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第27話 アウェーゲーム
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空港一階の手荷物受取場で、スーツケースを受け取った幸恵は、それを引きながら自動ドアの向こうの到着ロビーへと出た。やって来た側と迎え入れる側、双方が入り混じって活気溢れる雰囲気の中、幸恵は思わず重苦しい声で呟く。
「……着いちゃったわね」
「取り敢えず、広島にはな。目的地はもう少し先だ。今からそんな渋い顔をするな」
独り言のつもりが相槌を打たれて、幸恵はいつの間にか隣に立っていた祐司を見上げた。そして再び前方に視線を戻し、ボソッと口にする。
「広島って……、一度は行ってみたいと、思っていた場所ではあるんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
「もう少し、気楽に来たかったわ……」
「それを言うな。言ってもどうにもならないから。気が滅入るだけだぞ」
二人で沈鬱な顔を逸らしつつ呟いていると、少し離れた所から綾乃が手を振りつつ、大きな声で呼びかけてきた。
「祐司さん! 幸恵さん! 迎えの人が来てくれてますので、こっちに来てくれますか?」
「ああ、今行くから! じゃあ行くか」
「ええ」
そうして叫び返した祐司の後ろに付いて幸恵が歩き出すと、後ろから荷物を引き取った和臣が、追いついて囁いた。
「お待たせ。その紙袋、伯父さんの家からのお土産だろう? 俺が持つから」
「ありがとう。……機内では深刻そうな顔してたけど、やっぱり地元に帰って来たのが嬉しいみたいね」
苦笑交じりに幸恵が綾乃に視線を向けると、和臣は恐縮気味に言葉を返した。
「悪いな。幸恵達からしたら、憂鬱極まりないのに、綾乃が浮かれてて」
「嫌味で言ったんじゃ無いのよ? 元気になって良かったなって思っただけなんだから。下手に勘ぐらないで」
困った様に見返され、和臣は微妙に落ち込んだ表情になった。
「……駄目だな。俺も結構家に帰る前から、気疲れしてるみたいだ」
「意外ね。いつもの傲岸不遜さはどうしたのよ? そんなにお兄さんが苦手?」
「苦手と言うか……」
「何?」
「いや、何でもない。行こう」
何となく二人同時に足を止め、幸恵は不思議そうに付き合い始めたばかりの恋人を見上げたが、和臣はそんな彼女の視線から微妙に顔を逸らしつつ、自分に気合を入れる様に呟いて再び歩き出した。そんな彼に幸恵は怪訝な顔をしつつも、取り敢えず何も言わずに続いて歩いて行った。
「綾乃お嬢さん、荷物はこれですね。台車に積んで車まで持っていきますから。お連れの方もどうぞ、ご遠慮無く」
「ありがとう、三品さん」
「お世話になります」
綾乃達の元にやって来ると、台車を持参した四十代と思われる良く日焼けした男性が、愛想良く綾乃と祐司の荷物を受け取って台車に乗せている所だった。その相手は和臣の旧知の人物であり、親しげに呼びかける。
「やあ、三品さんが来てくれたんだ。わざわざここまで悪いね」
「和臣さん、お久しぶりで……」
「どうかした?」
自分の方に顔を向けたと思ったら、突然口を閉ざして固まった三品を和臣は怪訝な顔で眺めたが、一瞬の空白の後、彼は満面の笑みを浮かべて二人に歩み寄った。
「先生や篤志さんからお話は伺っていましたが、そちらが奥様の姪ごさんですか! いやぁ、奥様のお若い頃に良く似て、大層美人でいらっしゃる! 相当頑張りましたな、和臣さん! ようこそ、広島へ。歓迎しますよ!」
幸恵の右手を掴んで振り回し気味の握手をしつつ、左手で和臣の肩をバシバシ叩いて一気にテンションを上げた三品に、二人は僅かに顔を引き攣らせた。
「どうも……」
「ありがとうございます」
「さぁさぁ、荷物はお預かりしますから、こちらに乗せて下さい」
「ああ……」
「お世話になります」
そうして何やかやと明るく話し掛けてくる三品に、幸恵はほぼかかりきりで笑顔で言葉を返しつつ、駐車場まで辿り着いた。その間、他の三人は生温かい目で二人を眺めながら後を付いて行ったが、乗員人数を考えて用意したらしいライトバンの最後部に荷物を積み込み、スライドドアを開けて三品以外の全員が乗り込んだところで、彼が予想外の行動に出た。
「さて、やっぱりこれを着ないと気分が出ないな」
運転席のドアを開けてそんな事を言ったかと思ったら、三品は助手席に畳んでおいたらしい、紺色の襟に白でチーム名が染め抜かれている、チームカラーの赤いハッピをワイシャツの上に羽織った。そして運転席に座ってから同じく赤い鉢巻を頭に締めながら、上機嫌のままエンジンをかける。
「さあ、景気良く行きますよ!?」
そんな彼の一連の動作を、座席から呆然と眺めていた四人だったが、空港の駐車場を抜けて一般道に入った所で、綾乃が控え目に声を発した。
「……あ、あの~、三品さん?」
「はい、どうかしましたか? 綾乃さん」
「試合日程を確認して無いんですが、今日はカープの試合があるんですか?」
「あ、すみません、一応仕事中なのに、公私混同でしたね。この服装は」
「いえ、そんなに気にはなりませんが……」
他の三人は(もの凄く気になるけど)と思ったが、賢明に口を噤んだ。すると運転しながら、三品が明るく事情を説明する。
「実は篤志さんに、『客を空港に迎えに行って家に連れて来てくれたら、そのまま上がって良い』と言われまして。『いつも不規則な勤務ですまない。偶には家族サービスでもしてくれ』と仰って、今日三時からのデーゲームのチケットと食事券まで頂きました。それで皆さんを送り届けたら、そのまま球場に向かう予定なんです」
「そ、そうなんですか……。ご家族皆で、楽しんで来て下さいね?」
「……兄貴も、気が利く様になったよな」
兄妹で僅かに顔を強ばらせながら感想を述べると、三品が深く頷いて話を続けた。
「ええ、篤志さんも最近は先生に負けず劣らずの風格をお持ちで。折に触れ私共にまで心配りをして頂いて、ありがたい事です」
そこで何故か溜め息を吐き、愚痴っぽく続ける。
「本当なら、若奥様が差配しなければいけない事が多々有りますが、奥様の域に到達するにはまだまだと言った感じで。今度の奥様の入院で、それが余計に」
「三品さん?」
唐突に和臣が低い声で話に割り込み、表情を消している彼の様子に幸恵と祐司は(何事?)と無言で驚いたが、運転席の三品はその言外に含む物を容易に察したらしく、慌てて謝罪してきた。
「……あ、いや、これはお客人に、つまらない事をお聞かせしました。申し訳ありません」
そして車内に微妙に気まずい雰囲気が漂った為、祐司と幸恵は困惑しながら、その場をとりなす様に言葉を返した。
「いえ、お兄さんの有能ぶりが良く分かりました」
「篤志さんは県議会議員と伺っていましたが、君島代議士は将来有望な後継者をお持ちの様で何よりですね」
その誉め言葉に気を良くしたらしい三品は、元気を取り戻したらしく運転しながら声を張り上げた。
「ええ、ちょっとやそっとの事では、先生達の地盤はビクともしませんよ! それではお二人を歓迎する気持ちを込めて賑やかに、かっ飛ばして行きましょう!」
そして素早くカーステレオを操作すると、賑やかなファンファーレが車内に鳴り響いた。祐司と幸恵は聞いた事が無いメロディーだったが、賑やかな雰囲気のそれに容易にその内容を察して顔を引き攣らせ、和臣は片手で顔を覆う。
「あ、あの、三品さん」
「さあ、お嬢さんもご一緒に! さん、はい!」
「え、ええっと……」
おろおろとしながら、綾乃は聞き慣れ、歌い慣れたカープの応援歌を止めて貰おうと声をかけたが、逆に三品に押し切られる形で一緒になって歌い出した。そんな綾乃からチラチラと視線を受けながら、幸恵は深い溜め息を吐く。
「ねえ……、これってひょっとして、地味で手の込んだ嫌がらせ? 運転席からは全く悪意を感じないんだけど、実家で待ちかまえている筈のあんたのお兄さんの悪意を、そこはかとなく感じるのは、私の気のせいかしら?」
小声で隣に座る和臣に尋ねると、沈鬱な表情と声音で返された。
「気のせい、という事にしておいてくれ。頼む」
「……分かったわ」
そして君島邸に無事到着するまで、車内には途切れる事無く、様々なカープの応援歌が響き渡っていた。
法廷速度ギリギリで三品が文字通りかっ飛ばしたのか、空港から三十分強で目的地に到着した。ゆっくりと門から敷地内に入り、舗装された道を曲がって大きな車庫の前で停まる。
「それでは、荷物はこちらで運びますので」
「ありがとうございます」
スーツケースやボストンバッグを引き受けてくれた三品に礼を述べ、四人は手荷物だけ持って、建物の周りを回り込む形で移動を始めた。
「予想はしていたけど、広い敷地ね……。家もどれだけ建坪があるのよ?」
「ここら辺は市街地からは少し離れていますから、周りもゆったりとした敷地の家が多いんです。昔は庄屋だったそうですし」
「へぇ……、そうなんだ」
「あれ? ここから入るんじゃないのか?」
幸恵が相槌を打ったところで、綾乃が目の前の玄関を通り過ぎて尚も庭と建物の間に続く道を進んで行った為、祐司は不思議に思って問い掛けた。すると綾乃が事も無げに答える。
「はい、こっちは後援会の人達や、秘書さん達が頻繁に出入りしてる、仕事で使っている棟なんです。さっきのライトバンは、いつもこちらの車庫に入れてるので。中でも出入りできますが、この先のあそこの玄関からプライベートスペースに入りますから。それから、一番向こうに屋根だけ見えるのが集会場兼武道場で、地域の方に格安で貸し出ししてます。門は別に有りますし。あそこで剣道教室とか書道教室とか開催していて、お兄ちゃん達も教わっていました」
「は、はは……。そうなんだ」
各所を指差しつつスラスラと説明してきた綾乃に、祐司の笑顔が盛大に引き攣った。しかしそれに気づかないまま、大きな玄関に辿り着いた綾乃は、ガラガラと引き戸を開けつつ中に向かって声をかける。
「ただいま戻りました~」
声を張り上げて中に入って行った綾乃に、さすがに幸恵は当惑した。
「え? チャイムとかは」
「車を入れた段階で、奥の方に連絡は行ってるから」
「連絡ね……」
疲れた様に頷いてから和臣に引き続いて玄関に足を踏み入れると、彼が言った通り一行を待ち構えていたらしい面々が、広い玄関の上がり口に顔を揃えているのが目に入った。
「……和臣に綾乃、戻ったか」
「お帰りなさい! 綾乃ちゃん。お正月に来なかったから、和臣さんは久し振りね!」
「ただいま、お義姉さん!」
「ご無沙汰してます。それでこちらが電話でお話しした、高木さんと荒川さんです」
どうやら父親譲りであるらしい、いかめしい顔付きの三十代後半の男性と、全体的にほんわかした雰囲気の、美人と言うより可愛いと言った方がぴったりくる男女が長男夫婦だと、そのやり取りで分かった為、幸恵と祐司は気合いを入れ直して、神妙に頭を下げた。
「はじめまして。高木と申します」
「今回はお世話になります」
そこで嫌味の一つもぶつけられるかと、精神的に身構えた二人だったが、予想に反して篤志は口元を緩めて笑みらしき物をその顔に浮かべ、隣に立つ妻に声をかけた。
「お噂はかねがね。今回は母の見舞いの為に、わざわざ東京から出向いて頂き、感謝しております。泉、二人のお世話を頼んだぞ?」
「はい! 精一杯おもてなししますね! それではどうぞ、お上がり下さい」
「お邪魔します」
そして靴を脱いで上がり込む間に、よくよく見れば「泉」と呼ばれた女性の腹部は目立たない程度だが膨らんでおり、それを認めた幸恵は恐縮しながら尋ねた。
「あの……、泉さんは妊娠中なんですか?」
「はい、今6ヶ月です。少し目立ってきましたね」
「すみません、そんな時に押し掛けまして」
「あら、気にしないで下さい。家の中に人が多いので、私がする事なんて微々たるものですから」
明るく笑って先導する泉に、幸恵も表情を緩めたところで、三品が運んできた荷物を受け取った使用人らしい二人の女性が、断りを入れてきた。
「あの……、若奥様、お客様。荷物はこちらでお預かりして、先にお泊まりになる部屋に運んでおきますので」
「お願いします」
「はい。ありがとうございます」
泉は明るく了承し、幸恵も恐縮気味に頭を下げたが、何故かその二人の女性は物言いたげな表情で少しの間佇んだ挙げ句、互いの顔を見合わせてから一礼してそそくさと廊下の角を曲がって消えて行った。泉は全く気にしないで「さあ、こちらです」と声をかけて案内を再開したが、幸恵は眉を寄せて考えを巡らせる。
(何かしら? 何か使用人さん達が、挙動不審なんだけど……)
そこで彼女は、一番事情に通じていそうな人物に声をかけてみた。
「和臣?」
「何?」
「お兄さんが、妙に愛想良かったけど?」
それにピクリと顔を強ばらせて、和臣が呻く様に応じる。
「……絶対、何か企んでるな」
「でしょうね。それに反して、お義姉さんは大歓迎っぽいんだけど?」
すると和臣は、先程とは違った意味で、疲れた様に告げた。
「基本的に、あの人に腹芸は無理だ。本心から大歓迎してくれている」
「そうなの……。夫婦で随分タイプが違うのね。この場合、感謝しなくちゃいけないみたい」
苦笑いでその話を締めくくった幸恵に、和臣は横を歩きながら真顔で囁いた。
「できるだけフォローする。色々腹の立つ言動があるかもしれないが、滞在中はできるだけ堪えてくれ」
その悲壮感さえ漂ってくる物言いに幸恵は半ば呆れ、安心させる様に片手を伸ばして相手の手を軽く握りつつ言い聞かせた。
「一応、大人の対応は心得ているつもりよ。好き好んで揉め事を起こすつもりはないから、そんなに心配しないで。らしくないわよ?」
「ああ……、信用している」
そして幸恵が握ってきた手を、和臣がもう片方の手で軽く握り返してから、二人はどちらからともなく手を離した。そして無駄話はせずに、磨き込まれた廊下を進む。
(元々、あの時私が門前払いを食わせたせいで、お兄さんの態度が硬化しちゃったんだし、いわば自業自得よ。頭くらい、幾らでも下げてあげようじゃない)
そんな覚悟を決めつつ、幸恵は泉に促された客間に足を踏み入れた。
「……着いちゃったわね」
「取り敢えず、広島にはな。目的地はもう少し先だ。今からそんな渋い顔をするな」
独り言のつもりが相槌を打たれて、幸恵はいつの間にか隣に立っていた祐司を見上げた。そして再び前方に視線を戻し、ボソッと口にする。
「広島って……、一度は行ってみたいと、思っていた場所ではあるんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
「もう少し、気楽に来たかったわ……」
「それを言うな。言ってもどうにもならないから。気が滅入るだけだぞ」
二人で沈鬱な顔を逸らしつつ呟いていると、少し離れた所から綾乃が手を振りつつ、大きな声で呼びかけてきた。
「祐司さん! 幸恵さん! 迎えの人が来てくれてますので、こっちに来てくれますか?」
「ああ、今行くから! じゃあ行くか」
「ええ」
そうして叫び返した祐司の後ろに付いて幸恵が歩き出すと、後ろから荷物を引き取った和臣が、追いついて囁いた。
「お待たせ。その紙袋、伯父さんの家からのお土産だろう? 俺が持つから」
「ありがとう。……機内では深刻そうな顔してたけど、やっぱり地元に帰って来たのが嬉しいみたいね」
苦笑交じりに幸恵が綾乃に視線を向けると、和臣は恐縮気味に言葉を返した。
「悪いな。幸恵達からしたら、憂鬱極まりないのに、綾乃が浮かれてて」
「嫌味で言ったんじゃ無いのよ? 元気になって良かったなって思っただけなんだから。下手に勘ぐらないで」
困った様に見返され、和臣は微妙に落ち込んだ表情になった。
「……駄目だな。俺も結構家に帰る前から、気疲れしてるみたいだ」
「意外ね。いつもの傲岸不遜さはどうしたのよ? そんなにお兄さんが苦手?」
「苦手と言うか……」
「何?」
「いや、何でもない。行こう」
何となく二人同時に足を止め、幸恵は不思議そうに付き合い始めたばかりの恋人を見上げたが、和臣はそんな彼女の視線から微妙に顔を逸らしつつ、自分に気合を入れる様に呟いて再び歩き出した。そんな彼に幸恵は怪訝な顔をしつつも、取り敢えず何も言わずに続いて歩いて行った。
「綾乃お嬢さん、荷物はこれですね。台車に積んで車まで持っていきますから。お連れの方もどうぞ、ご遠慮無く」
「ありがとう、三品さん」
「お世話になります」
綾乃達の元にやって来ると、台車を持参した四十代と思われる良く日焼けした男性が、愛想良く綾乃と祐司の荷物を受け取って台車に乗せている所だった。その相手は和臣の旧知の人物であり、親しげに呼びかける。
「やあ、三品さんが来てくれたんだ。わざわざここまで悪いね」
「和臣さん、お久しぶりで……」
「どうかした?」
自分の方に顔を向けたと思ったら、突然口を閉ざして固まった三品を和臣は怪訝な顔で眺めたが、一瞬の空白の後、彼は満面の笑みを浮かべて二人に歩み寄った。
「先生や篤志さんからお話は伺っていましたが、そちらが奥様の姪ごさんですか! いやぁ、奥様のお若い頃に良く似て、大層美人でいらっしゃる! 相当頑張りましたな、和臣さん! ようこそ、広島へ。歓迎しますよ!」
幸恵の右手を掴んで振り回し気味の握手をしつつ、左手で和臣の肩をバシバシ叩いて一気にテンションを上げた三品に、二人は僅かに顔を引き攣らせた。
「どうも……」
「ありがとうございます」
「さぁさぁ、荷物はお預かりしますから、こちらに乗せて下さい」
「ああ……」
「お世話になります」
そうして何やかやと明るく話し掛けてくる三品に、幸恵はほぼかかりきりで笑顔で言葉を返しつつ、駐車場まで辿り着いた。その間、他の三人は生温かい目で二人を眺めながら後を付いて行ったが、乗員人数を考えて用意したらしいライトバンの最後部に荷物を積み込み、スライドドアを開けて三品以外の全員が乗り込んだところで、彼が予想外の行動に出た。
「さて、やっぱりこれを着ないと気分が出ないな」
運転席のドアを開けてそんな事を言ったかと思ったら、三品は助手席に畳んでおいたらしい、紺色の襟に白でチーム名が染め抜かれている、チームカラーの赤いハッピをワイシャツの上に羽織った。そして運転席に座ってから同じく赤い鉢巻を頭に締めながら、上機嫌のままエンジンをかける。
「さあ、景気良く行きますよ!?」
そんな彼の一連の動作を、座席から呆然と眺めていた四人だったが、空港の駐車場を抜けて一般道に入った所で、綾乃が控え目に声を発した。
「……あ、あの~、三品さん?」
「はい、どうかしましたか? 綾乃さん」
「試合日程を確認して無いんですが、今日はカープの試合があるんですか?」
「あ、すみません、一応仕事中なのに、公私混同でしたね。この服装は」
「いえ、そんなに気にはなりませんが……」
他の三人は(もの凄く気になるけど)と思ったが、賢明に口を噤んだ。すると運転しながら、三品が明るく事情を説明する。
「実は篤志さんに、『客を空港に迎えに行って家に連れて来てくれたら、そのまま上がって良い』と言われまして。『いつも不規則な勤務ですまない。偶には家族サービスでもしてくれ』と仰って、今日三時からのデーゲームのチケットと食事券まで頂きました。それで皆さんを送り届けたら、そのまま球場に向かう予定なんです」
「そ、そうなんですか……。ご家族皆で、楽しんで来て下さいね?」
「……兄貴も、気が利く様になったよな」
兄妹で僅かに顔を強ばらせながら感想を述べると、三品が深く頷いて話を続けた。
「ええ、篤志さんも最近は先生に負けず劣らずの風格をお持ちで。折に触れ私共にまで心配りをして頂いて、ありがたい事です」
そこで何故か溜め息を吐き、愚痴っぽく続ける。
「本当なら、若奥様が差配しなければいけない事が多々有りますが、奥様の域に到達するにはまだまだと言った感じで。今度の奥様の入院で、それが余計に」
「三品さん?」
唐突に和臣が低い声で話に割り込み、表情を消している彼の様子に幸恵と祐司は(何事?)と無言で驚いたが、運転席の三品はその言外に含む物を容易に察したらしく、慌てて謝罪してきた。
「……あ、いや、これはお客人に、つまらない事をお聞かせしました。申し訳ありません」
そして車内に微妙に気まずい雰囲気が漂った為、祐司と幸恵は困惑しながら、その場をとりなす様に言葉を返した。
「いえ、お兄さんの有能ぶりが良く分かりました」
「篤志さんは県議会議員と伺っていましたが、君島代議士は将来有望な後継者をお持ちの様で何よりですね」
その誉め言葉に気を良くしたらしい三品は、元気を取り戻したらしく運転しながら声を張り上げた。
「ええ、ちょっとやそっとの事では、先生達の地盤はビクともしませんよ! それではお二人を歓迎する気持ちを込めて賑やかに、かっ飛ばして行きましょう!」
そして素早くカーステレオを操作すると、賑やかなファンファーレが車内に鳴り響いた。祐司と幸恵は聞いた事が無いメロディーだったが、賑やかな雰囲気のそれに容易にその内容を察して顔を引き攣らせ、和臣は片手で顔を覆う。
「あ、あの、三品さん」
「さあ、お嬢さんもご一緒に! さん、はい!」
「え、ええっと……」
おろおろとしながら、綾乃は聞き慣れ、歌い慣れたカープの応援歌を止めて貰おうと声をかけたが、逆に三品に押し切られる形で一緒になって歌い出した。そんな綾乃からチラチラと視線を受けながら、幸恵は深い溜め息を吐く。
「ねえ……、これってひょっとして、地味で手の込んだ嫌がらせ? 運転席からは全く悪意を感じないんだけど、実家で待ちかまえている筈のあんたのお兄さんの悪意を、そこはかとなく感じるのは、私の気のせいかしら?」
小声で隣に座る和臣に尋ねると、沈鬱な表情と声音で返された。
「気のせい、という事にしておいてくれ。頼む」
「……分かったわ」
そして君島邸に無事到着するまで、車内には途切れる事無く、様々なカープの応援歌が響き渡っていた。
法廷速度ギリギリで三品が文字通りかっ飛ばしたのか、空港から三十分強で目的地に到着した。ゆっくりと門から敷地内に入り、舗装された道を曲がって大きな車庫の前で停まる。
「それでは、荷物はこちらで運びますので」
「ありがとうございます」
スーツケースやボストンバッグを引き受けてくれた三品に礼を述べ、四人は手荷物だけ持って、建物の周りを回り込む形で移動を始めた。
「予想はしていたけど、広い敷地ね……。家もどれだけ建坪があるのよ?」
「ここら辺は市街地からは少し離れていますから、周りもゆったりとした敷地の家が多いんです。昔は庄屋だったそうですし」
「へぇ……、そうなんだ」
「あれ? ここから入るんじゃないのか?」
幸恵が相槌を打ったところで、綾乃が目の前の玄関を通り過ぎて尚も庭と建物の間に続く道を進んで行った為、祐司は不思議に思って問い掛けた。すると綾乃が事も無げに答える。
「はい、こっちは後援会の人達や、秘書さん達が頻繁に出入りしてる、仕事で使っている棟なんです。さっきのライトバンは、いつもこちらの車庫に入れてるので。中でも出入りできますが、この先のあそこの玄関からプライベートスペースに入りますから。それから、一番向こうに屋根だけ見えるのが集会場兼武道場で、地域の方に格安で貸し出ししてます。門は別に有りますし。あそこで剣道教室とか書道教室とか開催していて、お兄ちゃん達も教わっていました」
「は、はは……。そうなんだ」
各所を指差しつつスラスラと説明してきた綾乃に、祐司の笑顔が盛大に引き攣った。しかしそれに気づかないまま、大きな玄関に辿り着いた綾乃は、ガラガラと引き戸を開けつつ中に向かって声をかける。
「ただいま戻りました~」
声を張り上げて中に入って行った綾乃に、さすがに幸恵は当惑した。
「え? チャイムとかは」
「車を入れた段階で、奥の方に連絡は行ってるから」
「連絡ね……」
疲れた様に頷いてから和臣に引き続いて玄関に足を踏み入れると、彼が言った通り一行を待ち構えていたらしい面々が、広い玄関の上がり口に顔を揃えているのが目に入った。
「……和臣に綾乃、戻ったか」
「お帰りなさい! 綾乃ちゃん。お正月に来なかったから、和臣さんは久し振りね!」
「ただいま、お義姉さん!」
「ご無沙汰してます。それでこちらが電話でお話しした、高木さんと荒川さんです」
どうやら父親譲りであるらしい、いかめしい顔付きの三十代後半の男性と、全体的にほんわかした雰囲気の、美人と言うより可愛いと言った方がぴったりくる男女が長男夫婦だと、そのやり取りで分かった為、幸恵と祐司は気合いを入れ直して、神妙に頭を下げた。
「はじめまして。高木と申します」
「今回はお世話になります」
そこで嫌味の一つもぶつけられるかと、精神的に身構えた二人だったが、予想に反して篤志は口元を緩めて笑みらしき物をその顔に浮かべ、隣に立つ妻に声をかけた。
「お噂はかねがね。今回は母の見舞いの為に、わざわざ東京から出向いて頂き、感謝しております。泉、二人のお世話を頼んだぞ?」
「はい! 精一杯おもてなししますね! それではどうぞ、お上がり下さい」
「お邪魔します」
そして靴を脱いで上がり込む間に、よくよく見れば「泉」と呼ばれた女性の腹部は目立たない程度だが膨らんでおり、それを認めた幸恵は恐縮しながら尋ねた。
「あの……、泉さんは妊娠中なんですか?」
「はい、今6ヶ月です。少し目立ってきましたね」
「すみません、そんな時に押し掛けまして」
「あら、気にしないで下さい。家の中に人が多いので、私がする事なんて微々たるものですから」
明るく笑って先導する泉に、幸恵も表情を緩めたところで、三品が運んできた荷物を受け取った使用人らしい二人の女性が、断りを入れてきた。
「あの……、若奥様、お客様。荷物はこちらでお預かりして、先にお泊まりになる部屋に運んでおきますので」
「お願いします」
「はい。ありがとうございます」
泉は明るく了承し、幸恵も恐縮気味に頭を下げたが、何故かその二人の女性は物言いたげな表情で少しの間佇んだ挙げ句、互いの顔を見合わせてから一礼してそそくさと廊下の角を曲がって消えて行った。泉は全く気にしないで「さあ、こちらです」と声をかけて案内を再開したが、幸恵は眉を寄せて考えを巡らせる。
(何かしら? 何か使用人さん達が、挙動不審なんだけど……)
そこで彼女は、一番事情に通じていそうな人物に声をかけてみた。
「和臣?」
「何?」
「お兄さんが、妙に愛想良かったけど?」
それにピクリと顔を強ばらせて、和臣が呻く様に応じる。
「……絶対、何か企んでるな」
「でしょうね。それに反して、お義姉さんは大歓迎っぽいんだけど?」
すると和臣は、先程とは違った意味で、疲れた様に告げた。
「基本的に、あの人に腹芸は無理だ。本心から大歓迎してくれている」
「そうなの……。夫婦で随分タイプが違うのね。この場合、感謝しなくちゃいけないみたい」
苦笑いでその話を締めくくった幸恵に、和臣は横を歩きながら真顔で囁いた。
「できるだけフォローする。色々腹の立つ言動があるかもしれないが、滞在中はできるだけ堪えてくれ」
その悲壮感さえ漂ってくる物言いに幸恵は半ば呆れ、安心させる様に片手を伸ばして相手の手を軽く握りつつ言い聞かせた。
「一応、大人の対応は心得ているつもりよ。好き好んで揉め事を起こすつもりはないから、そんなに心配しないで。らしくないわよ?」
「ああ……、信用している」
そして幸恵が握ってきた手を、和臣がもう片方の手で軽く握り返してから、二人はどちらからともなく手を離した。そして無駄話はせずに、磨き込まれた廊下を進む。
(元々、あの時私が門前払いを食わせたせいで、お兄さんの態度が硬化しちゃったんだし、いわば自業自得よ。頭くらい、幾らでも下げてあげようじゃない)
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