世界が色付くまで

篠原 皐月

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番外編 記念日ディナーの行方~今日は何の日

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「そう言えば浩一さん。今日の《あれ》は何だったんですか?」
「ああ、《あれ》ね……」
 二人でダイニングテーブルに向かい合って座り、いつも通り夕食を食べ始めて早々に恭子が口にした話題に、浩一は思わず苦笑いして、会議室での一部始終を語って聞かせた。

「……そういう訳で、清人と一緒になって悪乗りして、半ば強引に会議を終わらせて帰って来たんだ。恭子さんの絶妙なアドリブで、周りの課長達はすっかり怖気づいちゃってね」
 失笑で締め括られたそれを聞いた恭子は、如何にも納得した風情で頷いてから、感慨深げに感想を述べた。

「そうでしたか……。すっかり忘れていましたが、去年の今日は先生と真澄さんの電撃入籍の日だったんですね。あの時の一連の騒動からまだ一年しか経っていないなんて、冗談みたいです。気分は十年経過って感じなんですが」
「それには俺も同感だな」
 ご飯茶碗片手に浩一が真顔で頷くと、恭子が彼以上に真剣な表情で訴えてくる。

「真澄さんは結婚後、先生に毒されてどんどん性格が変わってきている気がしますし……。国はあの男を公害認定するべきです。本当に今更ですけど、真澄さんをあの野郎と結婚させて良かったんですか?」
「それは……、時々俺も不安に思ってる事だから、できれば指摘しないでくれるとありがたいな」
 溜め息を吐いて懇願した浩一だったが、ここで恭子は自分自身を納得させる様に話を続けた。

「でも……、良く良く考えてみたら、先生は真澄さんに関してだけ願望優先で理性を吹っ飛ばしているから、日本は平和なんですね。まかり間違って権力欲と功名心に燃えるタイプで、政権を欲して権力闘争に邁進してたら、今頃日本は滅茶苦茶になっていたかもしれません」
 恭子に、これ以上は無いと言う位真剣な面持ちで言い切られてしまった浩一は、テーブルに茶碗と箸を戻して項垂れた。

「……そんなバカな、と一笑に付す事ができないのが痛いな」
「そう考えれば、真澄さんは日本の平和の為の貴重な人柱なんですね。今度会った時は軽く拝む事にします」
「いや、生け贄とかじゃ無いんだから」
「気分的には、まさしくそれです」
「…………」
 どこまでも真剣に訴えてくる恭子に、浩一は反論するのを諦めた。そして再び箸を取り上げて食事を再開する。すると恭子は、微妙に口調を変えながら言い出した。

「でも……、先生はどうしてそんなに騒ぎを大きくしたんでしょうか?」
「どういう意味かな?」
「だって、あの先生の性格なら、せっかくの結婚記念日なんですから、そもそも会議なんかすっぽかして、さっさと帰るんじゃありませんか?」
 そんな恭子の素朴な疑問に、浩一は思わず箸の動きを止めて考え込んだ。

「言われてみれば確かに。真面目な姉さんならともかく、清人なら堂々とトンズラしそうなものだがな」
「何か隠された意味が有るんでしょうか? あの先生に限って、無駄なパフォーマンスなんかする筈がありませんし」
 そこで恭子が怪訝な顔で考え始めた為、浩一はそれを打ち消す様に笑った。

「いや……、流石にそれは考え過ぎじゃないかな?」
「そうですか?」
「そうだと思うよ?」
「はぁ……」
 それでも今一つ納得いかない様な顔付きの恭子に、浩一は彼女の気を逸らそうと試みて、色々な話題を出しながら食べ進めた。

 ※※※

「浩一さん、お帰りなさい」
「ただいま。今日はどうしたの? 何か随分食事が豪華だね」
 帰宅早々、浩一はキッチンへと繋がるカウンター越しに恭子にそんな声をかけたが、それもその筈、彼の目の前のダイニングテーブルには、所狭しといつもの食事時よりも多くの皿が並んでいた。
 パンとカボチャの人参のポタージュはともかく、ワイングラスに加えて海の幸のマリネ、二種類のソースが掛かったロールキャベツ、白身魚と帆立のムニエルが並び、予め連絡しておいた浩一の帰宅時間に合わせて焼いたらしい鴨のローストを手にした恭子がキッチンから現れ、最後にその皿を中央に置いた。そして浩一に向かって真顔で説明を始める。

「その……、この前、先生が結婚記念日のディナーに関して、会社で騒ぎを起こした話を聞いて、ずっと気になっていたんです。何か裏が有るんじゃないかって」
「そんな事、本当に気にしなくて大丈夫だから」
(彼女は今までの経験上、清人の言動には常に裏があるってインプットされてるのか……。あの時巻き込んで失敗したな)
 心底後悔しながら浩一が上着を脱いで傍らの椅子の背にかけ、せっかくだから冷めないうちに食べようと自分の席に座ると、恭子も手早くテーブルに二人分のカトラリーを揃えながら自分の考えを述べた。

「それで思い付いたんです。要は『浩一に記念日にはいつもよりグレードを上げた料理を食べさせてやれ』と、暗に脅しをかけてきたんじゃないかって。……本当に危なかったわ。気が付かなかったら、何をされるか分からなかったもの」
 真顔でそう言って自分の席に着いた恭子を、呆気に取られた表情で眺めた浩一は、テーブルの反対側から控え目に否定した。

「……それ、絶対に考え過ぎなんじゃないかと思う。そもそも今日は何の記念日? 俺の誕生日は四月だし、特に思い当たる事は無いんだが」
「誕生日は清香ちゃんに聞いて知ってます。こういう事を記念日にして良いかどうか分からないんですが……、今日は私と浩一さんが初めて会った日なんです」
「え? そうだったかな?」
 軽く目を見張った浩一に、恭子はアルミ製のワインクーラーからワインボトルを取り上げ、コルク栓を抜きつつ事も無げに答える。

「はい、十二月八日です。先生の下で働き始めて、半年後位にここで、先生に引き合わされたんですよね。それ以外にはちょっと考え付かなくて」
(初めて会ったのはあのクラブだったから、正確に言えば違うが……。確かにあの時は俺が一方的に顔を見ただけだし、顔を合わせたのは確かにここでだな)
 思わず考え込んでしまった浩一を、恭子が不思議そうに手を止めて見やった。それに浩一が笑って軽く手を振る。

「浩一さん、どうかしました?」
「いや、なんでもない。だけど日付まで良く覚えていたね。俺は正確な日付までは覚えていなかったんだが」
「それは……、その時のやり取りが忘れられなくて」
「その時、何か変な事でも有ったかな?」
 思わず心配になった浩一が真顔で尋ねると、ボトルの水滴を拭き取りながら恭子が真剣な表情で問いかけてきた。

「あの時の事を、覚えていませんか? 先生が浩一さんを私に紹介した直後、『そう言えば今日は何の日か知っているか?』と急に話題を変えてきたんです。咄嗟に『今日は十二月八日ですから、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、太平洋戦争が勃発した日ですよね?』と答えたら、『確かにそうだが他にも有るだろう』と言われまして」
 そう言われて、浩一は漸く合点がいったと言う感じで頷いた。

「ああ、思い出したよ。それで俺が『ビートルズのジョン・レノンの命日だろう?』と答えたら、『それも有るが、二人とももっとメジャーな物は思い付かないのか?』と言われたんだ」
「そう言われて二人で考え込んでしまったら、先生が『今日は針供養の日だ』と言ったので、『針供養なら二月の八日じゃないんですか?』と言ったら、『地方によって十二月か二月か、または両方する所も有るらしいな。そう言う訳だから今ここでお前達も針を刺せ』と……」
 そう言って無言で自分の顔を眺めてきた恭子から微妙に視線を逸らした浩一は、深い溜め息を吐いてから頷いた。

「……完全に思い出した。それで清人が出してきた豆腐に、二人で曲がった針を刺したんだっけ」
 それに恭子が力強く頷いて続ける。

「なんかもう、訳が分からないまま刺しましたが。あれで益々私の中で、先生の変人度がアップしました。それでその時の日付がインプットされてたんです」
「なるほど……。良く分かったよ」
 恭子の説明を聞いて疲れた様に頷いた浩一を見て、ワインの栓を綺麗に抜いた恭子は、二つのワイングラスにワインを注ぎながら、幾分腹立たしげに愚痴った。

「結局、あれは何だったのかしら? 先生が料理の他に裁縫も人並み以上にこなせるのは知ってますけど」
「本当に昔からマメだったよな。幼稚園の頃の清香ちゃんのお弁当袋とか、エプロンとかも縫ってたし。花柄の刺繍もしてたっけ……。間違っても香澄叔母さんに針を持たせなかったし」
 顔を見合わせてそんな事をしみじみと言い合っていると、恭子が妥当な提案をしてきた。

「先生の話はもう止めて、冷めないうちに食べませんか?」
「そうだな。じゃあ着替えるのも時間が勿体ないから、このままで食べるよ」
「浩一さん、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
 そうして浩一がワイングラスを受け取ると、恭子が小さく笑いながら告げた。

「それじゃあ、せっかくだから乾杯しませんか?」
 その提案に、浩一も笑みを浮かべて、受け取ったグラスを再び恭子の方に近付ける。

「そうだね。それなら……、二人の出会いに乾杯」
「乾杯」
 軽く触れ合わせたグラスが心地よい音を奏でてから、二人はズラリと並べられた料理を食べ始めた。そして何となく無言になりながら、浩一が考え込む。

(絶対この前のあれは何か仕組んだ訳では無くて、本気で腹を立てて、理性をぶっ飛ばしただけだと思うんだが……)
 そう確信していた筈の浩一だったが、考えているうちに段々自信が無くなってきた。

(でも、そもそも引き合わされた時に変な事をさせたのは、どうしてなんだろうな? やはり日付を印象付けたかったからか? 偶々と言ってしまえばそうなんだろうが……)
 そこまで考えた浩一は、今この場にいない、未だに捉えどころがない親友の顔を思い浮かべて、思わず溜め息を吐いた。

(全く……、いつも秘密主義の上に斜め上の発想ばかりしやがるから、偶然なのか意図してやったのか、全然判別ができないだろうが)
 するとここで、多少困惑気味の声が浩一にかけられた。

「浩一さん」
「うん? 何?」
「味の方はどうでしょうか?」
 ちょっと不安げな表情の恭子を見て、その理由を悟った浩一は慌てて弁解してその場を取り繕った。

「とても美味しいよ。つい無言になって、食べる事に集中してしまう位」
「良かったです。今回、ちょっと頑張ってみましたから」
 そう言って嬉しそうに微笑んだ恭子を見て、浩一はあっさりと余計な事を頭から追いやった。

(あいつの思惑がどこにあったとしても、そんな事、どうでも良いか)
 そうして二人で料理についてや柏木産業内での話で盛り上がりながら、楽しく一時を過ごしたのだった。
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