世界が色付くまで

篠原 皐月

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第23話 触れる者、触れられる者

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「ただいま、恭子さん」
 紙袋片手に浩一がマンションに帰ると、恭子がベランダに干しておいた洗濯物を、二人分それぞれの山にして、畳み終えたところだった。

「あ、浩一さん、お帰りなさい。洗濯物は取り込んで、畳んでおきましたから、後から部屋に持って行って下さいね?」
「ありがとう。それと……、今良いかな?」
「はい、構いませんけど?」
 不思議そうな顔をして、恭子が向かい側に座った浩一に目を向けると、浩一は何となく重い口調で言い出した。

「実は……、さっきまで会いに行ってた人は、姉さん達の結婚式で君と顔を合わせた葛西先輩なんだけど、覚えているかな?」
「ええ、先月の事ですし。それに葛西さんって、何となく浩一さんと感じが似てますよね?」
「……そんなに、俺と似ている?」
 注意深く尋ねた浩一に、恭子が幾分考え込みながら答える。
「そうですね……、眼鏡をかけて髪型を同じにして、もう少し邪気のない笑い方をすれば、浩一さんと兄弟程度には似ていると思いますよ?」
「そう……」
「その葛西さんが、どうかしたんですか?」
 不思議そうに問い返した恭子に、浩一が苦虫を噛み潰した様な表情で話を続けた。

「その葛西先輩から、君へのプレゼントを預かってきたんだ」
「頂く理由がありませんが?」
「君の事が気に入ったらしい」
 浩一が半ばふてくされながら恭子の方に紙袋を押しやると、恭子はそれから視線を逸らし、どこか遠い目をしながら呟いた。

「……先生の同類に好かれるなんて、私、あまり長い事が無いかもしれませんね」
「受け取りを拒否するなら、俺が責任を持って返してくるから遠慮しないで」
 真顔で申し出た浩一だったが、恭子は(流石にそこまで使い走りにできないでしょう)などと思いながら、口を開いた。

「取り敢えず開けてみます。何か変な物だったら、浩一さんに対処をお願いしますので」
「分かった。責任を持って対応する」
 力強く頷いた浩一から、紙袋の中身に視線を向けた恭子は、中から箱を取り出して丁寧に包装紙を剥がした。そして出てきたカラフルなイラストと写真が印刷された外観に、軽く目を見張る。

「何これ……。『にんげんがっき』?」
「…………」
 首を傾げた恭子が、早速箱を開けて取扱い説明書を引っ張り出したが、小耳に挟んだ事のあった浩一は、無言で恭子の手元を見詰めた。
 説明書に引き続いて恭子に引っ張り出された本体は、大人の掌より少し小さい程度の、手足を最大限広げた人間の形を模していた。その両手両足部分に小さな銀色の接触プレートが埋め込まれた形になっており、腹部に当たる場所にはスピーカーらしき形状になっていた。それを浩一が眺めていると、恭子が説明書を読みながら無意識に呟く。

「えっと……、『本体の四カ所いずれかの端子に触りながら、同様に触っている人物の体に触れると、相手の体が楽器になってしまうという不思議な玩具です』か。……ふぅん、面白そう。使い方は……、へぇ、色々なバージョンがあるのね」
(先輩が、あの変な笑みで、これを寄越した意味が分かった……)
 果てしなく嫌な予感を覚えながら、浩一が事態の推移を見守っていると、説明書から顔を上げた恭子が、どこか期待する様な表情で浩一に提案してきた。

「浩一さん、ちょっとやってみませんか?」
(やっぱりこうなったか……)
 あまりにも予想通りの反応に浩一は本気でうなだれたくなったが、そんな何となく浮かない顔をした浩一を見て、恭子は申し訳無さそうに前言を撤回した。

「浩一さん、馬鹿馬鹿しくて嫌なら、無理にお付き合いして貰わなくても大丈夫ですから。違う端子に触れば、一人でも音が出せるみたいですし」
 そこまで言われて、流石に触ったり触られたりする事に怖じ気づくのもどうかと思った浩一は、不審がられない様に承諾してみせた。

「構わないよ? 俺もどんな音が出るのか気になるし、ちょっとやってみようか?」
「はい。じゃあ《オレたちのミュージック》バージョンでやってみましょう」
「ああ、恭子さんの好きなもので……」
 にこにこと促してきた恭子に、浩一が諦めの心境ながら笑顔で応じると、恭子が早速本体のボタンを操作した。

「それじゃあ、これを、っと」
 すると『Yeah!』と言う陽気な叫びの後に、BGMとしてピアノベースのジャズ風の曲が流れ、恭子が楽しそうに呟く。
「あら、ちゃんとBGMはラップ調。じゃあ浩一さん、ちょっとここを触っていて下さい。リズムに合わせて触ってみますね?」
「……ああ」
 目の前の白い人型の右足分を指差された浩一は素直にそこを掴み、恭子は左手で人型の右手に見立てている部分を掴んだ。そして流れる曲のメロディーに合わせて右手で浩一の手首部分をパシパシと叩くと、中央部のスピーカーから人工的な声が流れる。

『パッション、ミッション、ハクション、セッション……』
「ぷっ……、ちゃんと台詞もラップ調になってる! ほら、浩一さんも一緒にやりましょう!」
「分かった。やってみるか」
 上機嫌な恭子に促されて、浩一は苦笑する事しかできず、恭子とワンフレーズ毎に交互に互いの手首を叩いてみた。

『たかなる、ハート、ゆれる、ビート』
「それっぽい。笑えるっ」
『ふるえる、ハート、ビートで、ヒート』
「どれだけ単語が登録してあるんだ?」
 そしてひとしきりやってみて自動でメロディーが終わると、機械の判定が出た。

『Too! Bad……』
「えぇ!? ちょっと納得できない! どうしてイマイチなのよ! どこでリズムが狂ったっていうの?」
「…………」
 如何にも残念そうな呟きを漏らされた恭子は、思わず機械相手に文句を言った。常とは異なり何故かムキになっている恭子を見た浩一は、賢明に余計な口を挟まずに無言を貫く。その前で恭子は、真顔で考え込んだ。

「一回中断しちゃったのがまずかったの? それとも……、浩一さんの手首に触ったつもりで、シャツの袖に触って電流が上手く伝わってなかったとかかしら?」
「あの……、恭子さん?」
 浩一が慎重に声をかけると、一人で考え込んでいた恭子が何やら決意したらしく顔を上げた。

「もう一度やりましょう、浩一さん。今度こそ『So Cool!』と言わせてみせます。だから顔に触らせて下さい。ぺしぺし触る位で、間違っても殴りませんから」
 そんな事を、真剣そのものの表情で言われた浩一は、僅かに笑顔を引き攣らせた。

「そんなにこれに『So Cool!』って、言わせたいんだ……」
「はい。さっきの言われ方、なんだか先生から『何ショボい事やってるんだ。さっさとキリキリ働け』と鼻で笑われた時に、通じる物がありまして……。激しくムカつきました。意地でも、ここで止められません」
「……分かった。協力する」
「ありがとうございます」
 完全に諦めて頷いた浩一に、恭子も決意を新たにしながら頷き返す。そして再びスイッチを入れた。

「さあ、やるわよ!」
 そんな恭子の叫びに『Yeah!』と陽気に応じた本体は、今度はリズムギターメインでロック系のリズムを奏で始めた。それに合わせ、恭子が浩一の頬をペシペシと叩く。

『俺は、ラッパー、高鳴る、パッション』
「ふっ、順調順調」
『陽気な、ロッカー、ソウルな、ダンス』
「…………」
 自信満々で浩一を叩く恭子に、控え目に恭子に触れる浩一。そして一曲終わらせた恭子が、白い機械を険しい表情で睨み付けた。

「さあ、どう!?」
『So Cool!』
 今度は明るく宣言された内容に、恭子はすっかり満足して両手を打ち合わせて喜んだ。

「やった! 勝ったわ!」
「良かったね」
「ええ。すっきりしました。今度清香ちゃん達が来たら、四人でやりましょうね?」
「そうだね」
 色々精神的に疲れたものの、恭子がこれほど喜んでくれたなら良いかと、自分自身を慰めた浩一だったが、続けて恭子が言った内容に全身を強張らせた。

「あ、そうだわ。葛西さんにお礼を言わなくちゃ。今から電話をかけてみましょう」
「ちょっと待って、恭子さん。どうして葛西先輩の連絡先を知ってるわけ?」
「箱の中に、説明書に重ねて『気に入ったら連絡をくれ』とこれが入っていたので」
 慌てて浩一が尋ねると、恭子が箱の中から一枚のカードを取り出して浩一に差し出してみせた。そこに『これが気に入ったら電話して』のメッセージと共に、携番が書かれているのを認め、盛大に舌打ちしたい気持ちを何とか堪える。

(やられた……。予め箱の中に入れておいたのか。紙袋の中には入れて無かったし、包装紙の上から触ってみても、カードとかが入っている感じがしなかったから、油断した……)
 そんな事を考えて忌々しく思っている浩一の前で、恭子が早速携帯電話でその番号を選択して、電話をかけ始めた。

「もしもし、葛西さんですか? 川島です。この度は結構なものをありがとうございました」
 すると如何にも満足げな声が、電話越しに返ってくる。

「気に入ってくれて嬉しいよ。早速遊んでくれたんだ」
「はい、楽しかったです」
 素直に恭子が感想を述べると、葛西がさり気なく問いかけてきた。
「君一人でやってみたの?」
「いえ、浩一さんに付き合って貰いました」
 すると葛西は笑いを堪える様な声で言葉を継いだ。

「……そうか。浩一は近くに居るかな?」
「はい、替わりますか?」
「ああ、浩一本人からも、直に感想が聞きたいのでね」
「分かりました。少々お待ち下さい」
 そこで恭子は葛西に断りを入れてから、浩一に声をかけつつ携帯を差し出した。

「浩一さん、葛西さんが感想を聞きたいそうです。代わって貰って宜しいですか?」
「ああ」
 本心を言えば無視したかったがそうもいかず、浩一は渋々携帯を受け取り耳に当てた。

「代わりました」
「やあ、浩一。早速二人で使ってくれたみたいで嬉しいよ。楽しんで貰えただろう?」
「……ええ、お陰様で。大変楽しませて頂きました」
 何とか無難な言葉を口にした浩一の耳に、相変わらず楽しげに「こっちのバージョンも楽しそうよね」などと言いながら説明書を読んでいる恭子の声が届く。その声も電話の向こうに伝わったのか、葛西が冷やかす様に言ってきた。

「彼女が目の前にいなかったら、『何て物よこすんだ、このど腐れ野郎!』とか罵倒しそうな声だな」
「仮にも先輩に向かって、そんな事は言いませんよ」
「仮にも、か。奥手の弟を持つ兄の心境として、けっこう本気で心配しているのにつれないな」
(誰が兄で誰が弟だよ。好き勝手にほざいてろ!)
 盛大に顔を引き攣らせた浩一だったが、ここで葛西がしみじみと言い出す。

「ここで清人だったら、例え嫁が目の前に居ても『アホな事ほざくな』とか何とか言うよな。つくづくお前は、性格が良い奴だ」
「……どうも」
「変な動悸とか眩暈の類が出たら早めに来い。だがそうでないなら、彼女と延々やってて構わんぞ。それじゃあな」
 言葉少なに一応浩一が礼を述べると、話は終わったとばかりに葛西が一方的に言い捨てて通話を終わらせた。それに思わず溜め息を吐いて携帯を閉じると、恭子が顔を向ける。

「浩一さん、お話は終わりました?」
「ああ」
「じゃあ、お夕飯を作り始めるまでまだ時間がありますし、もう少しやりませんか? 今度は《あのコにタッチ!》を試してたいんです」
「……構わないよ」
 下心ありありに聞こえるそのタイトルに浩一は(何か如何にも、合コンとかでの重宝アイテムっぽいな)と、思わず目眩を覚えたが、恭子は真剣だった為、いつもの口調と表情を保った。すると恭子が聞き捨てならない事を言ってくる。

「じゃあ、また顔を触りますね?」
「え?」
「指示通り順番に触っていくんです。じゃあいきますよ!」 そう宣言すると同時に恭子がスイッチを入れると、再び軽快な音楽が流れ始め、それと同時に恭子が言った様にリズムに乗せて指示が出た。

『おでこ、ほっぺ、はな、はな』
「おでこ、ほっぺ、はな、はな、良し。さあ、浩一さん」
『ほっぺ、あご、はな、まゆ』
「…………」
「ふふっ、チョロいですよねっ!」
 機械に指示された通りに無言で恭子の顔を触ると、その度にエレキギターの音が流れる。

(何かもう、なし崩し的に慣らされている気がする)
 すこぶる上機嫌な恭子の様子を眺めながら、浩一は精神的に疲労困憊しながら、密かに深い溜め息を吐いた。
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