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第3章 陰謀
(1)世間話
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一行はザルベスのデスナール子爵邸を出てから、辺境域に向かって暫く馬を走らせたが、周囲を固めている騎士達がこぞって襲いかかってくる事など無く、藍里は内心で拍子抜けしていた。
(う~ん、疑い過ぎたかしら? それともまだ人目が有るとか、屋敷を離れたばかりだから、襲撃しないとか?)
勿論、襲われないに越した事は無いのは彼女も理解していたが、なんとなく消化不良の気持ちを抱えながらひたすら馬を走らせていると、相変わらず中空を動かない太陽の輝きが一際強くなった所で、ウィルがルーカスに向かってお伺いを立てた。
「殿下、そろそろ一度、休憩を取ろうと思うのですが。あの集落には知人も居ますし」
それを聞いたルーカスは、昼食時になっていた事に気付いて即座に頷く。
「ああ、そうだな。あそこだったら水場も有るだろうし、食事の場所を借りるか」
少し先に見える集落を馬上から眺めながら話が纏まり、一行は次々とその集落に入った。
これまで通って来た、リスベラントの他の集落と同様に、そのほぼ中央に井戸とそこから電動ポンプならぬ魔術ポンプで水を常に湛える様にしている水場があり、全員そこで馬から下りた。するとその喧騒を耳にして、何事かと様子を窺いに付近の住人達が家から出て来たが、その中でも一際大きい家から現れた初老の男性を認めたウィルが、親しげに声をかけた。
「やあ、グザード、久し振りだな」
どうやら先程言っていた知人と言うのは彼の事らしいと藍里が見当をつけていると、当の相手は目を丸くしてウィルに問いかけた。
「ウィラード様!? どうしてこんな所にいらっしゃるんですか?」
「実はルーカス殿下達と一緒に、辺境域の森に魔獣退治に行く途中なんだ。それでちょっとここで休憩を」
「何て事だ! 領内の騎士様達にも犠牲者が出ているとは聞いていましたが、まさか央都からルーカス公子殿下やウィラード様まで出て来る羽目になるとは!」
自分の話を遮って大仰に驚いた相手を、ウィルは慌てて宥めようとした。
「グザード、それ程大事では」
「いやいや、一大事でしょう!?」
「それより、昼食を取りたいから、馬を繋いでおく場所と水場を貸して貰いたいんだが」
漸くウィルが要求を口にすると、グザードが勢い込んで言い出す。
「場所と言わず、急いでお昼の準備も致します!」
「それはありがたいが、今日の昼の分はザルベスの屋敷で簡単に食べられる物を準備して貰って来たから大丈夫だよ」
「そうですか……。それなら飲み物だけでも」
純粋な好意からの申し出を無碍に断る事もできず、ウィルは少し迷ったもののそれに甘える事にした。
「そうだな。そうしてくれればありがたいな」
「すぐに準備致します。マール! ウィラード様がいらしてるぞ! お連れ様の分も含めて、急いで飲み物の準備をしてくれ!」
「え? どうして坊ちゃんが!?」
グザードが大声で家の中に呼びかけると、訝しげな女性の声が聞こえ、次に戸口からその人物と思われる女性が姿を見せた。
「まあ! 本当にウィラード坊ちゃん! お久しぶりでございます。すぐに準備致しますね!」
「マール……。もう『坊ちゃん』って年でも無いんだが」
嬉々として挨拶してから、すぐに踵を返した彼女は、どうやらウィルの懇願は耳に入っていない様だった。彼女が隣近所の女性達に声をかけたらしく、途端に賑やかになった周囲に溜め息を吐いてから、ウィルは待たせていたルーカス達の元に戻った。
「殿下。騒々しくて、申し訳ありません」
その謝罪に、ルーカスは笑って応じる。
「あれ位、どうって事は無い。アイリの方がはるかに騒々しい」
「ちょっと! どういう意味よ!?」
「言葉通りの意味だ。しかし随分親しげだな。どういう関係だ?」
その疑問は藍里も同様だった為、ルーカスへの文句は飲み込んで大人しくウィルの言葉を待った。すると彼が苦笑いしながら告げる。
「グザードは、代々ここら辺一帯のまとめ役を担っている家の当主で、昔から良く屋敷に顔を出していますし、マールは結婚するまで屋敷で侍女をしていまして。加えて私の担当をしたので、彼女に良く悲鳴を上げさせていたものです」
「ウィルさんって、そんなに悪ガキだったの?」
「人よりちょっとだけ、自由奔放だっただけですよ」
「なるほど」
思わず突っ込みを入れた藍里だったが、それにウィルがすまして答え、周囲は笑いに包まれた。
それから一行は各自馬を付近の木や杭に繋いでから、数人ずつに分かれて地面に敷物を敷き、昼食に取りかかった。
マール達が手分けして、飲み物に加えて果物などもすぐ食べられる状態にして配ってくれた為、皆は礼を言って食べ進める。すると様子を見に来たグザードが、ウィルのすぐ側に膝を付いて声をかけてきた。
「本当に、お役目ご苦労様です。ところでウィラード様は、そろそろご結婚なさらないんですか?」
その問いに、ウィルは僅かに眉根を寄せたものの、穏やかな口調で否定した。
「悪いけど、当面、その予定は無いね」
「そうですか……。ウィラード様が申し分無いお嬢様とご結婚されて、お子様を儲けられたら、デスナール領は安泰なんですがねぇ……」
如何にも気落ちした様に零した彼に、ウィルと同じ敷物に座っていた藍里達は無言で顔を見合わせた。加えて微妙な空気になってきた為、ウィルがやんわりとグザードを窘める。
「グザード? 確かに今回魔獣騒動は起きているが、別に領内が不穏と言う事は無いだろう? それに、領内の安定と私の結婚は関係ないと思うが」
だからこの話はここで終わりだと、暗に言い聞かせるつもりだったウィルだったが、ここでいつの間にかやって来たマールが、口を挟んできた。
「まあ! 大有りですよ、坊ちゃん」
「マール。だから『坊ちゃん』は止めて欲しいんだが……」
「勿論、ご領主様として、ジェラール様は立派なお方ですよ? きちんと領地を治めていらっしゃいますし。でもねぇ……。未だにお子様がいらっしゃらないから、『次の領主は俺達だ』と、何かと弟君達がしゃしゃり出てきて鬱陶しいったら」
最後は幾分腹を立てながら訴えた妻に倣って、グザードも力強く頷く。
「何と言っても、ウィラード様はディルにおなりですから、あの連中よりはるかに領主の資格はありますよ。ご領主様もそう思っていらっしゃるでしょう」
「いや、グザード。兄上の考えを勝手に推察するのは、どうかと思うが」
慌ててウィルが窘めたが、二人の話は止まらなかった。
「ですが奥様のご実家の方も、何かと領内の運営に口を挟んできているみたいですし。夫婦円満なのは結構ですが、なんでもかんでも奥様の言いなりって言うのは、違んじゃないでしょうか」
「マール。確かに兄上達の夫婦仲は良いだろうが、兄上が義姉上の言いなりになっているとかの事実は無いから」
「でも結婚されて随分経つのに、未だにお子様がいらっしゃらないにも関わらず、ジェラール様に愛人の一人もいないなんて、奥様がよほど睨みを利かせて、ご領主様の近くに女を寄せ付け無いんだろうと、もっぱらの評判です」
「だから奥様は相当気の強い方で、ご領主様は完全に尻に敷かれていると、皆も言っているんですよ。そんな事を領民に言われるなんて、領地経営はともかく少々情けなくありません? ですから坊ちゃまが子爵家に戻って来て頂いて、良いお嬢様とご結婚されて子爵家を継がれたら安心だなと」
「マール!」
「はい。何ですか? 坊ちゃま」
急に鋭い声で話を遮られたマールは、驚いてウィルに目を向けた。するとウィルが呻くように、彼女に言い聞かせる。
「今のような話は、今後は誰にも言わないように」
「え? でも……」
「下手をすると、領主に対する反逆行為と捉えられる場合もあるから」
当惑したマールは口ごもって、夫とウィルを交互に見やったが、グザードはさすがに言い過ぎた事を悟り、ウィルに頭を下げた。
「そうだな、マール。これからは口を慎もう。ウィラード様のご迷惑にもなるからな。お騒がせしまして、申し訳ございません」
「いや、グザード達に悪気があった訳では無いのは分かっているし、色々と不満や不安があるのは分かっているから」
ウィルはそれ以上咎めるつもりは無く、若干気落ちした風情のマールをグザードが促してその場から離れて行くのを無言で眺めていたが、ここで藍里がにじり寄り、彼にだけ聞こえる声で囁いた。
「ウィルさん。ちょっと」
「何ですか?」
「以前、御前試合が終わった時に聞いた話だけど」
「……あれが何か?」
該当する内容を思い出し、周囲の様子を窺いながら慎重に問い返したウィルに、藍里はチラッとセレナに視線を向けてから以前からの疑問を口にした。
「色々事情はあるかと思うけど、さっさと実行に移すって事はできないわけ?」
「こちら側だけの問題でも無いので……」
本当に困っている表情で囁かれた為、藍里はそれ以上の追及を止めた。
「分かった。これ以上は聞かないから」
「申し訳ありません」
そんな二人の様子を周りの者達も怪訝な顔で眺めていたが、話の内容を詮索したりはしなかった。
「坊ちゃま、本当にお気を付けて! 危なくなったらさっさと逃げるんですよ!!」
「……ああ、気を付けるよ」
昼食を済ませて再び馬上の人となった一行を見送りながら、マールが涙目で訴えてきた為、ウィルはげんなりしながらも笑顔を保ちながら頷いてみせた。当然笑いを堪えたいた周囲がそれをネタにしない筈は無く、集落を出てすぐにジークがからかってくる。
「よし、じゃあウィル。本当に危なくなったら率先して逃げて、退路をしっかり確保してくれよ?」
「嫌味は止めろ、ジーク」
「すまん。しかしお前が、未だに『坊ちゃま』呼びされているのが面白くてな。俺が昔『じーちゃん』呼びされていた事実以上の、インパクトがあったから」
「悪かったな」
拗ねまくって憮然となったウィルをここでセレナが宥め、藍里は自分の黒歴史を持ち出されて、思わず呻いた。
「ジーク、それ位で。ウィルがそれだけ、大事に育てられたと言う事ですから」
「お願いだから、ここでそれを蒸し返さないで……」
藍里の懇願口調の台詞に、ルーカス達は一瞬黙り込んでから爆笑し、周りの騎士達は揃って怪訝な顔を藍里達に向けた。
一行はその後も順調に旅程を進め、一晩野営した翌日には早くも、問題となっている領域に到達した。
(う~ん、疑い過ぎたかしら? それともまだ人目が有るとか、屋敷を離れたばかりだから、襲撃しないとか?)
勿論、襲われないに越した事は無いのは彼女も理解していたが、なんとなく消化不良の気持ちを抱えながらひたすら馬を走らせていると、相変わらず中空を動かない太陽の輝きが一際強くなった所で、ウィルがルーカスに向かってお伺いを立てた。
「殿下、そろそろ一度、休憩を取ろうと思うのですが。あの集落には知人も居ますし」
それを聞いたルーカスは、昼食時になっていた事に気付いて即座に頷く。
「ああ、そうだな。あそこだったら水場も有るだろうし、食事の場所を借りるか」
少し先に見える集落を馬上から眺めながら話が纏まり、一行は次々とその集落に入った。
これまで通って来た、リスベラントの他の集落と同様に、そのほぼ中央に井戸とそこから電動ポンプならぬ魔術ポンプで水を常に湛える様にしている水場があり、全員そこで馬から下りた。するとその喧騒を耳にして、何事かと様子を窺いに付近の住人達が家から出て来たが、その中でも一際大きい家から現れた初老の男性を認めたウィルが、親しげに声をかけた。
「やあ、グザード、久し振りだな」
どうやら先程言っていた知人と言うのは彼の事らしいと藍里が見当をつけていると、当の相手は目を丸くしてウィルに問いかけた。
「ウィラード様!? どうしてこんな所にいらっしゃるんですか?」
「実はルーカス殿下達と一緒に、辺境域の森に魔獣退治に行く途中なんだ。それでちょっとここで休憩を」
「何て事だ! 領内の騎士様達にも犠牲者が出ているとは聞いていましたが、まさか央都からルーカス公子殿下やウィラード様まで出て来る羽目になるとは!」
自分の話を遮って大仰に驚いた相手を、ウィルは慌てて宥めようとした。
「グザード、それ程大事では」
「いやいや、一大事でしょう!?」
「それより、昼食を取りたいから、馬を繋いでおく場所と水場を貸して貰いたいんだが」
漸くウィルが要求を口にすると、グザードが勢い込んで言い出す。
「場所と言わず、急いでお昼の準備も致します!」
「それはありがたいが、今日の昼の分はザルベスの屋敷で簡単に食べられる物を準備して貰って来たから大丈夫だよ」
「そうですか……。それなら飲み物だけでも」
純粋な好意からの申し出を無碍に断る事もできず、ウィルは少し迷ったもののそれに甘える事にした。
「そうだな。そうしてくれればありがたいな」
「すぐに準備致します。マール! ウィラード様がいらしてるぞ! お連れ様の分も含めて、急いで飲み物の準備をしてくれ!」
「え? どうして坊ちゃんが!?」
グザードが大声で家の中に呼びかけると、訝しげな女性の声が聞こえ、次に戸口からその人物と思われる女性が姿を見せた。
「まあ! 本当にウィラード坊ちゃん! お久しぶりでございます。すぐに準備致しますね!」
「マール……。もう『坊ちゃん』って年でも無いんだが」
嬉々として挨拶してから、すぐに踵を返した彼女は、どうやらウィルの懇願は耳に入っていない様だった。彼女が隣近所の女性達に声をかけたらしく、途端に賑やかになった周囲に溜め息を吐いてから、ウィルは待たせていたルーカス達の元に戻った。
「殿下。騒々しくて、申し訳ありません」
その謝罪に、ルーカスは笑って応じる。
「あれ位、どうって事は無い。アイリの方がはるかに騒々しい」
「ちょっと! どういう意味よ!?」
「言葉通りの意味だ。しかし随分親しげだな。どういう関係だ?」
その疑問は藍里も同様だった為、ルーカスへの文句は飲み込んで大人しくウィルの言葉を待った。すると彼が苦笑いしながら告げる。
「グザードは、代々ここら辺一帯のまとめ役を担っている家の当主で、昔から良く屋敷に顔を出していますし、マールは結婚するまで屋敷で侍女をしていまして。加えて私の担当をしたので、彼女に良く悲鳴を上げさせていたものです」
「ウィルさんって、そんなに悪ガキだったの?」
「人よりちょっとだけ、自由奔放だっただけですよ」
「なるほど」
思わず突っ込みを入れた藍里だったが、それにウィルがすまして答え、周囲は笑いに包まれた。
それから一行は各自馬を付近の木や杭に繋いでから、数人ずつに分かれて地面に敷物を敷き、昼食に取りかかった。
マール達が手分けして、飲み物に加えて果物などもすぐ食べられる状態にして配ってくれた為、皆は礼を言って食べ進める。すると様子を見に来たグザードが、ウィルのすぐ側に膝を付いて声をかけてきた。
「本当に、お役目ご苦労様です。ところでウィラード様は、そろそろご結婚なさらないんですか?」
その問いに、ウィルは僅かに眉根を寄せたものの、穏やかな口調で否定した。
「悪いけど、当面、その予定は無いね」
「そうですか……。ウィラード様が申し分無いお嬢様とご結婚されて、お子様を儲けられたら、デスナール領は安泰なんですがねぇ……」
如何にも気落ちした様に零した彼に、ウィルと同じ敷物に座っていた藍里達は無言で顔を見合わせた。加えて微妙な空気になってきた為、ウィルがやんわりとグザードを窘める。
「グザード? 確かに今回魔獣騒動は起きているが、別に領内が不穏と言う事は無いだろう? それに、領内の安定と私の結婚は関係ないと思うが」
だからこの話はここで終わりだと、暗に言い聞かせるつもりだったウィルだったが、ここでいつの間にかやって来たマールが、口を挟んできた。
「まあ! 大有りですよ、坊ちゃん」
「マール。だから『坊ちゃん』は止めて欲しいんだが……」
「勿論、ご領主様として、ジェラール様は立派なお方ですよ? きちんと領地を治めていらっしゃいますし。でもねぇ……。未だにお子様がいらっしゃらないから、『次の領主は俺達だ』と、何かと弟君達がしゃしゃり出てきて鬱陶しいったら」
最後は幾分腹を立てながら訴えた妻に倣って、グザードも力強く頷く。
「何と言っても、ウィラード様はディルにおなりですから、あの連中よりはるかに領主の資格はありますよ。ご領主様もそう思っていらっしゃるでしょう」
「いや、グザード。兄上の考えを勝手に推察するのは、どうかと思うが」
慌ててウィルが窘めたが、二人の話は止まらなかった。
「ですが奥様のご実家の方も、何かと領内の運営に口を挟んできているみたいですし。夫婦円満なのは結構ですが、なんでもかんでも奥様の言いなりって言うのは、違んじゃないでしょうか」
「マール。確かに兄上達の夫婦仲は良いだろうが、兄上が義姉上の言いなりになっているとかの事実は無いから」
「でも結婚されて随分経つのに、未だにお子様がいらっしゃらないにも関わらず、ジェラール様に愛人の一人もいないなんて、奥様がよほど睨みを利かせて、ご領主様の近くに女を寄せ付け無いんだろうと、もっぱらの評判です」
「だから奥様は相当気の強い方で、ご領主様は完全に尻に敷かれていると、皆も言っているんですよ。そんな事を領民に言われるなんて、領地経営はともかく少々情けなくありません? ですから坊ちゃまが子爵家に戻って来て頂いて、良いお嬢様とご結婚されて子爵家を継がれたら安心だなと」
「マール!」
「はい。何ですか? 坊ちゃま」
急に鋭い声で話を遮られたマールは、驚いてウィルに目を向けた。するとウィルが呻くように、彼女に言い聞かせる。
「今のような話は、今後は誰にも言わないように」
「え? でも……」
「下手をすると、領主に対する反逆行為と捉えられる場合もあるから」
当惑したマールは口ごもって、夫とウィルを交互に見やったが、グザードはさすがに言い過ぎた事を悟り、ウィルに頭を下げた。
「そうだな、マール。これからは口を慎もう。ウィラード様のご迷惑にもなるからな。お騒がせしまして、申し訳ございません」
「いや、グザード達に悪気があった訳では無いのは分かっているし、色々と不満や不安があるのは分かっているから」
ウィルはそれ以上咎めるつもりは無く、若干気落ちした風情のマールをグザードが促してその場から離れて行くのを無言で眺めていたが、ここで藍里がにじり寄り、彼にだけ聞こえる声で囁いた。
「ウィルさん。ちょっと」
「何ですか?」
「以前、御前試合が終わった時に聞いた話だけど」
「……あれが何か?」
該当する内容を思い出し、周囲の様子を窺いながら慎重に問い返したウィルに、藍里はチラッとセレナに視線を向けてから以前からの疑問を口にした。
「色々事情はあるかと思うけど、さっさと実行に移すって事はできないわけ?」
「こちら側だけの問題でも無いので……」
本当に困っている表情で囁かれた為、藍里はそれ以上の追及を止めた。
「分かった。これ以上は聞かないから」
「申し訳ありません」
そんな二人の様子を周りの者達も怪訝な顔で眺めていたが、話の内容を詮索したりはしなかった。
「坊ちゃま、本当にお気を付けて! 危なくなったらさっさと逃げるんですよ!!」
「……ああ、気を付けるよ」
昼食を済ませて再び馬上の人となった一行を見送りながら、マールが涙目で訴えてきた為、ウィルはげんなりしながらも笑顔を保ちながら頷いてみせた。当然笑いを堪えたいた周囲がそれをネタにしない筈は無く、集落を出てすぐにジークがからかってくる。
「よし、じゃあウィル。本当に危なくなったら率先して逃げて、退路をしっかり確保してくれよ?」
「嫌味は止めろ、ジーク」
「すまん。しかしお前が、未だに『坊ちゃま』呼びされているのが面白くてな。俺が昔『じーちゃん』呼びされていた事実以上の、インパクトがあったから」
「悪かったな」
拗ねまくって憮然となったウィルをここでセレナが宥め、藍里は自分の黒歴史を持ち出されて、思わず呻いた。
「ジーク、それ位で。ウィルがそれだけ、大事に育てられたと言う事ですから」
「お願いだから、ここでそれを蒸し返さないで……」
藍里の懇願口調の台詞に、ルーカス達は一瞬黙り込んでから爆笑し、周りの騎士達は揃って怪訝な顔を藍里達に向けた。
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