藤宮美樹最凶伝説

篠原 皐月

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美樹六歳、難しいお年頃

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 桜査警公社、信用調査部門。
 機密保持を第一とする為、本来は社員の家族と言えども、部外者の出入りは厳禁であるその場所に、最近では時折何故か、一人の少女が堂々と入り込んでいた。

「峰岸さん」
「はっ、はいっ! 何でしょうか!?」
「手があいたら、お茶をもらえる? そろそろ、おやつにしたいの」
 美樹が読んでいたファイルから顔を上げ、持参したバッグからジップロックを引き出しながら、近くの若手社員に声をかけると、彼は弾かれた様に立ち上がって一礼してから、バタバタと走り去った。

「只今すぐに、お持ちします! 少々お待ち下さい」
「お願いね」
 その慌ただしい様子を見て、和真が小さく舌打ちしてから、隣の席に当然の様に座っている美樹に声をかける。

「美樹さん。どうして平日の午後に、ここに当然の様にいるんですか?」
「お母さんに、ハイヤーを呼んで貰ったの」
「……答えになっていませんが? ここへの交通手段など、聞いていません」
「今日は、午前授業だったのよ」
 再びファイルに目を落としながら、美樹が素っ気なく答えた為、和真のこめかみに青筋が浮かんだ。

「まだ半分しか、答えていません。どうしてここにいるんですか?」
「ここには面白くて楽しい資料が、色々あるからよ」
「まだ説明不足ですね。それなら普段空いている社長室か、ヤバい物が山積みの副社長室に入り浸って下さい。どうして、私の隣に座っているんですか?」
 そこで漸く美樹は和真の方に顔を向け、呆れ顔で言ってのけた。

「和真が私の担当だと、決まっているからじゃない。ちゃんと机まで用意しているくせに、今更何を言っているのよ?」
「誰が誰の担当だ! それに俺は、机の用意なんかしていないぞ!!」
 思わず机を拳で叩きながら怒鳴りつけた和真だったが、美樹はひるむどころか憐れむ視線を彼に向けた。

「実質トップの金田さんが、そう認識しているんだから、部下としては従うべきじゃない? だけど、やっぱりサラリーマンって世知辛いわね……。誰かの下につくなんて、私には到底無理だわ」
 しみじみとそんな事を述べた美樹を見て、和真は必死に舌打ちを堪えた。
(このクソガキ……。年々、増長してやがる)
 心底腹立たしく思っていると、先程席を外した峰岸が、トレーにティーカップを乗せて静かに運んできた。

「美樹様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう。あら、今日はダージリンなのね」
 目の前に置かれた物を見て、美樹が少々意外そうに呟くと、峰岸が笑顔で付け加える。

「今日は美樹様はクッキーをお持ちでしたので、緑茶よりこちらの良いかと愚考いたしまして」
「確かに。気が利くわね。金田さんに、勤務評定を上積みする様に頼んでおくわ」
 見上げながら美樹がにっこりと笑いかけると、峰岸は嬉しそうに頷いて一礼した。

「はいっ! ありがとうございます! また何かご用がありましたら、いつでも声をおかけ下さい」
「ありがとう。その時は宜しくね?」
(副社長と言い、峰岸と言い、人の気も知らないで……)
 最近では、すっかり周囲から美樹の使いっぱしりと目されている峰岸が、自分の机に戻って行くのを見ながら、和真は忌々し気に口を開いた。

「美樹さん。せっかく学校が早く終わったのにこんな所に来て、お友達と遊んだりしなくて宜しいんですか? 美樹さんが優秀なのは重々承知していますが、子供は子供らしく遊ぶべきかと思います」
 普通の大人が普通の子供に対して言ったのなら、真っ当かつ正論なこの台詞も、和真と美樹の間では成立する筈も無かった。

「和真ったら、随分抹香臭い事を言うのね。それなら和真は六歳の頃、同年代の男の子と馬鹿騒ぎして遊んでいたわけ?」
「…………」
「するわけ無いわよね。自分がしていない事を、他人に求めるんじゃないわよ」
 途端に黙り込んだ和真を鼻で笑い、のんびりとカップ片手にファイルをめくる美樹。そんな二人を見て、少し離れた所にある机では、複数の男達が囁き合っていた。

「すげぇ……、美樹様」
「あの小野塚部長補佐を、ぐうの音も出ない程、やり込めているぞ」
「しいっ! お前達、命が惜しかったら黙れ!」
 そんな中、美樹が思わせぶりに溜め息を一つ吐いてから、妙にしみじみと和真に向かって言い出した。

「私もね、処世術のなんたるかは理解しているつもりだから、入学以来、学校にいる時は空気を読んで、周りに言動を合わせていたのよ?」
「ほう? そうでしたか。それはそれは、ご苦労様です」
「……それって、嫌みよね」
 若干棒読み口調で応じた和真を、軽く睨んでから、彼女は話を続けた。

「本当に、馬鹿馬鹿しかったわ。『将来はどんな職業につきたいの?』と聞かれた時には、『ケーキ屋さんか、お花やさんかな?』と小首を傾げながら答えて、『初恋の人は誰?』と聞かれた時には、『お父さん』って、文句の付けようが無い位、可愛らしく答えていたわ。……今、自分で言っていて、虫酸が走ったけど」
 美樹はそう言って手からカップを離し、心底嫌そうに両手で両腕をさすってみせた為、和真は不思議に思って問いかけた。

「それではお伺いしますが……、そうなると美樹さんの本当の初恋の相手と、なりたい職業は何ですか?」
「初恋の相手は加積さんで、なりたいのはここの社長よ。だから少しずつ地道に、予備知識を頭に入れているんじゃない」
「…………」
 さらりと事も無げに言われた内容を聞いて、和真は勿論、室内に居た全員が無言になり、(聞くんじゃ無かった。それにあの加積氏が初恋って、何か色々な意味でただ者じゃないぞ)と心底後悔し、恐れおののいた。

「それ位、察しなさいよ。それで本当に、信用調査部門の部長補佐なの?」
「誠に申し訳ありません」
 文句を口にした美樹に、余計な事は言うまいと判断した和真が、素直に頭を下げた。しかしそれでは物足りなかったらしく、美樹がなおも文句を言ってくる。

「それから『周りに合わせていた』と、過去形で語ったところに、突っ込みを入れなさいよ」
 本心を言えば、これ以上微塵も係わり合いになりたくなかった和真だったが、ここで無視しても絡まれるだけだと、これまでのあれこれで分かりきっていた為、嫌そうな表情になりながら、一応尋ねてみた。

「……どうして先程のお話は、過去形なのですか?」
「あの馬鹿男のせいよ」
「誰の事です?」
「はぁ? 分からないの?」
 本気で馬鹿にする口振りで問い返された為、和真は半ば本気で腹を立てて言い返した。

「美樹さんのクラスの担任の事など、私が知るわけが無いでしょう」
「違うわよ。ここの名目上の社長で、私の父親の事を言ってるの」
 美樹がそう口にした途端、和真の顔がもの凄く疑わしげな物に変化した。

「はぁ? 美樹さん。あの社長が馬鹿だと言うなら、世の中の99%の人間は馬鹿になりますが?」
「それで和真は、自分はその残り1%に、入ると思っているわよね?」
「当然です」
 和真のその即答っぷりに、周りの者達は、半ば呆れ半ば感心する視線を送った。

(さすが部長補佐……)
(自分は馬鹿の領域に入らないと、断言してるぞ)
(しかし、実の父親のあの社長を、馬鹿呼ばわりとは)
 そこで一部の人間の疑問を代表する様に、和真が問いかけた。

「美樹さん。どうしてあの社長が、馬鹿になるのですか? 意味が分かりませんが」
「頭の良し悪しなら、あの人は傍迷惑な位、頭が良くて切れるわよ。私が言うのは、お・や・バ・カ、って事」
 それを聞いても、まだ和真は困惑顔のままだった。

「なんとなく納得できましたが……、本当にそうなんですか? 普段のあの人の様子では、想像しにくいんですが」
 するとここで、美樹が忌々しそうに言い出した。
「半月前位の、公開授業の日。美久の奴よりにもよって、その前日の夜に、熱を出しやがったのよ」
 美樹が口にした名前が、彼女の弟の名前だと知っていた和真は、さすがに渋面になって窘めた。

「……弟さんはまだ小さい筈ですから、熱くらいは出すでしょう。そこまで悪し様に言わなくても、宜しいのでは?」
「せめて当日の朝、あいつが出勤してから、熱を出せば良かったのよ。そうしたら『公開授業なのに、誰も行かなかったら美樹が寂しいだろう。美子の代わりに俺が行くから、安心しろ』とか、あの馬鹿が言い出さずに済んだのに。しっかり朝から調整して、午後から学校に来やがったわ」
 そう言って盛大に舌打ちした美樹を見て、和真は完全に呆れ顔になった。

「実の父親の事を、『あいつ』とか『あの馬鹿』呼ばわりは、どうかと思いますが……。それに公開授業に顔を出す位、良いじゃありませんか。寧ろ急な事なのに、仕事をやりくりして見に行った社長に対して、感謝するべきでは無いんですか?」
 自分でも似合わないなと思いながらも、すこぶる真っ当な事を口にした和真に、ここで美樹は恨みがましい視線を向けた。

「……何も知らないくせに」
「知らないのは当然です。私は美樹さんの保護者ではありませんから」
 彼女の表情を見て、幾らか溜飲を下げた和真がすまして答えると、美樹は予想外の事を言い出した。

「じゃあその時、教室で何があったのか、教えてあげる」
「結構です」
「聞きなさい。あんたは私の下僕で、社内での苦情受付担当でしょう?」
 真顔で当然の如く言われた和真は、今度こそ本気で怒鳴りつけた。

「百歩譲って、俺が社内でお前が引き起こした迷惑の、苦情受付担当だったとしても、お前の社長に対する愚痴や文句を、黙って聞く義理なんかあるわけ無いだろ!」
「あの時の授業は、算数だったわ……」
「あんたら本当に聞く耳を持たない、傍若無人な父娘だよな!?」
 和真が声を荒げる中、それを完全にスルーした美樹は、問題となった公開授業の時の出来事を、淡々と語り始めた。
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