世界が色付くまで

篠原 皐月

文字の大きさ
上 下
98 / 104

第94話 色鮮やかな世界

しおりを挟む
 梅雨の時期に入ったにも関わらず、珍しく晴れ上がったある日。
 朝食を済ませて柏木産業に雄一郎と清人を送り出した柏木邸に、客人が一人やって来た。

「真澄様。明良様がいらっしゃいました」
「こちらに通して頂戴」
「畏まりました」
 使用人と孫娘のやり取りを聞いて、広い応接室で真一をあやしつつ談笑していた総一郎は、怪訝な顔になった。

「何だ? 明良が来る用事が有ったのか?」
「ええ。ちょっとした事を頼んでいまして」
「そうなの?」
 玲子も真由子を抱っこしながら不思議そうな表情になったが、真澄は惚けてそれ以上は語らず、自身のカップの中身を飲み干した。するとすぐに、案内されてきた明良が顔を見せる。

「こんにちは、お祖父さん、玲子伯母さん。真澄姉、頼まれた物を持って来ました」
「ご苦労様。色々面倒をかけて悪かったわね」
「とんでもない。真澄姉と清人さんの命令なら、どこへでも行きますよ」
 労いの言葉をかけた真澄に、明良は笑って応じながら彼女の隣に座り、持参したショルダーバッグの中から、大判の封筒を取り出した。

「じゃあ取り敢えず、これをどうぞ」
「ありがとう」
 差し出されたそれを受け取り、早速中身を取り出してみた真澄は、その写真を見て感嘆の声を漏らした。

「あら、やっぱりプロね。綺麗に撮れてるじゃない」
「そりゃあ、これで飯を食っているんですから」
 明良が苦笑しながら言葉を返すと、テーブルの向こうから玲子が不思議そうに声をかけてくる。

「あら、それは何?」
「浩一の結婚式の写真です。お母様も見ますか?」
「まあ! そんな物があるの? 見せて頂戴!」
 嬉々として腰を浮かせた玲子から、すかさず明良が真由子を受け取り、真澄は母親に手元の写真を手渡した。そして年齢も肌や瞳の色調も雑多な集団の中にあって、新郎新婦が揃いの白い衣装に身を包んだ集合写真を眺めた玲子が、しみじみと感想を述べる。

「やっぱり綺麗ねえ、恭子さん。浩一も我が息子ながら、なかなかの男ぶりじゃないの」
「そうですね」
「全く、息子の結婚式だっていうのに、親が出席できないなんて……。あの人のせいで」
 そこでブチブチと夫の悪口を呟き出した玲子の手元を横目で眺めながら、総一郎が不機嫌そうに口を挟んできた。

「仕方あるまい。相手が相手じゃからの。大体、浩一も浩一じゃ。あんな女に誑かされおって」
「お祖父様」
「そういえば真澄。後からお金を渡すから、清人さんに渡してくれないかしら?」
 祖父に文句を言おうとした所で、玲子が突然脈絡の無さそうな話を持ち出してきた為、真澄は目を丸くしながら尋ね返した。

「お母様? 清人にお金を借りていたんですか?」
「いいえ。私が借りた訳ではないし、返す筋合いも無いのだけれどね。ちょっとした年寄りの尻拭いよ。銀行振込手数料七回分と言えば分かるわ」
「振込手数料、七回分ですか?」
 真澄はまだ意味を捉えかねて不思議そうな顔になったが、玲子から意味深な視線を向けられた総一郎は、ギクリと全身を強張らせた。

「ええ。把握するのがちょっと遅くなって、申し訳なかったと伝えて頂戴」
「はぁ……、分かりました」
「その、玲子さん。儂は電話をかける用件を思い出したから、少し離れに戻っておるからの」
「はい、どうぞごゆっくり」
 そして真澄に真一を渡し、ほうほうの体で離れに逃げ帰った総一郎を見送ってから、真澄は玲子に鋭い視線を向けた。

「お祖父様が、何かしたんですか?」
 その追及に、玲子が苦笑いで応じる。
「ちょっとね。でもあなたを必要以上に怒らせたくなくて、清人さんも黙っていたと思うから、今の事はこれ以上聞かないで頂戴」
 こういう時の母親が口を割らない事を知っていた真澄は、あっさりと話を変えた。

「分かりました。そうします。でも私も知らない事を、どうしてお母様がご存じなんですか?」
「基本的にお金の流れをきちんと把握していれは、その人がどんな生活をしているか、自ずと分かるものよ。これでも銀行家の娘ですからね」
「なるほど。そういう事ですか」
 真澄が素直に感心した所で、今度は明良が疑問を呈した。

「ところで真澄姉。式で恭子さんが着たウェディングドレス、真澄姉が送った物ですよね?」
「そうよ。もう浩一に愛想尽かされてるってぐずぐず言うから、彼女と賭けをしてね。浩一が彼女を受け入れたら私の勝ちで、ある物を一つ受け取って貰う。本当に浩一が愛想を尽かしてたら彼女の勝ちで、貰った指輪は私が責任を持って引き取るって事にしてたの」
 それを聞いた明良は、かなり無茶苦茶な内容に呆れながら、話を続けた。

「それで押し付けたんですか。でもあのドレス、ひょっとしたらかなり前から準備してませんでしたか? 彼女がサイズがピッタリだと喜んでましたから」
 そこで真澄は、如何にも狡猾そうな笑みを、その顔に浮かべた。

「去年の私達の結婚披露宴で、彼女に新郎側の受付を頼んだ時、清人が『貧相な格好をされたら俺の恥だ』と難癖を付けて、フォーマルドレスを購入して着させたの」
「ああ、確かにそんな事を言っていましたね」
「その店、ウェディングも取り扱っていてね。購入する時に、より身体に合うものを探すとか適当な理由を付けて、必要なサイズを全部採寸して貰って、セミオーダーでウェディングドレスを作らせておいたのよ」
「真澄姉、相変わらず太っ腹ですね。だけど一年以上経っていて、サイズが合わなくなるって事は、考えなかったんですか?」
 明良の当然の疑問に、真澄が平然と答える。

「彼女『体型が変わったら服が着られなくなります』と言って、これまで何年も体型を崩さなかったもの。一度サイズを測っておけば大丈夫の筈だし、その点は心配して無かったわ」
「なるほど」
 納得して明良が頷くのとほぼ同時に、何枚ものスナップ写真を見終わって、封筒にしまい込んだ玲子が、静かに声をかけてきた。

「ところで真澄」
「何ですか? お母様」
「あの子達は戻って来るのかしら?」
 その問いかけに、真澄は余裕の笑みを浮かべながら頷く。

「勿論、戻って来ますよ。二人とも律儀な性格ですから。十年先か二十年先になるか、それは現時点では分かりませんが」
 真澄がそう保証すると、玲子は満足そうに頷いた。

「戻って来るなら良いのよ。いざとなったら、こちらから様子を見に行けば良いしね」
「訪ねる前には、一応連絡を入れてあげて下さい。それと、お父様とお祖父様をいびるのも、ほどほどにしてあげて下さいね?」
「真澄に免じて、ほどほどにしてあげるわ。それじゃあ明良君、ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
 そして微笑みつつ優雅な動きで立ち上がった玲子が応接間から立ち去ると、二人取り残された室内で、真澄が幾分心配そうに問いを発した。

「それで、どんな感じ?」
 その省略しまくった質問にも関わらず、明良は笑って相手の望む答えを返した。
「なんとか上手くやってるみたいですよ? その式も、職場の皆さんが全面的に取り仕切ってくれてましたし」
 それを聞いた真澄が、嬉しそうに顔を綻ばせる。

「それなら良かったわ。少し安心できたわね。全く……、落ち着いたら皆に、葉書の一枚でもくれるでしょうね? 清香ちゃんにも何も言って無かったみたいで、凄く驚かれたのよ?」
 安堵した後、急に怒りがぶり返したらしい真澄に、明良は苦笑しながら進言した。

「寄越さなかったら、是非とも真澄姉から教育的指導をして下さい」
「絶対そうするわ」
 そう口にしつつも(恭子さんが付いているんだから、そんな事は無いでしょうけど)などと考えていた真澄は、内心で同意見だったらしい明良と顔を見合わせて苦笑した。

 それから暫くの間、真澄は大きな窓から澄み渡った青い空を見上げた。そして全てのしがらみを解き放って広い世界に飛び出して行った弟夫婦の事を、ほんの少しだけ羨ましく思いつつ、これからの事を考えて一時を過ごした。


【完】
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

完結 愛人さん初めまして!では元夫と出て行ってください。

音爽(ネソウ)
恋愛
金に女にだらしない男。終いには手を出す始末。 見た目と口八丁にだまされたマリエラは徐々に心を病んでいく。 だが、それではいけないと奮闘するのだが……

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...