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美樹四歳、次世代達の覚醒
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加積邸から土曜日の午前中に戻って来た美樹達は、昼食を食べ終えてからすぐに玄関に陣取って、車座になっていた。
「あずみちゃん、きよしくん。これからたーげっとがここにくるから。うちあわせどおり、おねがいね!」
「おまかせ!」
「おーっ!」
そんな一見楽しげに盛り上がっている子供達を、廊下の端からチラリと眺めてから歩き出した美幸は、愚痴めいた呟きを漏らした。
「何か、子供同士で盛り上がってるわね……。それにしても、何も役に立たない旦那まで、金魚のフンみたいにくっ付いて来なくても良いのに。余計な気を遣うじゃないの」
ぶつぶつと文句を言いながら、父と義兄に頼まれたお茶を運びながら階段を上がった美幸は、ちょっとした不安事項を思い出した。
「そう言えば美樹ちゃんも、以前、上坂さんの事を気に入らない顔で見てたのよね……。やだなぁ、ただでさえあの人が来ると空気が微妙なのに、美樹ちゃんが癇癪を起こしたらどうしよう。あのまま三人で、最後まで機嫌良くしていてくれると、助かるなぁ……」
心底うんざりしながら廊下を進んだ美幸だったが、父の書斎の前に来るまでにはいつもの表情を装って、ドアをノックした。
「お父さん、お茶を持って来たわ。お義兄さんもこっちだったんですね。どうぞ」
「ああ」
「ありがとう」
何やら話し込んでいたらしい二人に、丁度良かったと湯飲みを渡してから、美幸は掛け時計で時刻を確認して付け加えた。
「そろそろ美野姉さん達が来る頃だから、来たら知らせるわね」
「……ああ」
その途端、昌典は笑顔を消し、秀明も無言のまま微妙な表情になった為、美幸はそれ以上余計な事は言わずに退散した。
(やっぱりお父さんもお義兄さんも、良い顔をしてないわね。取り敢えず、体面は取り繕ってくれると思うけど)
そんな事を考えながら美幸が階段を下りている頃、美野が持っている合い鍵で玄関から入って来た。
「こんにちは」
チャイムを押さなかったので、誰も玄関にいないと思いつつも、習慣で挨拶をしながら引き戸を開けた美野だったが、予想外の返事が返ってきて、少々驚いた。
「あ、よしのちゃん、いらっしゃーい!」
「こんにちはー!」
「こーちゃー!」
「美樹ちゃん、こんにちは。安曇ちゃんと淳志くんは久しぶりね」
元気良く出迎えてくれた姪と甥に、美野は思わず笑顔になりながら、夫に説明する。
「光輝さん、こっちの安曇ちゃんは二番目の姉の子供で、こっちの淳志君は三番目の姉の子供なの」
指差しながらの説明を聞いて、上坂は愛想笑いを浮かべた。
「そうか。美樹ちゃんは以前に会った事があるけど、二人は初めてだね。安曇ちゃん、淳志君、こんにちは。俺は上坂光輝って名前で」
「ぱぱ」
「え?」
「は?」
ここですっくと立ち上がった淳志が、上坂を見上げながら真顔で言った台詞に、美野達は当惑した顔になった。しかし淳志は何を思ったか、上坂に向かって両手を伸ばしながら振り回し、笑顔で呼びかけてくる。
「ぱぱ~!」
「え、ええと……」
さすがに上坂はどうすれば良いのか咄嗟に判断できずに困った顔になったが、ここで安曇が冷静に淳志に言い聞かせた。
「きよくん。このひと、きよくんぱぱ、ちがう」
「……ぱぱ?」
「だから、ちーがーうーの!」
キョトンとした淳志に、なおも安曇が強い口調で断言すると、それまで笑顔だった淳志は忽ち涙目になってぐずり始める。
「ぱぱぁ……、ふえぇぇっ……」
「おとこのこ、ないちゃ、めっ!」
「うえぇぇぇっ!」
安曇に本気で怒られ、淳志が盛大に泣き出してしまい、美野達が動揺する中、美樹が優しく安曇に言い聞かせた。
「あずみちゃん、おこっちゃだめ。ちいさいこには、やさしくね?」
「だって……」
そして不満げな安曇から上坂に向き直った美樹は、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。きよしくん、あつしおじさんにあってなくて、まちがったみたい」
「そうね。小早川さんはまだ襲撃犯が捕まっていなくて、暫くマンションに戻れていない筈だし」
「あ、ああ……、そうなんだ。気にしてないから大丈夫だよ?」
そして取り敢えず二人が靴を脱いで上がり込んだところで、安曇が唐突に言い出した。
「おじさん、きよくん、たかいたかいして?」
「え?」
「そうだね。そうすればきよしくん、さびしくなくなって、なくのをやめるかも。おねがいします」
美樹にも重ねてそんな事を言われた上坂は、未だにぐすぐす泣いている淳志を横目で見ながら、美野に尋ねた。
「ええと……。じゃあ、やって良いのかな?」
「そうね。やってみてくれる? まず両脇の下に手を入れて、あまり揺さぶらないように、軽く上下にしてみて」
「……こうかな?」
小さな子供の相手など初体験の上坂は、恐る恐る淳志の脇の下を掴んで、ゆっくり上に上げてみた。
「ふうぇぇっ! ……ふぇ?」
「えっと。大丈夫、だよな?」
取り敢えず顔の高さまで持ち上げてみると、淳志がぴたりと泣き止み、まじまじと目の前の上坂を凝視する。上坂は上坂で、いきなり大泣きされたらどうしようと不安になっていたが、次の瞬間、淳志が大喜びで手足をバタバタさせながら歓喜の声を上げた。
「うきゃあーっ! ぱぁぱー!」
「なんか、完璧に勘違いされてる気が……」
「ごめんなさい。きよしくんがおちつくまで、あいてしてあげて?」
「あ、ああ、構わないよ?」
申し訳無さそうに美樹に見上げられて、上坂はまだ少し動揺しながらも頷いた。すると玄関での騒ぎを耳にした美幸が、小走りにやってくる。
「美野姉さん、上坂さんもいらっしゃい。淳志君、どうかしたの?」
「ぱぁぱ~」
「はい?」
上坂に持ち上げられながら、上機嫌に言ってきた淳志に、美幸は本気で戸惑った顔になった。すると美樹が解説を加える。
「きよしくん、あつしおじさんとこうきおじさん、まちがったみたい。あずみちゃんがちがうっていったら、なきだしちゃって。あいてしてもらってるの」
「そうなんだ……。それなら申し訳ありませんが、そのまま応接室にどうぞ」
「失礼します」
「じゃあ美野姉さん。お茶を淹れながら、お父さんと義兄さんを呼んでくるから」
「お願い。子供達は見ているわ」
そして美幸は美野達に声をかけてから、父と義兄を呼びに行く為、二階に向かった。
そしてお茶の準備をする為に一足先に出た美幸に続いて、二人は書斎から連れ立って出た。
「決して気に入らないとか、虫が好かないわけでは無いが、どうにも変に下手にでるところがな」
「小物が上に媚びを売ろうとするのは、当然の事です。一々目くじらを立ててもいられません。正直、構う時間が勿体ないですよ」
「お前は相変わらず辛辣だな」
「人物評価が適切だと言って下さい。全く……、あの程度の男に美野ちゃんを渡す事になるとは。一生の不覚です」
「まあ、目立つ欠点は無いし、本人が満足しているのだから、仕方がないだろう。陰で蹴落とすなよ?」
「俺にそんな権限があるとでも? お義父さんこそ、裏から手を回して飛ばしたりしたら駄目ですよ?」
「誰に言っている」
旭日食品社員である上坂の事を、本音では大して評価していない昌典と秀明は、互いに微妙なコメントを口にしつつも、応接間に到達するまでには笑顔を取り繕い、気安く声をかけながら室内に足を踏み入れた。
「美野、上坂君、待たせたな」
「君達にまで心配かけてすまないね。美子の具合も随分良く……」
「ほ~ら、たかいたか~い」
「うきゃあーっ!」
しかし室内で、短時間で慣れたらしい上坂が淳志を掲げ上げ、淳志が満面の笑みで甲高い声を上げているのを見て、さすがに面食らった。
「……どうした?」
「あの、お父さん。これは」
呆気に取られた昌典の問いかけに、美野が説明しようとしたところで、美樹が割り込む。
「きよしくん、あつしおじさんとこうきおじさんまちがえて、なきだしちゃったから、あいてをおねがいしてるの」
それを聞いた昌典と秀明は、意外そうな顔をしながら、上坂に向き直って声をかけた。
「そうか。すまないな、上坂君。せっかく出向いてくれたのに」
「疲れただろう? 淳志君は私が預かるから」
「そうですか? 部長、すみません」
淳志を引き取ろうと両手を伸ばした秀明に、上坂は若干安堵した表情を見せながら淳志を渡そうとした。しかし淳志が上坂に両腕を伸ばして、おねだりしてくる。
「ぱぱ~、だっこ~」
「…………」
バタバタと両手両足を動かしながら要求してくる淳志を見て、大人達は顔を見合わせたが、ここで美樹が冷静に頼んできた。
「もうすこし、きよしくんをおねがいしていい? しんこんさんだし、あかちゃんがくる、よこうえんしゅうのつもりで」
「しんこんさん、あかちゃん、くる?」
「…………」
微妙な事を美樹が真顔で口にし、安曇が不思議そうな顔で相槌を入れた瞬間、室内全員の視線を浴びた美野が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「や、やだ、美樹ちゃん。『予行演習』だなんて! そんな言葉、誰に聞いたの?」
「よしゆきちゃん」
「もう、美幸ったら!」
美樹がさらっと口からでまかせを告げると、美野が照れ隠しもあって盛大に文句を言った。するとここで美幸が、人数分のお茶とお茶菓子を持って来る。
「お待たせ。お茶を持って来たから、皆で」
「美幸! あなたったら、相変わらず美樹ちゃんに、ろくでもない事を教えて!」
「え? いきなり何の事?」
わけが分からず戸惑った美幸だったが、詳細を説明する気は無かった美野は、この場からの逃走を図った。
「お義兄さん。今から美子姉さんの様子を見て来て良いですか? 部屋で休んでいるんですよね?」
「それは構わないが……」
「じゃあちょっと行ってきます。光輝さん。少し淳志君の相手をしていてね?」
「分かった。行って来い」
だいぶ慣れてきた上坂が、淳志をだっこしながらソファーに落ち着き、鷹揚に頷いたのを見て、美野は慌ただしく応接室を出て行った。
「えっと……、だから一体、何の事?」
美幸一人だけは怪訝な顔をしていたものの、それからは淳志が言葉足らずでも一生懸命周りの大人に話しかけて愛想を振り撒き、それに上坂は勿論、昌典と秀明も機嫌良く応じて、室内には穏やかな空気が流れた。その片隅で、美樹と安曇が大人達に聞こえない様に囁き合う。
「だいいちだんかい、くりあ。ひきつづき、だいにだんかいにうつるからね? もうすこししたら、ここをぬけるよ?」
「りょーかい!」
そして安曇は話題の中心になっている淳志を見ながら、感想を述べた。
「きよくん、のりのり」
「うん。あかでみーしょうの、じょえんだんゆうしょうくらい、あげてもいいとおもう」
「なに、あげるの?」
そう問い返された美樹は、説明するのが面倒だった為、適当に誤魔化す。
「どーなっつ。がんばってるあずみちゃんにも、あとであげるからね。もうひとしごと、おねがいね?」
「うん! どーなつ!」
そして美樹はタイミングを見計らって、上機嫌の安曇を引き連れて応接間から抜け出した。
「あずみちゃん、きよしくん。これからたーげっとがここにくるから。うちあわせどおり、おねがいね!」
「おまかせ!」
「おーっ!」
そんな一見楽しげに盛り上がっている子供達を、廊下の端からチラリと眺めてから歩き出した美幸は、愚痴めいた呟きを漏らした。
「何か、子供同士で盛り上がってるわね……。それにしても、何も役に立たない旦那まで、金魚のフンみたいにくっ付いて来なくても良いのに。余計な気を遣うじゃないの」
ぶつぶつと文句を言いながら、父と義兄に頼まれたお茶を運びながら階段を上がった美幸は、ちょっとした不安事項を思い出した。
「そう言えば美樹ちゃんも、以前、上坂さんの事を気に入らない顔で見てたのよね……。やだなぁ、ただでさえあの人が来ると空気が微妙なのに、美樹ちゃんが癇癪を起こしたらどうしよう。あのまま三人で、最後まで機嫌良くしていてくれると、助かるなぁ……」
心底うんざりしながら廊下を進んだ美幸だったが、父の書斎の前に来るまでにはいつもの表情を装って、ドアをノックした。
「お父さん、お茶を持って来たわ。お義兄さんもこっちだったんですね。どうぞ」
「ああ」
「ありがとう」
何やら話し込んでいたらしい二人に、丁度良かったと湯飲みを渡してから、美幸は掛け時計で時刻を確認して付け加えた。
「そろそろ美野姉さん達が来る頃だから、来たら知らせるわね」
「……ああ」
その途端、昌典は笑顔を消し、秀明も無言のまま微妙な表情になった為、美幸はそれ以上余計な事は言わずに退散した。
(やっぱりお父さんもお義兄さんも、良い顔をしてないわね。取り敢えず、体面は取り繕ってくれると思うけど)
そんな事を考えながら美幸が階段を下りている頃、美野が持っている合い鍵で玄関から入って来た。
「こんにちは」
チャイムを押さなかったので、誰も玄関にいないと思いつつも、習慣で挨拶をしながら引き戸を開けた美野だったが、予想外の返事が返ってきて、少々驚いた。
「あ、よしのちゃん、いらっしゃーい!」
「こんにちはー!」
「こーちゃー!」
「美樹ちゃん、こんにちは。安曇ちゃんと淳志くんは久しぶりね」
元気良く出迎えてくれた姪と甥に、美野は思わず笑顔になりながら、夫に説明する。
「光輝さん、こっちの安曇ちゃんは二番目の姉の子供で、こっちの淳志君は三番目の姉の子供なの」
指差しながらの説明を聞いて、上坂は愛想笑いを浮かべた。
「そうか。美樹ちゃんは以前に会った事があるけど、二人は初めてだね。安曇ちゃん、淳志君、こんにちは。俺は上坂光輝って名前で」
「ぱぱ」
「え?」
「は?」
ここですっくと立ち上がった淳志が、上坂を見上げながら真顔で言った台詞に、美野達は当惑した顔になった。しかし淳志は何を思ったか、上坂に向かって両手を伸ばしながら振り回し、笑顔で呼びかけてくる。
「ぱぱ~!」
「え、ええと……」
さすがに上坂はどうすれば良いのか咄嗟に判断できずに困った顔になったが、ここで安曇が冷静に淳志に言い聞かせた。
「きよくん。このひと、きよくんぱぱ、ちがう」
「……ぱぱ?」
「だから、ちーがーうーの!」
キョトンとした淳志に、なおも安曇が強い口調で断言すると、それまで笑顔だった淳志は忽ち涙目になってぐずり始める。
「ぱぱぁ……、ふえぇぇっ……」
「おとこのこ、ないちゃ、めっ!」
「うえぇぇぇっ!」
安曇に本気で怒られ、淳志が盛大に泣き出してしまい、美野達が動揺する中、美樹が優しく安曇に言い聞かせた。
「あずみちゃん、おこっちゃだめ。ちいさいこには、やさしくね?」
「だって……」
そして不満げな安曇から上坂に向き直った美樹は、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。きよしくん、あつしおじさんにあってなくて、まちがったみたい」
「そうね。小早川さんはまだ襲撃犯が捕まっていなくて、暫くマンションに戻れていない筈だし」
「あ、ああ……、そうなんだ。気にしてないから大丈夫だよ?」
そして取り敢えず二人が靴を脱いで上がり込んだところで、安曇が唐突に言い出した。
「おじさん、きよくん、たかいたかいして?」
「え?」
「そうだね。そうすればきよしくん、さびしくなくなって、なくのをやめるかも。おねがいします」
美樹にも重ねてそんな事を言われた上坂は、未だにぐすぐす泣いている淳志を横目で見ながら、美野に尋ねた。
「ええと……。じゃあ、やって良いのかな?」
「そうね。やってみてくれる? まず両脇の下に手を入れて、あまり揺さぶらないように、軽く上下にしてみて」
「……こうかな?」
小さな子供の相手など初体験の上坂は、恐る恐る淳志の脇の下を掴んで、ゆっくり上に上げてみた。
「ふうぇぇっ! ……ふぇ?」
「えっと。大丈夫、だよな?」
取り敢えず顔の高さまで持ち上げてみると、淳志がぴたりと泣き止み、まじまじと目の前の上坂を凝視する。上坂は上坂で、いきなり大泣きされたらどうしようと不安になっていたが、次の瞬間、淳志が大喜びで手足をバタバタさせながら歓喜の声を上げた。
「うきゃあーっ! ぱぁぱー!」
「なんか、完璧に勘違いされてる気が……」
「ごめんなさい。きよしくんがおちつくまで、あいてしてあげて?」
「あ、ああ、構わないよ?」
申し訳無さそうに美樹に見上げられて、上坂はまだ少し動揺しながらも頷いた。すると玄関での騒ぎを耳にした美幸が、小走りにやってくる。
「美野姉さん、上坂さんもいらっしゃい。淳志君、どうかしたの?」
「ぱぁぱ~」
「はい?」
上坂に持ち上げられながら、上機嫌に言ってきた淳志に、美幸は本気で戸惑った顔になった。すると美樹が解説を加える。
「きよしくん、あつしおじさんとこうきおじさん、まちがったみたい。あずみちゃんがちがうっていったら、なきだしちゃって。あいてしてもらってるの」
「そうなんだ……。それなら申し訳ありませんが、そのまま応接室にどうぞ」
「失礼します」
「じゃあ美野姉さん。お茶を淹れながら、お父さんと義兄さんを呼んでくるから」
「お願い。子供達は見ているわ」
そして美幸は美野達に声をかけてから、父と義兄を呼びに行く為、二階に向かった。
そしてお茶の準備をする為に一足先に出た美幸に続いて、二人は書斎から連れ立って出た。
「決して気に入らないとか、虫が好かないわけでは無いが、どうにも変に下手にでるところがな」
「小物が上に媚びを売ろうとするのは、当然の事です。一々目くじらを立ててもいられません。正直、構う時間が勿体ないですよ」
「お前は相変わらず辛辣だな」
「人物評価が適切だと言って下さい。全く……、あの程度の男に美野ちゃんを渡す事になるとは。一生の不覚です」
「まあ、目立つ欠点は無いし、本人が満足しているのだから、仕方がないだろう。陰で蹴落とすなよ?」
「俺にそんな権限があるとでも? お義父さんこそ、裏から手を回して飛ばしたりしたら駄目ですよ?」
「誰に言っている」
旭日食品社員である上坂の事を、本音では大して評価していない昌典と秀明は、互いに微妙なコメントを口にしつつも、応接間に到達するまでには笑顔を取り繕い、気安く声をかけながら室内に足を踏み入れた。
「美野、上坂君、待たせたな」
「君達にまで心配かけてすまないね。美子の具合も随分良く……」
「ほ~ら、たかいたか~い」
「うきゃあーっ!」
しかし室内で、短時間で慣れたらしい上坂が淳志を掲げ上げ、淳志が満面の笑みで甲高い声を上げているのを見て、さすがに面食らった。
「……どうした?」
「あの、お父さん。これは」
呆気に取られた昌典の問いかけに、美野が説明しようとしたところで、美樹が割り込む。
「きよしくん、あつしおじさんとこうきおじさんまちがえて、なきだしちゃったから、あいてをおねがいしてるの」
それを聞いた昌典と秀明は、意外そうな顔をしながら、上坂に向き直って声をかけた。
「そうか。すまないな、上坂君。せっかく出向いてくれたのに」
「疲れただろう? 淳志君は私が預かるから」
「そうですか? 部長、すみません」
淳志を引き取ろうと両手を伸ばした秀明に、上坂は若干安堵した表情を見せながら淳志を渡そうとした。しかし淳志が上坂に両腕を伸ばして、おねだりしてくる。
「ぱぱ~、だっこ~」
「…………」
バタバタと両手両足を動かしながら要求してくる淳志を見て、大人達は顔を見合わせたが、ここで美樹が冷静に頼んできた。
「もうすこし、きよしくんをおねがいしていい? しんこんさんだし、あかちゃんがくる、よこうえんしゅうのつもりで」
「しんこんさん、あかちゃん、くる?」
「…………」
微妙な事を美樹が真顔で口にし、安曇が不思議そうな顔で相槌を入れた瞬間、室内全員の視線を浴びた美野が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「や、やだ、美樹ちゃん。『予行演習』だなんて! そんな言葉、誰に聞いたの?」
「よしゆきちゃん」
「もう、美幸ったら!」
美樹がさらっと口からでまかせを告げると、美野が照れ隠しもあって盛大に文句を言った。するとここで美幸が、人数分のお茶とお茶菓子を持って来る。
「お待たせ。お茶を持って来たから、皆で」
「美幸! あなたったら、相変わらず美樹ちゃんに、ろくでもない事を教えて!」
「え? いきなり何の事?」
わけが分からず戸惑った美幸だったが、詳細を説明する気は無かった美野は、この場からの逃走を図った。
「お義兄さん。今から美子姉さんの様子を見て来て良いですか? 部屋で休んでいるんですよね?」
「それは構わないが……」
「じゃあちょっと行ってきます。光輝さん。少し淳志君の相手をしていてね?」
「分かった。行って来い」
だいぶ慣れてきた上坂が、淳志をだっこしながらソファーに落ち着き、鷹揚に頷いたのを見て、美野は慌ただしく応接室を出て行った。
「えっと……、だから一体、何の事?」
美幸一人だけは怪訝な顔をしていたものの、それからは淳志が言葉足らずでも一生懸命周りの大人に話しかけて愛想を振り撒き、それに上坂は勿論、昌典と秀明も機嫌良く応じて、室内には穏やかな空気が流れた。その片隅で、美樹と安曇が大人達に聞こえない様に囁き合う。
「だいいちだんかい、くりあ。ひきつづき、だいにだんかいにうつるからね? もうすこししたら、ここをぬけるよ?」
「りょーかい!」
そして安曇は話題の中心になっている淳志を見ながら、感想を述べた。
「きよくん、のりのり」
「うん。あかでみーしょうの、じょえんだんゆうしょうくらい、あげてもいいとおもう」
「なに、あげるの?」
そう問い返された美樹は、説明するのが面倒だった為、適当に誤魔化す。
「どーなっつ。がんばってるあずみちゃんにも、あとであげるからね。もうひとしごと、おねがいね?」
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