アビシニアンと狡猾狐

篠原 皐月

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第33話 女同士の話

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「……本当に、先入観って凄いわね」
 並んで街中を歩きながら、何やらしみじみとした口調で泉が呟いた為、幸恵は怪訝に思って声をかけてみた。

「泉さん?」
 それに泉が、小さく笑って応じる。
「あ、ごめんなさい。口に出してたのね。今、お義父さんの後援会の地区長さんとすれ違ったけど、完全に無反応だったから」
「え? そうだったんですか?」
 慌てて背後を振り返ってみても、変に自分達を凝視している人間など見当たらない為、ホッとして進行方向に向き直ると、幸恵は一つの可能性を口にしてみた。

「体裁が悪いからって、君島家が泉さんが家出中なのを、周りに知られない様にしているからとか?」
 それに泉は、苦笑いのまま小さく首を振る。
「それでもしっかり目を合わせたから、無視なんかしようものなら普通だったら嫌味の1ダースはくれるわよ? 眼鏡って偉大ね」
「髪も切って髪型を変えましたからね。それに家出の事を知ってても、泉さんが単独行動をしてると思ってるから、私が一緒にいればそれだけで誤魔化しやすいか……。つくづく美郷ちゃんの判断力が恐ろしいわ」
 早朝、押さえておいたレンタカーで君島邸の裏手で首尾良く泉を拾った幸恵は、前日別れ際に美郷と打ち合わせしていた通り、駅前まで戻ってホテルのモーニングセットを二人でゆっくり食べてから、開店と同時に適当な美容室で泉に髪を切って貰い、眼鏡店でフレームが色違いの伊達眼鏡を買った。正直幸恵は(第一印象は確かに変わったけど、良く見れば分かるのに、観察眼が足りな過ぎなんじゃないの? それとも男性だからこんなものかしら?)と首を傾げていたが、ここで泉が申し訳なさそうに言い出す。

「すみません、幸恵さんにまで変装紛いの事をさせてしまって」
 泉が髪を切っている間に、急遽帽子を買って被っている幸恵は、思わず苦笑いしてしまった。
「構わないですよ。美郷ちゃんの判断は正しいですから。夢乃叔母さんに良く似た私が、そのまま街をフラフラしてたら、君島家と関係がある人達の人目を引くのは確実でしょうし」
 そして取り敢えず話題を逸らす為、必要な事を口にする。

「じゃあ食事でもしながら、これからの方針を考えましょうか。この辺りで、適当なお店に連れて行って貰えますか?」
「そうですね……、私の身元が知られていなくて、それなりに幸恵さんに満足して貰えそうな所……。じゃあこっちです。付いて来て下さい」
「はい」
(良かった。だいぶ気分が上向いてきたみたい。昨日は凄く落ち込んでたものね)
 市内の様子を簡単に説明しながら、にこやかに機嫌良く案内を始めた泉に、幸恵は密かに安堵しつつ並んで歩いて行った。
 そして市電に少し乗ってから五分程歩いて到着した店では、ちょうど昼時ではあったがビジネス街に隣接しているせいか思ったほど混雑しておらず、待たされずに奥の掘りごたつ式の座敷席に案内された。

「平日はもっと込んでいるのよ。電話して祝日に開けているのが確認できて良かったわ」
 そう言ってメニューを開いた泉同様、幸恵も興味深そうに民芸雑貨などが飾られている店内を見回しながら注文品を考え始めたが、すぐにメニューを閉じて向かい側に座る泉に声をかけた。

「郷土料理のお店なんですね。良く分からないので、注文をお任せしても構わないですか?」
「ええ。任せておいて。幸恵さんに色々食べて貰いたいから、お皿を半々とかにしても良い?」
「勿論構いません。色々食べられるに越したことは有りませんから」
「良かった。じゃあこちらで注文しますね?」
 そして大して迷う事無く、テキパキと店員を呼んで注文している泉を見て、幸恵は出されたお茶を飲みながらしみじみと考え込んだ。

(う~ん、なんと言うか、やり手の奥様とはまた違った感じだけど、色々世話焼きって感じがするわ。家の中ではどことなく頼りない感じがしてたんだけど、無意識に萎縮してたのかしら?)
 無言で考え込んでいると、その視線を感じた泉が、怪訝な顔で尋ねてくる。

「幸恵さん? どうかしましたか?」
「あ、ああ、いえ、何となく、泉さんが家の中に居た時より生き生きしている感じがしたので、普段結構萎縮してるのかな~とか、考えてました」
 変に隠す事でもないかと幸恵が正直に思った事を述べると、泉は一瞬驚いた様な表情になってから、納得した様に小さく頷いた。

「萎縮、かぁ……。言われてみれば確かにそうかもしれません。それにお義母さんが留守の間、きちんと家を守るって、必要以上に意気込んでいたかも。でも家出なんかして、怒られますよね?」
「……何となく、怒られたりはしないと思うんですが」
「そうですか?」
 意気消沈した様に見えた泉に、幸恵は首を傾げながら否定してみた。

「だって叔母さんは結婚以来、一度も実家に顔を見せていませんから。家出先で結婚しちゃった様なものなんじゃないんですか?」
「はあ……」
(う、我ながらこじつけっぽいわ。でもどう話を逸らしたら良いか分からないし)
 内心困った幸恵だったが、泉はそんな彼女の気配りを察したかの様に小さく笑った。

「確かにそうかもしれませんね。寧ろ幸恵さんへの意地悪を黙認してたら、篤志さん共々家から放り出されそうです」
「そうですか……」
 そこで何故か、泉がクスクスと笑い出してしまう。
「どうしたんですか?」
「ごめんなさい。お義母さんと初めて会った時の事を思い出してしまって」
「どんな出会い方だったんですか?」
 思わず興味をそそられて尋ねてみた幸恵だったが、泉の返答に困惑した顔になる。

「小二の時、篤志さんとは同じクラスだったんだけど、二人で校長室に呼び出されたら、お義母さんが出向いていたの」
「どうしてそんなシチュエーションで出会うんですか? 普通は授業参観とかで見かけたとかじゃ?」
 そこで泉は一旦笑いを抑え、冷静に話し出した。

「私の父、交通事故で小一の時に亡くなって、母の出身地のこちらに戻ってきたんだけど、母方の祖父母や親しい親戚もいなくて、頼れる人がいなくて。当時母が体調を崩して働けなかったから、生活保護を受けていたの」
「そうでしたか……」
「それで当時学校に納める給食費とか学用品代の類は、今みたいに金融機関への振込とかにはしてなくて、毎月専用の封筒に入れて子供が学校に持参してたんだけど、私、締切日にきちんと持ってこれなかったの。手当ての振込日が決まっているから」
 真顔でそう説明した泉に幸恵は納得し、すぐに渋面になった。

「……ああ、なるほど。でもそういうのって嫌ですね。全員分纏めて回収するわけですから、誰が持って来てないかなんて、一目瞭然じゃないですか」
「そうなの。それで同じクラスにちょっと意地の悪い三人組がいてね。ある日放課後に捕まって、難癖をつけられたの。『お前の家誰も働いてないのに、税金で食わせて貰ってるんだろ? だから俺達の荷物位運べよ』って」
 そこまで聞いて、幸恵は思わずテーブルを叩きつつ怒りの声を上げた。

「はぁあ!? なんですか、そのクソガキどもはっ!! 泉さん、まさか荷物持ちなんか、させられていたんですか!?」
「しないわ。さすがに腹が立って『お母さんが働ける様になったら、お金は貰わなくて良くなるし、どうしてあなた達の荷物を持たなきゃいけないのか分からないわ』と言い返したけど。そうしたら『何だよ、この無駄飯食らいの癖に生意気な』と突き飛ばされて怪我をしちゃって」
「ムカつくっ!! 私がその場に居たら、蹴り倒してやるのに!!」
 テーブルに乗せた拳を軽く震わせながら、憤懣やるかたない様子の幸恵を、泉が慌てて宥める。

「幸恵さん、落ち着いて。大した怪我じゃなかったし、そこで偶然篤志さんが通りかかって助けてくれたの」
 そこで幸恵は怒りの表情を消し、物凄く疑わしそうに確認を入れた。
「もの凄く都合が良過ぎる様に聞こえるんですが……、本当に偶然ですか?」
「後で聞いてみても、本人はそう言ってるけどね」
(何か泉さんの後を付けてて、絡まれた所までは静観してたけど、突き飛ばされたら出て来たって感じが……。泉さんも苦笑っぽいし)
 どうやら陰険な熊男は、意外に純情で初恋の女性と結婚したらしいと、幸恵は勝手に結論付けた。そんな幸恵を眺めながら、泉が説明を続ける。

「それで篤志さんが『お前ら、税金で食わせて貰ってるから荷物持ちをしろとか言ってたが、俺の家も税金から議員報酬を出して貰ってるんだが? どうして俺には言わない?』とか上から目線で言い放って。挙句『無駄飯食らいは貴様らの方だろうが。親の脛かじってるくせに、つるんで弱い者いじめしかできない程度の奴が、ガタガタほざくんじゃねえぞ! この低能揃いが!』って罵倒して、怒った三人組と乱闘になったの。もう私びっくりして腰が抜けて、先生を呼んで来なくちゃって考える事もできなくて」
 当時の事を思い出したのか、無意識に胸に手を当てて溜め息を吐いた泉を見て、幸恵にも相当激しい喧嘩だったんだなと見当がついた。そして続きを促してみる。

「それで……、どうなったんですか?」
「篤志さんは昔から同年代の子供と比べると体格が良かったから、三人が泣きながら逃げ帰ったわ。それから篤志さんが私を保健室に連れて行って、手当して貰っているうちに、残っていた先生に事情を説明したらしくて。篤志さんも結構な痣とかできてたしね。でも結局、自分は手当して貰わないで帰ったし」
「……ちょっと格好つけたかったんでしょうか?」
「そうかも」
 そうして女二人で顔を見合わせ、クスッと笑ってから、泉は話を続けた。

「その翌日、校長室に二人で呼ばれたのよ。負けた三人組が親に怪我させられたと訴えて、親達が乗り込んで来てね」
 それを聞いた幸恵は、はっきりと顔を顰めた。

「子供の喧嘩に、親が乗り込んで来る段階で、どうかと思いますね」
「今にして思えばそうね。そして加害者側の保護者として、お義母さんが来ていたわけ」
 淡々とそんな事を言われて、幸恵はその場面を想像して恐れおののいた。

「……もの凄い修羅場の予感がするんですが」
「あ、怒鳴り合いとか殴り合いとかは無かったのよ? 若干言い分は食い違ったけど、校長先生は双方の言い分を聞いてくれたし。それで聞き終えたお義母さんが『確かに愚息がそちらの御子息に怪我をさせたのは確かですね。申し訳ありませんでした』と率先して頭を下げたのよ」
「は? 何で? そもそも言いがかりを付けて来たのは、向こうでしょうが!?」
 さすがに呆れて幸恵は声を上げたが、泉はそんな彼女を宥める様に言葉を継いだ。

「勿論、それで終わらなかったわ。相手方が気分良く立ち上がって帰ろうとしたら、お義母さんがドアの前に立ち塞がって『そもそもの原因は、そちらのお子さん達が、集団でそちらのお嬢さんに難癖を付けた挙句、怪我をさせた為ですよね? ですのでお帰りになるなら、こちらのお嬢さんに親子揃って頭を下げてから、お帰りになるのが筋でしょう』と、一歩も引かない気迫で宣言したの」
「……やっぱり修羅場じゃないですか」
 反射的に項垂れた幸恵に、泉は思わず笑いを零す。

「向こうは色々文句を言ったけど、お義母さんは鼻で笑って『生活保護の受給者を馬鹿にして構わないという様な偏向教育を、公の教育機関が行っているとなれば大問題です。教育委員会の所見を確認させて頂く事になりますが、校長先生、宜しいでしょうか?』とうっすら笑みすら浮かべながら、校長先生にお伺いを立てたの。でも……、笑っている筈なのに、笑顔がもの凄く怖かったわ。そうしたら校長先生が真顔で『君島さんの仰る事は御尤もです。君達、この子に謝罪しなさい。お母さん方もお願いします』と言い聞かせて」
「そこで素直に頭を下げたんですか?」
 思わず口を挟んでしまった幸恵に、泉は肩を竦めて説明した。

「散々揉めたけど最後は『担任からも報告が上がっていますが、ご子息方はこれまでにも色々問題を起こされていましてね』と辟易したらしい校長先生に言われて、不承不承謝って帰ったわ」
「それは、インパクト有り過ぎな出会いでしたね」
 しみじみと幸恵が感想を述べると、泉は楽しそうに笑いながら頷いた。それを見て納得する。

(きっとこの事が、この人の姑崇拝の原因なのよね、きっと)
 そこで注文した料理が運ばれて来た為、話は一時中断となった。そして泉が色々と料理の説明をしながら食べ進めたが、少しして前日聞いた話の内容を思い出す。

「そう言えば、泉さんは昨日、小さい頃は放課後君島家でお世話になってたって言ってましたよね。その時の縁でですか?」
「そうね。その日は放課後、お義母さんが篤志さんと一緒に家まで送ってくれて、家で寝ていた母に事情を説明してくれたの。他から変な風に伝わって、余計に嫌な思いをしない様にって」
「確かに、学校側からも連絡がいくかもしれませんけど、直接話を聞いた方が良かったかもしれませんね」
 その幸恵の意見に頷いて、泉は話を続けた。

「そして私は次の日から、放課後は君島家で預かって貰う事になって、篤志さんが『ついでだから』と一緒に帰ってくれたし、登校する時も『また馬鹿な奴が変な因縁を付けてくるかもしれないから』と、早めに出て家まで迎えに来てくれる様になったの。中学になってからは、篤志さんは地元では名門の私立校に進学したし、私も身の回りの事は一通りできる様になったから、君島家にお世話になる事は無かったけど。母もお義母さんに良い病院を紹介して貰った上、完治したら就職も斡旋して貰って、お世話になりっぱなしだったのよ」
 そうしみじみと語った泉を見て、幸恵は思わず顔を綻ばせた。

「泉さんの、姑崇拝の理由が良く分かりました」
「あら、私だけじゃ無いわよ? お義母さんはあちこちの世話役も引き受けていたから、色々な事情で放課後に君島家が預かっていた子供は、常時四・五人いたの。学童クラブの制度が充実してからは、それは無くなったけど」
 そうしてまた少し食べてから、どこか懐かしそうな表情で泉が口を開いた。

「私、一人っ子だから、子供同士でわいわい騒いでいる環境が嬉しくてね。私の顔を見るなり、とことこ走って来る和臣君も可愛かったし」
「ああ、その頃から知ってるんですね」
 思わず幸恵が口を挟むと、泉が満面の笑顔で頷く。

「そうなの。篤志さんが愛想が欠けてる分、とっても可愛かったのよ? 私の事を『みぃねぇね』と言いながら抱き付いて来るから、こんな可愛すぎる子、もうどうしてくれようかしらって思っていた位で」
 そう言ってにこにこと微笑む泉を見て、幸恵はどこか遠い目をしながら呟いた。

「あ~、今何か、無愛想な兄貴が、無邪気な年の離れた弟に密かに嫉妬している図が、頭の中に思い浮かびました」
「実はそうだったみたいね。結婚してから聞かされたけど」
「やっぱり」
 そして二人揃って噴き出してから、泉は神妙な顔付きになって話を続けた。

「私が中学に入ってからも、お義母さんや和臣君と手紙のやり取りをしてたし、選挙の時にボランティアでお手伝いに行ったりして、君島家との交流は続いていたんだけど、働き出してから篤志さんとお付き合いする様になってね。プロポーズされた時には私と結婚してもなんのメリットもないし、却ってご迷惑かける事になるって分かっていたからかなり迷ったんだけど、お義母さんと和臣君が喜んで迎え入れてくれたから……」
 そこで口を閉ざした泉に、幸恵は慎重に尋ねてみた。

「それって……、昨日美郷ちゃんが言っていた、あの兄貴が後援会が推していたお見合い相手を派手に振っちゃって、支援がされなくなったって話ですか?」
「ええ。あの時は、綾乃ちゃんが生まれた時のお義父さんの時の選挙に次ぐ、激戦だったと思うわ。篤志さんの応援にお義父さんやお義母さんだけじゃなくて、東京で在学中だった和臣君も週末毎に帰って来て支持者回りをして頭を下げていたし。でも私は結婚したばかりで右も左も分からないし、後援会の人達には『邪魔にならない様に引っ込んでいて下さい』と言われてしまって」
 それを聞いて、幸恵は本気で腹を立てた。

「何ですかそれは。蔑ろにするにも程がありませんか?」
「でも後援会の人達に言い分にも、一理あったのよ。支援者の分裂騒ぎの原因は、元をただせば私だし。その私が表に出ていると、目障りだと思う方も居たから」
「それはそうかもしれませんが……」
 釈然としないながらも、それ以上幸恵は文句を口にするのを控えたが、泉は苦笑いして話を続けた。
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