相になる話になるの?」
「だって美恵叔母さん、どうせやるならトップを目指すべきだろ? 日本の政治家のトップは、総理大臣だから」
「ええと、目標を高く持つのは良い事だと思うけど……」
「そういう訳だから、僕は将来、和典大叔父さんの孫の麗と結婚して、大叔父さんの地盤を貰う予定だから」
「でも和典叔父さんの後継者は幸典さんで、今現在叔父さんの秘書として勉強中じゃないの?」
ここで唖然とした美恵に代わり、美幸が口を挟んだが、美久は彼女に向き直って笑顔で解説した。
「幸典さんは、お兄さんの俊典さんが後継者として修行中、女性関係で失敗して倉田家から出されちゃったよね? 言わば棚ぼたの幸典さんは『自分が政治家に向かないのは、自分が一番良く分かっている。美久君に地盤を渡すまでの中継ぎとしてなら何とか頑張れるから、倉田家と麗の事を宜しく頼むよ』って、涙ながらに僕の手を取って頼んできた」
「…………」
父方の従兄弟の性格を良く知っていた美幸達が、さもありなんと物言いたげな顔を見合わせる中、美久が肩を竦めながら話を続けた。
「大叔父さん達も『父との約束が果たせる』って大喜びだけど、当の本人だけが不満みたいでね」
「あら、麗ちゃんが? どうして?」
思わず美野が口を挟むと、彼は笑いを堪える口調で説明した。
「彼女から『この裏表激しい、薄汚い泥棒猫が! あんたなんか力ずくででも、倉田家から排除してやるわ!』とか、面と向かって言われたんだ。まあ、ああいう気の強いタイプは、割と好みだし。適当にからかって楽しみながら、外堀から埋めていこうかと。あ……、でも現時点で、もう堀は外も内も全部埋まってるか」
それを聞いた妹達は、一斉に美子に顔を向けた。
「なんか……、いつかどこかで、見たり聞いたりしたようなシチュエーション」
「麗ちゃん……。何かもう、色々駄目っぽいわ」
「美久君、さすがお義兄さんの息子ね」
「…………」
長姉夫婦の結婚するまでのあれこれを思い返した妹達は、揃って微妙な顔付きになり、美子は無言で顔を引き攣らせた。しかし美久は、母や叔母達の様子を微塵も気にせず、話を続ける。
「そういう訳だから、お祖父ちゃん。悪いけど、旭日食品の事は美昌に任せたから。美那も桜査警公社の財務部に入って、資金運用を手がけるそうだし」
「はぁ? 資金運用?」
ここで昌典が戸惑った声を上げたが、美那がにこにこしながらとんでもない事を言い出した。
「うん。あのね? 今、金田さんに、脱税の仕方とか、迂回献金の仕方とか、マネーロンダリングの仕方とかを教えて貰ってるの。だから大きくなって、もっとお金を動かせるようになったら、にぃににこっそり、一杯お金をあげるからね?」
「ちょっと待て! 今何やら不穏な単語ばかり、聞こえてきたんだが!?」
「それよりもまず、金田さんって誰!?」
忽ち祖父と叔母達から悲鳴じみた声が上がったが、美久の事も無げな声が続いた。
「頼りにしてるよ。本当に美那は、頼もしい金庫番だよね。ちなみに今、どれ位お小遣いを持ってるのかな?」
「えっと……、金田さんから貰った分で、買って売って撒いて釣り上げてを繰り返して、十億ちょっとかな? 安曇お姉ちゃんがお店を出すまでに、もっと裏のお金を溜めておくね?」
「ありがとう。出店資金、宜しく! 絶対、損はさせないから!」
「うん、初期投資をケチったら駄目だよね」
何やら今度は従姉妹同士で不穏な会話を交わし始めた為、美恵が慌てて会話に割り込んだ。
「安曇、あんた出店って何の事!?」
「私二十歳過ぎたら、銀座でクラブを経営して、政財界に人脈を作って美樹ちゃんと美久君に情報提供する代わりに、開店費用と当座の運転資金を、全額出して貰う事になってるのよね」
「はいぃ?」
度肝を抜かれる事を娘にサラリと言われた美恵は絶句したが、ここで美久が思い出したように美実に向き直った。
「あ、美実叔母さん。淳志は将来、僕が代議士になった暁には、僕の秘書として働いて貰う事になってるんだ。取り敢えず面倒見るから、心配しないで」
「はい!?」
話が飛んできた美実が声を裏返す中、淳志が淡々と言い出す。
「僕、自分は表に出るより、裏方の方が向いていると思うんだよね」
「淳志。『裏方』と言うより、『裏で糸を引く方』だろ?」
「そうとも言う」
「言っておくけど、僕を操るのは無理だからね?」
「分かってるさ。僕が操るのは、美久の周りの人間」
「それなら良い」
「ところで美久。一応僕の方が年上なんだけど、そのタメ口と上から目線、どうにかならない?」
「上下関係は現年齢に関係無く、ちゃんとしておくべきだろう?」
「それも一理あるか」
そんな事を言い合って、「あははは」と呑気に笑っている美久と淳志を見て、叔母達は戦慄した。
「……何だか、ちょっと寒気が」
「一見、微笑ましい光景に見えなくも無いのに、何故……」
「さすが、お義兄さんと小早川さんの息子」
そこで広間に、甲高い声が響く。
「おじいちゃん!」
「お、おう、美昌。どうした?」
呆然としている間に、目の前に立っていた美昌に気が付いた昌典は、慌てて孫に声をかけた。すると彼が、満面の笑顔で言い出す。
「あのね? まさね? きょくじつしょくひんで、せかいせーふくするんだ!」
「はぁ?」
「美昌? 世界征服ってどうして? 旭日食品は飲料水及び食料品やその原材料、加工品の国内販売及び、輸出入会社なのよ? 確かに日本国内の同業他社の中では、旭日グループは最大規模だけど」
面と向かって言われた昌典は勿論、彼の隣に座っている美子も不思議そうに問い返したが、美昌は仁王立ちのまま堂々と宣言した。
「みずとしょくりょーをせーするものは、せかいをせーす!」
「…………」
声高らかに美昌がそう叫んだ瞬間、室内が静まり返った。そのまま数秒経過してから、美久が無言で彼に近寄り、彼の両肩に自分の両手を置きながら、真顔で告げる。
「美昌……。今の今まで気が付かなかったが、お前はとんでもない大物だったんだな。日本国内を手中にした位で得意になるなんて……。お前と比べたら、僕は何て小さな男なんだ……」
「美久。あなたはまだ、日本を手に入れて無いわよ?」
思わず突っ込みを入れた美子だったが、横から美那もうんうんと頷きながら会話に加わった。
「凄いね、美昌。確かにお金が山ほどあっても、水と食料が買えなかったら、死んじゃうものね。全世界の水と食料の生産地と流通経路をがっちり押さえて、好きなように生産調整と価格操作ができれば、お金なんて幾らでもガバガバ稼げるよね」
「美那。もの凄く非人道的な台詞を、笑顔でサラッと口にするのは止めなさい」
再び美子が窘めたが、子供達は全く聞いていなかった。
「お祖父ちゃん。今見た通り、藤宮家と旭日食品の事は、美昌に任せておけば大丈夫だから」
「うん、これで安心! にぃにと美那、好きな事を好きなだけできるよね!」
そこで完全に悪乗りした安曇が、他の皆に向かって拳を振り上げながら雄叫びを上げる。
「よぉぉ――っし、こうなったら皆で、世界征服するぞ――っ!」
「おぉぅ――っ!」
「うきゃ――っ!」
「凄いね~。世界征服したら、何する?」
「おかしでディズニーランドつくる!」
「それは良いね~」
「あははははっ!」
もう大盛り上がりの子供達とは裏腹に、昌典は文字通り頭を抱えて呻いた。
「俺の……、俺の古稀祝いは、どこに行った……」
「可愛くて頼もしい孫ばかりで、安心できたじゃない?」
「どこがだ!?」
慰めてきた美子に、昌典は勢い良く顔を上げて噛みついたが、彼女は父に大真面目に言い聞かせた。
「だって、夢は多少大きな方が良いわよ。小さな頃から小さく纏まってると、大物になんかなれないと思うわ」
「俺には夢じゃなくて、既定路線を語っているようにしか聞こえないんだが?」
「確かに美樹の結婚話は、既定路線だけどね……」
「美久と美那と美昌もそうじゃないのか!?」
「さあ……」
それ以上父に反論できず、美子が視線を逸らして黙り込んだところで、襖を開けて美樹が姿を現した。
「ただいま」
「あら、美樹。もう終わったの? 秀明さんは?」
頬が腫れ上がり、袖の付け根が裂けている状態の美樹を見て、室内にいた大人達が粗方の事情を察し、彼女はその想像を裏打ちする内容を口にした。
「庭に転がってるわ。右腕と脚をやったら仕事に差し支えると思ったから、攻撃はちゃんと左腕と体幹部だけにしたから。それに酷くても骨が折れたか、ヒビが入った程度よ。内臓の損傷も無い筈だしね」
「折れたかヒビって……」
「お義兄さん……」
その報告を聞いた義妹達は青ざめ、美子は思わず盛大な溜め息を吐いた。
「……そこまで気遣いをしてくれるなら、どうせなら無傷で済ませて欲しかったわ」
「冗談でしょ? こっちだって左肩を脱臼したし、打撲も全身に五ヶ所以上食らってんのよ? 捻挫もしてるし、これ以上手加減したら、こっちがやられるわ」
憮然としながら美樹が肩を竦めたのを見て、安曇が自分のスマホを取り出しながら美久に告げる。
「美久君。美樹ちゃんは休日診療所に行くから、タクシーを手配して。私、秀明伯父さん用の救急車を呼ぶわ」
「了解。姉さん、保険証とお財布を持って、出掛ける準備をしておいて」
「分かったわ」
子供達が淡々と処理していくのを見て、美子は再度溜め息を吐いてから腰を上げた。
「私は、ちょっと秀明さんの様子を見てくるわ。美久、ここをお願いね」
「分かった。行ってらっしゃい」
「私もちょっと、お義兄さんの様子を……」
「あ、私も行くわ」
美子の後に妹達が慌てて続き、玄関から屋敷を回り込んで庭へと向かった。
「あなた、大丈夫? 意識はあるわよね?」
妹達が少し離れた物陰から見守る中、美子は地面に両手両足を投げ出して仰向けに転がっていた夫に歩み寄り、静かに声をかけた。すると秀明はゆっくりと閉じていた目を開き、美子を見上げる。
「……美子」
「何? どうかしたの? どこか痛む?」
美子が彼の傍らにしゃがみ込みながら尋ねると、秀明は乾いた笑いを漏らしながら、自嘲気味に彼女に告げた。
「どうやら俺は……、娘の育て方を間違えたらしい。ははっ……、俺の人生最大の失敗だと、認めざるを得ないな……」
「誰がどう育てても、美樹はああなったと思うわ。あまり気にしないで」
そこで秀明は真剣そのものの顔を美子に向け、右手を伸ばして彼女の手を掴みながら言い出した。
「美子……、俺は考えたんだ」
「何を?」
「もう一人、子供を作ろう。そして今度は、素直で可愛くて優しい娘を育てるんだ」
どうやら夫が本気で言っているらしいと察した美子は、呆れ顔で小さく溜め息を吐いた。
「真顔で、何を馬鹿な事を言い出すの」
「大丈夫だ。美子は四十代だが初産では無いし、まだまだ産める。美昌も手がかからなくなってきたし」
「あのね、私が問題にしているのは、年齢の事では無いのよ」
「それなら、何が問題だ?」
不思議そうに問い返した秀明に向かって、美子は極めて冷静に指摘した。
「私とあなたの子供なのよ? どう考えても、『素直で可愛くて優しい』だけの子供が生まれるわけないじゃない。寧ろそんな子供が産まれたら、遺伝子操作を疑うわ」
「…………」
「それともあなた、私に浮気をして、他の男の人の子供を産めとでも言うつもり?」
「…………もう良い」
顔から綺麗に表情が抜け落ちた秀明が、掴んでいた美子の手を離し、そのまま身体を捻って地面にうつ伏せになった。それを見た美子が、呆れと怒りが混在した声を上げる。
「あ、ちょっと! 何拗ねて、うつ伏せになってるのよ! そんな事をしたら、怪我をしている左腕や肋骨が痛むんじゃないの? やせ我慢もいい加減にしなさい! もう本当に、馬鹿じゃないの!? ほら、仰向けになりなさいったら!」
頑強に抵抗している秀明に組み付き、叱りつけながら身体をひっくり返そうと奮闘している美子の様子を物陰から見ていた彼女の妹達は、全員涙目になりながら、秀明に憐憫の視線を送った。
「姉さんが義兄さんに、とどめを刺したわね……」
「うん、あれは傷口に塩を擦り込むどころか、確実にえぐったわ」
「お義兄さんが気の毒過ぎて、涙が止まらない……」
「時の流れって、残酷ね……。将来遥が、義さんを叩きのめしたらどうしよう……」
そうこうしているうちに安曇が呼んだ救急車が到着し、秀明を搬送していくそれを見送った後、なし崩し的に昌典の古稀祝いはお開きとなった。
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