猪娘の躍動人生~一年目は猪突猛進

篠原皐月

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十一月

6.二課の結束

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 一方で、通話を終わらせた城崎は携帯をポケットにしまい込み、何食わぬ顔で企画推進部の部屋に戻ったが、自分の席に着く前に清瀬からからかい混じりの声をかけられた。

「急に鳴り出した携帯片手にどこぞへ行くから何事かと思ったが、藤宮君からか?」
「どうして分かるんですか」
「顔が緩んでるぞ」
「……そんな事ありませんから」
 辛うじて無表情を保ったつもりの城崎だったが、その場の何人かが一斉に小さく噴き出した。それを無視して仕事を再開しようとした城崎だったが、執拗に追及される。

「それで? 何だって?」
 にこやかに林に問いかけられて、会話の内容を思い出した城崎は、思わず苦笑しながら答えた。
「日中、奥様に随分こき使われていた様ですよ。課長印を押すのを強制されて、泣きたくなったとか」
 その報告に、今度こそ全員が失笑した。

「ははっ! それはさすがの藤宮さんも、手が震えたと見えるな」
「ちょっとだけ同情するね」
「まあ、これも良い経験だろう」
「そうそう。これから課長より上を目指すんだろうし」
 そこである事を思い出した枝野が、城崎に若干心配そうに確認を入れてきた。

「藤宮君と言えば……、一時期係長を待ち伏せしていたっていうお姉さんは、今はどうなんだい?」
「先週彼女が『姉には私からきつく言っておきましたから、心配いりません』と言っていましたが、確かにそれから接触はありませんね」
 仕事が忙しくすっかり忘れていた存在を思い返し、城崎は微妙な表情になった。しかし実際問題は起きていない為、周囲も含めて安堵した顔つきになる。

「それなら良かったな。ただでさえ大変な時に、余計に神経をすり減らす羽目にならなくて」
「同感です。しかし本当に、何が目的だったのやら」
「係長じゃなかったのか?」
「さぁ……、俺を放置して仲原と食事に行ったり、俺を無視して話してる時もありましたから……」
「一筋縄でいかないところが、如何にも藤宮さんのお姉さんらしいね」
「笑い事じゃありませんよ」
「すまんすまん」
 そんな談笑をしながらも、その日の成果を纏めていると、女性が一人入室してきた。

「あら、まだこんなに残って仕事してたの?」
 僅かに驚いた表情を見せた妻に、村上が笑顔を見せる。
「おう、美佐子。今帰りか?」
「ええ、厨房の片付けは終わったから」
「御馳走様でした、美佐子さん」
「助かります。外で食べるのも買いに行くのも、時間が勿体無くて」
「居残りさせて申し訳ないです」
 先程、社員食堂の器材を使って調理した、二課の人数分の夕食を持って来た美佐子は、何でもない事の様に笑った。

「課長さんの進退がかかっているんでしょう? 全力で働いて貰うには、しっかり栄養を付けて貰わないとね。材料費をきちんと払うとは言え、時間外に社員食堂の調理場を使わせて貰うんだもの。翌日の下ごしらえと、後始末位するのは当然よ」
「気をつけて帰れよ」
「ええ。あなた達もそろそろホテルに引き上げた方が良いわよ? 明日も早いんでしょうし」
「そうだな。そろそろキリの良い所で終わらせるか」
「ええ、明日も朝から忙しいですし」
 そこで一同は美佐子の忠告に頷き合い、速やかに後片付けにかかったのだった。

 翌日、前日同様二課に残って仕事をしていた美幸は、仕事の合間に祥子に声をかけてみた。
「えっと……、祥子さん?」
「はい、何かしら?」
「その……、どうして自分のお仕事を休んでまで、こっちに来てお手伝いして下さるんですか?」
 前日から考えて、少し疑問に思っていた事を口にすると、祥子が笑顔で答える。

「課長に恩があるから。うちの馬鹿亭主が野垂れ死にしなかったのは、課長のお陰だもの。それと奥様の指示よ」
「奥様って誰ですか?」
「課長のお母様で、社長夫人の玲子さん」
「……どうしてここで、社長夫人の名前が出てくるんですか?」
 益々訳が分からなくなった美幸に、祥子は小さく笑いながら説明を続けた。

「課長が二課の課長に就任する時、問題社員のうちの主人達を全国からかき集めたのは知ってるでしょう?」
「はい」
「それで引っ越して来た後、玲子さんからの電話で呼び出されて、二課の妻が一堂に会したわけ」
「何でですか?」
「奥様が仰るには『ご主人達に一致団結して働いて貰う為には、そのご夫人達にも親睦を深めて貰わないとね』と仰ってたけど」
「……良く分かりません」
 正直に感想を述べた美幸を、祥子は怒ったりはせずに苦笑いで続けた。

「まあ、あなたは独り身だしね。お互いに初対面だったから最初はぎこちなかったけど、皆、周囲に気兼ねしながら過ごしてたのは同じでしょう? 誰だったか忘れたけど、一人がポロッとそれまでの愚痴を零したら皆共感しちゃって。あっという間に意気投合しちゃったのよ。その間奥様は黙って話を聞いて下さってたし」
「はあ、そんな事があったんですか」
「それからは皆で自主的に二・三ヶ月に一回は顔を合わせて情報交換したり相談に乗ったりしてるのよね。それからも奥様は『沢山頂いたからどうぞ』って、お給料が最低レベルに下げられてた私達の家に、お仕立て券付きワイシャツ生地や、商品券の類を山ほど寄越して下さって、随分家計が助かったのよ。栄養士の美佐子さんの再就職先も、奥様の鶴の一声でここの社員食堂に決まったし。そんなこんなで、私達は課長と同様に奥様に恩があるのよ」
「そうだったんですか……」
 そこで祥子は急に口調と表情を改めて言い出した。

「そうしたら月曜の昼前に奥様から電話がかかってきて。課長の進退を賭けて金曜までに新規契約を三千万取るって事になったって聞いて、驚いたわよ。普通に考えたらそんな事無理でしょう?」
「普通、そう思いますよね?」
「それで奥様は事情を説明した後で『そういう訳で、金曜までご主人を返せなくなると思うので、申し訳ありませんが宜しくお願いします』と謝って来られたのよ。そんな事を言われて黙って家で帰りを待ってるなんてできないじゃない? 全員でメールで連絡を取り合って、会社近くのホテルを押さえて着替えの手配をする事にしたわけ。その他にもできる事を色々分担する事にしてね。主人達が心置きなく、限界まで仕事ができるように」
 そこでふと引っかかる物を感じた美幸は、素朴な疑問を口にしてみた。

「えっと……、確かその話が持ち上がったのは月曜の午前中で、その後課長はどこにも電話とかしないで、仕事に集中してた筈なんですが……。奥様はどこからその話を聞いて、昼前に皆さんに電話したんでしょう?」
「さぁ……、そこまでは。でも折に触れ社内の色々な事をお話しして下さるし、子飼いのスパイとか潜り込ませていても不思議じゃないわね。社長が陰でちょっかいを出している、女性社員の事もご存知のようだし」
(な、何か今、サラッととんでもない事を聞いたような気がする……)
 とても詳細を突っ込めずに固まった美幸だったが、何を思ったか祥子が満面の笑みで話をかえてきた。

「でも入社一年目でこんな騒動に遭遇するなんて、ラッキーだったわね、美幸ちゃん」
「な、何がラッキーなんですか?」
「きっと今回の騒動は、社史と社員の記憶に伝説としてバッチリ残るわよ? その当事者として関われるなんて光栄じゃない。羨ましいわ」
 のほほんとそんな事を言われて、美幸は幾分疑わしそうに尋ねる。

「あの……、じゃあ祥子さんは、本当に実現できると思ってます?」
「あら、まさか課長とうちの亭主達が本気出してるのに、無理だとか思ってるわけ? まだまだ甘いわねぇ、美幸ちゃん」
「……すみません」
 心の底で信じ切っていなかった事を責められた気がして、美幸は密かに落ち込んだ。ここでいつの間にかやって来た谷山が、祥子を軽く窘める。

「こら、木野村。藤宮君を苛めるな。今年の新人では有望株なんだからな。ほら、決裁書だ」
「ありがとう。でも『鉄は熱いうちに打て』と言うわよ?」
「打ちすぎるなと言ってるんだ。大変だろうが頑張れよ、藤宮君。今苦労しておけば、後が楽だ。多少の事では動じない、強靭な神経の持ち主になれるぞ?」
「……はい、頑張ります」
 肩を軽く叩かれつつフォローになっている様でなっていないフォローをして貰った美幸は、谷山に苦笑気味に頷いて見せた。するとドアからレーシングスーツ姿の理彩が、よろめきながらやって来る。

「も、戻りました……」
 ここですかさず由佳から次の指令が飛ぶ。
「お帰りなさい、理彩ちゃん。次に持って行くもの、準備できてるわよ」
「まだあるんですか!? ちょっとだけ休ませて下さい!」
 かなり本気の理彩の訴えにも、由佳は悠然と微笑んだのみだった。

「お茶一杯分だけね。十五分後に出発して、西池袋と赤坂見附と品川を回って、池上に行って来て頂戴。一時間あれば回れるわよね?」
「本当に勘弁して下さい……」
 そこで理彩が思わず発した泣きが入りかけたその声を、美幸は意識的に聞かなかった事にした。そんな風に騒動勃発後二日目火曜日の午後も、企画推進部二課は全員フル稼働で仕事に勤しんでいた。
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