アビシニアンと狡猾狐

篠原 皐月

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第3話 疑惑と挑戦状のジグソーパズル

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 幸恵の出張初日。星光文具の商品開発研究所に、始業時間前にきちんと出向いた幸恵は、前回同様受付に荷物を預けて事務所棟に乗り込んだ。そして業務が始まって早々に設定されていた会議で、所長以下各部門の責任者が揃っている前で挨拶し、所長に促されて今回の出張の目的を簡潔に説明する。

「……以上の手順で、一覧表でお渡しした内容のデータチェックとシステムチェックをしていきますので、これから1ヶ月宜しくお願いします」
 そう言って殊勝に頭を下げた幸恵だったが、その場全員無言を貫き、あからさまに嫌な顔をしている者までいた。そんな冷え切った空気の中、その場に場違いなのんびりとした声が発せられる。

「了解しました。本社の谷垣部長から概要は伺っていますので、こちらもすぐ見て貰えるデータは揃えておきました。いつでも目を通して下さい」
「ありがとうございます。それでは早速、研究棟のA3室を見せて頂きたいのですが」
「分かりました。担当者に連絡します。このまま待っていて下さい」
「はい、分かりました」
 ここの統括責任者である小池所長は読めない表情で一見穏やかに了承し、内線の受話器を取り上げてどこかに指示を出し始めたが、一方的に仕事を押し付けられた格好になった挙句、監視紛いの行為をする事になる幸恵に対する当て付けのつもりか、他の者達が席を立たないまま口々に言い出した。

「しかし……、この前の人事異動では、本社の商品開発部のメンバーが、随分配置換えになったそうですね」
「去年二十代の係長がお目見えしておやおやと思っていたら、今度は二十代の女性が主任ですから。ちょっと驚きましたよ」
「しかも係長は社長の息子で、主任は今をときめく有名代議士の姪御さんとか? 七光りが眩しくて、仕事にならないのじゃありませんか?」
「二人分だから、七光りでは無く十四光りでは? 本社の商品開発部は、今やお遊び感覚の坊ちゃん嬢ちゃんの遊び場ですかね」
「文具メーカーから玩具メーカーに、看板をかけ替えたらどうでしょう」
「そりゃあ良い。意見書でも出すか?」
 互いの顔を見ながらカラカラと三十代後半から五十代の男達が笑ったが、所長は涼しい顔で特に咎める風情も見せなかった。

(なるほど。これ位は案内役が来るまでの待ち時間の間に、軽い雑談をしていた位の感覚なのよね。それならまともに対応するのは馬鹿をみるわ。雑談には雑談で返す事にしましょうか)
 二月近く前に本社内で広まった噂を蒸し返されて多少ムカついた幸恵だったが、そんな事は面には出さず素早く状況判断をした。そして余裕の笑みを顔に浮かべつつ、ゆっくりと口を開く。

「皆様、こちらの研究所に居られながら、本社内の事情にも精通されておられる様で、なかなか感心な事ですね」
「……何だと?」
「したり顔で何を言っている」
 言外に含んだ軽蔑の感情を、感じ取れない程鈍い人間揃いでは無かったらしく、その場の何人かが気色ばんだ顔を向けた。しかし幸恵はその視線を淡々と受け流す。

「ですが、肝心な情報が抜け落ちていませんか? この前の人事異動では、バカボン係長の間抜け企画を、考え無しにほめちぎった阿呆共が一掃されたんですよ? 単なるバカボンの遊び場なら、阿呆を寄せ集めて飼っておくだけで十分でしょう。掃除をする必要性があります?」
「バカボン係長……」
「間抜け企画……、そこまで言うか?」
「阿呆の寄せ集めって……」
 あまりの毒舌っぷりに唖然となった面々を尻目に、幸恵はとどめを刺した。

「それに……、先程私の縁戚がどうのこうのと聞こえましたが、私がもしそんなコネで入社して配属されたなら、そんな人間に暴言を吐く人間なんて、真っ先に綺麗さっぱり放逐されそうですね。そこの所、皆さんはどう思われます?」
「…………」
 嫌味たっぷりに幸恵が問いかけると、その場の全員が押し黙った。それを見た幸恵が(これ位言われただけで口を噤むなら、最初から場を弁えなさいよ!)と腹を立てつつ、追い討ちをかける。

「それとも? 皆さんはそんなに今の仕事に不満をお持ちで、自主退職する前に、鬱憤晴らしのつもりでそんな事を仰ったんでしょうか? それなら同じ星光文具の社員として、気の済むまでお聞きしますよ? ついでに本社に戻る時は、辞表をお預かりしていきます。どうぞご遠慮なさらず」
 口調だけは穏やかに、周囲を冷ややかな笑顔で見回した幸恵だったが、ここで苦笑気味の声が割り込んだ。

「荒川主任、その辺で。申し訳ないね、口のきき方を知らん部下ばかりで」
 傍観する事は止めたらしい小池が軽く謝罪すると、幸恵も軽く頷いてすこぶる冷静に応じた。

「私としては、こちらに所属されている方は営業職ではありませんので、口が悪かろうが態度が悪くて悪意が有ろうが、仕事をして頂ければ問題は無いと思っています。つまらない御託を吐かれた分の仕事は、していただけると思って宜しいでしょうか?」
「期待を裏切らない様に、皆に鋭意努めさせます」
「宜しくお願いします」
 周囲からの視線が突き刺さっていたのは分かっていたが、幸恵は今更気にする事もなく、案内役の人間がやって来たのを期に会議室を出て自分の仕事を始めた。

 しかし流石に初日からやらかしてしまった自覚はあった為、昼休みに弘樹に『暴言を吐かれて、倍返しして揉め事を起こしました。申し訳ありません』と一応謝罪のメールを送ったものの、すぐに『お前が喧嘩売られて大人しくしてるとは、俺を初めとして課長も部長も思っていない。安心しろ』と返され、(私って、職場でどんな人間だと思われてるの……)と軽くへこむ結果となった。

 そんな風に、予想範囲内の軋轢を抱えつつ一日の仕事を終わらせた幸恵は、受付で預かって貰っていた荷物を受け取り、事務所棟に隣接した独身寮に向かった。
 結構な広さの敷地内に建てられているそれは、研究棟や事務所棟と渡り廊下で連結しており、一階の食堂は社員は自由に利用できる為、昼休みに昼食を食べるついでに荷物を運び込もうと思えば出来たのだが、休憩時間も書類の精査に結構時間を割いてしまった幸恵は、結局業務後に荷物を移動させる事になったのだった。

「……初日から疲れたわね」
 どうしても口から漏れ出る愚痴に益々うんざりしながら、幸恵が食堂とは反対側の入口から寮に入ろうとすると、入口横の管理人室に常駐している初老の男性が、人の良い笑みを浮かべて幸恵を呼び止めた。

「あ、荒川さんでしたよね? 昼に荒川さん宛てに荷物が届きましたから、こちらで預かっていました」
「ありがとうございます。でも誰からかしら? ……兄さん?」
 既に何回か利用させて貰っている為、顔見知りになっていた管理人から手渡された、ダンボール箱の上に貼られた伝票の送り主名を見た幸恵は、益々怪訝な顔をした。しかし管理人は心持ち安堵した表情を浮かべる。

「やっぱりお兄さんからだったんだね。書籍・食品なんて書いてあるから、身内の方が差し入れを送ってきたとは思ったんだが。最近は色々物騒だから、変な物が送りつけられたりしないか、警戒する必要があってね」
「差し入れにしても……、どうして出張初日に送りつけるのかしら? きちんと食事だって出るし、泊まりがけの出張は今回が初めてじゃ無いのに。それに自宅にも差し入れの類は、これまで送って来た事は無いのに」
 幸恵が何となく釈然としない思いに駆られていると、相手は素早く幸恵が首から下げているネームプレートを見ながら、尤もらしく言い出した。

「まあまあ。荒川さんは最近主任さんになったんだよね? 春に来た時は肩書きは付いて無かったし」
「ええ、秋の人事で……」
「それを聞いたお兄さんが、仕事が大変になったんじゃないかと、急に心配になったんじゃないかな? だからせめて差し入れ位するか、何て気持ちになったのかもしれないよ? ありがたく受け取って、お礼の電話をかけてあげれば喜ぶと思うけどね」
 真顔でそんな事を勧められた幸恵は、素直に頷いた。

「そうですね。ありがとうございました。頂いていきます」
「じゃあスーツケースは俺が運んであげるから。1ヶ月頑張って。階段に気を付けるんだよ?」
「はい」
 そうして管理人に三階までスーツケースを運んで貰った幸恵は改めて礼を述べ、受け取った鍵で室内に入った。そして勝手が分かっている為、手早く作り付けのワードローブやチェストに衣類をしまい込み、小物を整理すると夕食の時間になる。その為慌ただしく食事をしに一階へと降り、なんやかやで幸恵が落ち着いて送りつけられた箱の中身を確認出来たのは、二十時を過ぎていた。
 しかし開封した箱の中身を見下ろした幸恵は、本気で困惑した。

「本当に、どういう風の吹き回し? それにどうして兄さんが、私がいつも読んでいる雑誌や、お気に入りのお菓子の銘柄まで知っているわけ? それに……」
 ぶつぶつと独り言を呟きながら、幸恵はお菓子の下にひっそりと入っていた、些かそこに場違いな箱を手にして、目線の高さまで持ち上げた。

「何よ、この如何にも『完成できるものならやってみな』的な、手強すぎる青空と白い雲の二千ピースジグソーパズルは……。喧嘩を売ってるわけ?」
 滅多に口にしない事ながら、実はここ何年か幸恵はジグソーパズルマニアであり、しかも単調で見分けが付きにくい図柄のピースを揃えていくのに喜びを感じるタイプの人間だった。しかし以前それを口にした時、周囲から『暗い』とか『執念深そう』とか『見ているだけで疲れる』などと否定的な言葉が返ってきた為、殆どの者には教えていなかった。その中には足が遠のいている実家の面々も含まれており、不思議に思いながら、幸恵は兄に電話をかけてみた。

「もしもし、兄さん? 今日寮の方に荷物が届いたんだけど、あれは何?」
「おぅ、幸恵。と言う事は、今日から研究所泊まりなんだな」
 その台詞を聞いた幸恵は、無意識に眉を寄せて問いを重ねた。

「なんだなって……、それならどうして初日にあんな荷物を寮に送りつけたのよ。それにどうして寮の住所まで知っていたわけ?」
「ああ、それ送ったの、俺じゃないから」
「は? じゃあ誰よ」
「和臣。『いきなり無関係そうな男の名前で送ったら、施設の関係者に受け取り拒否されるかもしれないから、名前を借ります』って、俺に律儀に断りを入れてきた」
 淡々とそんな説明をされた幸恵は、反射的に正敏を叱りつけた。

「『入れてきた』じゃあ無いでしょう!! 断固として拒否しなさいよ、馬鹿兄貴!」
「だってなぁ……、あいつの性格からして、わざわざ俺に断りを入れてまで、変な物を送りつけたりはしない筈だし。それにそこの研究所って、宿泊施設が敷地内の独身寮で結構気詰まりだし、町の中心部に出るアクセスもイマイチで、気軽にちょっと買い物に出るって真似もできないんだろ?」
 しみじみと言われた内容に、ふと幸恵が疑問を覚える。

「確かにそうだけど……。それをどうして兄さんが知ってるわけ?」
「和臣から聞いた。和臣は遠藤さんから聞いたそうだが」
(係長……、あんた何をペラペラと、部外者に社内事情を話してるんですか? やっぱりあんたはバカボンだわ!)
 研究所の面々の前ではわざと悪口雑言を吐いた幸恵だったが、心の中では最近密かに評価を上げていた弘樹を、幸恵は頭の中で容赦なくこき下ろした。その間も正敏の話は続く。

「それで『ただでさえ昇進したばかりで、職場で気苦労が絶えない幸恵さんが、宿泊先で気分転換できる類の物を送ってあげたいんです』なんて言われちゃなぁ……。反論できないだろ」
 そう言い諭された幸恵は、言いたい言葉をひとまず飲み込み、質問を続けた。

「……じゃあ、兄さんの名前をかたった事に関してはもう良いわ。でも兄さん、あいつに私の購読してる雑誌とか、好んで食べてるお菓子の銘柄とか教えたんでしょう? 良く知ってたわね。最近実家で読んだり食べたりしてたかしら?」
「俺は知らないから教えて無いぞ? 大方和臣が綾乃ちゃんに頼んで、お前の周りの人間に聞いて貰ったんじゃないのか?」
「……え?」
 そこで幸恵は自分の顔が引き攣るのを自覚したが、正敏はあっさりと話をまとめにかかった。

「直接和臣、綾乃ちゃんに聞いてみたらどうだ? 俺からは以上だ。仕事頑張れよ。それじゃあな!」
「ちょっと、兄さん!」
 慌てて声をかけたが、正敏が通話を終わらせたのが無機質な信号音で分かった幸恵は、苛立たしげにボタンを押して通話を終わらせた。

「何易々と懐柔されてるのよ!」
 そう一言叫んでから、未だ腹の虫が治まらない幸恵は、携帯を睨み付けながらブツブツと呟く。
「あいつに直接電話するなんて、真っ平御免だし……」
 結局幸恵は、よりマシな話し相手を選択し、早速電話をかけた。そして相手が出るやいなや、挨拶もそこそこに用件を切り出す。

「もしもし? 幸恵だけど、綾乃さん。聞きたい事があるんだけど」
「幸恵さん、こんばんは。荷物は届きましたか?」
「やっぱりあなたが私の周囲を探ってたわけね」
 無意識に若干声のトーンが下がってしまった幸恵だったが、敏感にそれを察したらしい綾乃が、おどおどしながら弁解らしき事を口にした。

「さ、探ったと言うか……、お尋ねしたら皆さん色々親切に、率先して教えて下さいましたけど……。あの、すみません……」
(そりゃあ、社長の初恋の女性の娘、かつ有力代議士の娘と社内に知れ渡ってるこの子に聞かれたら、聞かれない事までホイホイ喋るわよね。上から睨まれたくは無いでしょうし)
 怒るのを通り越して脱力感を覚えて黙り込んだ幸恵に、綾乃が恐る恐る声をかけてきた。

「あの……、何か不都合でも有りましたか?」
 全面的に悪いのは和臣であり、綾乃は単に良い様に丸め込まれただけだと分かっていた幸恵は、諦めて溜め息を吐いた。

「言いたい事は幾つか有るけど、もう良いわ。どうせあなたも、お兄さんに頼まれたんでしょうし」
「はい。『研究所が結構周囲と隔絶までいかないまでも、結構気軽に出歩く雰囲気でないと聞いたから、気分転換になる物を送りたいけど、俺は幸恵さんに着信拒否されてるから、お前が調べてくれないか』と、ちぃ兄ちゃんが言うもので……」
(全く、殊勝なふりをして、何を企んでるんだか)
 段々小さくなっていく声を聞きながら、幸恵は舌打ちしたい気持ちを懸命に堪えた。そして一応、いつもの口調で礼を述べる。

「取り敢えずありがとう。お菓子は夜に小腹が空いた時にでも、食べさせて貰うわね。それから雑誌の類は、ついつい仕事にかまけて買い忘れて、気が付くと次の号になってる事がしょっちゅうなの。今月号もまだ買って無かったから、買う手間が省けて助かったわ」
「そうですか。それなら良かったです」
「それで、ジグソーパズルの事も誰かから聞いたのね」
「ジグソーパズルって、何の事ですか?」
 そこで心底不思議そうに問い返されて、幸恵は当惑した。

「え? この荷物、あなたが揃えたんじゃ無いの?」
「はい。私はちぃ兄ちゃんに、雑誌とお菓子の銘柄を伝えただけですけど……」
 電話の向こうでも不審そうな顔つきになっていると分かる声音に、取り敢えず追及しても無駄だと悟った幸恵は、話を終わらせる事にした。

「ふぅん? それならそれで良いわ。1ヶ月で戻るんだから、これ以上大げさな事はしないでと伝えて貰える?」
「分かりました。この電話が終わったら、早速言いますので」
「宜しく。それじゃあ失礼するわね」
「はい、お疲れ様でした」
 そうして話を終わらせて携帯を充電機にセットした幸恵は、改めてジグソーパズルの箱を取り上げ、しげしげと眺めた。

「じゃあこのジグソーパズルって、あいつが入れたわけよね?」
(兄さんから聞いた? 違うわよね。この類にはまったのは、実家を出て一人暮らしを始めてからだし。部屋に兄さんが来た事は無いし。職場でも特に話題に出した事は無いと思うんだけど……)
 少しの間考え込んだ幸恵だったが、すぐに意識を切り替えた。

「どうでも良いか、そんな事。どうせなら帰るまでに、完成させてやろうじゃないの」
 そして部屋の片隅に設置してあるミニキッチンでお湯を沸かし、持参したティーバッグでお茶を淹れて気分転換がてら始めようとしたところで、充電中の幸恵の携帯電話が着信を知らせてきた。慌ててそれを取り上げて発信者名を確認した幸恵は、先程話したばかりの相手からの電話に怪訝な顔をする。しかしすぐに通話ボタンを押して応答した。

「もしもし、どうしたの?」
「すみません、幸恵さん。今、ちぃ兄ちゃんに電話して幸恵さんの言葉を伝えたら、伝言を頼まれまして……」
「何て言ってたの?」
「あの……、怒りませんか?」
 先程の会話の時以上に、恐縮気味の綾乃の口調に、幸恵の顔が僅かに強張った。そしてそのまま宥める様に、言葉を返す。

「……さぁ、どうかしらね。でもグズグズしてると、それだけで私が怒るのが確実になるけど? この際試しに、一時間位じらしてみる?」
「すっ、すみません、言いますっ! 『幸恵さんの好みに合いそうだからジグソーパズルを入れたけど、色々忙しいと思うし1ヶ月の間に完成出来なかったら、俺が手取り足取り手伝ってあげるから安心して』とか言いまして」
 それを聞いた途端、幸恵のこめかみに青筋が浮かんだ。

「……へぇ? それはそれは、お気遣い頂いた様で」
「それで『出張終了までに運良く完成できたら、それにぴったりのサイズのパネルケースも贈るから』とも……」
 幸恵が静かに怒っているのが電話越しにでも容易に分かってしまったらしい綾乃が黙り込んだ為、幸恵は続きを促してみる。
「……ほざいたのはそれだけ?」
 すると、恐る恐ると言った感じで、綾乃が話を続けた。

「その……、『帰る時に荷物になるだろうから、車で迎えに行ってあげるから。お礼は幸恵さんにキスの一つも貰えれば、俺は満足だから』とか何とか言っていまして……」
 そして再び黙り込んだ綾乃に、幸恵が冷たく声をかける。

「それで?」
「以上です」
「そう……」
 言いたい事は色々有ったが、綾乃を怒鳴りつけても仕方がないと自分自身を何とか納得させ、幸恵はなるべく穏やかな声を絞り出した。

「あのね、正直なのは普通長所だと思うけど、馬鹿正直って言うのは短所じゃないかと思うの。これまで周りから、その類の事を言われた事って無い?」
「……色々な人に、言われています」
 電話の向こうで項垂れているのが分かる口調に、幸恵は流石に可哀想になり、これ以上文句を言うのを諦めた。

「じゃあこれ以上は言わないわ。おやすみなさい」
「おやすみなさい、失礼します」
 そして再び携帯を閉じて充電を開始した幸恵は、忌々しそうにそれを睨み付けて呻いた。

「全く、ろくでもないわね」
(でも……、これ位、時間を見ながら一月かければできるわよ。やってやろうじゃない!)
 そして俄然戦闘意欲をかき立てられた幸恵は、改めてジグソーパズルの箱を取り上げ、中身の袋を取り出した。
 その一方で幸恵との会話を終わらせた綾乃は、そのまま和臣の番号を選択して電話をかけた。

「やあ、綾乃。一晩に何回もかけてくるとは珍しいな。どうかしたのか?」
 その脳天気過ぎる口調に、綾乃の口から盛大に恨み言が漏れる。
「『どうかしたのか?』じゃなくて! さっきの言葉をそのまま伝えたら、やっぱり幸恵さん怒っちゃったんだけど?」
「お前が怒られたのか?」
「私は怒られなかったけど……、あの声は絶対怒ってたもの! やっぱり正直に、言うんじゃ無かった……」
 涙目でがっくりと項垂れた綾乃を慰める様に、和臣が優しい声をかける。

「悪かったな、綾乃」
「だから、幸恵さんへの伝言はこれっきりだからねっ!」
 力強く宣言した綾乃だったが、それを聞いた和臣は、些か傷付いた様な声を出した。
「それは酷いな……。綾乃はたった一人の兄のささやかな願いも聞いてくれない程、冷たい人間だったのか?」
 その訴えに、綾乃は長兄の存在を持ち出す。

「……お兄ちゃんもいるけど?」
「兄貴はプチ親父だ。兄弟の枠には入らん」
「否定はしないけど……。本人が聞いたら拗ねまくって後が面倒だから、本人の前で口にするのは止めてね」
 思わず溜め息を吐いた綾乃に、和臣は情けないとでも言いたげに応じた。

「全く、それ位で県会議員の三十路男が拗ねるなよ。議員の肩書きが泣くぞ?」
「そうじゃなくて! 今はお兄ちゃんの話じゃなくて、ちぃ兄ちゃんの行いについての話をしているの!」
 危うく誤魔化されそうになって次兄を叱りつけた綾乃に、和臣は感慨深げに呟いた。

「綾乃……、お前就職してから、随分しっかりしてきたよな。あっさり誤魔化されなくなったのは残念だが、お前の成長は嬉しいぞ」
「……あのね、ちぃ兄ちゃん」
 流石にイラっとしてきた綾乃だが、それを察したらしい和臣が一方的に話を終わらせた。

「そういう訳だから、これからも伝言頼むな。おやすみ」
「ちょっと! 話はまだ終わって無いから!」
 しかし既に通話を終え、かけ直しても電源を落としてしまったらしい和臣に、綾乃はこれ以上話をするのを諦めた。そして深い溜め息を吐く。

「ちぃ兄ちゃんって、昔から今一つ考えている事が分からなかったけど……、幸恵さんを怒らせる事ばかりして、本当に何を考えてるのよ……」
 疲れた表情で綾乃はそんな事を呟いたが、それに対する答えは容易に見つかりそうに無かった。
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