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第72話 自問自答
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「社会人と言えば……、清香ちゃんは今週から柏木産業勤務なんだよね?」
「いや、まさか、こんな日が来るとはね。お祖父さん、泣いて喜んだだろ」
「本当に出会ってから、あっと言う間だったな」
そうして皆が口々に会話を始める中、浩一は一人冷静に考え込んでいた。
(さて、正彦が分かってくれたら手間が省けるが……)
そして何気なく正彦が自分の方に目を向けて来たのを幸い、その目を強く見返しつつ、軽くドアの方に顔を向けて自分の意図を無言のままさり気なく伝えてみる。
(……浩一さん?)
正彦が怪訝な顔をしたのを確認し、浩一はゆっくりと立ち上がりながら、隣に座っていた清香に断りを入れる様に話しかけた。
「あっと、今日中に電話をかけないといけない所が有ったんだ。込み入った話になるから、ちょっと部屋でかけてくるから」
「はい、分かりました。ごゆっくり」
何となく清香もそれに応じて、他の者達との話に再び混ざると、二人の会話を聞いた正彦は軽く腕時計で時間を確認し、五分程経過した所で周りに「ちょっとトイレに」と声をかけてリビングを抜け出た。そして迷わず浩一が使っている、元は清人の部屋のドアをノックすると、中から浩一が安堵した表情で出迎えてくれた。
「俺を呼びましたよね? 何です?」
「すぐに分かってくれて助かった。今日のうちにこれを渡しておこうと思って。ちゃんとした水引付きの物で無くて、申し訳ないが……」
恐縮気味に浩一が差し出してきた、紅白の印刷がされたご祝儀袋を見て、正彦はそれを受け取ろうとはせずに、盛大に顔を顰めた。
「浩一さん……。最近、浩一さんが雄一郎伯父さんと揉めているらしいのは、親父達から聞いています。ですが俺の挙式や披露宴の招待客について、伯父さんにも祖父さんにも、文句を言わせるつもりは無いんですが?」
「顔を合わせるのが気まずいから、当日出ないと言うわけじゃ無いんだ。三か月後だと十中八九、出席したくても不可能だと思う」
神妙に言われた台詞の内容を、頭の中で吟味した正彦は、僅かに驚いた表情を見せた。
「ちょっと待って下さい。まさか……、その頃、国外にいる筈とか言わないですよね?」
「……話の流れでは」
「マジですか……」
そこで盛大に溜め息を吐いた正彦の手に、浩一が半ば強引にご祝儀袋を握らせた。その感触で相場よりはかなり余計に入れてあると分かった為、正彦は慎重に尋ねてみる。
「随分多目ですが、口止め料込みって事ですか?」
「話が早くて助かるよ」
「それこそ、恭子さんと一緒に行くんですか?」
「さあ……、それはどうかな?」
「どうかなって……」
どこか他人事の様に呟いた従兄に、正彦は一瞬唖然とした表情になってから、本気で頭を下げた。
「うわ……、何か色々すみませでした、浩一さん」
「どうして正彦が謝るんだ?」
いきなり目の前で頭を下げられ、浩一は本気で困惑したが、目の前の正彦もどう言ったら良いか分からない様な表情をしながら告げた。
「いや、だって、浩一さんが色々微妙過ぎる時期に、能天気に結婚報告なんてしてしまいましたから」
正直にそんな事を言ってきた正彦に、浩一は思わず失笑してしまう。
「そんな事を気にするな。お前には関係ないだろう? 寧ろ、今日言って貰って良かった。やはりこういう物は、できるだけ自分で渡したいからな。少し早いが受け取ってくれ」
「分かりました。ありがたくこの場で頂いていきます」
浩一の気持ちを受け取る事にした正彦は、慎重にそのご祝儀袋をスラックスのポケットに入れた。幸いシャツを外に出していた為、はみ出した部分が隠れて一見分からなくなる。(リビングに戻る前に、一応玄関に掛けておいたジャケットの内ポケットにでも入れておくか)と正彦が周りに見つからない様に持ち帰る手筈を考えていると、浩一が念を押してきた。
「それから、さっきも言った様に、当分はオフレコで頼む」
「因みに、清人さんや真澄さんには?」
「伝えていない」
「そこまで本気って事ですか……。分かりました。後で周りから恨まれる事にします」
浩一の本気度を再度確認した正彦は、それ以上余計な事は言わずに片手を差し出し、浩一がそれを握り返して固い握手を交わした。そしてすぐに正彦が、それから更に時間を置いて浩一がリビングに戻った為、誰も二人がそんな会話をしていたなどと、想像できたものはいなかった。
そして宴も終盤になり、少しずつ使った食器を片付けて流しで洗い始めていた恭子に、清香がスルスルと寄って来て手伝いを申し出た。
「えっと、恭子さん? お手伝いしますよ?」
「あら、清香ちゃんはお客さんなんだから、楽にしていて?」
手の動きを止めないまま、首だけ向けて清香の申し出を断った恭子だったが、清香はチラッとカウンターの向こうに視線を向けてから、恭子に囁いてきた。
「その……、何かお兄ちゃんが悪酔いしたらしくて。ちょっと話の流れが物騒になってきて……」
「物騒って、どんな?」
「聡さんとの事を根掘り葉掘り聞いてきて。今年の一月に急に配置換えになった挙句、半年の香港支社出張になってるから、『今度のゴールデンウィークに、様子を見に行こうかな?』って言ったら、『そうか、それなら年内一杯向こうでも寂しくないな』とかお兄ちゃんが真顔で言い出して。これ以上変な事を口走ったら、聡さんが一生日本に帰って来られなくなりそうで」
真顔でそんな懸念を口にした清香に、小笠原物産内の粛清騒動に大きく係わっていた自覚があった恭子は、聡に心の中で改めて詫びを入れつつ申し出た。
「……ちょっとお手伝いしてくれると助かるわ、清香ちゃん」
「はい、お任せ下さい!」
清人からの追及をかわす大義名分を得た清香は、いそいそと浩一が使っていたエプロンを借りて、洗い終わった食器を布巾で乾かしつつ慣れた手つきで片付け始めた。
(先生ったら……、そろそろ清香ちゃんの事は諦めましょうよ。これから真由子ちゃんの方も心配しなくちゃいけなくなるんですから、神経が焼き切れますって。変な方向に焼き切れたら、日本が消滅しそうで怖くて仕方が有りませんから)
清人に視線を向けながら真剣にそんな事を考えた恭子は、すぐに清香に視線を戻した。そして食器を手にして、洗うのを再開する。
(一応、相手に目されている聡さんは、まあ、良い部類に入ってますしね。清香ちゃん自身も、向こうのご両親に好かれているし。というか、息子追い出して未来の嫁と同居中って言う、小笠原夫妻も並みのご夫婦ではないけど)
そんな事を考えながら、一心不乱に汚れをスポンジで落として洗剤を水で流す作業をしていると、徐々に思考が別な方向に流れた。
(そもそも私なんかと違って、清香ちゃん位素直に育ってきちんと躾けられてて、性格も良い子なんて、周りからこぞって祝福されるのが当然じゃないですか。それなのに兄である先生が、いつまでもつまらない事でグチグチと……)
そしていつの間にか手を止めた恭子が、黙ったまま水の流れに目をやりつつ動きを止めていると、清香が蛇口を閉めて不思議そうに恭子に声をかけた。
「……恭子さん、恭子さん!」
「え? あ、何? 清香ちゃん」
幾分強く呼びかけられて我に返った恭子は、慌てて清香に目を向けたが、対する清香も当惑した様に相手を見詰めた。
「取り敢えず、ここに有る分は終わりましたけど……」
そう言われて、いつの間にか全ての食器が片付いていた事を認識できた恭子は、動揺しながらも笑顔を取り繕った。
「え? あ、ありがとう、清香ちゃん。後は皆が帰ってから片付けるから大丈夫よ」
「はあ」
「ほら、真澄さんが話題を変えてくれてたと思うし、戻って最後まで楽しんでいってね?」
「えっと、はい。失礼します」
軽く背中を押す様にして、恭子は笑顔のままキッチンから清香を追いやった。そして調理器具の片付けをするふりをしてリビングに背を向けた途端、怒りの形相になる。
(ちょっと待ってよ。さっき、何をぼけっと考えてたのよ、私……。清香ちゃんと比較するなんて、間違ってるでしょうが)
そこで恭子は自分自身に向けた怒りを抑え込んだ為、それは小さな歯軋りの音としてしか表には出なかったが、先程自分が考えていた内容を自覚して、少なからずダメージを受ける事になった。
「いや、まさか、こんな日が来るとはね。お祖父さん、泣いて喜んだだろ」
「本当に出会ってから、あっと言う間だったな」
そうして皆が口々に会話を始める中、浩一は一人冷静に考え込んでいた。
(さて、正彦が分かってくれたら手間が省けるが……)
そして何気なく正彦が自分の方に目を向けて来たのを幸い、その目を強く見返しつつ、軽くドアの方に顔を向けて自分の意図を無言のままさり気なく伝えてみる。
(……浩一さん?)
正彦が怪訝な顔をしたのを確認し、浩一はゆっくりと立ち上がりながら、隣に座っていた清香に断りを入れる様に話しかけた。
「あっと、今日中に電話をかけないといけない所が有ったんだ。込み入った話になるから、ちょっと部屋でかけてくるから」
「はい、分かりました。ごゆっくり」
何となく清香もそれに応じて、他の者達との話に再び混ざると、二人の会話を聞いた正彦は軽く腕時計で時間を確認し、五分程経過した所で周りに「ちょっとトイレに」と声をかけてリビングを抜け出た。そして迷わず浩一が使っている、元は清人の部屋のドアをノックすると、中から浩一が安堵した表情で出迎えてくれた。
「俺を呼びましたよね? 何です?」
「すぐに分かってくれて助かった。今日のうちにこれを渡しておこうと思って。ちゃんとした水引付きの物で無くて、申し訳ないが……」
恐縮気味に浩一が差し出してきた、紅白の印刷がされたご祝儀袋を見て、正彦はそれを受け取ろうとはせずに、盛大に顔を顰めた。
「浩一さん……。最近、浩一さんが雄一郎伯父さんと揉めているらしいのは、親父達から聞いています。ですが俺の挙式や披露宴の招待客について、伯父さんにも祖父さんにも、文句を言わせるつもりは無いんですが?」
「顔を合わせるのが気まずいから、当日出ないと言うわけじゃ無いんだ。三か月後だと十中八九、出席したくても不可能だと思う」
神妙に言われた台詞の内容を、頭の中で吟味した正彦は、僅かに驚いた表情を見せた。
「ちょっと待って下さい。まさか……、その頃、国外にいる筈とか言わないですよね?」
「……話の流れでは」
「マジですか……」
そこで盛大に溜め息を吐いた正彦の手に、浩一が半ば強引にご祝儀袋を握らせた。その感触で相場よりはかなり余計に入れてあると分かった為、正彦は慎重に尋ねてみる。
「随分多目ですが、口止め料込みって事ですか?」
「話が早くて助かるよ」
「それこそ、恭子さんと一緒に行くんですか?」
「さあ……、それはどうかな?」
「どうかなって……」
どこか他人事の様に呟いた従兄に、正彦は一瞬唖然とした表情になってから、本気で頭を下げた。
「うわ……、何か色々すみませでした、浩一さん」
「どうして正彦が謝るんだ?」
いきなり目の前で頭を下げられ、浩一は本気で困惑したが、目の前の正彦もどう言ったら良いか分からない様な表情をしながら告げた。
「いや、だって、浩一さんが色々微妙過ぎる時期に、能天気に結婚報告なんてしてしまいましたから」
正直にそんな事を言ってきた正彦に、浩一は思わず失笑してしまう。
「そんな事を気にするな。お前には関係ないだろう? 寧ろ、今日言って貰って良かった。やはりこういう物は、できるだけ自分で渡したいからな。少し早いが受け取ってくれ」
「分かりました。ありがたくこの場で頂いていきます」
浩一の気持ちを受け取る事にした正彦は、慎重にそのご祝儀袋をスラックスのポケットに入れた。幸いシャツを外に出していた為、はみ出した部分が隠れて一見分からなくなる。(リビングに戻る前に、一応玄関に掛けておいたジャケットの内ポケットにでも入れておくか)と正彦が周りに見つからない様に持ち帰る手筈を考えていると、浩一が念を押してきた。
「それから、さっきも言った様に、当分はオフレコで頼む」
「因みに、清人さんや真澄さんには?」
「伝えていない」
「そこまで本気って事ですか……。分かりました。後で周りから恨まれる事にします」
浩一の本気度を再度確認した正彦は、それ以上余計な事は言わずに片手を差し出し、浩一がそれを握り返して固い握手を交わした。そしてすぐに正彦が、それから更に時間を置いて浩一がリビングに戻った為、誰も二人がそんな会話をしていたなどと、想像できたものはいなかった。
そして宴も終盤になり、少しずつ使った食器を片付けて流しで洗い始めていた恭子に、清香がスルスルと寄って来て手伝いを申し出た。
「えっと、恭子さん? お手伝いしますよ?」
「あら、清香ちゃんはお客さんなんだから、楽にしていて?」
手の動きを止めないまま、首だけ向けて清香の申し出を断った恭子だったが、清香はチラッとカウンターの向こうに視線を向けてから、恭子に囁いてきた。
「その……、何かお兄ちゃんが悪酔いしたらしくて。ちょっと話の流れが物騒になってきて……」
「物騒って、どんな?」
「聡さんとの事を根掘り葉掘り聞いてきて。今年の一月に急に配置換えになった挙句、半年の香港支社出張になってるから、『今度のゴールデンウィークに、様子を見に行こうかな?』って言ったら、『そうか、それなら年内一杯向こうでも寂しくないな』とかお兄ちゃんが真顔で言い出して。これ以上変な事を口走ったら、聡さんが一生日本に帰って来られなくなりそうで」
真顔でそんな懸念を口にした清香に、小笠原物産内の粛清騒動に大きく係わっていた自覚があった恭子は、聡に心の中で改めて詫びを入れつつ申し出た。
「……ちょっとお手伝いしてくれると助かるわ、清香ちゃん」
「はい、お任せ下さい!」
清人からの追及をかわす大義名分を得た清香は、いそいそと浩一が使っていたエプロンを借りて、洗い終わった食器を布巾で乾かしつつ慣れた手つきで片付け始めた。
(先生ったら……、そろそろ清香ちゃんの事は諦めましょうよ。これから真由子ちゃんの方も心配しなくちゃいけなくなるんですから、神経が焼き切れますって。変な方向に焼き切れたら、日本が消滅しそうで怖くて仕方が有りませんから)
清人に視線を向けながら真剣にそんな事を考えた恭子は、すぐに清香に視線を戻した。そして食器を手にして、洗うのを再開する。
(一応、相手に目されている聡さんは、まあ、良い部類に入ってますしね。清香ちゃん自身も、向こうのご両親に好かれているし。というか、息子追い出して未来の嫁と同居中って言う、小笠原夫妻も並みのご夫婦ではないけど)
そんな事を考えながら、一心不乱に汚れをスポンジで落として洗剤を水で流す作業をしていると、徐々に思考が別な方向に流れた。
(そもそも私なんかと違って、清香ちゃん位素直に育ってきちんと躾けられてて、性格も良い子なんて、周りからこぞって祝福されるのが当然じゃないですか。それなのに兄である先生が、いつまでもつまらない事でグチグチと……)
そしていつの間にか手を止めた恭子が、黙ったまま水の流れに目をやりつつ動きを止めていると、清香が蛇口を閉めて不思議そうに恭子に声をかけた。
「……恭子さん、恭子さん!」
「え? あ、何? 清香ちゃん」
幾分強く呼びかけられて我に返った恭子は、慌てて清香に目を向けたが、対する清香も当惑した様に相手を見詰めた。
「取り敢えず、ここに有る分は終わりましたけど……」
そう言われて、いつの間にか全ての食器が片付いていた事を認識できた恭子は、動揺しながらも笑顔を取り繕った。
「え? あ、ありがとう、清香ちゃん。後は皆が帰ってから片付けるから大丈夫よ」
「はあ」
「ほら、真澄さんが話題を変えてくれてたと思うし、戻って最後まで楽しんでいってね?」
「えっと、はい。失礼します」
軽く背中を押す様にして、恭子は笑顔のままキッチンから清香を追いやった。そして調理器具の片付けをするふりをしてリビングに背を向けた途端、怒りの形相になる。
(ちょっと待ってよ。さっき、何をぼけっと考えてたのよ、私……。清香ちゃんと比較するなんて、間違ってるでしょうが)
そこで恭子は自分自身に向けた怒りを抑え込んだ為、それは小さな歯軋りの音としてしか表には出なかったが、先程自分が考えていた内容を自覚して、少なからずダメージを受ける事になった。
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