世界が色付くまで

篠原 皐月

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第74話 深夜の一事 

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 二日後、接待を受けた後、相手を言葉巧みに飲みに誘い、情報交換などをしてそれなりに有意義に過ごしてから、浩一は日付が変わる直前に帰宅した。
 暗い廊下とリビングの照明を点けながら、恭子はもう休んだのかと思った浩一だったが、テーブルに置かれたメモ用紙を見て盛大に顔を顰める。

「……清人からの、急な呼び出し?」
 簡潔に不在の理由が書いてあるメモを見ながら、浩一は嫌な予感を覚えた。しかしこういう場合、電話やメールをしても反応は無いだろうと経験上分かっていた浩一は、さっさと鞄を持って部屋に行き、着替えて寝る支度を整える。
 そうこうしているうちに日付が変わり、そろそろ寝ようかと思ったところで、玄関から物音が伝わってきた。

「遅かったね」
「……戻りました」
 リビングから玄関に続く廊下に出ると、恭子の背後に清人の姿まで認めた為、浩一は微妙な顔付きになった。しかし浩一の戸惑いなど全く気にしない素振りで、清人は恭子に続いて平然と上がり込み、飄々と言ってのける。

「何だ浩一、まだ起きていたのか。茶を一杯飲ませて貰うぞ。勝手に淹れるから」
「……ああ」
 勝手知ったる家主である清人は、浩一の目の前を通り過ぎてさっさとキッチンに入って行った。それを唖然として見送ってから、浩一は先に無言で部屋に戻って行った恭子の後を追う。そして着替えているかもと少し迷ってから、ドアをノックして尋ねてみた。

「恭子さん、入って構わないかな?」
「どうぞ」
 室内からあっさりと了承の言葉が返された事に安堵しながら、浩一はドアを開けた。すると室内は暗いままであり、無言で眉を寄せる。
 咄嗟に灯りを点けるかどうか迷ったものの、取り敢えずドアを開けたままにして、廊下の照明である程度の明るさを確保しながら、服を来たままベッドの上に横たわっていた恭子に、慎重に声をかけてみた。

「清人と一緒に帰ってくるとは思わなかったな。今日は何をさせられたんだ?」
 そう浩一が問いかけると、恭子はベッドに仰向けに横たわって右手の甲と手首で両目を覆ったまま、気怠そうに答えた。

「先生を含んだ六人がかりで、あるお屋敷の車庫から車を無断拝借して、その車で人をはねて、元通り車庫に入れて来ました」
「はねたって……、わざと車を当てたって事か!? どういう事なんだ!?」
 瞬時に顔色を変えて勢い良くベッドの縁に腰掛けながら、自分の両手首を掴んでベッドに縫い付ける様に押さえ込んできた浩一に、恭子は乾いた笑いを見せた。

「どういう事かは、先生に聞いて貰えませんか? 特に詳しい説明が無かったもので」
 淡々と事務的にそう告げた恭子に対し、浩一は怒りを露わにして彼女を見下ろす。

「君はろくに話も聞かずに、人を車で轢くのか!?」
「……そう指示されましたので」
「…………っ! あの野郎、何を考えてる!!」
 微妙に自分から視線を逸らしながら答えた恭子に、怒りが振り切れた浩一は悪態を吐いて立ち上がろうとしたが、今度は逆に恭子の手が浩一の手首を素早く掴んだ。

「以前、永沢という女性がこのマンションに押し掛けてきた事がありましたけど、また揉めたりしましたか?」
 殆ど確信している彼女の口ぶりに、浩一は真顔になって動きを止めた。そしてある可能性に思い至り、何とか気持ちを落ち着かせながら問いを発する。

「……どうしてそんな事を聞く?」
「車を拝借したお屋敷の表札が、永沢でした」
 相変わらずベッドに横になったまま、淡々と事実を述べた恭子に、浩一は自分の予想が外れていない事を悟った。

「因みに、車を当てた人間は?」
「先生が指示した方です。どうやったか、時間と場所を指定して呼び出したみたいですね」
「ひょっとして……、俺達と同年代の男じゃないのか?」
「やはり、心当たりがありますか……」
 苦笑しながらどこか疲れた様に見上げてきた恭子に、浩一は黙って目を閉じた。そのまま少し沈黙を保った二人だったが、恭子が浩一の手首を掴んでいた手を離すと、浩一が目を開けてその手を握り返しながら声を絞り出す。

「悪かった。今回の事は、全て俺が原因だ」
 しかし恭子は、平然と言い返した。
「浩一さんが気に病む事では無いです。どうせ先生が勝手にやった事ですし、私は真っ当な倫理観なんか最初から無いに等しい人間ですから」
 そう言って酷薄な笑みを浮かべた恭子を、浩一は表情を綺麗に消して見下ろしてから無言で立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。浩一が出て行く時、きちんとドアを閉めた為真っ暗になった室内で、恭子は一人考えを巡らせる。

(そう言えば……、朝に口説かれなかったし、恒例になってた“あれ”は、連続記録更新成らずよね?)
 そんな事を確認した恭子は、自嘲気味に小さく笑った。

(でもこれで、私がどういう女か、良く分かったでしょうね。轢き逃げしておいて平然と笑ってる様な女、間違ってもまともとは言えないもの)
 そこで思わず、今までの懸念が解消した様に声に出す。

「……これで清々したわ」
 口に出してはそう言ったものの、恭子は無意識に泣きそうな顔になりながら、毛布を引き寄せて服のまま身体を丸め、穏やかとは言えない眠りについた。

 一方、恭子の部屋から出た浩一は、まっすぐキッチンへと向かった。そして如何にもリラックスしている風情で、ティーポットで抽出した紅茶をカップに注いでいる清人の姿を目の当たりにする。その落ち着き払った佇まいに、浩一は怒りを堪えながら詰め寄った。

「清人……。お前、相変わらず彼女に、ろくでもない事をさせたな?」
 その問いかけに、清人は立ったままカップの中身を少し飲んでから、平然と答えた。

「聞いたのか?」
「ふざけるなよ!? どういうつもりだ!」
 そこで浩一が一気に距離を詰め、清人を壁に押し付けた為、反動でカップの中身が派手に零れた。そして清人のシャツに茶色の染みが広がる。

「……染みになる」
 自分の胸から腹にかけての範囲を見下ろしながら冷静に述べた清人に、浩一は更に声を荒げた。

「お前! どうして彼女に明らかな犯罪行為をさせた!?」
「嫌だと言ったら、俺が女装して済ませるつもりだったさ。だがあいつ、普段は結構好き勝手に言うようになったが、今でも命令された事には無条件に従うからな」
 肩を竦めながら言われた内容に、浩一は益々激昂した。

「それが分かってるなら!」
 そこで清人が急に顔付きを改め、鋭く問いかける。
「お前、夫婦ごっこがしたいのか?」
「何を言ってる」
「それならいつでもあいつに、お前と結婚して仲良く暮らせと言ってやるぞ? それで万事解決だろうが」
「清人……」
 清人が明らかに本気であり、かつ事実を述べているのを認識させられた浩一は、思わず続ける言葉を失って歯軋りした。清人はそれを眺めながら、断言して踵を返す。

「今のあいつでは、間違っても自分の意志でお前を選んだりしないって事だ。……邪魔したな」
 そうして言いたいことだけ言って、シンクにカップを入れた清人はあっさりと立ち去り、浩一はそれを見送りもせず、清人が残したカップを眺めながら、暫くその場に立ち尽くしていた。
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