恋愛登山道一合目

篠原 皐月

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第5話 地味な嫌がらせ

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「すみません、健介さん。ピザの発注をされましたか?」
 健介が後援会向けの政策説明会の案内状の作成や発送、宗則が後援会名簿の更新作業をしている所に、一人のスタッフが顔を出して尋ねてきたが、全く身に覚えの無い二人は、揃って怪訝な顔になった。

「ピザですか? いいえ、していませんが」
「私も覚えがありませんね」
「そうですよね。失礼しました」
 そこで困り顔で頭を下げて出て行こうとした彼女に、真紀が幾分険しい表情で確認を入れる。

「北郷さんの名前で発注されて、こちらに大量に届きましたか?」
「……はい」
「おい……」
「それは……」
 自分が悪い訳でも無いのに、幾分申し訳無さそうに彼女が頷くと、男二人が顔を強張らせる。

「それでは事務所としては、どうされるおつもりでしょうか?」
「どう、と仰られても……」
 真紀の問いかけに、彼女は益々困った顔になったが、若い彼女にそれを決める権限など無い事が分かっていながら、真紀は冷静に指摘した。

「これは明らかにこちらの事務所、または北郷氏個人に対する嫌がらせだと思われます。安易に支払えば、同様の事が続く可能性があります」
「ですが……、選挙区内のお店で、これまで事務所から頼んだ事があるお店で」
「それならなおの事、一軒一軒の対応を曖昧に済ませずに、今後の対応について早急に議員本人に了承を取るべきかと。賭けても良いですが、これだけでは終わらないと思いますよ?」
 そんな不吉な事を真紀が口にした瞬間、この事務所を預かっている重原が、すっかり薄くなった髪を振り乱して部屋に駆け込んで来た。

「健介さん! 二時間程前に京華寿司に、特上握り二十人前の出前を頼みましたか!?」
「……いえ、頼んでいません。今日は会合も集会もありませんし」
「…………」
 顔を僅かに青ざめさせながら健介が答えると、室内に沈黙が漂った。そして真紀は溜め息を吐いてから、控え目に提案する。

「これまでお付き合いがある所なら、事情を話してお引き取り頂いて、今後は確かに発注しているかどうか、折り返し電話で確認して貰う様にお願いしてはどうですか?」
「しかし……、それでは今回の分は……」
 重原が呻く様に言ってきた為、真紀は肩を竦めて淡々と述べた。

「先程もそちらの方にお話ししましたが、やはり早急に議員本人に報告して、ご意向を確認した方が良いですね」
「そうします」
 真紀の意見に重原も真顔で頷き、女性スタッフを連れて、慌ただしく出て行った。

「これも、例の嫌がらせの一環か?」
「おそらくは。ですが地味ながら、なかなか効果的なやり口ですね。事務所近辺の店舗に損害を与えれば、些細な物でも回り回って議員にダメージを与えられますし」
 神妙に口にした健介に、真紀が冷静に応じる。それを見た宗則が、思わず食ってかかった。

「あんた、そんな他人事みたいに! 健介のボディーガードだろうが!」
「他人事です。加えて、大量発注は私の責任ではありませんし、防ぐ手立てもありません。直接的な攻撃を加えられた訳ではありませんし」
「止めろ、宗則」
「……っ!」
 溜め息を吐いた健介に宥められて、宗則は悔しそうに口を噤んだ。するとここで、真紀が独り言の様に言い出す。

「あの小包と言い、先程の発注と言い……、あなたの個人名で送りつけられたり、注文されていますよね?」
「それが?」
「先日爆発物のレプリカを送りつけた人物は、北郷議員の名前をまず挙げていましたので、今回の犯人または団体とは、別口と考えるのが自然ですが……」
「…………」
 思わせぶりな視線を向けられた健介が、思わず視線を逸らしながら黙り込むと、真紀が含み笑いで続ける。

「北郷議員がどう判断するのか、ある意味、見ものですね」
「今のはどういう意味だ?」
 思わず口を挟んだ宗則だったが、真紀は一笑に付して踵を返した。

「恐らく、他の注文品も続々届いていると思いますので、一応チェックしてきます。不審行為として、全て職場に報告しなくてはいけませんので」
 そして健介達が何か言う前に、真紀はさっさと部屋を出た。その直後に自分のスマホが着信を知らせてきた為、宗則が「なんなんだ、あの女!」と悪態を吐いているのを放置して、健介は電話に出た。

「はい、北郷です」
「北郷さん、青木だが、あんたからの依頼は金輪際お断りだ。手付け金も全額返す」
「え? それはどういう事ですか」
 何やら怒りを内包した声でいきなり切り出された内容に、健介が戸惑った声を出したが、その反応に苛立ったらしい相手が、叱りつける様に言い出した。

「どうもこうも! やっぱりあの桜査警公社に関わるのは、御法度だったんだ! 公社自体の調査じゃなくて、社員個人を調べるなら大丈夫かと思ったが、あの女、確かに派遣先から車で社屋に戻って、朝には社屋から車で派遣先に出向いているのは確認できたのに、出勤と退社するのが全然確認できないんだ!」
「それは……、社屋ビルに複数の出入り口があって、あなたの部下が見張っていない所から、彼女が出入りしているだけでは?」
 思わず眉根を寄せて訝しげに反論した健介に、相手は激高した。

「ふざけんな! こちとらプロだぞ! ちゃんと全部に張り付かせていたさ! それでも出入りが掴めない上、昨日張り込んでいたうちの人間が、ストーカーの疑いがあるとして所轄署にしょっぴかれたんだぞ!」
「それは……」
「しかもその直後、うちが今仕事を受けている依頼人の所には『あなたが仕事を頼んだ先は、犯罪者の巣窟だ』と社員が連行された旨を知らせる電話が入り、調査先には『お宅の周りを嗅ぎ回っている人間がいるが、心当たりは』とうちの社名をバラされ、全部の仕事がパァだ! どう考えても桜査警公社が、裏で糸を引いたのに決まってる。どうしてくれるんだ!?」
「そう言われても……」
 一方的にまくし立てる相手に健介が呆然としていると、青木が忌々しげに吐き捨てた。

「とにかく、もうあそこに係わるのはゴメンだ! あんたともな! 金は今日中に現金書留で送る。そっちに出向くのも、振り込みで金の動きがあったのをバレるのも、真っ平だからな!!」
「おい、ちょっと待ってくれ!!」
 慌てて健介が呼びかけたものの、既に電話は切られており、健介は憮然としながらスマホをしまい込んだ。その様子を見ていた宗則が、同様の渋面になって尋ねる。

「例の興信所か?」
「ああ。張り込んでいた社員が、言いがかりを付けられて警察に捕まった上、依頼先に悪評を流されて仕事にならなくなったらしい。今後一切、手を引くと言われた」
「おいおい、何社目だよ? 桜査警公社って、お偉いさん御用達の、興信所と警備会社の複合会社なんだろう? どうしてそんなに、そこの社員の調査を嫌がるんだ」
 呆れ気味に感想を述べた宗則と、父親から簡単に説明を聞いただけの健介は、わざわざ懇切丁寧に公社についての説明をする興信所に巡り会っていなかった為、未だに公社の厄介さと真の恐ろしさを、知らないままだった。

 一方、真紀は(やれやれ、担当外の仕事を、させられる羽目にならないでしょうね?)と心底うんざりしながら、事務所内で主だったスタッフが集まっている大部屋へと向かった。そして昼時に合わせて、次々と届けられた品物を見て本気で呆れ、右往左往しているスタッフを冷静に観察していたが、それが一段落してから人気の無い廊下で電話をかけ始めた。
 仕事中の相手がすぐに出てくれるのは期待薄だったが、予想に反して彼女の上司は、さほど待たされる事無く応答してくれた。

「主任、菅沼です。今、宜しいですか?」
「構わない。そちらの事務所で、騒ぎがあったらしいな」
 今現在は北郷議員の警護の任に就いている、彼女の直属の上司である阿南が若干笑いを含んだ声で返してきた為、真紀も皮肉っぽく話を続けた。

「議員や政策秘書の方に、大量発注に関しての連絡はされている様ですね。因みに五分前までの時点で、ピザLサイズ十枚、特上寿司二十人前、天ざる十五人前、ラーメン十杯、特上折り詰め二十人前、特上鰻重二十人前が届きました」
「ほう? それはそれは……。お前の見解は?」
 生徒を指導する教師の口調で阿南が話の続きを促した為、真紀は冷静に推論を述べた。

「さり気なく事務所スタッフの方に話を聞いてみましたが、どこの店にも過去に事務所で発注した事があります」
「だろうな」
「加えて発注数が、過去に頼んだ時の数量と同程度で、店側も不審に思わなかったとか。以前に頼んだ時は、講習会や後援会の会議、選挙期間中など、ちゃんと人が集まる理由がありましたが」
「それで?」
「それらを考慮しますと、今回のこれは、事務所の事情に詳しい人間が引き起こしたか、事務所内に共犯者が存在していると思われます」
 それを聞いた阿南は、満足げに指示を出した。

「そこまで分かっているなら、やる事は分かっているな? できる範囲で情報収集をしておけ」
「信用調査部門から、応援は無いのですか?」
 思わず問いかけた真紀だったが、阿南は明らかに笑っていると分かる声で、説明してきた。

「議員が予想外に剛胆だった。報告を聞いても『動揺して一々支払っていたらキリが無い。こちらに非は無いのだから、きちんと店に説明して引き取って貰え。そんな小者を調べるのに、金も手間暇も使わなくて良い』と明言してな」
「さすが国会議員と言えば宜しいですかね?」
「そういう訳だから、わざわざ任務外の仕事はしなくても良い。ただし、手札は幾ら持っていても、損にはならない」
「了解しました。それでは失礼します」
「ああ」
 そこで通話を終わらせてから、真紀は思わず悪態を吐いた。

「北郷議員ってケチくさっ! ちゃんと信用調査部門に依頼してくれれば公社の収入は増えるし、こっちに本来の任務以外の仕事は来ないのに。全部私が、対処する事にならないでしょうね?」
 しかしブツブツ言っていた所で、背後から声がかけられる。

「菅沼さん、すみません。配達された物がありますので、確認をお願いします」
「分かりました、今行きます」
 そこで素早く笑顔を取り繕った真紀は、再び大部屋に戻って配達物の検品を始めた。
 そんな騒動があったものの、他には取り立てて問題は起こらず、真紀は仕事が終わった健介を、無事に彼の部屋まで送って行った。

「それでは失礼します。明日も八時半に、迎えに参ります」
「その……、菅沼さん。お茶でも」
「失礼します」
 健介が口にした台詞を聞かなかった事にして、真紀は素早く玄関のドアを閉めて撤収した。

「さて、今日も無事任務終了。後はブローチを返すだけよね。だけど……、公社からここまで随分離れているのに、本当に探知できていたのかしら?」
 不思議そうに襟元のブローチを触りながら、しかし真紀は機嫌良く、近くのコインパーキングに停めてある社用車に向かって歩き始めた。
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