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第2章 魔境への道程
(3)噂
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旅の二日目も天候に恵まれた上、馬車の揺れも前日よりは少なく、説明は無くとも再び整備された街道に戻ったのがはっきりと分かった為、藍里は密かに胸を撫で下ろした。
「今日は比較的、賑やかな街道を通って来たわね」
「このラギレスは街道が交わっているので、どうしても通過する必要がありますので」
「変に人気の無い所をばかり通って行くのも危険、って事もあるんでしょうね」
「そういう事ですね」
日暮れ近くまで馬車を走らせ、尚且つ建物が建ち並んでいる周囲の景色から、今夜はきちんとした宿泊施設に泊まる事が分かった藍里に、セレナが申し訳無さそうに声をかけた。
「それではアイリ様、申し訳ありませんが……」
「うん、分かってるわ。この髪と瞳の組み合わせだと目立つものね」
予め説明を受けていた事であり、藍里は周囲から浮きやすい自分の外見をなんとかするべく、習得しておいた魔術を発動させた。
「ガル、ラーシュ、リステム、へディア……」
そして僅かに藍里の上半身が淡く光り、馬車の中が一瞬それに照らされたが、すぐにその光は収束した。そして常とは異なる見かけになった藍里が、セレナにお伺いを立てる。
「どう? 上手くいった?」
その問いかけに、セレナは微笑んだだけで直接答えず、素早く空中に指を滑らせながら呪文を唱えた。
「シューバム、デス、レイ」
彼女がそう唱えた直後、藍里の目の前に楕円形の鏡が現れた。その中に明るい栗色の髪と、緑色の瞳を持つ自分の姿が映し出された為、藍里は満足そうに頷く。
「よし、完璧。練習してきた甲斐が有ったわ」
それにセレナも笑顔で頷いた時、馬のいななきと共に静かに馬車が止まった。その直後、ドアの外からジークの声が聞こえてくる。
「セレナ、アイリ様。馬車から降りて下さい。宿の中に入ります」
「分かったわ」
それに応じて早速腰を上げようとした藍里だったが、セレナが再度警告の言葉を発した。
「アイリ様。もう西部地方に入っていて、アメーリア様が頻繁に訪れている地域になります。一応、留意して下さい」
「分かりました。十分注意致します。奥様」
「宜しい」
にっこりと侍女の立場で応じて見せた藍里に、セレナも彼女の主人らしく頷いてから、二人揃って小さく笑った。
それから割と規模が大きく見える宿屋に入り、侍女と護衛を連れた商家の奥方一行の触れ込みで部屋を押さえた藍里達は、三部屋に別れて休む事になった。
宿の女将は、奥方なら使用人とは別な部屋の方がと気を遣ったが、セレナがやんわりと用事を言いつけるのに同部屋の方が都合が良いと断りを入れて、女二人で角部屋に案内される。当然侍女である藍里が必要な荷物を抱えて部屋に運び込み、女将から幾つかの説明を受けた。
「それでは、お食事は食堂でお願いしておりますので。失礼致します」
「分かりました。お世話になります」
鷹揚に頷いたセレナに、女将は再度恐縮気味に頭を下げてから、部屋を出て行った。その途端、藍里が若干不安そうにセレナに尋ねる。
「なんだかジロジロ見られていた気がするけど……、私の正体がバレたのかしら?」
「いえ、怪しまれたのは、どちらかと言うと私の方では無いでしょうか? 貴族や商売で遠出するならともかく、女性が旅をするのは珍しいですから」
「やっぱりリスベラントでは旅行とか観光とかっていう概念が、庶民にはあまり無いのね」
「そうなんです」
そして着替えなどを整理しているうちに夕食の時間になり、迎えにきたルーカス達と共に、二人は一階の食堂へと向かった。
どうやら基本的に定食形式の決まった料理が出てくる他に、希望するなら料理を追加できるらしく、全員で大きなテーブルを囲むと、ジークとウィルが手慣れた感じで、メニューを見ながら幾つかの追加注文を済ませた。そして揃って食べ始めたが、追加注文の品を持ってきた中年の女性が、皿をテーブルに置きながら興味津々で尋ねてくる。
「お客さん、この辺の人じゃないね。央都から来たのかい?」
それにセレナが、予め用意しておいた話を口にした。
「はい。ほぼ十年ぶりに辺境域の実家に帰って、病気の父を見舞う事になりまして」
それを聞いた女性は、驚いた様に目を見張った。
「それは色々な意味で大変だね。辺境まで行くとなると」
「ですがこの機会を逃すと、父に二度と会えないかもしれないからと、主人が使用人を付けてくれましたから」
「優しいご主人だねぇ、羨ましいよ。それに随分羽振りが良さそうだね」
「はい。央都で手広く商いをしておりますので」
納得した様に頷く女性に、セレナが優雅に微笑んでみせる。すると近くのテーブルから、酒を飲んで上機嫌らしい男の声が割り込んだ。
「奥さんは美人だから、良い旦那さんに見初められたんだな」
「ちょっと! こんな上品な奥様に、嫌らしく笑いながら声をかけるのはお止め! だけどお父さんの病気が心配だね。アメーリア様に診て頂けるなら安心だけど、さすがに辺境域まで足を延ばされる事は無いと思うし……」
先程の女性が酔客を叱り付けてから、心から同情する様にそう口にした瞬間、ルーカス達の顔が僅かに引き攣った。そんな中、藍里がわざとらしく女性に尋ねる。
「おばさん。アメーリア様って、この辺りに良くいらっしゃるの?」
その問いかけに、ルーカス達は何を言い出すんだと内心で動揺したが、当事者達は全く気に留めずに話を続けた。
「おや、あんた。アメーリア様をご存知なのかい?」
「直接お会いした事は無いけど、央都で通りすがりに馬車に乗っているお姿を、何度かお見かけした事はあるわよ? だってあんな美人、見たら忘れるわけ無いじゃない。奥様も美人だけど、またタイプの違う美人で、本当にお綺麗だもの。それにとっても慈悲深い方って話だし」
「おい、いきなり何を言い出す?」
突然、アメーリアを讃辞し始めた藍里の意図が分からず、ルーカスは慌てて小声で尋ねた。しかし藍里が小声で言い返すより先に、先程気安く声をかけて来た男が、嬉々として会話に加わってくる。
「そうなんだよ! 何だ、分かってるじゃねぇか、嬢ちゃん!」
その彼に笑いかけながら、藍里は話を振った。
「おじさん、ひょっとしてアメーリア様と知り合い?」
「おう! 息子が急に腹を抱えて苦しみだした所に、偶々あのお方がこの街にいらしててな。即座に治して貰ったさ。同じように痛む時に、他の医師に診せてもまともに治らなかったのによ!」
どうやらこの食堂には、宿泊客以外に街の人間にも食事を提供していたらしく、二人のやり取りを聞いてあちこちから同意の声が上がる。
「俺は仕事中にざっくり切って、出血がなかなか止まらなかったんだが、アメーリア様の逗留先に運び込んで貰って、ピタリと止めて頂いたんだ」
「俺の親父は寝たきりになってたのに、ちゃんと起き上がれる様になったんだぜ? 凄いだろう?」
彼らの話だけ聞けば、奇跡を起こしたとしか思えない状況だが、本当のところはどうなのかしらと思いつつ、藍里は素知らぬ顔で話を続けた。
「本当に凄いわね。でもどうしてだか、央都ではアメーリア様に、公爵様から治療行為を慎む旨の、お達しが出ているらしいと聞いたの。やっぱりそのせいかしら? 央都でそう言った話を聞く事は無くて」
藍里が首を傾げながらそう口にした瞬間、周囲の男達が憤慨して口々に言い出した。
「それは央都のヤブ医者共が結託して、アメーリア様の悪口を公爵に吹き込んだに決まってる!」
「それにアメーリア様の異母弟妹が、公爵の寵愛を良い事に、事ある毎にアメーリア様に嫌がらせをしているそうだし」
「それで央都に居ずらくなって、伯父上に当たるオランデュー伯爵領がある西部地方に、良く足を向けられるんだ」
「なるほど。そういう事だったのね? お気の毒なアメーリア様」
しみじみとした口調で藍里が感想を述べると、男達が力強く頷いて話を続けた。
「全くその通りさ。第一、最近聖紋持ちの女が現れたらしいが、その女がアメーリア様を人前で侮辱したらしいぞ?」
「しかもアメーリア様と比べ物にならない位貧相で、下品で教養が無くて無礼な女なのに、公爵と公子様があっさり騙されて誑かされて、公子様の婚約者に収まったとか」
「その女、容姿が見られた物では無い分、魔力だけは強くて、事もあろうにアメーリア様の婚約者だったアンドリュー様を公衆の面前で叩きのめして、再起不能にしたらしいし」
「あ、その話だったら私も央都で聞いたわ。なんでもアメーリア様はそれでもアンドリュー様を支えていくと仰ったんだけど、アンドリュー様の方で自分に縛り付けるのは不憫だからって婚約解消したって事らしいけど、本当なの?」
そこでしらばっくれながら藍里が、公宮で顔を合わせた時にアメーリアが口にした世迷言を言ってみると、周囲の者達は揃って力強く頷いた。
「そう! 正にその通りなんだよ、嬢ちゃん!!」
「なんてお気の毒な、アメーリア様!」
「聖紋持ちなんて言ってるけど、どうせインチキだろ。アメーリア様の方が、聖女リスベラの生まれ変わりとして納得できるぞ」
「そんなろくでも無い、馬の骨に誑かされる公爵どもなんて、地獄に落ちろ!」
「でもきっとアメーリア様はお優しいから、父親にあたる公爵に強くも言えなくて、益々お立場が悪くなっているんでしょうねぇ」
そこで藍里がわざとらしく溜め息を吐き、心底アメーリアに同情する風情で述べると、その場が一気に盛り上がった。
「全くその通り!」
「いやあ、央都にもアメーリア様の事を理解してくれる人がいると分かって嬉しいな」
「よし、あんたら、好きなだけ飲め! ここは俺の驕りだ!!」
藍里同じテーブルを囲んでいたジークとウィルの肩を叩き、気前の良い事を行ってくる人間も出始め、二人は僅かに顔を引き攣らせながら、丁重に断りを入れる。
「あ、いえ、一応仕事中ですので」
「お気持ちだけ、ありがたく頂いておきます」
「本当に、謙虚ないい人達だなぁ!」
「央都に戻ったら、アメーリア様の誤解を解く様な話を周りにしてくれよな!」
「はぁ……」
そして食堂内では皆声高にアメーリアへの賛辞と、ランドルフやルーカス、加えて藍里に対する抗議と怨嗟の声を上げ続けたが、それを平然と聞き流しつつ食事を再開した藍里は、仏頂面でスープを口に運んでいるルーカスに、含み笑いで声をかけた。
「私って、ブスで頭が悪い上に、救いようが無い程下品なんですって」
「笑い事か」
「あんたも見た目だけは整っているけど、我儘で傍若無人で底意地が悪い上に、無神経なご子息らしいわよ?」
「……何の冗談だ。そっくりそのまま返してやる」
憤懣やるかたない表情のルーカスに笑ってから、藍里は真顔になって話を続けた。
「確かに、情報操作は完璧みたいね。ここで私達の正体を暴かれたら、周りから寄ってたかって袋叩きにされそう。その場合相手も自分も無傷のまま、抜け出す事はできるかしら?」
もの凄く現実的な問題を突き付けられて、ルーカスを含めた他の者は瞬時に黙り込む。
「隠密行動が大原則って言うのが、実感できたわ」
そう呟いた後は、時折周囲の話に交ざって歯が浮く様なアメーリアへの賛辞を口にしながら、平然と食べ進める藍里に、同行者たちは呆れと尊敬が入り混じった視線を向けていた。
「今日は比較的、賑やかな街道を通って来たわね」
「このラギレスは街道が交わっているので、どうしても通過する必要がありますので」
「変に人気の無い所をばかり通って行くのも危険、って事もあるんでしょうね」
「そういう事ですね」
日暮れ近くまで馬車を走らせ、尚且つ建物が建ち並んでいる周囲の景色から、今夜はきちんとした宿泊施設に泊まる事が分かった藍里に、セレナが申し訳無さそうに声をかけた。
「それではアイリ様、申し訳ありませんが……」
「うん、分かってるわ。この髪と瞳の組み合わせだと目立つものね」
予め説明を受けていた事であり、藍里は周囲から浮きやすい自分の外見をなんとかするべく、習得しておいた魔術を発動させた。
「ガル、ラーシュ、リステム、へディア……」
そして僅かに藍里の上半身が淡く光り、馬車の中が一瞬それに照らされたが、すぐにその光は収束した。そして常とは異なる見かけになった藍里が、セレナにお伺いを立てる。
「どう? 上手くいった?」
その問いかけに、セレナは微笑んだだけで直接答えず、素早く空中に指を滑らせながら呪文を唱えた。
「シューバム、デス、レイ」
彼女がそう唱えた直後、藍里の目の前に楕円形の鏡が現れた。その中に明るい栗色の髪と、緑色の瞳を持つ自分の姿が映し出された為、藍里は満足そうに頷く。
「よし、完璧。練習してきた甲斐が有ったわ」
それにセレナも笑顔で頷いた時、馬のいななきと共に静かに馬車が止まった。その直後、ドアの外からジークの声が聞こえてくる。
「セレナ、アイリ様。馬車から降りて下さい。宿の中に入ります」
「分かったわ」
それに応じて早速腰を上げようとした藍里だったが、セレナが再度警告の言葉を発した。
「アイリ様。もう西部地方に入っていて、アメーリア様が頻繁に訪れている地域になります。一応、留意して下さい」
「分かりました。十分注意致します。奥様」
「宜しい」
にっこりと侍女の立場で応じて見せた藍里に、セレナも彼女の主人らしく頷いてから、二人揃って小さく笑った。
それから割と規模が大きく見える宿屋に入り、侍女と護衛を連れた商家の奥方一行の触れ込みで部屋を押さえた藍里達は、三部屋に別れて休む事になった。
宿の女将は、奥方なら使用人とは別な部屋の方がと気を遣ったが、セレナがやんわりと用事を言いつけるのに同部屋の方が都合が良いと断りを入れて、女二人で角部屋に案内される。当然侍女である藍里が必要な荷物を抱えて部屋に運び込み、女将から幾つかの説明を受けた。
「それでは、お食事は食堂でお願いしておりますので。失礼致します」
「分かりました。お世話になります」
鷹揚に頷いたセレナに、女将は再度恐縮気味に頭を下げてから、部屋を出て行った。その途端、藍里が若干不安そうにセレナに尋ねる。
「なんだかジロジロ見られていた気がするけど……、私の正体がバレたのかしら?」
「いえ、怪しまれたのは、どちらかと言うと私の方では無いでしょうか? 貴族や商売で遠出するならともかく、女性が旅をするのは珍しいですから」
「やっぱりリスベラントでは旅行とか観光とかっていう概念が、庶民にはあまり無いのね」
「そうなんです」
そして着替えなどを整理しているうちに夕食の時間になり、迎えにきたルーカス達と共に、二人は一階の食堂へと向かった。
どうやら基本的に定食形式の決まった料理が出てくる他に、希望するなら料理を追加できるらしく、全員で大きなテーブルを囲むと、ジークとウィルが手慣れた感じで、メニューを見ながら幾つかの追加注文を済ませた。そして揃って食べ始めたが、追加注文の品を持ってきた中年の女性が、皿をテーブルに置きながら興味津々で尋ねてくる。
「お客さん、この辺の人じゃないね。央都から来たのかい?」
それにセレナが、予め用意しておいた話を口にした。
「はい。ほぼ十年ぶりに辺境域の実家に帰って、病気の父を見舞う事になりまして」
それを聞いた女性は、驚いた様に目を見張った。
「それは色々な意味で大変だね。辺境まで行くとなると」
「ですがこの機会を逃すと、父に二度と会えないかもしれないからと、主人が使用人を付けてくれましたから」
「優しいご主人だねぇ、羨ましいよ。それに随分羽振りが良さそうだね」
「はい。央都で手広く商いをしておりますので」
納得した様に頷く女性に、セレナが優雅に微笑んでみせる。すると近くのテーブルから、酒を飲んで上機嫌らしい男の声が割り込んだ。
「奥さんは美人だから、良い旦那さんに見初められたんだな」
「ちょっと! こんな上品な奥様に、嫌らしく笑いながら声をかけるのはお止め! だけどお父さんの病気が心配だね。アメーリア様に診て頂けるなら安心だけど、さすがに辺境域まで足を延ばされる事は無いと思うし……」
先程の女性が酔客を叱り付けてから、心から同情する様にそう口にした瞬間、ルーカス達の顔が僅かに引き攣った。そんな中、藍里がわざとらしく女性に尋ねる。
「おばさん。アメーリア様って、この辺りに良くいらっしゃるの?」
その問いかけに、ルーカス達は何を言い出すんだと内心で動揺したが、当事者達は全く気に留めずに話を続けた。
「おや、あんた。アメーリア様をご存知なのかい?」
「直接お会いした事は無いけど、央都で通りすがりに馬車に乗っているお姿を、何度かお見かけした事はあるわよ? だってあんな美人、見たら忘れるわけ無いじゃない。奥様も美人だけど、またタイプの違う美人で、本当にお綺麗だもの。それにとっても慈悲深い方って話だし」
「おい、いきなり何を言い出す?」
突然、アメーリアを讃辞し始めた藍里の意図が分からず、ルーカスは慌てて小声で尋ねた。しかし藍里が小声で言い返すより先に、先程気安く声をかけて来た男が、嬉々として会話に加わってくる。
「そうなんだよ! 何だ、分かってるじゃねぇか、嬢ちゃん!」
その彼に笑いかけながら、藍里は話を振った。
「おじさん、ひょっとしてアメーリア様と知り合い?」
「おう! 息子が急に腹を抱えて苦しみだした所に、偶々あのお方がこの街にいらしててな。即座に治して貰ったさ。同じように痛む時に、他の医師に診せてもまともに治らなかったのによ!」
どうやらこの食堂には、宿泊客以外に街の人間にも食事を提供していたらしく、二人のやり取りを聞いてあちこちから同意の声が上がる。
「俺は仕事中にざっくり切って、出血がなかなか止まらなかったんだが、アメーリア様の逗留先に運び込んで貰って、ピタリと止めて頂いたんだ」
「俺の親父は寝たきりになってたのに、ちゃんと起き上がれる様になったんだぜ? 凄いだろう?」
彼らの話だけ聞けば、奇跡を起こしたとしか思えない状況だが、本当のところはどうなのかしらと思いつつ、藍里は素知らぬ顔で話を続けた。
「本当に凄いわね。でもどうしてだか、央都ではアメーリア様に、公爵様から治療行為を慎む旨の、お達しが出ているらしいと聞いたの。やっぱりそのせいかしら? 央都でそう言った話を聞く事は無くて」
藍里が首を傾げながらそう口にした瞬間、周囲の男達が憤慨して口々に言い出した。
「それは央都のヤブ医者共が結託して、アメーリア様の悪口を公爵に吹き込んだに決まってる!」
「それにアメーリア様の異母弟妹が、公爵の寵愛を良い事に、事ある毎にアメーリア様に嫌がらせをしているそうだし」
「それで央都に居ずらくなって、伯父上に当たるオランデュー伯爵領がある西部地方に、良く足を向けられるんだ」
「なるほど。そういう事だったのね? お気の毒なアメーリア様」
しみじみとした口調で藍里が感想を述べると、男達が力強く頷いて話を続けた。
「全くその通りさ。第一、最近聖紋持ちの女が現れたらしいが、その女がアメーリア様を人前で侮辱したらしいぞ?」
「しかもアメーリア様と比べ物にならない位貧相で、下品で教養が無くて無礼な女なのに、公爵と公子様があっさり騙されて誑かされて、公子様の婚約者に収まったとか」
「その女、容姿が見られた物では無い分、魔力だけは強くて、事もあろうにアメーリア様の婚約者だったアンドリュー様を公衆の面前で叩きのめして、再起不能にしたらしいし」
「あ、その話だったら私も央都で聞いたわ。なんでもアメーリア様はそれでもアンドリュー様を支えていくと仰ったんだけど、アンドリュー様の方で自分に縛り付けるのは不憫だからって婚約解消したって事らしいけど、本当なの?」
そこでしらばっくれながら藍里が、公宮で顔を合わせた時にアメーリアが口にした世迷言を言ってみると、周囲の者達は揃って力強く頷いた。
「そう! 正にその通りなんだよ、嬢ちゃん!!」
「なんてお気の毒な、アメーリア様!」
「聖紋持ちなんて言ってるけど、どうせインチキだろ。アメーリア様の方が、聖女リスベラの生まれ変わりとして納得できるぞ」
「そんなろくでも無い、馬の骨に誑かされる公爵どもなんて、地獄に落ちろ!」
「でもきっとアメーリア様はお優しいから、父親にあたる公爵に強くも言えなくて、益々お立場が悪くなっているんでしょうねぇ」
そこで藍里がわざとらしく溜め息を吐き、心底アメーリアに同情する風情で述べると、その場が一気に盛り上がった。
「全くその通り!」
「いやあ、央都にもアメーリア様の事を理解してくれる人がいると分かって嬉しいな」
「よし、あんたら、好きなだけ飲め! ここは俺の驕りだ!!」
藍里同じテーブルを囲んでいたジークとウィルの肩を叩き、気前の良い事を行ってくる人間も出始め、二人は僅かに顔を引き攣らせながら、丁重に断りを入れる。
「あ、いえ、一応仕事中ですので」
「お気持ちだけ、ありがたく頂いておきます」
「本当に、謙虚ないい人達だなぁ!」
「央都に戻ったら、アメーリア様の誤解を解く様な話を周りにしてくれよな!」
「はぁ……」
そして食堂内では皆声高にアメーリアへの賛辞と、ランドルフやルーカス、加えて藍里に対する抗議と怨嗟の声を上げ続けたが、それを平然と聞き流しつつ食事を再開した藍里は、仏頂面でスープを口に運んでいるルーカスに、含み笑いで声をかけた。
「私って、ブスで頭が悪い上に、救いようが無い程下品なんですって」
「笑い事か」
「あんたも見た目だけは整っているけど、我儘で傍若無人で底意地が悪い上に、無神経なご子息らしいわよ?」
「……何の冗談だ。そっくりそのまま返してやる」
憤懣やるかたない表情のルーカスに笑ってから、藍里は真顔になって話を続けた。
「確かに、情報操作は完璧みたいね。ここで私達の正体を暴かれたら、周りから寄ってたかって袋叩きにされそう。その場合相手も自分も無傷のまま、抜け出す事はできるかしら?」
もの凄く現実的な問題を突き付けられて、ルーカスを含めた他の者は瞬時に黙り込む。
「隠密行動が大原則って言うのが、実感できたわ」
そう呟いた後は、時折周囲の話に交ざって歯が浮く様なアメーリアへの賛辞を口にしながら、平然と食べ進める藍里に、同行者たちは呆れと尊敬が入り混じった視線を向けていた。
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