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第2章 紆余曲折のお試し交際
(1)迷走する誕生日プレゼント
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翔が捕まった翌朝。いつも通り彼女が出勤すると、最寄駅から松原工業へと向かう途中で、背後から声をかけられた。
「沙織、おはよう。昨日、ストーカーが別件逮捕されたって連絡を貰って、ほっとしたわ。本当に良かったわね」
「ありがとう、由良。それに心配かけちゃって、ごめんね?」
「それはともかく……。朝からその荷物は、どうしたのよ? それに松原課長は、今朝は一緒じゃないの?」
違和感と存在感のあり過ぎるスーツケースを見下ろしながら由良が尋ねてきた為、沙織は事も無げに答える。
「無事解決したから、課長のお宅にこれ以上お世話になるわけにはいかないし、今朝引き払ったの。課長は今日、商談先に直接行くから別行動よ」
それを聞いた由良が、驚いて目を丸くした。
「今日は金曜日なんだから、今日まで泊めさせて貰って、明日ゆっくり帰っても良かったんじゃない? 即刻引き払いたいほど、社長の家って居心地が悪かったの?」
「そういう訳じゃないし、引き止められたけど……。ああ、そうか。他人からは、そう見えるかもね」
予想外の指摘を受けて、沙織は却って悪い事をしてしまったかもしれないと、密かに反省した。
(居心地が良いとか悪いとか、意識した事もなかったわね。社長と真由美さんのお陰かな? 毎日賑やかに過ごさせて貰ったのに、ちょっと後味を悪くしたかも)
どうしたものかと無言で悩み始めた彼女を見て、由良は思わず苦笑した。
「沙織は無神経とは違うけど、変な所で無頓着だからね。じゃあ社長のお宅でも、凄く緊張したりはしなかったんだ」
「そうね。社長は凄い笑い上戸だったし、奥様も陽気で物怖じしない方だったし。何か良いよね? ああいう一家団欒って」
「変な事言うのね? あんただって実家に帰ったら、和気あいあいと過ごすんじゃないの?」
妙にしみじみと言い出した沙織に、由良が首を傾げる。それに沙織が幾分困ったような顔で、言葉を返した。
「うぅ~ん、実家では確かに母と弟と過ごしているけど、全員仲が悪く無くても、率先してはしゃぐようなタイプじゃないし……」
「沙織に加えて、同タイプが二人って事?」
「そういう事よ。察して?」
苦笑いでそう告げた沙織に、由良は納得したように頷いた。
「確かに、それはちょっと微妙ね。でもそれなら、今回の事は新鮮だったでしょう?」
「そうね。家族団欒の奥深さがほの見えたわ」
「こら。ここでうっかり結婚願望が芽生えて、あっさり抜け駆けなんかしないでよ? 最近では同期の中で、独身者が徐々に減ってるし」
「付き合ってる人間も居ないのに、何言ってるのよ。そう言えば由良、この前の合コンはどうなったのよ?」
笑ってお互いにそんな軽口を叩きつつ、二人はいつも通り職場へと向かって行った。
※※※
沙織が出て行った、翌日の土曜日。
本来なら爽やかな朝食の場で、真由美は如何にも面白く無さそうに、息子に対する恨み言を口にしていた。
「つまらないわ……」
「どうした、真由美」
「この土日には絶対沙織さんと一緒に、メイドカフェに行こうと思っていたのに……。清人君が、さっさとストーカー男を片付けちゃうから……。でも友之が一番悪いのよ? 沙織さんを引き止めないし」
「…………」
この状態の妻に、何を言っても却って事態を悪化させるだけだと経験上知り抜いていた義則は、無言で朝食を食べ進めたが、友之は憮然としながら言い返した。
「厄介事は無事解決したんだし、引き止める理由が無いだろう?」
「今までの女性遍歴は、全く無駄だったって事ね。本当に腹立たしいわ」
「…………」
そんな風に一刀両断されて黙り込んだ息子を、義則がやや憐れむような目で見やる。
「とにかく、さっさとアプローチしないと駄目よ。沙織さんは来月誕生日って言っていたし、ここで女心をグッと掴む物をプレゼントするの!」
そう勢い込んで主張してきた母親に、友之は呆れ顔になった。
「母さん。俺は幾ら部下でも、彼女の誕生日を知らないんだが?」
「4日だぞ? 人事部から取り寄せた個人データに、そう書いてあった」
「あら、来週じゃない。ちょうど良いわね」
そこでサラッと口を挟んできた義則を、友之は本気で叱り付けた。
「社長だからって、個人情報を気軽に人事部から引き出すな! それに今まで彼女に、誕生日プレゼントなんか渡した事は無いんだが!?」
「だから渡すんじゃないの。だから今日は彼女へのプレゼントを調達するまで、帰って来るんじゃないわよ?」
「あのな……」
「友之、無駄だ。もうこれ以上、何も言うな」
「……分かった」
すっかり拗ねまくっている母親に、友之な尚も言い返そうとしたが、父親に宥められてそこで話を終わらせた。そして朝食を済ませてそれほど時間が経たないうちに、母親に文字通り家から叩き出された友之は、半ば自棄になりながら沙織への誕生日プレゼントを調達しに出かけたが、その選定は難航を極めた。
これまで女性へのプレゼントの類には、大して悩んだ事も外した事もなく、全てそつなくこなしていた友之だったが、殆どプライベートに関して知らない彼女に何を贈れば喜んで貰えるか、皆目見当が付かなかったからである。
しかしありきたりな物を贈って、彼女に無表情で受け取られるなどプライドが許さなかった彼は、かなり悩んだ挙句、つい先週沙織と出向いたばかりの店に足を向けた。
「結局、ここに来てしまったが……」
友之は雑居ビルの三階に上がり、店の前で小さく溜め息を吐いてから、静かに自動ドアの向こうに足を踏み入れた。そして真っ直ぐカウンターへと向かう。
「すみません、少々お時間宜しいですか?」
カウンターの中で椅子に座って本を読んでいた、見覚えのある総白髪の老人に声をかけると、彼は友之を見上げ、不思議そうに問い返してきた。
「はい……。おや? あんた確か先週、沙織ちゃんと一緒に来た人だよな?」
覚えていてくれたら話は早いなと安堵しながら、友之は言葉を継いだ。
「はい。お尋ねしますが、関本はこちらに良く来店しているみたいでしたが、彼女に販売した商品の記録とかはありますか?」
「個人の販売記録とかは無いなぁ……。だが、売った物は全て、俺の頭の中に入っているさ」
「本当ですか? それなら」
「沙織ちゃんにまだ売った事がなくて、彼女が食いつきそうなパズルが欲しいのかい?」
そこでニヤリとおかしそうに笑われて、友之は自分の顔が引き攣っているのを自覚しつつ、大人しく頷いてみせた。
「……そうですね」
「そうかそうか。そのままちょっと待ってろ」
何やら妙に機嫌良く立ち上がった彼は、カウンター奥の倉庫らしい場所に向かい、何かを手にしてものの一分で戻って来た。
「これだ。最近仕入れたばかりの新作だぞ? 俺もやってみたが、これは相当手こずるし、沙織ちゃんが食い付く事、間違い無しだ」
「そうですか。それを頂きたいのですが、値段はお幾らですか」
「税込みで3240円だ」
「…………」
にこにこと告げられた金額に、友之は何とも言えない表情で黙り込んだが、その反応も織り込み済みだったらしい彼は、分かった様に頷きながら説教してきた。
「うん、若いの。お前の言いたい事は、俺にも良~く分かる。だが、何も言うな。確かに意中の女に贈る物としては、一桁か二桁違うかもしれん」
「いえ、意中とかそういうのでは無くてですね」
「だが沙織ちゃんは、普通一般の女の子とは違うからな。お前だってそう思ったから、ここに来たんだろう?」
「…………」
「老い先短い悪徳商人に騙されたと思って、黙ってこれを買っていけ。悪い事は言わん。万が一受けが悪かったら、開封していても返金してやるからな!」
「……頂いていきます。返品はしませんので」
彼が上機嫌に包んでくれたそれを紙袋に入れて貰い、店を出て歩き出した友之だったが、次の行動を思い浮かべて溜め息を吐いた。
「何となく押し切られてしまったが……、一体これをどうしろと……」
そもそもどういう理由を付けて彼女に渡せばよいのやらと、友之はそれから暫く真剣に悩む事となった。
「沙織、おはよう。昨日、ストーカーが別件逮捕されたって連絡を貰って、ほっとしたわ。本当に良かったわね」
「ありがとう、由良。それに心配かけちゃって、ごめんね?」
「それはともかく……。朝からその荷物は、どうしたのよ? それに松原課長は、今朝は一緒じゃないの?」
違和感と存在感のあり過ぎるスーツケースを見下ろしながら由良が尋ねてきた為、沙織は事も無げに答える。
「無事解決したから、課長のお宅にこれ以上お世話になるわけにはいかないし、今朝引き払ったの。課長は今日、商談先に直接行くから別行動よ」
それを聞いた由良が、驚いて目を丸くした。
「今日は金曜日なんだから、今日まで泊めさせて貰って、明日ゆっくり帰っても良かったんじゃない? 即刻引き払いたいほど、社長の家って居心地が悪かったの?」
「そういう訳じゃないし、引き止められたけど……。ああ、そうか。他人からは、そう見えるかもね」
予想外の指摘を受けて、沙織は却って悪い事をしてしまったかもしれないと、密かに反省した。
(居心地が良いとか悪いとか、意識した事もなかったわね。社長と真由美さんのお陰かな? 毎日賑やかに過ごさせて貰ったのに、ちょっと後味を悪くしたかも)
どうしたものかと無言で悩み始めた彼女を見て、由良は思わず苦笑した。
「沙織は無神経とは違うけど、変な所で無頓着だからね。じゃあ社長のお宅でも、凄く緊張したりはしなかったんだ」
「そうね。社長は凄い笑い上戸だったし、奥様も陽気で物怖じしない方だったし。何か良いよね? ああいう一家団欒って」
「変な事言うのね? あんただって実家に帰ったら、和気あいあいと過ごすんじゃないの?」
妙にしみじみと言い出した沙織に、由良が首を傾げる。それに沙織が幾分困ったような顔で、言葉を返した。
「うぅ~ん、実家では確かに母と弟と過ごしているけど、全員仲が悪く無くても、率先してはしゃぐようなタイプじゃないし……」
「沙織に加えて、同タイプが二人って事?」
「そういう事よ。察して?」
苦笑いでそう告げた沙織に、由良は納得したように頷いた。
「確かに、それはちょっと微妙ね。でもそれなら、今回の事は新鮮だったでしょう?」
「そうね。家族団欒の奥深さがほの見えたわ」
「こら。ここでうっかり結婚願望が芽生えて、あっさり抜け駆けなんかしないでよ? 最近では同期の中で、独身者が徐々に減ってるし」
「付き合ってる人間も居ないのに、何言ってるのよ。そう言えば由良、この前の合コンはどうなったのよ?」
笑ってお互いにそんな軽口を叩きつつ、二人はいつも通り職場へと向かって行った。
※※※
沙織が出て行った、翌日の土曜日。
本来なら爽やかな朝食の場で、真由美は如何にも面白く無さそうに、息子に対する恨み言を口にしていた。
「つまらないわ……」
「どうした、真由美」
「この土日には絶対沙織さんと一緒に、メイドカフェに行こうと思っていたのに……。清人君が、さっさとストーカー男を片付けちゃうから……。でも友之が一番悪いのよ? 沙織さんを引き止めないし」
「…………」
この状態の妻に、何を言っても却って事態を悪化させるだけだと経験上知り抜いていた義則は、無言で朝食を食べ進めたが、友之は憮然としながら言い返した。
「厄介事は無事解決したんだし、引き止める理由が無いだろう?」
「今までの女性遍歴は、全く無駄だったって事ね。本当に腹立たしいわ」
「…………」
そんな風に一刀両断されて黙り込んだ息子を、義則がやや憐れむような目で見やる。
「とにかく、さっさとアプローチしないと駄目よ。沙織さんは来月誕生日って言っていたし、ここで女心をグッと掴む物をプレゼントするの!」
そう勢い込んで主張してきた母親に、友之は呆れ顔になった。
「母さん。俺は幾ら部下でも、彼女の誕生日を知らないんだが?」
「4日だぞ? 人事部から取り寄せた個人データに、そう書いてあった」
「あら、来週じゃない。ちょうど良いわね」
そこでサラッと口を挟んできた義則を、友之は本気で叱り付けた。
「社長だからって、個人情報を気軽に人事部から引き出すな! それに今まで彼女に、誕生日プレゼントなんか渡した事は無いんだが!?」
「だから渡すんじゃないの。だから今日は彼女へのプレゼントを調達するまで、帰って来るんじゃないわよ?」
「あのな……」
「友之、無駄だ。もうこれ以上、何も言うな」
「……分かった」
すっかり拗ねまくっている母親に、友之な尚も言い返そうとしたが、父親に宥められてそこで話を終わらせた。そして朝食を済ませてそれほど時間が経たないうちに、母親に文字通り家から叩き出された友之は、半ば自棄になりながら沙織への誕生日プレゼントを調達しに出かけたが、その選定は難航を極めた。
これまで女性へのプレゼントの類には、大して悩んだ事も外した事もなく、全てそつなくこなしていた友之だったが、殆どプライベートに関して知らない彼女に何を贈れば喜んで貰えるか、皆目見当が付かなかったからである。
しかしありきたりな物を贈って、彼女に無表情で受け取られるなどプライドが許さなかった彼は、かなり悩んだ挙句、つい先週沙織と出向いたばかりの店に足を向けた。
「結局、ここに来てしまったが……」
友之は雑居ビルの三階に上がり、店の前で小さく溜め息を吐いてから、静かに自動ドアの向こうに足を踏み入れた。そして真っ直ぐカウンターへと向かう。
「すみません、少々お時間宜しいですか?」
カウンターの中で椅子に座って本を読んでいた、見覚えのある総白髪の老人に声をかけると、彼は友之を見上げ、不思議そうに問い返してきた。
「はい……。おや? あんた確か先週、沙織ちゃんと一緒に来た人だよな?」
覚えていてくれたら話は早いなと安堵しながら、友之は言葉を継いだ。
「はい。お尋ねしますが、関本はこちらに良く来店しているみたいでしたが、彼女に販売した商品の記録とかはありますか?」
「個人の販売記録とかは無いなぁ……。だが、売った物は全て、俺の頭の中に入っているさ」
「本当ですか? それなら」
「沙織ちゃんにまだ売った事がなくて、彼女が食いつきそうなパズルが欲しいのかい?」
そこでニヤリとおかしそうに笑われて、友之は自分の顔が引き攣っているのを自覚しつつ、大人しく頷いてみせた。
「……そうですね」
「そうかそうか。そのままちょっと待ってろ」
何やら妙に機嫌良く立ち上がった彼は、カウンター奥の倉庫らしい場所に向かい、何かを手にしてものの一分で戻って来た。
「これだ。最近仕入れたばかりの新作だぞ? 俺もやってみたが、これは相当手こずるし、沙織ちゃんが食い付く事、間違い無しだ」
「そうですか。それを頂きたいのですが、値段はお幾らですか」
「税込みで3240円だ」
「…………」
にこにこと告げられた金額に、友之は何とも言えない表情で黙り込んだが、その反応も織り込み済みだったらしい彼は、分かった様に頷きながら説教してきた。
「うん、若いの。お前の言いたい事は、俺にも良~く分かる。だが、何も言うな。確かに意中の女に贈る物としては、一桁か二桁違うかもしれん」
「いえ、意中とかそういうのでは無くてですね」
「だが沙織ちゃんは、普通一般の女の子とは違うからな。お前だってそう思ったから、ここに来たんだろう?」
「…………」
「老い先短い悪徳商人に騙されたと思って、黙ってこれを買っていけ。悪い事は言わん。万が一受けが悪かったら、開封していても返金してやるからな!」
「……頂いていきます。返品はしませんので」
彼が上機嫌に包んでくれたそれを紙袋に入れて貰い、店を出て歩き出した友之だったが、次の行動を思い浮かべて溜め息を吐いた。
「何となく押し切られてしまったが……、一体これをどうしろと……」
そもそもどういう理由を付けて彼女に渡せばよいのやらと、友之はそれから暫く真剣に悩む事となった。
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