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第3章 リスベラントへようこそ
(1)低俗な歓迎
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自宅の物置からリスベラント日本支社社長室に移動した藍里達は、万事心得ていたルべトに見送られ、そこのドアを経由して楽々とアルデイン公国公宮に到達した。そのあまりに非常識な体験をしてしまった藍里は、一応頭では理解していたものの、盛大に顔を引き攣らせる。
(冗談だと思いたいけど……、本当にアルデインまで来ちゃったわね)
つい先程まで居た室内とは全く内装が異なる上、明らかに容姿が日本人とは異なる人物達の出迎えを受けて、藍里は否応なくここが異国だと認識させられた。そんな事をしみじみと考えていた為、彼女は周囲の人間が自分に値踏みをする様な視線を送っている事に気づいていなかったが、その無遠慮な視線に思わず眉根を寄せたルーカスが、その視線を遮る様に彼女の前に出て、担当者に声をかける。
「出迎えご苦労。諸手続きを済ませ次第、リスベラントに移動するつもりだが、手配は整っているだろうか?」
帰国するにあたって流石にルーカスは女装を止め、本来の短髪にスラックス姿になっており、その姿での堂々とした物言いに藍里は思わず(あら、さすがは公子様)と茶化したくなったが、周囲の空気を読んで神妙に控えていた。すると目の前のスーツ姿の男が、恭しく頭を下げる。
「こちらの準備は整っておりますので、早速、着替えをお願いします」
「分かった。案内してくれ」
その男性の先導で部屋を出て、皆で廊下を歩き出したが、藍里は不思議そうに並んで歩くセレナに問いかけた。
「セレナさん、着替えって何?」
「リスベラントの文化レベルは産業革命以前のままですので、化繊や精巧な金具付の衣装を持ち込めません。ですからリスベラントに出向く場合は、そちらに即した衣装に着替える必要がありますし、精密工業品の持ち込みも原則不可です。申し訳ありません、それらに関しての説明を、失念しておりました」
囁き声で申し訳なさそうに解説された内容を聞いて、藍里は顎に手を当てて考え込んだ。
「ええと……、そうすると、化繊を使った物や、ミシンで縫った物は勿論、ファスナーとかも使えないの?」
「そういう事になります。色々と不自由な事になるかと思いますが、慣れて頂かないと」
「……努力はするわ」
一体どんな服になるのかとうんざりしながらも、藍里は一応頷いて見せた。そして案内された先で男女に分かれて、着替えの為に用意されていた部屋に入った藍里は、担当らしき女官が「こちらでございます」と指し示した衣装を見て目を丸くする。
「ええと……、本当にこれ?」
「……はい。やはり事前に慣れておいて頂くべきでしたね」
ハンガーに掛けられていた、腰の切り替えから足先まで緩やかに広がる裾や、袖が八の字に広がっているトランペット・スリーブの簡素なドレスはまだ許容範囲内だとしても、台の上に広げられていた、一見どうやって身に着けたら良いのか、咄嗟に判別が付かない下着類を目にして、藍里の困惑度は深まった。その様子を見たセレナが、控えている女官に声をかける。
「彼女の着替えは私が担当しますので、もう下がって頂いて結構です」
幾分素っ気なくセレナが伝えると、同年代の女官はピクリと眉を動かしたものの、傍目には恭しく頭を下げて引き下がった。
「……分かりました。何かありましたら隣室におりますので、お呼び下さい」
そんなやり取りの間の微妙な空気を、衣類に視線が釘付けだった藍里は気付かなかった。そして室内に二人きりになると、セレナは台に歩み寄って乗せられていた衣類を無造作に掴み上げる。
「……げ」
「低俗ですね」
掴んだ衣類を軽く振ると、そこからボロボロと蜘蛛や何かの幼虫らしい物が零れ落ち、置かれていた台の上にも同様の虫が何匹か蠢いていた。自然豊かな場所で育った藍里は、基本的に虫の類はそれほど苦手では無かったが、見慣れない衣装を用意されていた事で低下したテンションが、この事で更に降下するのを止められなかった。
「処分させて頂いて構いませんか?」
「もうどんどんやっちゃって下さい」
「畏まりました」
一応お伺いを立ててきたセレナに藍里が即座に応じると、彼女は短く何やら呪文を唱えた。するとあちこちに散らばった虫が、極々小さい炎に包まれたと思ったら、ジュッと鈍い音を立てて燃え尽きる。
それを見た藍里は、一瞬(量は少なくても、燃えカスを残しておいたら目立つわよね)と心配したが、セレナは抜かりなく黒い固まりを魔術で空中に集め、ひとまとめにしてゴミ箱に放り込むまでをやってのけた。
「さすが……。燃えたのは虫だけで、衣装にも絨毯にも、全く焼け焦げた跡が無いわ」
虫が付いていたり落ちたりした場所を確認した藍里が思わず感嘆の溜め息を漏らすと、セレナは苦笑いで答えた。
「恐れ入ります。ですが今のアイリ様でも、十分できると思いますよ?」
「う~ん、やろうと思えばできるかもしれないけど、考えながらだわ。咄嗟にはできないわね。だけど、私って予想以上に歓迎されていないみたい」
苦笑いしながら小さく肩を竦めて指摘してみた藍里だったが、セレナは硬い表情で頭を下げた。
「申し訳ございません。これはアイリ様への反感と言うよりは、私への嫌がらせかと思われます」
「セレナさんへの? どうして?」
「私は、リスベラントの貴族社会では、白眼視されていますので……」
「どうして?」
「…………」
藍里が重ねて問いかけたが、セレナは無言で応じる。しかしそのまま互いに黙り込んで時間を無駄にしたりする事は無く、藍里はすこぶる現実的な行動に出た。
「とにかく着替えを手伝ってくれる? あまり遅いと、またルーカスに嫌味を言われちゃうわ」
「そうですね。お着替えと、それに合わせて髪もどうにかしないと。急いで仕上げます。アイリ様は、まず服を脱いで下さい」
「分かったわ」
そうして気を取り直して動き出したセレナは、常日頃の有能さを遺憾なく発揮して、藍里の支度を整えた。
(冗談だと思いたいけど……、本当にアルデインまで来ちゃったわね)
つい先程まで居た室内とは全く内装が異なる上、明らかに容姿が日本人とは異なる人物達の出迎えを受けて、藍里は否応なくここが異国だと認識させられた。そんな事をしみじみと考えていた為、彼女は周囲の人間が自分に値踏みをする様な視線を送っている事に気づいていなかったが、その無遠慮な視線に思わず眉根を寄せたルーカスが、その視線を遮る様に彼女の前に出て、担当者に声をかける。
「出迎えご苦労。諸手続きを済ませ次第、リスベラントに移動するつもりだが、手配は整っているだろうか?」
帰国するにあたって流石にルーカスは女装を止め、本来の短髪にスラックス姿になっており、その姿での堂々とした物言いに藍里は思わず(あら、さすがは公子様)と茶化したくなったが、周囲の空気を読んで神妙に控えていた。すると目の前のスーツ姿の男が、恭しく頭を下げる。
「こちらの準備は整っておりますので、早速、着替えをお願いします」
「分かった。案内してくれ」
その男性の先導で部屋を出て、皆で廊下を歩き出したが、藍里は不思議そうに並んで歩くセレナに問いかけた。
「セレナさん、着替えって何?」
「リスベラントの文化レベルは産業革命以前のままですので、化繊や精巧な金具付の衣装を持ち込めません。ですからリスベラントに出向く場合は、そちらに即した衣装に着替える必要がありますし、精密工業品の持ち込みも原則不可です。申し訳ありません、それらに関しての説明を、失念しておりました」
囁き声で申し訳なさそうに解説された内容を聞いて、藍里は顎に手を当てて考え込んだ。
「ええと……、そうすると、化繊を使った物や、ミシンで縫った物は勿論、ファスナーとかも使えないの?」
「そういう事になります。色々と不自由な事になるかと思いますが、慣れて頂かないと」
「……努力はするわ」
一体どんな服になるのかとうんざりしながらも、藍里は一応頷いて見せた。そして案内された先で男女に分かれて、着替えの為に用意されていた部屋に入った藍里は、担当らしき女官が「こちらでございます」と指し示した衣装を見て目を丸くする。
「ええと……、本当にこれ?」
「……はい。やはり事前に慣れておいて頂くべきでしたね」
ハンガーに掛けられていた、腰の切り替えから足先まで緩やかに広がる裾や、袖が八の字に広がっているトランペット・スリーブの簡素なドレスはまだ許容範囲内だとしても、台の上に広げられていた、一見どうやって身に着けたら良いのか、咄嗟に判別が付かない下着類を目にして、藍里の困惑度は深まった。その様子を見たセレナが、控えている女官に声をかける。
「彼女の着替えは私が担当しますので、もう下がって頂いて結構です」
幾分素っ気なくセレナが伝えると、同年代の女官はピクリと眉を動かしたものの、傍目には恭しく頭を下げて引き下がった。
「……分かりました。何かありましたら隣室におりますので、お呼び下さい」
そんなやり取りの間の微妙な空気を、衣類に視線が釘付けだった藍里は気付かなかった。そして室内に二人きりになると、セレナは台に歩み寄って乗せられていた衣類を無造作に掴み上げる。
「……げ」
「低俗ですね」
掴んだ衣類を軽く振ると、そこからボロボロと蜘蛛や何かの幼虫らしい物が零れ落ち、置かれていた台の上にも同様の虫が何匹か蠢いていた。自然豊かな場所で育った藍里は、基本的に虫の類はそれほど苦手では無かったが、見慣れない衣装を用意されていた事で低下したテンションが、この事で更に降下するのを止められなかった。
「処分させて頂いて構いませんか?」
「もうどんどんやっちゃって下さい」
「畏まりました」
一応お伺いを立ててきたセレナに藍里が即座に応じると、彼女は短く何やら呪文を唱えた。するとあちこちに散らばった虫が、極々小さい炎に包まれたと思ったら、ジュッと鈍い音を立てて燃え尽きる。
それを見た藍里は、一瞬(量は少なくても、燃えカスを残しておいたら目立つわよね)と心配したが、セレナは抜かりなく黒い固まりを魔術で空中に集め、ひとまとめにしてゴミ箱に放り込むまでをやってのけた。
「さすが……。燃えたのは虫だけで、衣装にも絨毯にも、全く焼け焦げた跡が無いわ」
虫が付いていたり落ちたりした場所を確認した藍里が思わず感嘆の溜め息を漏らすと、セレナは苦笑いで答えた。
「恐れ入ります。ですが今のアイリ様でも、十分できると思いますよ?」
「う~ん、やろうと思えばできるかもしれないけど、考えながらだわ。咄嗟にはできないわね。だけど、私って予想以上に歓迎されていないみたい」
苦笑いしながら小さく肩を竦めて指摘してみた藍里だったが、セレナは硬い表情で頭を下げた。
「申し訳ございません。これはアイリ様への反感と言うよりは、私への嫌がらせかと思われます」
「セレナさんへの? どうして?」
「私は、リスベラントの貴族社会では、白眼視されていますので……」
「どうして?」
「…………」
藍里が重ねて問いかけたが、セレナは無言で応じる。しかしそのまま互いに黙り込んで時間を無駄にしたりする事は無く、藍里はすこぶる現実的な行動に出た。
「とにかく着替えを手伝ってくれる? あまり遅いと、またルーカスに嫌味を言われちゃうわ」
「そうですね。お着替えと、それに合わせて髪もどうにかしないと。急いで仕上げます。アイリ様は、まず服を脱いで下さい」
「分かったわ」
そうして気を取り直して動き出したセレナは、常日頃の有能さを遺憾なく発揮して、藍里の支度を整えた。
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