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第4話 驚愕
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普段、事務所には自分より遅く顔を出す宗則が、この日は朝早くから自宅マンションに押しかけて来た為、健介は心底呆れながら文句を言った。
「宗則……。何も朝から、部屋に押しかけて来る必要は無いだろう?」
「構わないだろう? 同じマンションに住んでいるから、大して時間はかからないし。お前、見張っていないと、一向に話を進めないし」
「今日はちゃんと、話を進めるから」
このまま事務所に行ける様に、スーツ姿でソファーでニヤニヤ笑っている彼に、健介が溜め息を吐いていると、インターフォンの呼び出し音が鳴った。
「はい、どちら様ですか?」
受話器を取って応答した健介が、モニターを確認してから淡々とパネルを操作し、相手に呼びかける。
「今開けます。上がって来て下さい」
そして受話器を戻して振り返った健介に、宗則が一応確認を入れた。
「彼女か?」
「ああ」
「それは楽しみだな。彼女がそれを見た時に、どんな反応を示すのか」
「完全に、面白がっているよな?」
思わず渋面になった健介だったが、ここで宗則が真顔になって付け加える。
「言っておくが、彼女に罵倒されて修羅場になっても、俺は止めないからな。それに関しては、どう考えてもお前に非があるし」
「それは分かっている」
上着のポケットに入れてある物を軽く握りながら、神妙に健介が応じ、室内に微妙な沈黙が漂ったが、少しして玄関に設置してあるチャイムの音が鳴り響いた。
「よし、来たな!」
そこで先程までの雰囲気をかなぐり捨てて、宗則が嬉々として玄関に向かった為、健介は慌てて彼を追いかけた。
「あ、おい、宗則! お前は下がっていてくれ!」
「何だよ、玄関を開ける位、良いだろう? あ、菅沼さん、おはよう。今日も朝からご苦労様で……」
「え?」
男二人で揉めながら玄関を開けると、当然そこには真紀がいたが、彼らはその姿を見て驚いた様に動きを止めた。
「おはようございます。城島さんも、いらしていたんですね。それでは事務所の方に、移動しましょうか」
ドアが開いた時に、健介だけでは無かった事に、真紀は一瞬驚いた表情になったものの、すぐに軽く会釈して二人を促した。しかしそんな彼女に、宗則が慌て気味に問いかける。
「菅沼さん、ちょっと待った」
「何でしょうか?」
「そのブローチ、フォーマル向けだと思うけど、どうして今日付けて来たのかな?」
スーツの襟に付けてある、パールをあしらったブローチを指さされながら言われた台詞に、真紀は内心でうんざりした。
(はぁ……、やっぱり難癖を付けて来たわね。「護衛任務にふさわしくない」とか、「そんなチャラチャラした女に命を預けられるか」とか、言うつもりかしら? こっちだって仕事じゃなかったら、誰があんた達の様な、面倒くさい男に付くかってのよ!)
心の中で、そんな盛大な悪態を吐いた真紀だったが、口に出しては神妙に、尤もらしい事を述べた。
「確かに普通、仕事中にこういうアクセサリーは身に付けませんが、今日はこれを形見分けに貰った祖母の命日なので」
「お祖母さんの形見……」
「命日……」
男二人がボソッと呟いたのを受けて、真紀が軽く頷いてから話を続ける。
「はい。凄く可愛がってくれた祖母なので、毎年の命日にはできるだけ休みを取って、お墓参りをしているんですが、今年は専属に付いて無理でしたので」
「それは……、申し訳ない」
反射的に健介が謝ったが、真紀は素っ気なく応じた。
「構いません、仕事ですし。現にこれまでにも何回か、命日に休めない時がありましたが、その時は祖母を偲んで、一日これを付けていましたから」
「……それで今日も、付けて来たんだ」
「はい。別に、仕事の邪魔にはなりませんし」
「その……、でもそれって……、仕事中に傷とか付いたのかな?」
宗則が恐る恐ると言った感じで、はっきり目視できる程度の傷を指さしてきた為、真紀は思わず渋面になりながら、説明を加えた。
「このパールの表面に付いた傷、やっぱり目立ちますよね? これは祖母が生前、私の母に貸した時に、母がどこかにぶつけて傷をつけてしまったそうなんです。結構、良い物なのに」
そのままブツブツと口の中で文句を言っている真紀に、宗則が控え目に声をかけた。
「その……、菅沼さん?」
「はい、何でしょうか?」
「そのブローチって、同じ物が他にもあるかな?」
その質問に、真紀が怪訝な顔になった。
「はぁ? それは、オーダーメイドとかではありませんし、同時期に作られた同じデザインの物は、国内に何十何百と存在していると思いますが?」
「いや、そういう意味じゃなくて……、君のお祖母さんが同じブローチを幾つか持っていて、君が同じ物を幾つか貰ったなんて話は」
「どうして全く同じデザインの物を、複数持つ必要があるんですか? あれですか? 普段使い用と保管用に分けるとか、曜日ごとに使うのを分けるとか?」
益々変な顔になった真紀に、宗則は冷や汗をかきながら頷く。
「ええと……、そんなところで」
「全く意味が分かりません。馬鹿ですか? 取り敢えず私は一つしか貰っていませんし、祖母も常識的な人間でしたが?」
「…………」
如何にも、呆れ果てたと言わんばかりの表情と口調の真紀に、男二人は黙り込んだ。そして微動だにしない彼らに対して、真紀が少々苛立たしげに催促する。
「ところで、そろそろ事務所に移動したいのですが?」
「あ、ああ、分かった。すぐ準備するから、待っていてくれ」
「それでは玄関の外で、お待ちしています」
僅かに顔を顰めたものの、真紀はすぐに頭を下げて玄関の扉を閉めた。
「全く、朝から何をわけが分からない事を言っているのかしら? しかも、まだ準備が終わっていないし」
通路で憮然として佇む真紀とは真逆に、室内では男二人が激しく狼狽していた。
「健介! お前、あれ、どういう事だよ!? どうして彼女が、全く同じ物を持っているんだ?」
「いや、俺にも、何が何だかさっぱり……。確かに祖母の形見で、母親が傷を付けたのを怒っていたが……」
問い質した宗則に、健介がポケットから先程真紀が付けていたのと、瓜二つのブローチを取り出しながら、困惑顔で応じる。しかしそれで宗則は、益々強い口調で続けた。
「彼女も言っていたが、普通同じ物を、複数手元に置かないだろう? お前そのブローチを、一体どこから持って来たんだよ!?」
「だから、以前彼女が暮らしていたマンションから」
「どう考えても、辻褄が合わないだろ!?」
宗則は声を荒げたが、ここで急に口を閉ざし、次いで健介を疑わしげに凝視してきた。
「……ひょっとして、あれか」
「何だ?」
「実はお前は、パラレルワールドの健介で、自分でも気が付かないうちに、こっちの健介と入れ替わっていたとか」
「……はぁ?」
完全に意表を衝かれて間抜けな声を上げた健介だったが、そんな彼の両肩を鷲掴みにしながら、宗則が叫んだ。
「おい! どこの健介かは知らないが、こっちの健介はどこに行った!?」
「錯乱した挙げ句に、真顔で馬鹿な事をほざくな!!」
そして宗則以上の声量で健介が怒鳴り返してから、再度玄関を開けて催促してきた真紀によって、不毛な論争は中止され、否応なく事務所へと連行された。
「菅沼さん、お願いします」
「分かりました。それでは郵便物のチェックに行ってきます」
「お願いします」
無事事務所に入ってからは、前日と同様、健介と宗則が詰めている部屋に入って、彼らが書類を捌いたり電話をかけたりしているのを眺めていた真紀だったが、昼前にスタッフの一人が呼びにきた為、鞄を手にして彼女に付いて廊下を歩き出した。
(時間を決めていたのに準備を済ませていないし、朝からわけの分からない事をほざくし。最近、変で面倒な人間ばかりに当たるわね)
「……やっぱり近いうちに、お祓いして貰おう」
無意識にそんな事を呟いてしまい、前を歩いていたスタッフが振り返る。
「え? 何か仰いました?」
「いえ、何でもありません。独り言です」
そう言って笑ってごまかした真紀は、事務スタッフが何人も入っている、広い部屋に入った。そこの隅にある机に案内されると、聞いていた通り、封書な小包が積み重なっている。
「それではお願いします」
「はい、お預かりします」
会釈して、鞄の中から白の木綿の手袋を出し、両手にそれを嵌めている真紀に、先程案内してきた女性スタッフが、申し訳無さそうに声をかけてきた。
「あの……、前任者の岸田さんにお伺いしましたが、こちらでお茶とかも出せないんですよね?」
それに真紀が、健介達には全く見せていない笑顔で応える。
「はい、そうなんです。就業規則が厳しいもので。お心遣いだけ、頂いておきます」
「本当に大変ですね。何かご入り用の物があれば、いつでも遠慮無く声をかけて下さい」
「ありがとうございます」
そんな風に極めて友好的に会話を終わらせてから、真紀は封書の山に向き直った。
「さて、パッパと終わらせますか」
その宣言通り、真紀は持参したハサミとカッターで、次々開封していき、慎重に中身を取り出しながら内容を確認していった。
「中田さん、こちらの確認は終わりました」
「ありがとうございます、頂きます」
「それから、これか」
女性スタッフに封書を手渡し、残った小包類の一つに目を向けた真紀は、他とは異なる点が気になった。
(ふぅん? これだけは北郷議員でも、事務所宛てでもなく、あいつ宛てか。それなのに、事務所に送りつけられている?)
まずこれからかと、縁に貼ってあるガムテープをカッターで切り裂き、箱の蓋を開けてみた真紀だったが、その表情が、すぐに微妙に歪んだ物に変化した。
「へえ? これはなかなか……」
立ったまま、箱の中を凝視している真紀を見て、先程封書を受け取った中田が、不思議そうに歩み寄ってそれを覗き込んでみた。
「菅沼さん、その荷物がどうか……、きゃあっ!! 何なんですか、これは!?」
「おい、どうした?」
「何かあったの?」
中田が思わず上げた悲鳴に、室内にいたスタッフ達が集まって来たが、真紀は彼らに向かって冷静に説明した。
「ああ、大丈夫ですよ。精巧な作り物ですから。シリコン製かな? 良くできていますね。本当に血まみれの人の手かと、勘違いしそうです」
「作り物!? こんなふざけた物をうちの事務所に送りつけてくるなんて、どこのどいつだ!?」
年長者の男性が、憤然としながら箱の中身に手を伸ばそうとしたが、その手首を真紀が素早く捕らえた。
「あ、触らないで下さい! 何か毒劇物の類を、この手に塗布している可能性もあります!」
「どっ、毒ぅっ!?」
ぎょっとして慌てて男性が手を引いた為、真紀はその手を放しながら、淡々と続けた。
「あくまでも、可能性ですが。経皮吸収される毒劇物は、限られていますし。ですがこれだけ、手の込んだ嫌がらせをする人物です。付着したら皮膚がかぶれる物質位は、塗布している可能性があります」
「あ、ああ……。そうですね」
毒気を抜かれて頷いた彼と、周囲のスタッフを均等に見回しながら、真紀は落ち着き払って告げた。
「取り敢えず、これはこちらで調べさせて頂きます。警察に届けるかどうかは、議員に付いている先輩や政策秘書の方に、判断して頂きますので。皆さんはどうぞ、仕事を進めていて下さい」
「は、はぁ……、分かりました。お願いします」
そして互いの顔を見合わせながら、スタッフ達が自分の席に戻ってから、真紀は鞄の中から必要な物を取り出した。
(さて、一応調べてみますか。特に物騒な物は、出ないとは思うけど)
そう思いながら真紀は小さなプラスチックケースを開け、親指の爪程のサイズの試験紙を、ピンセットで慎重に取り出した。それで軽く、問題の手の表面を擦ってみる。
(特に変な物は、塗っていないみたいね。単なる、こけおどしに過ぎないか……)
念の為、持参した試験紙五種類を全て試し、現物と特に変色していない試験紙の写真をスマホで撮影し、社内の開発解析部門の担当者へと送った。
「よし、送信、っと……。一応、本人にも知らせておきますか」
そして蓋を閉めてその箱を持ち上げた真紀は、恐ろしげな顔付きのスタッフに見送られて、部屋を出た。
「と言うわけで、こういう物が事務所宛てに、北郷さん個人名義で送りつけられて来ましたが、お心当たりはありますか?」
健介達がいる部屋に戻り、机に箱を置いてから真紀が簡潔に説明すると、健介は硬い表情で首を振った。
「……いや、心当たりは無い」
「そうでしょうね。一応、聞いてみただけです。取り敢えず、これは警告だと思いますので、これまで以上に身辺には留意して下さい」
「警告って?」
不思議そうに宗則が口を挟んできた為、真紀が彼に向き直って、淡々と告げる。
「最初に爆発物のレプリカ。次に切り落とされた手のレプリカ。そうなると次は、本物の爆発物を仕掛けた末に、本人に対して直接的に危害を加えると言う事ではないかと、推察します」
「ちょっと待て! そんなの有り得ないだろう!?」
声を荒げて否定した彼に、真紀は軽く眉を上げながら問い返した。
「それでは、襲撃などが有り得ないと断定する根拠は?」
「それは……」
「それは?」
「その……、何となく?」
真紀の鋭い視線に、宗則が冷や汗を流しながら口ごもると、彼女は話にならないと言った風情で、ジャケットのポケットを上から押さえながら、あっさりと会話を終わらせた。
「失礼します。会社からの連絡が入りましたので、少しこの場を離れます」
「あ、ああ、どうぞ……」
律儀に健介に断りを入れてから、真紀が箱を抱えて部屋を出て行くと、早速宗則が声をかけてきた。
「おい、健介。お前、あんな物を自分に送りつけたのか?」
「するわけ無いだろう!」
「そうだよな。桜査警公社に護衛を依頼して、漸く彼女を引っ張り出したのに、今更余計な騒ぎを起こす必要も無いし」
そこで考え込んだ宗則に、健介が自問自答する様に尋ねる。
「お前でも無いなら、一体誰だ?」
「そんな事、俺が知るか!」
北郷議員の地元事務所でそんな騒動が発生したが、真紀の予想通り、騒ぎはこれだけでは終わらなかった。
「宗則……。何も朝から、部屋に押しかけて来る必要は無いだろう?」
「構わないだろう? 同じマンションに住んでいるから、大して時間はかからないし。お前、見張っていないと、一向に話を進めないし」
「今日はちゃんと、話を進めるから」
このまま事務所に行ける様に、スーツ姿でソファーでニヤニヤ笑っている彼に、健介が溜め息を吐いていると、インターフォンの呼び出し音が鳴った。
「はい、どちら様ですか?」
受話器を取って応答した健介が、モニターを確認してから淡々とパネルを操作し、相手に呼びかける。
「今開けます。上がって来て下さい」
そして受話器を戻して振り返った健介に、宗則が一応確認を入れた。
「彼女か?」
「ああ」
「それは楽しみだな。彼女がそれを見た時に、どんな反応を示すのか」
「完全に、面白がっているよな?」
思わず渋面になった健介だったが、ここで宗則が真顔になって付け加える。
「言っておくが、彼女に罵倒されて修羅場になっても、俺は止めないからな。それに関しては、どう考えてもお前に非があるし」
「それは分かっている」
上着のポケットに入れてある物を軽く握りながら、神妙に健介が応じ、室内に微妙な沈黙が漂ったが、少しして玄関に設置してあるチャイムの音が鳴り響いた。
「よし、来たな!」
そこで先程までの雰囲気をかなぐり捨てて、宗則が嬉々として玄関に向かった為、健介は慌てて彼を追いかけた。
「あ、おい、宗則! お前は下がっていてくれ!」
「何だよ、玄関を開ける位、良いだろう? あ、菅沼さん、おはよう。今日も朝からご苦労様で……」
「え?」
男二人で揉めながら玄関を開けると、当然そこには真紀がいたが、彼らはその姿を見て驚いた様に動きを止めた。
「おはようございます。城島さんも、いらしていたんですね。それでは事務所の方に、移動しましょうか」
ドアが開いた時に、健介だけでは無かった事に、真紀は一瞬驚いた表情になったものの、すぐに軽く会釈して二人を促した。しかしそんな彼女に、宗則が慌て気味に問いかける。
「菅沼さん、ちょっと待った」
「何でしょうか?」
「そのブローチ、フォーマル向けだと思うけど、どうして今日付けて来たのかな?」
スーツの襟に付けてある、パールをあしらったブローチを指さされながら言われた台詞に、真紀は内心でうんざりした。
(はぁ……、やっぱり難癖を付けて来たわね。「護衛任務にふさわしくない」とか、「そんなチャラチャラした女に命を預けられるか」とか、言うつもりかしら? こっちだって仕事じゃなかったら、誰があんた達の様な、面倒くさい男に付くかってのよ!)
心の中で、そんな盛大な悪態を吐いた真紀だったが、口に出しては神妙に、尤もらしい事を述べた。
「確かに普通、仕事中にこういうアクセサリーは身に付けませんが、今日はこれを形見分けに貰った祖母の命日なので」
「お祖母さんの形見……」
「命日……」
男二人がボソッと呟いたのを受けて、真紀が軽く頷いてから話を続ける。
「はい。凄く可愛がってくれた祖母なので、毎年の命日にはできるだけ休みを取って、お墓参りをしているんですが、今年は専属に付いて無理でしたので」
「それは……、申し訳ない」
反射的に健介が謝ったが、真紀は素っ気なく応じた。
「構いません、仕事ですし。現にこれまでにも何回か、命日に休めない時がありましたが、その時は祖母を偲んで、一日これを付けていましたから」
「……それで今日も、付けて来たんだ」
「はい。別に、仕事の邪魔にはなりませんし」
「その……、でもそれって……、仕事中に傷とか付いたのかな?」
宗則が恐る恐ると言った感じで、はっきり目視できる程度の傷を指さしてきた為、真紀は思わず渋面になりながら、説明を加えた。
「このパールの表面に付いた傷、やっぱり目立ちますよね? これは祖母が生前、私の母に貸した時に、母がどこかにぶつけて傷をつけてしまったそうなんです。結構、良い物なのに」
そのままブツブツと口の中で文句を言っている真紀に、宗則が控え目に声をかけた。
「その……、菅沼さん?」
「はい、何でしょうか?」
「そのブローチって、同じ物が他にもあるかな?」
その質問に、真紀が怪訝な顔になった。
「はぁ? それは、オーダーメイドとかではありませんし、同時期に作られた同じデザインの物は、国内に何十何百と存在していると思いますが?」
「いや、そういう意味じゃなくて……、君のお祖母さんが同じブローチを幾つか持っていて、君が同じ物を幾つか貰ったなんて話は」
「どうして全く同じデザインの物を、複数持つ必要があるんですか? あれですか? 普段使い用と保管用に分けるとか、曜日ごとに使うのを分けるとか?」
益々変な顔になった真紀に、宗則は冷や汗をかきながら頷く。
「ええと……、そんなところで」
「全く意味が分かりません。馬鹿ですか? 取り敢えず私は一つしか貰っていませんし、祖母も常識的な人間でしたが?」
「…………」
如何にも、呆れ果てたと言わんばかりの表情と口調の真紀に、男二人は黙り込んだ。そして微動だにしない彼らに対して、真紀が少々苛立たしげに催促する。
「ところで、そろそろ事務所に移動したいのですが?」
「あ、ああ、分かった。すぐ準備するから、待っていてくれ」
「それでは玄関の外で、お待ちしています」
僅かに顔を顰めたものの、真紀はすぐに頭を下げて玄関の扉を閉めた。
「全く、朝から何をわけが分からない事を言っているのかしら? しかも、まだ準備が終わっていないし」
通路で憮然として佇む真紀とは真逆に、室内では男二人が激しく狼狽していた。
「健介! お前、あれ、どういう事だよ!? どうして彼女が、全く同じ物を持っているんだ?」
「いや、俺にも、何が何だかさっぱり……。確かに祖母の形見で、母親が傷を付けたのを怒っていたが……」
問い質した宗則に、健介がポケットから先程真紀が付けていたのと、瓜二つのブローチを取り出しながら、困惑顔で応じる。しかしそれで宗則は、益々強い口調で続けた。
「彼女も言っていたが、普通同じ物を、複数手元に置かないだろう? お前そのブローチを、一体どこから持って来たんだよ!?」
「だから、以前彼女が暮らしていたマンションから」
「どう考えても、辻褄が合わないだろ!?」
宗則は声を荒げたが、ここで急に口を閉ざし、次いで健介を疑わしげに凝視してきた。
「……ひょっとして、あれか」
「何だ?」
「実はお前は、パラレルワールドの健介で、自分でも気が付かないうちに、こっちの健介と入れ替わっていたとか」
「……はぁ?」
完全に意表を衝かれて間抜けな声を上げた健介だったが、そんな彼の両肩を鷲掴みにしながら、宗則が叫んだ。
「おい! どこの健介かは知らないが、こっちの健介はどこに行った!?」
「錯乱した挙げ句に、真顔で馬鹿な事をほざくな!!」
そして宗則以上の声量で健介が怒鳴り返してから、再度玄関を開けて催促してきた真紀によって、不毛な論争は中止され、否応なく事務所へと連行された。
「菅沼さん、お願いします」
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「お願いします」
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「え? 何か仰いました?」
「いえ、何でもありません。独り言です」
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「それではお願いします」
「はい、お預かりします」
会釈して、鞄の中から白の木綿の手袋を出し、両手にそれを嵌めている真紀に、先程案内してきた女性スタッフが、申し訳無さそうに声をかけてきた。
「あの……、前任者の岸田さんにお伺いしましたが、こちらでお茶とかも出せないんですよね?」
それに真紀が、健介達には全く見せていない笑顔で応える。
「はい、そうなんです。就業規則が厳しいもので。お心遣いだけ、頂いておきます」
「本当に大変ですね。何かご入り用の物があれば、いつでも遠慮無く声をかけて下さい」
「ありがとうございます」
そんな風に極めて友好的に会話を終わらせてから、真紀は封書の山に向き直った。
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「ありがとうございます、頂きます」
「それから、これか」
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(ふぅん? これだけは北郷議員でも、事務所宛てでもなく、あいつ宛てか。それなのに、事務所に送りつけられている?)
まずこれからかと、縁に貼ってあるガムテープをカッターで切り裂き、箱の蓋を開けてみた真紀だったが、その表情が、すぐに微妙に歪んだ物に変化した。
「へえ? これはなかなか……」
立ったまま、箱の中を凝視している真紀を見て、先程封書を受け取った中田が、不思議そうに歩み寄ってそれを覗き込んでみた。
「菅沼さん、その荷物がどうか……、きゃあっ!! 何なんですか、これは!?」
「おい、どうした?」
「何かあったの?」
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「は、はぁ……、分かりました。お願いします」
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「よし、送信、っと……。一応、本人にも知らせておきますか」
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「……いや、心当たりは無い」
「そうでしょうね。一応、聞いてみただけです。取り敢えず、これは警告だと思いますので、これまで以上に身辺には留意して下さい」
「警告って?」
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「それでは、襲撃などが有り得ないと断定する根拠は?」
「それは……」
「それは?」
「その……、何となく?」
真紀の鋭い視線に、宗則が冷や汗を流しながら口ごもると、彼女は話にならないと言った風情で、ジャケットのポケットを上から押さえながら、あっさりと会話を終わらせた。
「失礼します。会社からの連絡が入りましたので、少しこの場を離れます」
「あ、ああ、どうぞ……」
律儀に健介に断りを入れてから、真紀が箱を抱えて部屋を出て行くと、早速宗則が声をかけてきた。
「おい、健介。お前、あんな物を自分に送りつけたのか?」
「するわけ無いだろう!」
「そうだよな。桜査警公社に護衛を依頼して、漸く彼女を引っ張り出したのに、今更余計な騒ぎを起こす必要も無いし」
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「お前でも無いなら、一体誰だ?」
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