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第1章 絵から始まる事件

(9)アルティナの些細な悩み

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「アルティナ、お疲れ様!」
 食堂で一人で昼食を食べていると、斜め後ろから明るく声をかけられた為、アルティナはテーブルを回り込む彼女に、笑いかけながら言葉を返した。

「リディアもお疲れ様。今日も絶好調ね」
「ええ。毎日の様に画商の所に出向いて、普通だったら見られない絵を見せて貰えるし、ラスマードさんからは昨日も手紙が来たし」
 早速食べ始めながら、機嫌の良い理由を語って聞かせるリディアに、アルティナは若干困惑気味に尋ねた。

「ええと……、確かリディアが最後に王妃様に手紙をお願いしたのが、一昨日とか言ってなかったかしら?」
「ええ、そうよ。その手紙の返事が、昨日届いたの」
「そう……。ラスマードさんって、筆まめな方なのね」
「本当にそうね」
「だけど見ず知らずの相手と、そんなに手紙でやり取りする内容があるの?」
「それなりにあるわよ? 天気とか旬の果物とか」
「そう……」
 一体なんの話で盛り上がっているのかと、思わず遠い目をしてしまったアルティナだったが、リディアは機嫌良く話を続けた。

「初めてお手紙を貰った時から、何となく感じてはいたんだけど、やっぱりラスマードさんとは話が合うと言うか、感性が似ていると言うか……。手紙を読んでいて心地良いのよ」
「そうなの……」
「その日の朝焼けの色合いとか、庭園の構図とかについてどう思うのか書くと、返事に自分と同じような感想が書いてあって。自分と同じ物の見方をしてくれる人がいるって、それだけで嬉しいわよね」
「……気が合いそうね」
 もう食事そっちのけで、楽しげに話し続ける彼女の話の腰を折る事もできず、アルティナは曖昧に笑って頷いた。するとここでリディアが、思い出したように言い出す。

「でも不思議なのは、ついうっかり、王宮の外宮の壁に飾られている絵についての感想を書いたら、同じ絵の感想を返してきてくれたのよ。あそこに出入りする人間は限られているから、ラスマードさんって職業画家ってわけじゃなくて、実は外宮で勤務している官吏や、出入りを許されたり陳情に来たりする商人とかで、趣味で絵を描いているのかしら?」
「さあ……、どうかしら?」
 自問自答して首を傾げたリディアを見て、アルティナは心の中でランディスを叱りつけた。

(ランディス殿下! あなた身元を隠す気があるんですか、無いんですか!?)
 しかしリディアはそこであっさり結論を出す。

「でも、わざわざ本業とかを詮索するのは無粋よね? ラスマードさんの職業がどうあれ、描く絵には関係ないわけだし」
「私もそう思うわ。それよりリディア。今日も午後から、画商回りに行く予定じゃないの? ゆっくりしていて大丈夫?」
「いけない! 早く食べて行かないと! グレイシアさんをお待たせしちゃう!」
 さり気なく促してみると、リディアが猛然と食べ始めた為、話題が終了となったアルティナは密かに安堵の溜め息を吐いた。しかし新たに生じた懸念に、無意識に眉根を寄せる。

(なんだか王妃様を挟んでの文通が、定例化しちゃったみたい……。この事を、王妃様はどう思っていらっしゃるのかしら。だけど一騎士が、直接王妃様に声をかけるわけにはいかないし)
 そして悶々としながらも食べ終えたアルティナは、リディアに声をかけてテーブルを離れた。そして休憩時間がまだ残っている為、食堂がある棟に隣接した中庭をぼんやりと歩いていると、横の回廊から声をかけられる。

「おう、アルティナ。奇遇だな」
 近衛騎士団の制服を身に纏わなくとも、五年以上の勤務歴がある騎士がその顔を見忘れるわけは無く、どうやら騎士団本部内での行動は完全に自由らしいと、アルティナは笑いながら言葉を返した。

「アトラス殿、昼食を食べにいらしたのですか?」
「ああ、だがちょうど良い。ちょっと話がしたくてな」
「はぁ、お付き合いします」
 素直に頷いたアルティナは、かつての師匠兼上司と共に注意深く周囲を探りながら中庭を歩いた。そして二人とも納得できるポイントに到達してから、足を止めて互いに向き合う。

「さて、ここなら良いかな?」
「そうですね。誰がどの方向から近付いて来ても見えますし、盗み聞きされない程度に、姿を隠せる物からの距離を保てています」
 その冷静な報告にアトラスが頷いてから、少々呆れ気味に話を切り出した。

「バイゼルの奴から聞いたが、アルティナの中にアルティンがいる事になっているらしいな。一体全体、どうしてそんな面倒くさい設定になった?」
「色々ありまして……」
「しかも、ケインの奴と結婚したにも係わらず、別居状態で独身寮暮らしとは、何の冗談だ」
「それは成り行きと言いますか、ちょっと女同士の付き合いと言うものをしてみたかったと言いますか……」
 弁解にもならない台詞だと自分で思いながら、アルティナが口にすると、アトラスは苦笑いしながら続けた。

「お前、男同士で散々つるんでいたのに、良く何年もバレなかったものだな」
「十分気をつけてはいましたし、事情を知っているデニスに色々フォローして貰いましたから」
「まあ、それはそうだろうが……。しかし『女同士の付き合いがしたい』か。本当にお前は世間一般とは、欲求の方向性が違うな」
「どういう意味でしょう?」
 思わず尋ね返したアルティナに、アトラスが苦笑いのまま告げる。

「普通の娘が、『男の姿と名前で騎士団に入れ』と言われたら、黙って従うか反発するかどちらかだろうが。だがお前は自分の腕がどこまで通用するかを見極めたくて、進んで騎士団入りを希望したしな。入ったら入ったで、グリーバス公爵斡旋の縁故入隊など、断じて認めなかったし」
「当然です。こっちは身体張って神経すり減らして勤務してるんですよ? 楽して入ろうなんて根性の人間に、近衛騎士が務まりますか」
「だが、やっぱり普通の騎士みたいに、身体が使い物にならなくなるまで騎士団に居座る気も無かっただろう? どうせ女の自分はせいぜい繋ぎの存在で、公爵が横槍を入れて来るだろうと思っていたんじゃないのか?」
「そんな分かりきった事を、今更言わないで下さい」
「だからお前に隊長職を譲って任せておけば、そうそう公爵からの横槍にも屈せずに居座ると思っていたのに、あっさり死にやがって」
「……誠に、申し訳ありません。アトラス隊長」
 緑騎士隊の隊長職を投げ出した事を、目の前の前任者が本気で怒っている事を理解したアルティナは、一切弁解せずに頭を下げた。しかしアトラスはそれ以上文句を言うつもりは無かったらしく、からかうように指摘してくる。

「入隊直後から付き合いのある“アルティン”ならともかく、“アルティナ”が俺を『隊長』呼ばわりするのはおかしいだろう。気をつけろ」
 それを聞いたアルティナは、顔を上げて楽しげに笑った。

「分かりました。ご指摘、ありがとうございます」
「しかし形式上とは言っても、良くお前が結婚する気になったものだ。お前は家族とか結婚とかにも、全く幻想とか持っていなかったのにな」
「それはまあ……、色々事が落ち着いたら離婚する事になるとは思いますが、シャトナー家の皆様は揃って良い方ばかりですので……」
 若干口ごもりながらアルティナがそう告げると、アトラスは苦笑いしながら尋ねる。

「離婚? お前、できると思っているのか?」
「はあ……、私の評判はあまり芳しくは無いので、上手く情報操作すれば、シャトナー家の名前に傷をつけずに、可能かと思いますよ?」
「……ほぉうぅ?」
 そこでアトラスが思わせぶりに声を出しながら、ニヤニヤと少々意地悪く自分を眺めてきた為、アルティナは無意識に顔を顰めた。

「何なんですか、何か仰りたい事でも?」
「いや? じゃあアルティナとして仕事も結婚生活も頑張れよ?」
「嫌みですか!」
 あっさりと踵を返して歩き出したアトラスの背中に、アルティナのブツブツ文句を言っている声が届いたが、彼は笑いを堪えながら歩き続けた。

(ちょっとアルティナとこそこそ話していただけで、あれだけ俺に向かって文句と嫌みを垂れ流すケインが、お前を簡単に手放す筈が無いだろうが。武術戦術懐柔策は一通り教えてやったし、お前は俺の一番弟子だが、当然色恋方面はノータッチだったからなぁ)
 しみじみとそんな事を考えたアトラスは、笑みを深めながら呟いた。

「王都に居るうちに、そっち方面をちょっと見てやるか」
 そう決心したアトラスは、昼食を取る為に足取りも軽く食堂へと歩いて行った。
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