アビシニアンと狡猾狐

篠原 皐月

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第34話 旅行決定

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「最初がそんな感じだったから、何事にも出しゃばらない様に、でも必要な事はなるべく早くできる様に、これまで頑張ってきたの。でも篤志さんは正義感が強い人だし、下への気配りも絶やさない人だったから、言われる通りにしていれば間違いがなかったから、安心していたのよ。だけど今回篤志さんに『黙って俺の言う事を聞いていればいいんだ』とか一方的に言われて、自信が無くなって。無条件に篤志さんの言う事に従って来たけど、実はこれまでにもきちんと意見しなくちゃいけなかった事が、あったんじゃないのかって」
 如何にも思い悩んでいる口調で言われた幸恵は、自分が原因の一つだと認識しているだけに、慎重に宥めてみた。

「ええと……、今回は偶々だと思いますけど?」
「でも夫婦なんだから、夫が道を踏み外しかけたら、妻の私が叱責でもなんでもして、正道に戻してあげるべきだと思うの。それを躊躇してるうちに、篤志さんが昔と比べてかなり傍若無人な人間になってしまったのかもしれないと思って」
「あの……、そこまで思い詰めなくても、良いんじゃないかと思うんですが……」
(なんだか急に深刻な話に……、基本的に泉さんって真面目で思い込みが激しいタイプみたい)
 本気で頭を抱えたくなった幸恵だったが、泉が自嘲気味に続ける。

「だって美郷に言われてしまったもの。『一度も夫婦喧嘩した事が無いなんて気持ち悪い』って。幼稚園児の娘に指摘されるなんて、母親失格よね? だからせめて美郷に言われた様に、この際一人でじっくり考えてみようと思ったの」
 真顔でそんな事を言われた幸恵は、恐る恐る確認を入れてみた。

「あの……、因みに考えると言うのは、離婚とかそういった事では無いですよね?」
「違うわ。私としては、これからの篤志さんへの接し方を考え直したいだけなんだけど……。でも、そうね……、勝手に家出なんかしたら、愛想を尽かされるかしら?」
 幸恵の質問にちょっと驚いた表情をしてから、泉は若干悲しそうに問い返した。それに慌てて幸恵が反論する。

「いえ、それは無いと思いますし、怒られた時は私も一緒に頭を下げます。何と言っても今回泉さん達が揉めた、直接の原因は私なんですし。それに話を聞く限り、私に関する事以外で、あの人がそうそう無体な事はしていないと思いますよ? もしそんな事をしていたら、和臣や君島さんや叔母さんが、黙っている筈ないでしょう?」
「私も、そうだとは思っているんだけど……」
 顔を伏せて静かにそう述べた泉を見て、幸恵は段々不安を感じてきた。

(やっぱり例え数日でも、泉さんを一人で過ごさせるのは心配だわ。危険性云々じゃなくて、一人で考え込んだらどんどん悪い方向に考えていきそうで。かと言って私も仕事が有るし、どうしたものかしら)
 そんな事を真剣に考え込んだ幸恵は、ある事を思い付いた。

「泉さん話は変わりますが、昨日の段階では当面の滞在先は決まっていなかった筈ですが、もう決まってますか?」
「いいえ。県内の、選挙区外の地域にあるホテルにでも落ち着くつもりだったので、これから探そうかと」
「だったら、私の実家に行きませんか?」
 唐突な提案に、泉は何度か瞬きして固まった。
「え? 幸恵さんの実家って……、お義母さんのご実家ですよね?」
 思わず言わずと知れた内容を口にして泉に、幸恵が力強く頷く。

「ええ。泉さんは安定期に入っているとはいえ妊婦ですし、万が一の事を考えると一人で過ごさせるのは心配なんです」
「そんな……、気にしないで下さい。大丈夫ですから」
「いえ、やはりここで別れても気になってしまいますから。実家なら常に誰かいますし、客間の他に私が使っていた部屋も空いてますし、何より世話好き人間が揃ってますので、泉さんを頼んでも快く引き受けてくれる筈ですから」
「でも……。こんな個人的な事で、香織さん達のご厄介になるのは……」
 如何にも恐縮しながら泉が口にした内容に、幸恵は引っかかりを覚えた。

「泉さん、香織さんの事を知ってるんですか?」
 しかしその問いに、意外そうな答えが返ってくる。

「あら? 幸恵さん、聞いてないんですか? 正敏さんと香織さんがご結婚する時に、お義母さんに頼まれて私が御祝儀に加えて、お祝いの品を贈ったんです」
「……初耳です」
「それで香織さんが、お義父さんが東京に居る時に連絡先にお礼の電話をかけたら、お義父さんが『祝いの品は嫁が整えてくれたので、できればあなたから、嫁に直接お礼を言ってやってくれませんか? 嫁同士仲良くして頂ければ、夢乃も喜ぶと思いますので』と仰ったそうで、私宛に家に電話をくれました。旧姓で名乗られたので、最初誰だろうと思いましたが。未だに顔を合わせた事は無いんですけど、その時意気投合して以来の、メル友なんです」
「メル友、ですか……」
「はい、週1位のやり取りですが」
 平然とそんな事を言われて、幸恵の顔が微妙に引き攣った。それに気が付かないまま、泉は携帯を取り出し、落としていた電源を入れて仕分けしているフォルダの一覧を幸恵に見せる。

「ええと……、登録名は『荒川香織』にすると、何かの折に篤志さんにバレる可能性があるので、『オリカちゃん』にしてるんです。この前は幸恵さんの食べ物の好き嫌いとか、色々教えて貰いました」
「お気遣い頂きまして……」
(か~お~り~さぁぁぁん! 実は家が和臣と君島さんとは親交があるって聞いた以降も、そんな話一言も聞いて無かったんですけどっ!!)
 何事も社交的な兄嫁の性格から、事実であろうと推察できた幸恵だったが、どうして自分に対しての説明が抜けているのかと、心の中で恨み言を漏らした。しかしこれは好都合と、意識を切り替える。

(これはチャンスだわ。尚更安心して、任せられるじゃない。ここは押し切るべきよね!?)
 そして気合いを入れた幸恵は、改めて真剣な顔付きで泉を見詰めた。

「泉さんが実家の皆と面識が無いまでも、これまで交流があるとしたら尚更です。泉さんを一人にしてさっさと東京に帰ったと知られたら、寄ってたかって非難されます」
「そんな事は……」
「いえ、家の人間は、揃って面倒見が良いタイプなんです。実家に顔を出す時気まずい思いをしたく無いので、私を助けると思って実家に滞在して貰えませんか?」
「ですが……、やはりご迷惑じゃ……」
「論より証拠、今から聞いてみますから」
「聞いてみますって……、幸恵さん?」
 狼狽する泉の前で、幸恵はさっさとマナーモードにしておいた自分のスマホを取り出した。そして昨夜以降、和臣からの着信やメールが連なった表示を意識的に無視し、ハンズフリー設定にして電話をかけ始める。

「もしもし? 幸恵さん、どうしたの? まだ広島に行ってるのよね?」
 すぐに香織の声が聞こえてきたのを幸い、泉に身振りで(黙っていてください)と指示してから、幸恵はスマホに向かって話しかけた。

「ええ、明日東京に帰るんですけど、香織さんにちょっとお願いがあって」
「あら、何かしら?」
「実は明後日から、暫くの間、そっちに私の友達を泊めて欲しいんです」
「友達? 構わないわよ? 部屋は空いているし」
 あまりにもあっさりと了承の返事がきた為、思わず幸恵と泉は無言で顔を見合わせてしまった。すると沈黙を不審がってか、香織が声をかけてくる。

「もしも~し、幸恵さ~ん? どうかした~?」
「えっと……、お願いしておいて何ですが、そんなに簡単に了承しちゃって良いんですか?」
 何か色々間違っている気がすると思いつつ、幸恵が確認を入れたが、心底不思議そうな声が返ってきた。

「え? だって幸恵さんのお友達なんだから、変な人じゃないでしょう? それになんだか訳ありっぽいけど、説明位はして貰えるのよね?」
「はぁ……、まあ、それは確かにそうですが」
「じゃあ別に、問題ないじゃない」
 そこでこの話は終わり的な空気を感じた幸恵は、兄嫁に一応申し出てみた。

「ええと……、一応父さんか母さんに今の話をして、了解を取って貰えますか? 後から香織さんが叱られたりしたら、申し訳無いので」
「心配性ね。良いわよ、ちょっと待ってて」
 そして気さくに応じた香織が電話口から去って数分後、沈黙ののちに先程までと変わらない、あっけらかんとした口調で香織が請け負った。

「お義父さんとお義母さんの両方に聞いたけど、構わないそうよ。だから言ったでしょう?」
 そう言ってクスクスと面白そうに笑ってきた香織に、幸恵はそれ以上何かを言う気力を無くした。

「ええと、それじゃあ、お世話して欲しい人を連れて、明日の夕方にそっちに出向くので、宜しくお願いします」
「ええ、夕飯の支度をして待ってるから。それじゃあね」
 そして呆気なく会話が終了し、幸恵がスマホの操作をしてから泉に視線を向けると、何とも言い難い表情で見返された。

「そういう事なので……」
「はあ……、それではお言葉に甘えて少しお世話になりますが、流石にお義母さんのご実家の方です。皆さん豪放磊落な方みたいですね」
 心底感心した様に泉が呟いた為、幸恵は思わず首を振ってから、新たな提案を出した。

「香織さんは血の繋がりは無いんですけどね。……じゃあ当面の滞在場所が決まりましたから、今日は市内に部屋を取って、のんびりしましょう。そして明日の午前中ゆっくり出発して、東京に向かえば良いわ。いっその事新幹線で行って、名古屋辺りで下りてひつまぶしでも食べてからのんびり行きません? 出張で出向いた時に、名古屋支社の人においしい所を教えて貰いましたし」
 その提案に、泉は楽しそうに応じる。

「新幹線に乗るのも久しぶりだわ。それに名古屋って行った事はないから、ちょっとだけでも見たいわね」
「じゃあ決まりです。今日はのんびり市内をお散歩して、早目にチェクインしましょうね」
「お世話になります」
 そうして話が纏まった後は、二人で料理を平らげる事に専念し始めたが、傍らに置いたマナーモードにしたままのスマホがまた着信を知らせて来たのを察した幸恵は、眉を寄せて無言でその電源を落とした。
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