世界が色付くまで

篠原 皐月

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第54話 誕生日とケーキ

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 一方で真澄達が乗った車を見送ってから部屋に戻って来た浩一は、一歩前を歩く恭子に申し訳無さそうに声をかけた。
「恭子さん、すまなかった。迷惑をかけたみたいで」
「大した事はありませんでしたよ? このまま部屋に入れるわけにいかないし、どうしようかと思いましたが」
 苦笑いしつつリビングのドアを開けようとした恭子は、浩一の次の台詞に全身の動きを止めた。

「録音、聞かせてくれるかな?」
「……何の事でしょう」
 軽く後ろを振り返りつつ愛想笑いを浮かべた恭子だったが、浩一も負けず劣らずの探る様な笑顔を向けてくる。

「何事も慎重な君の事だから、防犯グッズと一緒にレコーダーの類はいつも身に付けているよね?」
 その確信している口ぶりに、恭子は思わず溜め息を吐いた。

(流石に姉弟だわ。怒っている時の笑顔の感じが、真澄さんと凄く似てる。それより……、どうして真澄さんから返して貰った時に、消しておかなかったのよ私)
 真澄から受け取ってリビングボードの引き出しに何気なく放り込んでおいた物の事を思い出し、恭子は頭を抱えたくなった。そして表面上はにこやかに笑っている浩一を見て、隠し立てする事は諦める。

「後からお渡ししますね。お皿を片付けてしまいますから」
「宜しく」
 そうして恭子はキッチンで食器を片づけてから、珈琲入りのマグカップを二つ手にしてリビングへと戻った。片方のマグカップを渡すといつも通り「ありがとう」と受け取ったものの、そこで深い溜め息を吐いた浩一に、恭子が不思議そうに問いかける。

「浩一さん? 何か心配事でもあるんですか?」
 どうやら溜め息を吐いたのは無意識だったらしく、恭子の問いかけで我に返ったらしい浩一は、如何にも悔しそうに言い出した。

「あ、いや……、今日は帰りがけに花とケーキでも買って帰ろうかと思ってたんだが、会議は延びるし招かれざる客は来るしで、そんな事を考える余裕も無く帰って来てしまったし散々だったなと思って」
「どうしてお花とケーキを買おうと思ったんですか?」
 何故そこまで悔しがっているのか分からなかった恭子が何気なく問いを重ねると、浩一はきょとんとした顔になった。

「どうしてって……、今日は1月9日だから恭子さんの誕生日だろう?」
 そう告げられた恭子は、虚を衝かれた表情になった。

「え? ……あぁ、言われてみれば、今日はそうでしたね」
「今日が自分の誕生日だったのを、すっかり忘れてた?」
 首を傾げながら、常には見せない戸惑った顔になった恭子を見て、浩一は思わず苦笑してしまったが、恭子はどう言おうか迷うような口ぶりで否定してきた。

「いえ、そういう事では無くて……。今日が1月9日なのも、誕生日なのも忘れてはいませんでしたが、誕生日だからお祝いするとか特別な事をするとかは長い間していないので、さっき咄嗟に花とかケーキとかの単語と結びつかなかったんです」
 それを聞いた浩一は怪訝な顔になった。

「俺は今まで、清人や清香ちゃんからお祝いして貰っていたと思っていたんだが」
「先生は毎年、お休みはくれていました。家族の命日なので、遺骨を預かって貰っているお寺に行って、お経を上げて貰ってたんです。今年は会社は休めなくて、今度の週末に顔を出そうと思っていましたが。清香ちゃんからは別の日にプレゼントを貰ってましたし」
 何でも無い事の様に恭子から事情を説明された浩一は、思わず自分を殴り倒したくなった。

(しまった……。すっかり失念してた。彼女の誕生日って事は、取りも直さず彼女の両親と妹さんの命日って事で……。そんな日に彼女が自分の誕生日を祝う気分になれないのは、当然だろうが! 迂闊すぎるのも程があるぞ!!)
 そして心の中で盛大に自分を罵倒してから、浩一は如何にも面目なさ気に頭を下げた。

「すまない。変な事を言って。却って買って来なくて良かったな」
「別に構いませんよ? 別に花やケーキが嫌いなわけじゃ無いですし、誕生日にそれを受け付けないって事でもありませんし。実はここ何年か、あそこのお寺からの道筋にタルトが美味しいケーキ屋さんがあって、そこの喫茶スペースで食べて帰って来てる位で……」
 変に気を遣わせたかと、慌てて浩一を宥める為に口を開いた恭子だったが、急に不自然に口を閉ざした。その為、不思議そうに浩一が尋ねる。

「恭子さん。そのケーキ屋がどうかしたのか?」
「いえ、今、ちょっと引っかかった事がありまして」
「どんな事?」
「大した事じゃ無いので、わざわざ口に出す程の事では」
「何かケーキにまつわる話?」
(一緒に暮らしてみて分かったけど、浩一さんって普段温厚なのに、時々妙に押しが強い時があるのよね……)
 いつもの温厚な表情ながら、一歩も後には引かない気迫を醸し出している浩一に、恭子は思わず遠い目をしてから気になった事を口にしてみた。

「先生の前にお世話になっていた、お屋敷での話なんですけど……」
 浩一の顔が僅かに強張ったが、何でも無い事の様に話の続きを促した。

「うん、それで?」
「初めて迎えた年末に、旦那様に呼ばれて応接間に出向いたら、広い大理石のテーブル一面に色々な種類のケーキが並んでたんです。各皿に一つずつ、数えませんでしたが三十種類位あったかと」
「ケーキ屋でも始める気だったのか?」
 その情景を想像し、半ば呆れながら口を挟んだ浩一に、恭子も困惑した顔のまま話を続けた。

「理由は分かりませんが。それで旦那様に『まずお前が好きなのを一つ選べ』と言われて、凄く困ってしまって」
「どうして?」
「その場に奥様や他の方も同席してるのに、皆さんが食べそうなケーキに手を出すわけにいかないじゃないですか。でも皆さんの嗜好が良く分かってませんでしたから、無難に一番地味で安そうなチーズケーキを選んで頂いたんです」
「なるほど」
 正直、内心では(そんなにたくさんあるなら好みがそうそうかぶる事も無いだろうし、一番食べたい物を選べば良いのに)と思わないでも無かったが、浩一は一応素直に頷いて見せた。するとここで恭子が、急に顔付きを明るくして言ってくる。

「そうしたらお正月明けの時期にまた呼ばれて、『お前はこれが好きだろう。貰ったから皆で食べるぞ』と言われて、出されたチーズケーキを食べたんです。そうしたら凄く美味しくて。それまでもそれからも、あれ以上美味しいベイクドチーズケーキに遭遇した事はありません!」
「そうなんだ」
「はい。それから毎年同じ時期に、貰い物だと言われて同じチーズケーキを食べていた事を思い出しまして。偶々その時期に毎年ご機嫌伺いに来るケーキ屋さんでも居たのかと、ちょっと不思議に思っただけです」
 にこやかに楽しそうにそんな事を言われて、浩一も自然と笑顔になった。

「そうか。でもそこまで美味しいチーズケーキって、少し興味があるな。そのケーキの箱とかに店名とか入って無かった?」
「それが……、白の無地の箱で。包装紙とかもありませんでしたし」
「そうか。残念だけど仕方がないね」
(毎年彼女の誕生日前後に同じケーキ……、単なる偶然か?)
 何となく引っかかりを覚えた浩一は、笑顔のまま少し考え込んだが、幾ら考えても答えが出るわけでも無い事から、目下の懸案事項に意識を戻した。

「それじゃあ、忘れないうちにレコーダーを貸してくれるかな?」
(やっぱり忘れて無かったのね。真澄さんから返された時、すぐに消去しておくべきだったわ……)
 笑顔で要求された恭子は思わず溜め息を吐いてから立ち上がり、リビングボードから取り出したICレコーダーを浩一に手渡した。

「どうぞ」
「ありがとう。じゃあ俺は部屋で珈琲を飲みながら、仕事をしてるから」
「はい」
 そう声をかけて自室に引き上げた浩一は、机にマグカップを置き、椅子に座りながら独りごちた。

「さて……、見事に姉さんを切れさせた暴言を拝聴するか。せっかくの珈琲が、不味くなりそうだがな」
 そうして取説書など無くとも、ボタンの脇に表示してある記号を元に早該当部分の再生を始めると、浩一の顔から表情が消えた。

「……なるほど」
 時折珈琲を飲みながら、途中間が途切れたものの十分弱の会話内容を全て聞き終えた浩一は、停止ボタンを押すや否やスマホを取り出して登録してある番号の一つに電話をかけ始めた。そして呼び出し音が途切れると同時に、静かに相手に向かってお伺いを立てる。

「お久しぶりです、白鳥先輩。柏木ですが、今お時間は大丈夫でしょうか?」
 その問いかけに、かつて白鳥姓だった藤宮は、嬉しそうに言葉を返した。

「ああ、大丈夫だ、浩一。珍しいな……、と言うか、お前の方から俺に電話してきたなんて、学生時代を含めても初めてなんじゃないか?」
「俺が記憶している限りでは、おそらくそうですね」
「そうか、それは記念すべき日らしいな。それで何の用だ?」
 すこぶる上機嫌に話の続きを促してきた藤宮に、浩一が淡々と問いかける。 

「俺が卒業する時に言って頂いた言葉は、今でも有効でしょうか?」
 それを聞いた藤宮は一瞬黙り込み、次いで笑いを含んだ声で答えた。

「……あれに、時効を付けた記憶は無いが?」
「それなら、俺の話を聞いて頂きたいのですが」
「何でも聞いてやる。何をすれば良い?」
「別に先輩に何かして頂きたい訳ではありません。ただ俺の話を、最後まで黙って聞いて頂きたいだけです。俺が白鳥先輩に要求するのはそれだけです」
「何?」
 意外そうに疑問の声を上げた藤宮だったが、浩一はそれ以上無駄な事は言わないとばかりに無言を貫いた。そして数秒後、真剣な声音で藤宮が確認を入れてくる。

「それはあれか? 俺がその話を聞いて誰に何をさせようと、それはお前が関知する所では無いと。俺が勝手にさせているだけで、お前は各人に個別に一つずつ依頼するつもりだと、そういう事か?」
「そう捉えて頂いても結構です」
 冷静に浩一がそう答えた瞬間、スマホから「あははははっ!!」と藤宮が爆笑する声が伝わって来た。それからひとしきり笑った藤宮が、何とか笑いを抑えて会話を再開させる。

「『何でも一つ』の約束を、最大限有効に使おうってか? 随分図太くなったじゃないか、浩一。益々惚れたぞ」
「誤解を招く表現は止めて下さい。それで、聞いて頂けるんですか、頂けないんですか?」
「分かった、何でも聞いてやる。遠慮無く話せ。どうせお前の事だから例の女絡みだろうが?」
「……そうですね。いけませんか?」
 正直に告げるのを僅かに躊躇う気配を見せた浩一に、藤宮は再度「お前っ、相変わらず可愛い奴!」と爆笑してから、気前良く請け負った。

「益々気に入った。清人の披露宴の時に顔を合わせたが、彼女の事は結構気に入ったからな。俺なりに色を付けてやろうじゃないか。さあ、時間はたっぷりある。好きなだけ話せ」
「ありがとうございます」
 浩一は自分がこれからしようとしている事についての影響と結果については十分認識していたし想像する事も出来ていたが、ここで引き返すつもりは全く無かった。
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